世界一の大富豪は味方ではなかった
以前のエピソード(「想定外の訪問者」を参照)で触れた通り、私はプーチン大統領に遭遇し、彼を通じてウクライナの危機に気が付いた。それ以降、私はプーチンに対抗できそうな人間を見つけると、必要な情報を無償で与えるようにした。
第三次世界大戦なんて冗談じゃない。
誰だってそう思うはずだ。だから、プーチンの危険性を人々に伝えて、第三次世界大戦の危機について教えれば、誰もが私に協力するだろう……。
そう考えていた。
しかし、これは誤りだった。
私の元を訪れる人の中には、大富豪や大企業のCEOなども混じっていた。彼らはおおむね優秀で、徹底的なリアリストであり、そして自分の社会的な役割というものを自覚していた。もしも第三次世界大戦が起きたら、どれほどの惨事になるかも理解できていた。
だから、私は知らず知らずのうちに、社会的な成功者たちに対して性善説的な行動を期待するようになっていた。
そのバイアスが、最悪の読み違えとなったのが、イーロン・マスクの一件である。
この話の始めは、私が自動車産業について語ったことである。
しつこいようだが、私の能力について解説をもう一度。
私は人の顔を見ただけで、その人の才能や、近々悩まされることになるトラブルや懸案事項を推測することができる。隠された秘密を読み解くこともできる。
私の話はいちいち的中するので、ためしに話を聞いてみようと考えた人はたくさんいたわけだ。
その中に、日本の自動車会社の経営陣なども混じっていて、彼らの顔を見ているうちに、私は近い未来に自動車産業が直面する問題に気が付いた。
その問題とは、電気自動車の勃興と、中国の動きである。
自動車のエンジンは膨大な技術と特許の積み重ねの産物であり、新参企業が参入するのは難しい。参入したとしても、エンジンは既存の企業から売ってもらうなどの方法を使うことになる。
ところが、電気自動車はそうではない。
エンジン部分が電気で動くモーターになるので、新規参入も比較的容易である。
排気ガスが発生しないので、環境問題との相性もいい。
今後、CO2規制が厳しくなれば、電気自動車は優遇措置を受けるなどして一気に普及するかもしれない。
新規参入が容易と書いたが、つまり中国の企業でも参入可能である。共産党政府は、国費を投じてEV自動車の産業を育成するかもしれない。
そういうわけだから、電気自動車の時代に向けた投資と、中国への対策が必要になるだろう……
この話をしたのは、確か2003年のことだっただろうか。これまで何度か話に登場した機関投資家のW氏に会う機会もあったので、今後の有望な投資先として電気自動車を作る会社に目星をつけるように勧めておいた。
すると、私の噂を聞きつけたのだろうか。翌年の2004年にイーロン・マスクがやってきた。もちろん、私の話を聞きに、である。
――そして私は困惑したのである。
一目見れば、彼がとても優秀な経営者であることはわかる。
わかるが、性格にかなりの問題がある。テンションの高い時と低い時にかなりムラがある。この人に重要な仕事を任せて、大丈夫だろうか?
だが、まあ、考えすぎか。
この人も社会的な成功者なのだし、きっと責任をもって人類のために働いてくれるだろう……
私はマスク氏に向かって、電気自動車事業が前途有望であると伝えた。
しかしこれは彼にとって不要な情報だっただろう。彼自身がそう信じていたからこそ、彼はテスラのトップになったのだ。私の行動で効果があったとすれば、機関投資家からの投資が多少増えた程度のことであり、多少、事業拡大のスケジュールが早くなっただけのことだろう。
もう一つ、彼が宇宙事業に手を出していることに気付いたので、懸案としていた計画を一つ話してみた。
それは、火星に人を送る計画だ。
過去の歴史を調べてみれば、人類は何度も滅亡の危機を迎えている。氷河期がその代表的な例である。また、かつて恐竜を滅ぼしたのと同じ規模の隕石が、将来落ちてこないとも限らない。地球に何かが起きたときのために、火星に持続的な植民地を建設すれば、人類の文明を存続させることができるだろう。
「火星計画を推進しよう。2050年までに、人類を火星に到達させよう。無事に、火星に都市を建設出来たら、その都市には『イーロンマスク』という名前が付けられるだろう」
元々マスクは火星に人を植民させる事業に関心を示していたから、この提案に彼は喜んでいた。
ここまでは、友好的な空気を維持できていたのである。
私はマスク氏のことを、プーチンに対抗可能な人材だと考えた。そこで第三次世界大戦の危機について話してみた。
ロシアによるウクライナ侵攻について教えると、マスク氏は「ウクライナがロシアに勝てるわけがない」とつぶやいて、目線をさまよわせ始めた。その日が来たら、ウクライナへの支援を手伝ってほしいと要請したが、沈黙が返ってきただけである。
ここから、マスク氏と私の間には、微妙な空気が漂い始める。
その時、彼が何を考えていたのか、そして、どんな結論にたどり着いたのかは、私にはわからない。
最近知ったことだが、マスク氏の父親はプーチンのシンパだった。彼の微妙な反応は、これが原因だったのだろうか。あれこれと考えることはできるが、想像の域を出ない。
だが事実として、マスク氏はロシア寄りの立場を取っている。
私が肩入れした相手が、私の意図とまったく逆の行動に出てしまったわけだ。
これは痛恨の出来事である。
私は人に何か儲け話を与えるときは、報酬を求めることはしないものの、社会に利益を還元するように求めたり、何らかの慈善事業を依頼することがある。
しかしマスク氏はそうした私の考え方になんら共感を示さなかった。慈善事業は無駄と考えているのであろうか。要は、私と根本的に考え方が合わなかったのだ。
当時のことを思い出して、何かもっと気の利いたことをマスクに言えば、この未来を避けられたのではないかと考えることがある。
そして様々に思考の網を広げて、結局は、何をしようと同じ結末だったという答えにたどり着く。
マスク氏にだって、積み上げた経験と人生がある。私とは違う価値観の持ち主が、私の望んだとおりに動くわけがなかったのだ。
2025年になってから、あまりにも先行きに不安をもよおす情報ばかりが入ってくる。
私は何かをしくじってしまったのだろうか?
すべては無駄だったのであろうか?
これから日本は、世界はどうなっていくのだろうか?
暗雲が晴れる兆しは、まだ見えない。




