人間以上の恐怖はない
以前に書いた「未来記憶仮説」で少し触れたが、かつて私は幽霊とは「過去の記憶が土地、または人に付属したもの」だと思っていた。ただの記憶の残骸だと。
しかし今は、不承不承ながら意思を持つ幽霊の実在を認めている。
私の知る限り、幽霊というものは、夜に現れるものではない。物陰に隠れて人を驚かせたりしない。言葉を発しない。もちろんテレビ画面から這い出てきたりしない。白昼堂々と、生きた人間にくっついてくるものである。
たとえば、ある日本人の男性俳優のケースだ。仮に名前をGと呼ぶ。時期はたしか2002年だったかその前後、場所はコミケでの出来事だ。
ビジネスのヒントを求めて私の所にやって来る人の中には、俳優が混じっている。G氏はその一人だった。
私が彼を見た瞬間に気になったのは、妙な影が後ろをついてきたことだった。
影と言ったけど、目に見えるものではない。ただ感じるのだ。
人の形をした、気配の塊のような物体が、G氏のすぐ後ろを音もなく進んでいる。それがわかる。しかもどういうわけか、その「ヒトガタの物体」は、首がやけに長かったのである。
これはいったいなんだろうか?
人間ではない。だが、元は人間だったのだということは直観的に理解できる……「何か」
G氏にぴったりとくっついているということは、彼と関わり合いの深い人物なのだろう。
私は思い切って質問してみた。
「すいません。あなたのすぐ横に、首の長い人がいるみたいなんですが、心当たりはありますか?」
すると、G氏の顔色が変わった。G氏は何も言わず私をにらみつけた。敵対的な空気が生まれていた。何か触れてはいけないものに触れてしまったようだ。
わけがわからない。
何しろ場所はコミケなものだから、通行人の中には、G氏と私の会話を遠目に見物している人がいた。そうした人の一人が、私に近づいて耳打ちした。
G氏はパワハラで自分の同僚を自殺に追い込んだ過去があったのだ。
それを聞いた瞬間、目の前にいる「ヒトガタの物体」が何なのかを、私は察知した。自殺した同僚は首つりをしたという。つまり、首が長いのは……そういうことだ。
ははぁ。これが幽霊というものか。なるほどなぁ。
私は何かもっと情報が引き出せないかと思い、その物体をじろじろと見つめた。
すると、そのヒトガタの首が動いて、私の顔を見た。
え? 今こいつ、首を動かして……え?
私のことを見ている?
その幽霊は、私の視線を認識して、反応した。
ということは、私が想像していたような、記憶の残骸などではない。意思がある。
これは、生きた人間が関わってはいけないものだ。
私は直観的に察知して、幽霊から目をそらした。
一方でG氏は急に猫なで声を出し、こんなことを言い始めた。
「きみ、俺の付き人にならない? 芸能界に入るつもりなら、才能があるみたいだし、面倒見るよ?」
顔に張り付くのは作り笑い。
明らかな嘘だ。
彼は私の口封じを目論んでいる。
後で聞いた話だと、G氏は自殺した同僚の葬式で遺族に謝罪したらしいのだが、もちろんポーズだけだ。
現実としてG氏は何一つ自分の行いを反省していない。邪魔な人間が現れたら、また自殺させればいいなどと考えている。今まさに、そう考えて私を罠にかけようとしている。なんとまぁ、邪悪な。
もちろん、即座にお断りした。
幽霊には幽霊として守らなければいけないルールが存在する。
自分を死なせた相手にとり憑くのは「あり」だ。
だがなんの恨みもない他人にとり憑くことは許されない。
筋の通らないことはしない。
しかし人間は、平然と筋を違える。
他人の生命や財産、尊厳までも踏みにじって薄ら笑いを浮かべる人間を、私は何人も知っている。
使い古された言い回しだが「幽霊なんかより、生きた人間の方がはるかに怖い」とは真実だ。
え?
幽霊が人にとり憑いているってのは本当だとして、それは何のためなのか、だって?
それはわからないが、推測することはできる。
幽霊は待っているのだ。とり憑いた相手が死ぬ瞬間を。
そして、どこかに連れていくつもりなのだ。
どこへ? それもわからない。
だが少なくとも、天国ではないだろう。