人権とは、つまるところお金である
ここで、きわめて重要だが、大人があまり教えたがらない話を。
漫画家であれ小説家であれ、あるいはライターであれ、出版社が仕事を委託し、原稿を書籍化するのは、お金が儲かるからである。
それが真実だが、あまりにも外聞が悪いので、企業は表向き「文化を育てるために創作者を世に送り出す」とか、そんな理屈を展開するだろう。公式にはそれが正しいことになるだろう。だが、公式の見解というものは、建前に過ぎない。
本音はお金である。
現代はPOSレジが普及しているため、書籍の売り上げは即座に電子データとして出版社に報告される。つまり、どの本がどれくらい売れたか、返品率はいくらか、再販がかかったかどうか、それらの情報は編集者が共有している。
もちろん、ある作家が(小説家であれ漫画家であれ)どれほどの売り上げを出したのかも、すぐにわかってしまう。
たとえばこんな状況を考えてみよう。
ある作家が原稿か企画書を持ち込んで、編集者に見せたとする。
持ち込みとは、本質は商談であり、自分がこれから作ろうとしている作品がどれくらい有望な商品であるかを売り込む場である。
すると編集者は、その作家の言い分を聞きつつも、過去の売り上げを調べるだろう。
作家の過去の作品が売れているのであれば、編集者は友好的に相手をしてくれる。
しかし売れていなければ、その逆の対応になるだろう。
どんな原稿を持っていこうと、どんな売り込みトークをしようと、売れなかった作家にチャンスを与えてくれる優しい編集者などというものは、あまりいない。
連載を持っていた漫画家が、単行本化できるだけの原稿が溜まっているにも関わらず書籍化を自分で拒否するという事例が存在する。これは、書籍が売れなかった場合に次の連載が持てなくなる危険性があるので、自信が持てない作品はあえて書籍化しないのである。
電子データとして、半永久的に過去の売り上げが記録されてしまうということの恐ろしさは理解できるだろうか。
過去の売り上げデータを根拠として「この作家は売れない」という烙印を押されてしまった作家は、最悪の場合、作家として死んでしまう。
だから、私は言うのである。
作家の人権とは、お金である。
漫画家であれ、小説家であれ、ライターであれ。
作家は売れ続けなければいけないのだ。
私の元を訪れた小説家や漫画家のタマゴたちに、この現実を話したとき、反応は二種類にわかれる。
まずは平然と受け入れる人。これができる人は、出版業界のシビアな現実に対して覚悟ができていて、実力も十分ということが多い。
逆に、この世の終わりみたいにショックを受ける人。こちらは、実力もまったくダメという人ばかりである。
出版業界には詐欺師が掃いて捨てるほどいるという話をしたことがあるが、簡単に騙されてしまうのも、そういう「ダメな人」である。
中には強烈なのもいて「そんな酷い話をしないで下さい! さもないと自殺します!」と言って、自分の命を人質にして、話の中断を要求する妙なケースも一例ある。
そういう人は、悪い事言わないから作家なんて目指さない方がいいよ……と言いたかったが、面倒くさいので、話を中断してお引き取り願った。
作家志望者というのは変人ぞろいである。主に悪い意味で。
たまに、稀に、偶然に、宝石のように貴重で美しい才能に出会うこともあって、その喜びが、この仕事のモチベーションになっていたが、今となってはそれさえも昔話だ。
ええっと、何の話だったかな?
ああ、そうそう。
私が書き散らすこの昔語りを読んでいる人はごく数名だと思うが、もしも貴方が作家志望者であるのならば、このことを忘れないで欲しい。
作家は、ただの職業だ。
「憧れの仕事」や「夢の仕事」ではない。
社会に参加する手段であり、お金を稼ぐ手段である。
お金を稼げる人間ほど組織内での発言権が大きくなり、その逆は発言を軽んじられる。
普通のサラリーマンも似たようなものだが、残酷な世界である。
自分は勝ち残れるのか、そうではないのか。
それを意識しながら、悔いのない選択をして欲しい。




