実録・自分はこうしてプロ作曲家の突破口を開きました
著作権印税を主たる収入として生計をたて、はや10年以上たつ。
前回のエッセイに書いたように現在は株式投資の収入もあるし、コロナによって音楽業界は一度ほぼ壊滅したこともあり、今後は印税だけでは難しいとも思う。
それでも、学生時代から「音楽で食べていきたい!」と願って突き進んできたので、「印税生活」をひと時でも送れたことは、ひとつ夢が叶った感もある。
そこで今回は、自分が初めて楽曲コンペで採用を勝ち取り、プロ作曲家として扉を開いた時のことを振り返りつつ、備忘録的に記してみたい。
まず、「楽曲コンペ」というものを簡単に説明しておくと……アーティストの次期リリース曲を決めるための楽曲プレゼン大会だ。
作曲の仕事というのは、かなり実績を積まないと決め打ち(指名で仕事がくること)はなく、最初はコンペに参加して採用を目指すことになる。まあ、最初だけじゃなく多くの作曲家は(自分も含めて)ずっと参加し続けることになるだろうが......。
コンペ案件の連絡が来てから締め切りまでの期間はまちまちで、一番早くて当日、長くて一ヵ月くらいだろうか。
自分はこれまで3社ほど、作家事務所やレコード会社にてコンペに参加してきたが、締め切りまでの制作期間は今いるレコード会社が一番長い。1社目に所属した作家事務所は平均5日程度で、一番短かった。
初めて採用を取ったのは2社目の作家事務所だったのだが、1社目では事務所の人がとても厳しく、クオリティが低いと怒られながら、しかも制作期間はいつも短く、なんとか曲を提出するだけで精一杯だった。
当然、採用に至るわけもなく。
反対に2社目では色々と緩いというか、自由にのびのびとやらせてもらった。
逆に言うと1社目が厳しかった反面、制作力がかなり鍛えられたのも、今思うと大きかった。2社目では即戦力として扱ってもらい、だからこそ自由にやらせてもらえたので。
しかしながら、クオリティの高い曲を提出するのはある意味、最低限というか当たり前のことでもあり……世の中には、才能のある人がいっっっっっっっっっくらでもいる。
3ヶ月ほど、毎週1~〜2曲提出を続けたが、箸にも棒にもかからない。
前々から温めていたメロディを満を持して送り出したりもしてるのに、なかなか結果が出ないことに落ち込みもしたが、七転び八起きこそが我が信念。
毎回「果たし状」を叩きつける思いで曲提出を続け、アレンジまでバッチバチに仕上げたとある提出曲についに、「使用確認」がきた。
使用確認というのは、もしかしたら採用するかもしれないので、他コンペに出したり過去にどこかで披露したりと、トラブルの元はないかどうか(使っても問題ないかどうか)の確認の連絡だ。
事務所の人からは何度も「決定ではないです」と念を押され、事実この曲は未だに採用には至っていない。
つまり、ただの「キープ」になっただけなのだが……それでも、「これくらいのクオリティを作れれば可能性があるんだ」という「ボーダーライン」を知れたことに、今までにない手応えと喜びを感じた。
使用確認が来たアーティストは「脈あり」と判断し、集中的に楽曲を提出をしていくことにした。
ボーダーラインを知ったこともあり、その後も2曲ほど確認をもらったが、採用にはまだ至らない中、事務所の人がこんなアドバイスをくれた。
「仙道さん良いんですけど、ちょっと硬いんですよね。もっと、企画力がほしいです」
き、企画力?
それまで、メロからアレンジから歌詞からタイトルから、対象アーティストっぽく寄せてるはずだが……企画力?
よくわからないので電話をしてみると、「メロディやアレンジだけじゃなく、タイトルと歌詞も含めてもっと、曲全体にコンセプトを持たせるようにしてほしい」とのことだった。
コンセプト……。
なるほど、確かに今まで提出した楽曲はメロ募集のコンペなこともあり、メロやサウンドに力を入れてはいるものの、歌詞やタイトルはそれっぽいものをつけているだけだった。
採用になれば使われることのない、仮タイトル、仮歌詞なんだから、適当にそれっぽいものをつけとけばいいんじゃないか? と思っていた自分は甘かったらしい。
また、「硬い」というキーワードも気になる。
真面目すぎるということか?
