03 戦闘/国際サイタマ病院・3
【ベクター/剣】
攻性解像器。エーテリックを解釈し歪曲し吐き捨てよ。先制的に。専制的に。
剣の才覚で理解する者は、怜悧に斬り分かり、やがて厭世を患い滅ぶだろう。
「うああああああああっ!!」
咆哮は覚悟だ。高瀬は出し惜しみなしの力で剣大王を振り回す。狙う必要はない。刃に触れずとも敵を屠れる。水を掻けば波が生じるように、剣大王の破壊力は伝わり届く。振って振って振り続ける。文字通りの波状攻撃だ。
後ろの子がどうなったかはわからない。振り向く余裕がない。魔女へ目を向ける余裕もまた。
ただただ赤い津波に抗うが―――抗い切れない。
後から後から赤骨は降り注ぎ、半歩、一歩、二歩と間合いが詰められていく。圧力が増しに増す。左右を抜けられまいと意識するからむしろ正面が肉薄される。無数の眼窩と口腔が迫ってくる。
視界は真っ赤だ。血の色だ。朦朧としてきた意識で問う。己の生きる世界とはこういうものであったろうかと。
笑んだ。
高瀬は確信するからだ。まさに、もとより世界とはこういうものである。必死になり続けることが仕事であり、耐え続けることが生活である。何も、何一つとして変わらない。
異なることもあった。それは「報い」だ。
今、詳しい事情こそわからないものの、高瀬は一人の護るべき子のために戦っている。その子が無事に避難するための苦境であり忍耐なのだ。
その事実、その自負は、報酬である。
何と甘やかで、何と誇らかなのだろうか。カッコイイではないか。アニメの熱い主題歌のごとくだ。マンガやゲームの名場面のごとくだ。このように生きたかったのだ、高瀬は。
灰色の日々と違い、今、高瀬は報われているのだから。
心昂る。自分以上の自分であれる。
鋭利な骨が一本、腹に刺さった。牙並ぶ口腔が一組、脛に噛み付いた。痛みは軽いが、赤いものが流れ出たから、高瀬は笑みを深めた。この美しくも珍妙な身体が損傷しきった場合はどうなるのだろうかと思う。死ぬのだろうか。それともゲームオーバーとばかりに本来の肉体で目を覚ますのだろうか。何ら説明されずにここにいる。笑うよりないが。
自嘲は油断だった。慣れは隙だった。
右方が破綻した。高瀬は左方へ剣大王を振った直後だから、背へ殺到される形勢となった。振り戻そうとはしている。だが間に合わない。骨の爪が牙が刃が迫って―――ベンチを破壊した。
「なっ!?」
変な声が出た。数人掛けの、鉄の骨組みのベンチである。ちらりと見れば、全身全霊で投げつけたという体勢であの子がいた。
なぜ逃げなかった。どうやってベンチを。
問う間もなく抵抗を再開した。ベンチもまた次々と飛来する。肩の可動域の広さを再発見しつつ剣大王のフルスイングを重ねる。鉄骨やガラス戸まで勢いよく投げ込まれ始めた。背後にゴリラの群れでもいるのではないかと高瀬はいぶかしんだ。
とうとう赤い波が退いた。遠巻きに蠢く骨々を警戒しつつも視線を上方へ。
いる。
奮闘努力を見下ろして薄紫色の髪の一筋とて乱すことなく、マントの暗黒には黄金の文様の仄浮かぶ……魔女にはわずかな消耗も見受けられない。そも呼吸をしているとも思われない。
「にげて、ください」
すぐ後ろから荒い息と心外な言葉が届いた。振り返れない。魔女から目が離す瞬間が恐ろしい。
「あのヒトは、きっと、ボクを……だから!」
「どうかな。仮にそうだとしてもやることは変わらない」
高瀬は剣大王を真っ直ぐに構え直した。重い。全身を満たしていたエネルギーにも陰りが生じたようだ。全能感に代わって喪失感が、隙間風よろしく手先や背筋を脅かしている。
かかる死地を満たす魔性……エーテリックが高瀬を見離そうとする一方、魔女の周囲のそれはにわかに渦動し、光を放ち始めた。速度を増し密度を増し、とてつもないエネルギー塊へと形成されていく。破滅的な何かであることは明白だが、どこか神々しく感じられるのはなぜだろうかと思う。
死ぬか否か。それはどうでもよかった。
名も知らぬその子を護りきれるかどうか、それだけが問題だ。
