想定外の訪問者
そろそろ、この連載の一番重大な話をしようと思う。
実話であるが、またまたキーボードを打つ指が重い。あまりにも荒唐無稽な話に聞こえてしまう一件だからだ。
ここで話す内容の大半は、もう20年以上前のことだ。
だから今となっては時代遅れになっている情報も多い。時の経過により記憶が風化し、場所や時間、経緯や不明になった部分が存在している。
それを承知で、私はこの話を書こう。もう今しか書けないことだから。
2002年末から2003年の、どこかのイベントに参加したときのことだ。W氏に呼ばれて行った場所だと思うのだが、あまりにも前なので判然としない。
ちょうど私の話を聞きに来る人が一気に増えた時期だ。私は自分の身の丈に合わない登場人物が、私の周りに増えてしまったことに当惑していた。
そんな時期に、彼は現れた。
誰かに呼び止められて振り向いた先にいたのは、ウラジーミル・プーチンという男だった。ロシア連邦の大統領である。日本語の通訳と、数人の同行者付きで。
その同行者には、ゴルバチョフ元大統領も含まれていた。
……これを読んだ人がどう思うか。どんな顔をするか。
見ることはできないが、想像はできる。
ありえない。そう思っただろう。
私だってあまりの非現実的な光景に、自分の正気を疑った。
一度目をそらして、深呼吸してからもう一度見た。いわゆる二度見というヤツだ。
しかし相変わらず、彼らはそこにいた。
これは現実だったのだ。
いったい彼がどこでどうやって私の存在を知ったのかは不明だ。
これは今もって不明である。
後になって、既に顔見知りになっていたW氏に聞いてみたが、彼にもわからなかった。
私が把握していないコネがどこかにあって、それを伝って私にたどり着いたということらしい。そのように想像はできる。だが、突き止める方法はもうないだろう。
これを運が良いというのか。悪いというのか。
通訳から「ロシアについて君の意見を聞かせて欲しい」と言われたので、私は幾つか、ロシアが採用すべき政策について話した。
旧ソ連時代から、ロシアの最大の産業は石油と天然ガスであり、それを輸出した利益で国を回している。富の分配に問題があり、ロシア人の平均寿命は近年になってむしろ下がっている。公共の福祉にまわすべきお金が回っていないので、ロシア国民の健康のために社会保険制度の見直しが必要である。また、工業が軍事に偏り過ぎ、いざ有事になれば国内産業の貧弱さが命とりになる……
途中まで話して、気になることがあった。
通訳の男はごく若い小太りの男だったが、その男は終始、怯えていたのである。
私の話がロシアの抱えている欠点を指摘する内容になると、明らかに悩んでいる。通訳すべきかすべきでないか、考えあぐねている。そんな空気が感じ取れた。
彼の表情から推測すれば、プーチン政権というのは上意下達の権威主義的な傾向が強く、風通しは悪く、知識や経験を共有できない集団なのだろう。つまりプーチンが正しい判断をしているうちはいいが、衰え始めると誰にも止められなくなる。そういう組織だ。
私の頭の中で赤信号が灯った。彼らに情報を与えてはいけない。
そして、そう考えたことを切っ掛けとして、頭に言葉が浮かんだ。
この人は戦争をするつもりだ。
戦争? どこの国と?
隣国だ。
隣国とは? 東だったら日本だが、日本が危ないのか?
違う。西。ウクライナ。クリミア半島だ。
そこで、プーチンの目的がわかった。
彼はウクライナを併合し、クリミア半島を手に入れ、黒海を掌握する意図がある。
石油をはじめとする天然資源と、小麦をはじめとする食料は、黒海を通って流通していく。その喉元をつかんで、間接的にアフリカ、ヨーロッパを支配下に置き、アメリカに対抗する。そのために、ウクライナの主権を奪うつもりなのだ、と。
そうなればEUが危ない。恐らく第三次世界大戦になるだろう。
対抗手段は? 何かないのか?
