できること、できないこと
私は最初に私の能力を「絶対に誰にも回答できないはずの問いに、なぜか回答することができる。しかも必ず正しい」と解説したけど、これがそもそもどういう能力で、何ができて、何ができないかを話しておこう。
私は人の顔を見ただけで、普通の人間がわからない情報を拾うことができる。
それは相手によって全然ちがう。
その人の才能は何か。何をすれば社会的成功者になれるのか。
持病は何があるのか?
近々遭遇する事件は何かあるのか?
死期は近いのか? 死ぬとすれば、いつごろか? その原因は?
このとき拾える情報は、必ず正しい。
私のことを理解できない人間は、これを「あてずっぽう」とか「ただの願望」などと言って否定しようとする。的中すると今度は「偶然」と言い出すか、または「予言なんて覚えていない。きっと外れたんだろ」と言ってとぼける。
そういうものである。
だが私は知っている。
私が頭を使って考えた、ただの「予測」は外れることがある。予測とは過去のデータから、もっとも確率が高い未来を導き出す技術だ。技術は間違えることがある。
だが「予言」は、決して間違えない。
欠点を挙げれば、予言は結末しかわからない。
だから結末に至るまでの経緯は、知識と知恵で「推理」するしかない。ここは不確実性が残っている。原因の究明には、柔軟に、あらゆる可能性を考えておかなければいけない。
私の能力に対して「どうやったら、そんなことができるのか?」と疑問に思っても無駄である。ただ単に、そういう能力だと覚えるしかない。
予言された未来が望ましくないものだった場合、私はこれを作り替えようと試みる。
世界線の引き直しに挑むのだ。
だが残念ながら、不吉な予言をされた人はたいてい非協力的である。
自分にとって望ましくない報告をする相手を、人は遠ざけようとする。
見て見ぬふりをして現実と向き合わず、その予言は外れるに違いないと、自分にとって都合のいい解釈をして勝手に結論を付けてしまう。
だが、そんなことで変わってくれるほど、未来は優しくない。
世界線を希望につなげることは、現実には極めて困難である。
直観に反するかもしれないが「あなたは死にます」と予言されたとき「いいえ私は死にません」と回答してしまうと、死亡が確定してしまう。
逆に「はいそうです。私は死にます」と回答できた人間は、案外生き残る。これができる人間というのは極めて稀であるけど。
私の能力で何ができて、何ができないか。だいたい把握できただろうか。
さて、最初の方の話に登場した「大手出版社S社の法務部社員」が、どうして私の元を訪れたかというと、私がそれまでに色んな小説家や漫画家に創作のアドバイスを行い、それなりに知られた存在だったからだ。
90年代半ばごろには、すでに私はプロのライターだったが、さしたるスキルもコネもなく、平凡な男に過ぎなかった。
だが、コミケで偶然、大物のアニメーターY氏に遭遇した。私は頭に浮かんできた予言の言葉を一通り教えて差し上げた。氏が人生で重大な岐路に立っているとわかったからだ。
Y氏はもうすぐ病気にかかって入院するが、命の危険はないし、後遺症もないこと。
入院中はとにかく暇なので、いつか描きたいと思っていた漫画のネームを描くこと。
その漫画の連載を開始すれば、Y氏の人生の黄金時代が始まること。
この助言はうまくいった。
Y氏の漫画は、1000万部以上売れたのである。
こうして、知られた存在になった私の元には、出版社を問わず、漫画家や小説家、編集者が次々に訪れるようになった。
私が、出会った創作者のために企画立案した物語は、面白いように当たり続けた。
これらの作品は、頭で考えて作ったというより、創作者の顔を見た瞬間に、私の頭に浮かんできた「その人でなければ書けない物語」を相手に教えて、作るようにうながしたものである。
私は2004年に一度活動を休止し、後に2010年から2013年にかけて再び活動した。その間に立案した漫画の売り上げは、10億部を超えている。
普通の人間ではこんな真似はできないだろう。
ここで、不思議に思う人がいるかもしれない。
なぜ、私はさっさと作家デビューするなり、漫画の原作者になるなりしなかったのか?
事実、当時の私は何度も色んな出版社から、または漫画家から、スタッフに加わるように勧められた。小説家としてのデビューを提案する人もいた。功績は絶大だったから、私が幸せになりたかったら、きっとそうするべきだったんだろう。
しかし私は既に、自分の能力の異常と、自分の運の良さの異常を自覚していた。
何かやるべきことが、待ち構えているのではないか。それも、人類にとってとても大切なことが。
そんな義務感というか使命感というか……あるいは強迫観念のような……言語化するのが難しい感情が湧き上がり、私は自分が作家になる道を避け続けてきた。自分が幸せになれる道を、意図的に避けたと言っていいだろう。
そうして私を待ち構えていたものの一つが、先にあげた政治家のS氏との会談であった。
だが実は、過去にも、奇妙な偶然と歴史への干渉は起きていたのである。