06 戦闘/成増駅付近
【エーテル/アストラル】
エーテリックは未然の可能性なれば、魔女は感応し応用してエーテルと成す。
博士は理解し解釈してアストラルと成す。共に超常の力なれども似て非なる。
地下鉄成増駅の階段を登り切ると、外には廃虚が広がっていた。
ビルは傾きアスファルトは砕け、電線と電柱と街灯と街路樹とがヒステリックに散らかって、瓦礫の山と車両の屑が所狭しと掃き溜まって足の踏み場もない。
「東京……こんなことになっていたとは……」
もう十年だ。甚大災害があったとしても、それから十年も経っているというのに無惨極まるままである。
「秘匿情報を二つ開示しよう」
ヤクモ大尉の声はよく通る。耳を打って聞き逃しなどさせない響き方をする。
「一つ。トーキョーハイロウでは空間が拡張する。百メートルと離れていなかった区画間が数キロメートルほどにまで伸びたり、六十坪の家屋が数倍の大廃墟になっていたりとな……そら、あれを見てみろ。埼玉との県境の方角だ」
示された方を見やるが、特にこれという見どころもなく、ポスト・アポカリプスめいた被災地が広がるばかりである。稜線と呼ぶのも残酷な廃ビル群の向こうに霧壁がそびえている。
「本来は数百メートルと離れていないのだ、県境までは。嘘ではない。地図上、ここは貴官が奮戦した国際サイタマ病院とも三キロメートルと離れていない。実際は貴官のアバターを担いで相当な距離を走らされたがね」
無茶苦茶な話だが、しかし、まさに無茶苦茶な場所にいるのだと高瀬は呑み込んだ。廃車のひび割れたサイドガラスに銀髪の美少女が映っている。尋常でない特大剣を背負って、である。
「もう一つ……トーキョーハイロウでは電流と燃焼をはじめ多くの化学反応が阻害される。ゆえに電化製品、銃火器、化学兵器、炸薬、エンジン類が機能しない」
ヤクモ大尉の説明に疑問を呈するよりも早く、見聞きした諸々が脳裏によみがえった。
地下鉄駅は全て停電していた。照明器具も、アストラル技術がどうのこうのという心許ない代物だった。小隊員たちの武装はベクター以外にはナイフやハンマーが精々で、小銃や手りゅう弾といった近代的装備がない。
思えばあの病院においても、銃声がしたのは始めの数分だけだった。エレベーターや自動扉も行きこそ作動していたもののアバターで戻る際には全て動いていなかった。高瀬の身体が機器類につながれていた部屋―――パカラダ博士が笑っていたあの部屋だけが平常な空間であり、それ以外は全て悪夢に沈んでいた。
「既存の軍隊では霧壁の突破もできない。重機も意味を為さない。空間の拡張も不都合に働く。トーキョーハイロウがトーキョーハイロウである限り、東京の復興は不可能ということだ」
息を呑み、ヨアの顔色を窺った。子どもには刺激の強い絶望だと案じたからだが。
ヨアは静かな瞳で東京を眺めていた。瘴気に鼻白むことなく吸って吐いて、ガラクタ塗れの地形に戸惑うこともつまずくこともなく足取り軽やかだ。灰雲の澱む空から音もなく差し込んだ光を受けて、やわらかな黒髪が、空色の瞳が、初々しい唇が、キラキラと跳ね輝いている。
案外にたくましいと、高瀬は微笑ましく思った。ヨアを護って南の光ヶ丘基地とやらへ移動することが「ファーストミッション」である。
肩をポンポンとリズミカルに叩かれた。
「ウフフ! 准尉殿ってば都心部見たら気絶しちゃうかも! すっごいですよー? ラピュタは本当にあったんだーって感じで!」
ピンク髪のガンホ伍長が謎のポーズを決めながら言った。雑に数えても十は下らない飾りリボンが、身振り手振りに合わせてにぎやかに揺れる。紫色の瞳がいたずらに細められている。
「あー、オレ、都会って見たことねえや。っていうかラプ……何? 食いもん?」
そう訊く金髪赤眼の女子高生風アバターはホトリ二等兵である。TS兵になってまだ一ヶ月という新兵だそうだ。大股開きの所作のためスカートがその役割を果たせていない。
「ラ、ラピュタが通じない……だと……? 嘘だドンドコドーン!」
「太鼓? わけわかんねー」
「よーし、ログアウトしたら鑑賞会だね! 決定! ウチの実況解説つき!」
「えー。リアルの伍長ってなんかキモいんだよなー。ハアハア言うし汗かきだしさー」
「ゲフウゥゥッ!」
じゃれる二人を横目に、高瀬はヤクモ大尉へ問うた。
「こういう感じが、その、普通なんですか?」
「この辺りの危険度が低いこともあるが、大きな戦闘が終わったばかりだからな。多少は割り引くさ」
「戦闘というと、あの病院での?」
「病院へは間に合わなかったよ。千葉方面軍を主攻とする大規模作戦があったのだ。我が隊はそのタイミングで新宿侵入を試み、撤退して、再編中に博士からの出撃要請を受けた」
「……新宿……作戦……まるで戦争ですね」
「まさに戦争だとも。いずれ貴官にも国連特別作戦軍の戦略について説明する日が来るだろう。だが、まずは―――」