コメディアンが現れる
コメディアン? なんだそれは?
何も言葉が浮かばない。私に未来を教えてくれる脳内の声は、消えてしまった。
しょうがないので、私はプーチン氏にこう言った。
「あなたは戦争をしてはいけない。コメディアンに、あなたは勝てない」
それで話は終わり。
プーチン氏は首をかしげていたが、私はそれ以上何も説明しなかった。
コメディアンというのが政治家か軍人か、それとも軍事的な新兵器とか新戦術のことなのか、私は結論を出せなかったし、考えることも拒否した。
私はもう気が付いていたが、プーチン氏は自分の目的のために「相手を殺す」ことを、忌避しない人物である。もし「コメディアン」が人間で、私がその正体をプーチン氏に話してしまったら、彼は平然と「コメディアン」を暗殺しただろう。
ゴルバチョフ氏も何か言いたそうだったので、ウクライナとロシアの戦争について意見を伺ってみた。私の知識が正しければ、ゴルバチョフ氏はウクライナに親戚がいるはずで、戦争を食い止める役に立ってくれるかもしれない……
だが、これは見当違いだった。
ゴルバチョフ氏は、第三次世界大戦の危機について知ると「我々(ロシア)が勝つ」「我々の方が強い!」と断言した。もちろん、これも通訳(プーチン氏とはまた別の通訳である)を通じての会話である。かつてペレストロイカの時期に抱いた印象とはまったく違って、ゴルバチョフ氏は極めて好戦的な人物であったのだ。これでは役に立たない。
どうすればいいんだ?
相手があまりにも巨大すぎる。
流石に、これを解決できる人材に心当たりはない。
だが、その回答となる人物は、あっさり現れた。
機関投資家のW氏はアメリカの政界にも通じる。そこから連絡があったらしいアメリカの政治家たちが、プーチン氏の去ったその直後に現れたのである。
アメリカ民主党の大物議員3名。
彼らが私のところに来た目的は、その当時、開戦準備が進められていたイラク戦争について、意見を聞きたかったからであった。
私は彼らが必要とする情報を与えた。しかし、役には立たなかった。
「アフガニスタンは、最終的にタリバンに押し返される」と私が教えても、彼らは苦笑して「そんなことはありえない」と回答し、本気にしなかった。
「イラクと開戦すれば、1か月程度でアメリカは勝利するが、それでもイラクが親米国家になることはなく、そもそもイラクは独裁によってしか統治できない国であり、民主主義は成立しない」私はそう教えたが、これにも聞く耳持たず、イラク戦争は防げなかった。
アメリカから見たイラク戦争の意図は、ちょうど極東における日本のように、民主主義を採用した親米国家をアラビアに樹立したいということであり、大量破壊兵器の有無は最初からどうでも良かったのである。そしてその目的は、最初から達成できないことが確定していた。私はそれに気が付いていたし、彼らにそう教えたが、戦争に向かいつつある世相を変えることはできなかった。
以前も同じ話をしたが、けっきょく人は「見たいものを見る」のだ。たとえどんなに正確な予言をしようと、自分に都合の悪い話を人は素通りしてしまう。
さて、アフガニスタンもイラクも、不毛な戦争で終わることが確定していて、しかも止められないことがわかった。
だが、ウクライナは、今ここで手を打てば未来を変えられるかもしれない。
私は3人に向かってロシアのウクライナ侵攻計画について教えた。
ここまでに判明したわずかな情報に限られるが、プーチンの目的さえわかっていれば、防ぐ方法はいくらでもあるだろう。要は、ウクライナの首都キーウの占領さえ阻止できれば、もう第三次世界大戦は起こらないのだ。
それから、プーチンの野望をくじく「コメディアン」の正体が不明だったが、彼ら3人と話しているうちに気が付いた。
コメディアンとは、政治家だ。
ウクライナで活動するコメディアンが政治に転向し、大統領選挙に出馬して、当選し、大統領になる。その人物がプーチンと対決するのだ。
