ある漫画家の先生と、その持病に関する顛末
私の元には実に色々な職業の人々が仕事の相談をしにやってきたが、中には、変わった相談に来る人もいた。
たとえば80年代に週刊少年ジャンプで人気作品を連載していた、とある漫画家の先生。とりあえず名前はM氏としておく。時期は2002年だったか2003年だったか、だいたいその頃だ。やはりコミケ会場で、私の元へと来訪したのである。
すでにデビュー済みの漫画家が私の元に来るのはたいがい連載のネタ探しだったが、M氏の場合はちょっと違った。
彼は原因不明の頭痛に悩まされていて、仕事に支障が出るほどであるという。
医者に行って診察してもらうものの、身体のどこにも異常が見つからない。だから病名もわからない。治療法もわからない。ほとほと困っているので、助けてもらえないだろうか?
これがM氏の依頼であった。
なるほど、こういう相談が来ることもあるのか。珍しいこともあったものだと思いながら、私はM氏の顔をしばらく眺めた。
そして、気が付いた。
「あなたは、交通事故に遭ったことがあるでしょう? 病気の原因は、それですよ」
私がそう回答すると、M氏は困惑した。
これまでの人生で、交通事故に遭ったことなんて一度もない。何かの間違いではないか?
彼はそう答えた。
私はそれを否定して、説明を付け加えた。
「恐らく、ずっと昔です。あなたが忘れるくらいの昔のことです。ご家族に聞いてみれば、もっと詳しいことがわかるはずです」
M氏は首をかしげながら、その場を去った。
その翌年だったと思うが、M氏は再び来訪した。お話を聞いてみると、やはり前年の私の指摘は正しかったことが判明した。
M氏がご自分のご家族に確認を取ったところ、お姉さまが過去の事件を思い出した。ごく幼少期に、M氏は自動車にはねられたことがあったというのだ。
この時はご家族の間で大騒ぎになったものの、それといった後遺症もなく回復したので、その後は誰も話題にせず、半ば忘れ去っていたという。M氏がご自分の交通事故について知らなかったのは、こういう理由であった。
それで「交通事故が原因で起きる頭痛」を手がかりに医者をあたってみたところ、真相がわかった。
M氏は「骨髄液減少症」だったのだ。
人間の脳みそは髄液と呼ばれる液体に包まれて保護されている。事故などで背骨や頭部のどこかに外傷を負って、髄液が外部に漏れ出すと、脳みそを守る機能に支障が出る。これが頭痛や倦怠感などの症状を起こす。これが「骨髄液減少症」である。
若いころは、たとえ髄液が足りなくなってもすぐに回復するから気が付かない。しかし中年以降になって回復力が落ちると、症状が出てしまうというケースが多いという。
M氏はこの一例というわけだ。
もちろん、私は医者ではないから、こんな病気のことは知らなかった。私が理解できたのは、M氏の病気の原因が交通事故であるということだけだった。
それだけの手がかりでも、病名を突き止める程度には役に立ったのだ。
骨髄液減少症を完治する方法は現在のところ存在しない。だが症状を抑える方法は発見されている。M氏はこの治療を受けて、体調を回復することができた。
私はM氏に対して直接の報酬を求めず、代わりに、この骨髄液減少症について社会に啓蒙する漫画を描くように依頼した。この病気は知名度が低く、漫画を通じて情報を伝えていくことは、社会的な意義が大きいと思ったのだ。
こうして、ささやかな社会貢献がなされ……たのならば、話はめでたしめでたしで終わるのだが、残念ながら、そうはならなかった。
たとえ治療法がわかっても、M氏の体力は漫画を描くには少し足りなかったのだ。私が希望した漫画は現実には描かれることもなく、氏は闘病生活の末に亡くなられた。
この一件は、望ましくない形で終わってしまったが、私には一つの希望となった。
私の能力は、やはり世の中の役に立つのだ。
うまくすれば、未来だって変えられる。
そう思ったのである。
現実は、はるかに厳しかったのだが。




