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05 面談/トオノ『翼虎』大隊第1中隊・2

【エーテリック】

神秘の半物質。半ば存在し半ば存在しない。万物に浸透し万物を変容させる。

汝、在ると在らざるとの狭間に何を見出す者か。神か。空か。あるいは己か。






 全自動洗濯機のような棺桶、というのが高瀬の率直な感想だった。


「これがアストラルプロジェクションデバイス付き身体保存カプセルベッド、通称カイコだよ」


 技術係であるというルルウ曹長は快活に言ったものだ。


「何でカイコって思った? 思ったっしょ? せめてマユじゃね、とかさ?」


 丸メガネの向こうで真ん丸な目がクリクリと動く。随分と若い。姿勢の悪さがただでさえ大きな胸のふくらみを強調してくるようで、高瀬は目を逸らした。この地下に目覚めてからというもの女性としか会っていない。


「でも君たちTS兵って絶妙にカイコなんだよねー。アバターってめっちゃ敵から目立つし、基本は色白だし、食事できないし、魔女の真似なのに魔女みたく飛べないし、アストラルの一本糸がこれとアバターの間で超長く伸びるし。あと色んな意味で変態だと思うしさー?」


 アバター操縦室と名付けられた部屋は全体として集中治療室に酷似しており、見慣れないものとして白い「カイコ」とやらがいくつも並んでいる。鼻奥を皺寄らせる空気はかすかに肌寒く、そこはかとなく命の終わりを感じさせる。


「……ふーん? この人ってば求道者タイプです?」

「瞳は緑色に染まったとのことですから、哲学者の方かもしれません。ベクターも剣ですし」

「いやいやあれは特例でしょ。何あのバケモノスペック。数字間違ってません?」

「魔女のレギオーを一人でしのいだそうですよ」

「うわぁ……やっぱバケモノを倒すにはバケモノにならなきゃなんだなー」


 カイコの数は九台あり、目の前の一台を除いて稼働中らしかった。落ち着きのない計器類の中でもデジタルタイマーが気になった。秒を刻んで減っていったり、急に時間単位で削れたり、まるでダウンロード待機時間のようである。


 おそらく残り時間なのだ、それは。病院での戦いでパカラダ博士に告げられた秒数が思い出される。


「タカセ准尉」


 何を命じられるかはわかりきっているから、高瀬はただ静かに待った。


「アバターへログインして現地部隊と合流、現地指揮官の指示に従い戦闘教導を受けよ。復唱」

「アバターへログインして現地部隊と合流、現地指揮官の指示に従い戦闘教導を受けます」


 復唱とは不思議だ。受け身の出来事を能動的なものに錯覚させられる。


 しかし此度は高瀬の望むところである。


 更衣室で白い検診衣へ着替えた。左前でこそないものの着物型だからいよいよ棺桶へ入る準備のようだ。カイコの内部はクッション材と配線の支配する無機的空間で、電極や粘着パットの類も数多あり、およそ人間を人間らしく閉じ込めるものとは思われない。


「リラックスリラーックス。はい、これ吸入マスク。大丈夫。サービスでレモンのフレーバー塗っといたし」


 かつて受けた全身麻酔が思い出された。手術のために準備する日々には母の姿もあった。空元気の上手な母だった。お互いに素晴らしい人生であると装い合う、切なくも幸せな母子家庭だった。


 もう、独りである。今、何一つも持たずに高瀬はここにいる。望みも一つあるきりである。


 粛々と横たわりマスクを受け取った。


 自分のための恐れなど何もないはずであったが。


「……あの、排泄などの生理現象については?」

「え、今処置る? そういう性癖? 意識落ちてからのカテーテルが普通なんだけど」

「普通のやり方でお願いします」


 目を閉じ、柑橘類の香りを一度二度と呼吸するや、高瀬は自分が夢を見始めたことに気づいた。


 なぜならば新緑に風香るベンチに座っている。正面には水盤が、左手には鳥居が、右手には本殿があって背には大樹の葉がこすれる調べを浴びていて……隣には、学友である彼女が座っていた。


「二十一世紀は無様で貧相な時代になるわ」


 嫌そうに言ったものだ。黒髪、黒レース、黒シャツ、黒スカート、そして白いアウター。


「富の分配は機能不全。社会は不信感で分断され、技術進歩も急速過ぎて大衆を置き捨て。地球規模の問題に取り組む叡智は尊ばれることなく、サイバーカスケードが狡知の温床となって不毛な利害闘争ばかりになる。大望もなく熱狂もなく、誰も彼もがイライラしながらね」