視線に促された先、半壊したアパートの陰から蠢き現れる怪影が三つ、四つ。蜘蛛のバケモノだ。胴体の大きさは大型犬ほどもあって、刺々しい節足を広げたなら人一人を容易く捕らえてしまうだろうサイズである。
「―――戦ってみたまえ。あれしきで手こずるようなら先はない」
言って、ヤクモ大尉は下がった。長柄の直剣と盾を構えてヨアを護る位置取りだ。ガンホ伍長は大鋏を、ホトリ二等兵は細剣を、それぞれ持っているも傍観の姿勢である。
蜘蛛が走り出した。砂礫を突く音はいかにも耳障りだが、まだしも聞き流せる。
牙の開閉が、高瀬には目障りだった。
獲物を仕留め、味わい、糧にせんとする欲望が露わだった。満足することを期待し、その時が訪れるであろうと予断する視野狭窄が鼻についた。意地汚く、我利に染まりきっていて、わずかにも受け入れがたかったから。
壊したいと欲した。周囲のエーテリックがそれに応えたとわかった。
駆け出す。剣大王ユグドクラウンを低く引きずるような構えで。
「ぃぃぃぃいやあっ!!」
数メートルに近づくや否や思い切り振った。全力の薙ぎ払いだ。華々しくエネルギーの刃が放たれ、蜘蛛のことごとくを分断、破壊、蹴散らして……瓦礫、垣根、電柱、更にはアパートをも大いに切り裂いた。重要な柱も断ったとみえて、苦しげな軋みを上げつつアパートが潰れていく。
吹き上げられた粉塵に巻かれ咳き込むことしばし。
「なるほど。重砲に例えられるわけだ……フム……稼動限界への影響も許容範囲のようだ」
ヤクモ大尉は耳に手を当て何事か確認している。博士との無線のようなやり取りが思い出された。
「出力を絞ることは可能かね?」
「やったことがないのでわかりませんが……手加減をする、ということでしょうか」
「違う。変速ギアの切り替えや兵装の選択という意味合いだ。火力は必ずしも大が小を兼ねるわけではない」
「ホンマに」
言葉と共に、電柱の上から青髪黄眼の女性が跳び下りてきた。ギイ、とバケモノの絶命の声もした。どうやら討ち漏らしがいたらしい。二本の短剣を突き立てられた蜘蛛が、ドロリと形を失い、見る間にエーテリックへと溶け消えていった
「シャオ上等兵、状況はどうか」
「雑魚が数十。そこそこのヤツも一匹、東から」
空気が変わった。小隊員たちのベクターに触れるエーテリックが対流を速くする。
「迎撃。ガンホ伍長は東へ当たれ。タカセ准尉はヨアさんの側を離れないように……貴官の力は見せてもらった。次は我々の力を見てもらおう」
そこかしこから湧いて出てきた蜘蛛の群れに、まずホトリ二等兵が攻め掛かった。速い。そしてフットワークが機敏だ。細剣で貫き、身をひるがえしてまた突き、急に加速して背後をとってと目まぐるしい。
シャオ上等兵は身軽の一言に尽きる。体重を感じさせない軽やかさで舞うように斬り、刺し、跳ぶ。蜘蛛を片付けていく勢いはホトリ二等兵を上回る。視野も広いのか突破しようとする蜘蛛へ短剣を投擲もする。持ち手に細い鎖が結んであるようで、短剣はすぐにも手元へ回収されるのだ。忍者か何かのようだ。
しかし圧巻はヤクモ大尉の戦い方である。
盾で防ぎ、殴りつける。蹴り、踏み潰す。長柄の直剣で突き崩し、複数同時に斬り払う。早い。一つ一つの動作だけ見ればホトリ二等兵やシャオ上等兵の方が派手で速いのだが、蜘蛛を倒していく速度はヤクモ大尉が抜群だ。一度に多く、無駄なく、効率的に動く。その結果として蜘蛛を殲滅していく。
ガンホ伍長の戦いは、三人とは種類が違い、アニメのバトルシーンそのものだ。
廃屋の屋根を伝って現れた蜘蛛……腹の大きさだけでもSUVを超えそうな大蜘蛛と相対して一歩も退かない。躍るように大鋏を振るう。歌すら口ずさんで、飛来した糸や節足をザクザクと断ち切っていく。強い。ただしところどころで妙なアイドルポーズをとるのは何故だ。それがなければもっと圧倒できそうである。
「そろそろ決めるよー! ハッピー……サイクロン!!」
大鋏を掲げてガンホ伍長が跳ぶ。ライフルの弾丸のような、錐揉み状に高速回転する体当たりだ。紫色に変質したエーテリックがそのトンデモない運動を助けている。
大蜘蛛に突き刺さり、抉りに抉って、そのままバラバラにしてしまった。決めポーズも忘れない。
「……素っ頓狂に映ったかもしれないが、あれも戦闘技術だ」
蜘蛛の群れを片付け終えて、ヤクモ大尉が言う。
「特定の攻撃方法に名前をつけることで身体やアストラルの操作イメージをパッケージ化し、名前をトリガーにそれを発動する仕組みだ。出力の使い分けになる。貴官にとっても有効な技術だろう」
「なるほど……必殺技を叫ぶと。子どもの頃観たアニメを思い出します」
「……まあ、それでイメージしやすいのなら、その理解でOKだ」
「とり急ぎ、さっきのエネルギーで斬る技を『大王エネルギッシュ』と名付けようかと。剣大王を使ったエネルギー溢れる攻撃だったので」
「……ウム……まあ……結構なネーミングじゃないかな」
高瀬は頷き、剣大王ユグドクラウンを強く握り直した。
トーキョーハイロウの流儀とでもいうべきものを意識し、確かな実感を覚えながら。