そこで次回のコンペに、「一人暮らしを始めた箱入り娘のドタバタな日常」をコンセプトに、楽曲を制作することにした。
イントロからエンディングまで、アイデアと良メロをこれでもかと詰め込みまくったうえ、歌詞は「ゴミ出しの曜日もわからないような箱入り娘が、思いを寄せる男の子にあれこれ手伝ってもらってキュンキュンする話」にした。
当時、自分が持てる全てを注ぎ込み、「これでダメならどうしようもない」という後ろ向きな気持ちではなく、「少なくとも確認は絶対もらえる」と確信して送り出したデモ曲は、提出後3日ほどで使用確認連絡をもらった。過去最速だった。
そして提出1ヶ月後に使用確認ではなく「進捗連絡」つまり、採用になったとの一報をもらうことになる。
しかも、「シングル表題曲で進行しています」と言われたからたまげた。
オリコン1位に入ったこのシングルが順位表に載った、当時の新聞は未だに取ってある。
その後、同じクライアントから何曲も採用をいただくことになり、著作権印税の収入と実績を積み上げていけたのだった。
(なお、メロディのみの採用だったため、実際のリリース曲は全く別のタイトルと歌詞になった)
自分はこうして、プロ作曲家としての突破口を開いたわけだが……下積み時代に、お世話になっていたコンサルタント会社の社長に言われた言葉が、今も確固たる行動理念として胸に刻まれている。
「とにかく、とことんまでやりなさい。中途半端じゃ次に繋がらない」と。
人生は、創作の世界が全てではない。当然のことだが。
「印税生活」なんて聞こえはいいが、印税なんてものはとにかく不安定で不確実で、依存するには危険すぎる。はっきり言って一生できるもんじゃない、ひと時の夢物語程度なのが現実だ。
おかげさまで、初採用をもらってからコンスタントに実績を積んでいけたことで、むしろ「うわ、印税ってあんま入らんな、一生これでやっていくのはきついわ」と気づいたし、そこで始めたのが株式投資という、これまた茨の道だったわけなのだが......。
しかしながら、その茨の道をなんとかやってこれたのも、今回書いたような試行錯誤をした経験、突破口を開けた経験などがあったからだと思う。
なろうでも、ランキング入りや書籍化を目指し頑張るものの、なかなか結果に結びつかず悩んだり落ち込んだりする方もいらっしゃるだろう。
しかし、「他者に評価されようと努力すること」は非常に有意義な努力だと思うし、創作以外の場面にも絶対に生きてくる。
先にも書いたが、人生は創作の優劣や結果が全てではないし、生きていればチャンスなんてのはいくらでもやってくる。運命を変える事態も次々と起こる。
今回のエッセイの話は「結果が出た」と言えるが、その結果は「とことん頑張ったが結果が出なかった」つまり、「敗北」の上に成り立っている。しかも、圧倒的な数の敗北だ。逃したチャンスでどっさりと佃煮ができるレベルだ。
だが、結果は敗北だったとしても、毎回とことんやるなかで得たものが己の力となり、次に繋がっていった。
1社目の作家事務所でも、寝ずに(マジで徹夜の連続だった)曲を作れども作れどもカスりもしない敗北を重ねたが、あそこで鍛えられた経験が2社目に繋がったのだ。
つまり、その場その場の結果も大事だが、そもそも何かにとことん取り組み、得たものを次に繋ぐこと自体に価値があるのではと感じる。
人生は予測不可能であり、運命とは日々変わりゆくものだから。
自分もこれからどんな道を歩むかわからない。
だからこそ、いま取り組んでいる何かは、想像もできない場所で想像もできない形で、困難や壁を打ち破り、突破口を開く力になるのかもしれない。
それもまた、人生の醍醐味のひとつとも言えるのではないだろうか。
初めての採用を勝ち取った時のことを振り返りつつ、改めてふと、そんなことを思った。