 カリントウを指揮棒のように振る彼女は名を朝霞光子という。大変な美人で、大変な変人だった。


「素敵なSF小説を読んだわ。シンギュラリティの成果を宇宙へ放り投げたら、太陽系の内側からも外側からも、勤勉なロボットたちが地球何十個分もの資源を届けてくれるの。ゴージャスよね。あんまり豊かだからって、人間は犬や猫の知性を増強して人権を認めるまでしたわ。可愛いし、人類の孤独をたっぷり癒してくれるから」


 仲良くなった切っ掛けは大学の入学式だった。彼女も高瀬も集合時間より二時間も早く到着してしまった。空席の広がる大会場で二人きり、時間を持て余すあまりに声を掛けあったのだ。


 幼児向けアニメの主題歌について熱く議論したことが、微笑ましくも愛しく思い出された。


「実際の鍵はエネルギーよ。核分裂はおろか核融合をも上回るエネルギーの獲得……そこまでやってはじめて人間は寛容になれる。言葉遊びじゃない、本物の、公平でリスペクトにきらめく多様性が……かつてないほどに豪華絢爛な時代が訪れるわ」


 彼女は亡くなった。十年前、東京駅を中心に吹き荒れた異常規模のダウンバーストと、局地地震と都市洪水と、致死性濃霧の発生―――つまりはE災害によって。


 確実な話だ。なんとなれば、災害発生の直前に通話していたのだ。東京駅にいると言っていた。


 十年振りの着信が生存確認と死亡確認を兼ねたのだから……たまらない。


 夢の中にあっても麗しい彼女が振り返った。目が合った。黒よりも黒い底知れない瞳が、彼女の死後を十年も生きた男を捉えている。吸い込まれそうになる。


「だからね、高瀬くん……あまり邪魔はしてほしくないのだけれど」


 彼女が光に呑まれていく。宝石よりも美しい黒色が色褪せていく。


 何かを叫んだ。失った手を伸ばしもして、それが温かく包まれたから、高瀬は自分が悪夢のような非日常へと覚醒したことを知った。


 つぶらな空色の瞳に、銀髪の美少女が映っている。


「よかった。おきた……おきて、くれました」


 ふんわりした頬をかすかに震わせ、あの日のあの子が微笑んだ。


 夢見のせいか朝霞に似た面立ちに思えた。幼き日の彼女であればかくも美しく愛らしかったろうかと考え、いいや彼女ならばこの頃から大人を困らせる我の強さを発揮していたろうと考え直した。


 髪質や眉の形に母の面影すら見つけ始めた自分に気づき、高瀬は苦笑した。センチメンタルにも程があると。


「その……おはよう、ございます?」

「うん、ありがとう」


 微笑み返して身を起こす。


 壁も天井も剥き出しのコンクリート壁で、窓一つとてない部屋である。事務所あるいは地下倉庫の廃墟だろうか。光源が少なく、低い。青白い光を放つそれらは電灯と違って奇妙に揺らめき不規則に明滅するから、まるで水底にでも閉じ込められたかのように錯覚させられた。


「あの、またあえてうれしいです。ボク、ヨアっていいます」

「タカセだ。元気そうでよかった」


 立ち上がろうとして何かに足を引っ掛けた。薄いマットレスは端々に取手がついている。寝具ではなく担架の類なのだろう。運んだのは周囲に立つヨア以外の四人に違いない。


 四人はアイドルグループか何かのように若く見目麗しく、それぞれに個性的で華やかな服装だが、しかしバイクレーサーのようなプロテクターで要所要所を固めてもいる。武器も身に帯びている。柄の長い直剣、短剣、細剣……あの大鋏もベクターなのだろうか。


「えっと、あのあと、このヒトたちがたすけてくれて……」

「わかっている。配属……着任かな? 挨拶をしないと」


 四人の内の一人が一歩前へ出てきた。淡色のボブカットで、右目は眼帯で覆われており、左の瞳が赤々として高瀬を見据えている。


「トオノ翼虎大隊第一中隊第二小隊隊長、ヤクモ大尉だ。大隊の副長として前線指揮を任されている。タカセ准尉で相違ないな?」

「はい。タカセです。お世話になります」

「事情は聞いている。戦うべき時に戦う男は戦士だ……今の見た目は、お互いにこの通りだが」


 可憐な手と手で握手を交わした。握り方は男臭いのだから不思議なものだ。


「少佐殿からは『チュートリアル』を兼ねた『ファーストミッション』を指示されている。早速だがベクターを手に取りたまえ」

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― 新着の感想 ―
[一言] 昨今メンタルゴリゴリ削られたんで、過去に想いを馳せる事ができるだけいいなって感じてしまった。 現在時間は過酷ですが。
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