今なら、その正体は誰の目にも明らかだろう。
ウクライナのコメディアン出身の大統領。つまりゼレンスキーのことだ。彼が生きている限り、ウクライナは必ず勝つ。
私は「コメディアンを守って欲しい」と、議員たちに告げた。
私の見るところプーチンの寿命は80歳以下であるので、その日が来るまで耐え忍べば状況は好転するはずである。
議員の1人が、困惑した顔で、こう言った。
「その情報、あなたはどうやって知ったのですか?」
もっともな質問だ。私は正直に答えた。
「ここにプーチン氏が来ていました。私は顔を見ただけで、相手の情報を知ることができます。その情報が国家機密だろうと関係がありません」
空気が凍り付いた。まぁ、それはそうだろう。
私は私の能力を正直に申告したわけだが、私に会うということは、知られてはいけない情報を私に盗まれる危険がある。そのことを彼らに教えてしまったのだ。
言いにくそうにしながら、その議員が再び質問した。
「それで、ウクライナに味方して我々の利益になることはあるのですか?」
私は幾つか回答した。
そもそも90年代の軍縮期に、ウクライナに核武装を放棄させたのはアメリカであり、これでウクライナが征服されればアメリカの威信が失墜すること。
ウクライナが制圧されれば、次はその西のポーランドが危険であり、第三次世界大戦の危機が現実のものとなること。
ロシアを撃退できた場合、ロシア軍が使用している電子戦装備の一式を鹵獲できる。これを解析すれば、軍事的な恩恵が大きいこと。
果たして私の言葉がどれほど効果があったか?
彼らは情報の見返りとして、私個人に対する報酬を提示したが、私は何も受け取らない道を選んだ。
また、彼らははっきりと「二度とあなたとは会わない。また今回の話し合いも、なかったことにして欲しい」と告げて去っていった。これは当然の反応と言えた。
プーチン氏に遭遇してからここまで1時間あったかなかったか。それくらいの時間だったが、このわずかな時間で、後のウクライナ戦争の趨勢は、ほぼ確定していたのである。
この事件は、私の身の上に起きた「奇妙な幸運」の最高潮だった。こんな無茶苦茶な経験をしたことのある人は、私の他にはいないだろう。
ところで「とある保守政党の、とある政治家の話」で既に話した2013年の日本の政治家S氏との会談で、私が氏に教えることのできた情報の大半は、この場面で仕入れたものである。
S氏に情報を得た経緯を説明する段階で、この3人の民主党議員のことも話している。
S氏は後に、このうち1名に職務で会い、私の話を振ってみたが「そんな人は知りません」と回答されたので、氏は私の話を嘘だと考えたようである。
一方で、この議員と私を会わせた機関投資家のW氏に、ある筋から問い合わせると「確かにそのような人物のことを民主党議員に報告し、会わせた」という返答があったとのことで、そうすると、私が今話した内容はやはり現実だったということになる。
プーチン氏に遭遇してからの一連の出来事は、あまりに非現実的だった。それ以上に、極めて危険だった。
もしも私が民主党議員に話した内容がプーチン氏に露見すれば、ロシアは戦略を練り直すであろうし、その結果、ロシアが勝つ未来が出現してしまう。
そういうわけで、日本の政治家のS氏を除いて、誰にも話さないようにしていた。
しかし今はもうキーウ攻略が失敗しているので、いまさら私の情報は無意味である。たとえ私が明日死のうとも、世界線が引き直されることはないだろう。
だから、こうして話すことができる。
心配事は尽きない。
次のアメリカ大統領選挙でトランプが勝ってしまったら?
次の中東戦争が勃発したら?
どれもありそうなことだ。第三次世界大戦とまではいかなくても、別の破壊と殺戮の未来が待ち構えているかもしれない。そしてどんな未来が出現しようと、もう私にはそれを改変する力がない。
今できるのは、せいぜい「闇よ落ちるなかれ」と祈ること。
もはやそれだけである。