ポップスの帝王
私の元を訪問して知恵を求めた人は大勢いるが、その中には、かつてのポップスの帝王・マイケル・ジャクソン氏が含まれる。
もう20年以上前、2001年ごろだったろうか。やはりコミケ会場での出来事だ。
会場をうろうろしている最中に、ふと訪問者の気配がして、振り返るとそこにマイケル・ジャクソンが通訳とともにいた……私は驚いたが、すぐに順応した。
そのころ既にハリウッドとのコネはできていたから、推測するに、そのツテを辿って私にたどり着いたのだろう。あるいは、日本の芸能界に関係の深いB氏から情報が伝わったのか。あまりにも大物が来てしまったので私の方が面喰ったが、それはたしかにマイケル氏であった。
氏の相談事は『今後、何の仕事をすればいいのかわからない。どうすればいいのか教えて欲しい』という、シンプルだが、解決の難しいものだった。
私が直接会って抱いた感想を言うならば……マイケル・ジャクソンという人物は、どこか傷ついた少年のような印象があった。音楽業界では世界一の成功を収めたのに、痛々しい様子で、寒い場所で凍えながら生きている。
そういう人だ。
思えば、90年代のマイケル氏は映画を撮ったりゲームを作ったり、自分の得意分野とは違う活動が多かった。この原因も、恐らく自己評価の低さ故ではないだろうか。
歌と踊りの世界で世界一になったのだから、その道で稼ぎ続ければいいじゃないか。誰だってそう思うだろう。私もそう思った。
だから、私もそう勧めた。まだまだあなたは音楽業界では一流なのだから、そこで稼ぎなさいと。
ここまでは、普通の助言だ。
しかし私は、話をしているうちに、何かがおかしいという違和感に気が付いた。
どうも、死の匂いがするのだ。
なんとなくだが、不吉な予感がする。
それで、頭に思い浮かんだ言葉を、思い切って話してみた。
「医者に注意してください。どうも、黒人男性の医者が原因であなたは死ぬようです。心当たりはありませんか?」
通訳が私の言葉をマイケル氏に伝えて、さらに返事を日本語に翻訳する時間が経過し、返ってきた言葉はこうだった。
『できません。彼は友達だから』
このとき氏が言った「彼」というのは、マイケル氏が死亡したときの専属医だったコンラッド・マーレ―氏とは別人だろう。時期が合わない。これが誰のことなのかは、不明なままである。おそらくマイケル氏は、私の話を別人のことと勘違いしていたのだろう。
私はマイケル氏に誤った医療行為を行ってしまう人物が「黒人の男性の医者」であることだけはわかったが、名前までは特定できなかったのである。
だから、何とか「黒人の男性」に該当しない人間をマイケル氏の主治医に付けたかった。だが、これには失敗してしまった。
ああ。これは良くない。
私は話題を変えることにした。マイケル氏の子供たちについての話だ。
成功したミュージシャンや映画俳優にありがちなことだが、お金に関するトラブルは多い。お金を持っている人の周りには、悪い人間が集まる。
マイケル氏の死後、遺産目当ての悪人に子供たちが食い物にされてしまう可能性は、かなり高い。
それで、マイケル氏に子供たちに与えるお金についての提案をした。
子供たちに大金を与えず、生活費だけを渡すこと。
遺産については、マイケル氏の死後すぐには分与せず、子供たちが十分に経験を積み、お金の使い方や、悪い人間の見分け方を習得した年齢になってから与えるべきこと。
この遺言は生前に一般公開すること。これは、子供たちにお金をせびる悪人を近づけないための処置だ。
この提案は受け入れられ、後にマイケル氏はそのような遺言を作った。
彼のその後については、わざわざここで語るまでもないだろう。
マイケル氏は2006年になって黒人男性の医者であるコンラッド・マーレ―氏を自分の専属医にしてしまった。
そのマーレ―氏は、不正な鎮痛剤の使い方をして、それが原因で2009年にマイケル氏は死亡した。
これはおそらく、私が手にした情報だけでは防げなかった。私が予知できる情報は結局は真実の断片に過ぎず、歴史を変えるには少し足りないことが多い。
マイケル氏の遺言が守られていれば、恐らくは、マイケル氏の3人の子供たちは、みな充実した人生を送るはずである。
この件でこれだけが、私にとって救いである。
なお余談だが。
マイケル氏は私の能力について知ると「やり方を教えて欲しい」と依頼してきたが、これは無理なので、お断りした。
この能力はおそらく遺伝であり、生まれつきのものだ。
私は私にできることが他人にできない理由がわからない。
わからないものは教えようがない。
また、すべての話が終わった後、記念写真を撮ることを通訳に勧められたが、これもお断りした。私は自分の活動で報酬を受け取ることを拒否しており、この一環である。
通訳の話では、マイケル氏との記念写真撮影を断った人は、過去ただ一人の例もないそうで、私は非常に珍しかったようだ。
今にして思えば、潔癖症にも程度というものがある。撮影して写真を受け取るくらいなら、やるべきだったのかもしれない。




