とあるアメリカ人の作家が言うには
私に興味を持って話を聞きに来る人は、国籍と職業を問わず沢山いた。
その中に、とあるアメリカ人の作家(名前は秘すが、仮にJ氏と呼ぶ)がいたのであるが、さらにJ氏は別の(やはりアメリカ人の)作家を呼んで私に会わせた。
確か2013年のことだったと思う。
私に会いに来たその作家の名前は、ジャック・ケッチャムという。
名前を聞いた瞬間、顔をこわばらせる人もいるかもしれない。暴力と恐怖を題材にした救いのない物語で有名な人物だからだ。
そのケッチャム氏は、J氏の紹介を受けて私の前に現れ、顔をしばらく眺めると、笑い出した。
なぜ笑い出したのか意味が分からず、その場にいた通訳に話を聞いてみると、ケッチャム氏の言い分がわかった。
「こいつは、たいしたことがない」「この程度の相手を評価しているようでは、ダメだなぁ」
彼は笑顔でそう言っていた。
ちなみにJ氏は、その父上も有名な作家であり、ここでケッチャム氏が「ダメだなぁ」と言っているのは、J氏とその父上のどちらのことを言っているのか、あるいは両方なのか、正確なところは不明である。
ケッチャム氏は私の書いた文章を一文字も読んだことがなかったのだが、彼からすれば、私は「この程度」で語り終わる相手だったわけだ。
酷いディスり方だと思うかもしれない。
しかし、私は、このときケッチャム氏の言い分が正しいことに気が付いていた。
なぜなら、私自身が、人の書いた文章を読まずに、ただ相手の顔を見ただけで「この人は1000万部以上本が売れる作家になる」とか「この人は芽が出ない」などと断定する能力を持っているからだ。
外れた例はない。
私のこのスキルは一種の才能だ。そして、社会的な成功者の中には私の話を理解できる人が時々いるが、そういう人はつまり、私と同じ種類の才能を持っているのだ。
恐らくは、ケッチャム氏も私と同じことができたのだろう。そう理解している。
一方で、私には私にしかできないことがある。ケッチャム氏の顔を見て分かったことがあったので、私は彼にそれを教えた。
「申し上げにくいのですが、あなたの寿命はあまり残っていません。5年は生きられるでしょうが、10年はもちません。今のうちに、やりたいことがあったらやっておきなさい」
この言葉に、ケッチャム氏は苦笑していた。
自身の名誉のために解説するが、私はケッチャム氏の発言に怒らなかったし、やり返そうという意思もなかった。私の能力がどのようなもので、何ができて、何ができないのか。
それは、とっくにわかっていた。
最初に書いたが、私は10億部を超える漫画の発行を助け、その他にも何千億円ものお金が動くビジネスに関わってきた。
しかし一度たりとも、私自身が作った小説や脚本が直接的に利益を出したことはない。
物書きそのものとしては、凡人に過ぎないのだ。
その意味で、ケッチャム氏の言い分は、まったくその通りだったのだ。
私の能力は、自分が何かをするための能力ではない。
何かをしようとする誰かに、予知をして助ける能力である。
果たして、私の言葉をケッチャム氏がどう受け取ったか。無視したか、信じたかは不明である。氏は私の話を聞いたあと、すぐに立ち去ってしまった。
寿命の話は、もちろん正しかった。
彼は、その5年後、2018年に亡くなられたのである。
彼が2013年から後の人生を充実させたかどうかは、知る由もない。だが、私の言葉が役に立っていて欲しいと思うのである。