高瀬は剣大王を大上段に振りかぶった。残る力を振り絞って渾身の一撃を繰り出すためだ。タイミングは魔女の攻撃が差し迫ったその時である。しのぎつつ斬る狙いだ。さもなくば自分諸共に爆風を巻き起こし、せめてもの時間稼ぎとしたい。
「……あやしきことを」
つぶやきを聞き逃さない。吸わず吐かず、まばたかず、一挙手一投足を視る。見えないものが見える。エーテリックがマントに触れて変質する様がわかる。言うなればそれが魔法か。
エネルギー塊とは別の働きに気づいた。
糸のような極細の波が、魔女から空の彼方へと伸びている。あるいは彼方から魔女へとつながっている。それもまた魔法なのか。魔女はそれに気を取られているようにも見受けられるが。
「……さるよしならば」
音もなく光が散った。今こそ剣大王を振り下ろさんと力み、しかし高瀬は踏み止まった。
エネルギー塊が消えた。魔女の姿もだ。もはやそこには空が高いばかりである。
赤い骨格の大群もまた消えていく。細かにほどけ、霧のように薄まっていって、後にはいかなる残滓もない。
遠く、救急車両のサイレンが聞こえた気がした。背に日差しが温かだ。臭いこそいまだ嗅ぎ慣れないものが漂うも、やわらかな風が高瀬の頬を撫でていく。
全ては悪い夢であった……そう思わせてくれない破壊の跡と、揺れる銀髪と、握りしめた特大の剣。
「あ、あの」
そんなに申し訳なさそうにしなくていいと、高瀬は伝えたかった。
「ありがとう……たすけてくれて、ホントにありがとう、ございました」
込み上げる満足にまかせて微笑みたかった。どういたしましてと返事をしたかった。
それら何一つもできずに、高瀬は剣大王を取り落とした。膝から崩れ落ちた。倒れた。暗闇へ落ちていくかのように意識が薄れていく。不快感はなく、罪悪感がじわりと胸に広がる。
泣かせるつもりはなかった。
しかしその涙にも報われる喜びを感じてしまったから、高瀬はとても後ろめたかった。
「―――本日午後、埼玉県和光市諏訪の国際サイタマ病院で大規模なガス爆発事故が起こりました。多数の犠牲者が出ており、現場では消防隊や救急隊が今も救援活動を続けております」
「警察によりますと、原因や詳細についてはいまだ不明な点が多いものの、隣接する『霧壁』との関連や影響については確認されておらず、現時点で周辺住民の避難の必要はないということです」
「病院の職員は『ドーンという爆発音がしました。吹き抜けの天井が崩れ落ちてきたので慌てて逃げました。それ以外についてはよくわかりません。何も見ていません』と話していました」
「また、近くに住む五十代の男性は『爆発音は二度聞こえました。はじめは避難してくる人がたくさんいましたが、中はだいぶ混乱している様子で、後が続きませんでした。火は見えなかったと思います』と話していました」
「このニュースに関して、新たな情報が入り次第、ここでお伝えしていきたいと思います」
「―――続報です。警察によりますと、爆発に際して一部薬剤が病院内へ広がった恐れがあるということです。動く骨を見た、空を飛ぶ人間を見たといった幻覚が報告されています。心当たりのある方は下の『E災害対策室』特別対応番号へご連絡ください」
「E災害対策室より注意喚起がされています。『霧壁』が拡張したという一部報道は事実ではありません。『E災害』で東京二十三区が霧に没して十年、霧壁は二十三区および東京湾の一部のみを覆っており、そこから動いていません。人々の不安をあおるデマには惑わされないようにしましょう」
「―――『国連特別作戦軍』の報道官は、千葉方面からの霧壁内調査が停滞しているという指摘について、妙見島拠点への後退は戦略的な判断であり東京解放作戦の遅延につながる確率は低いという認識を示しました」
「現在、霧壁に閉ざされた東京都区部には神奈川方面、埼玉方面、千葉方面の三方から国連特別作戦軍が作戦行動を実施しています。未曾有の大災害であるE災害の原因を解明し東京を解放するため、国際社会は一致団結して力を尽くしているのです。その団結を脅かさんとする勢力のあることを、報道官は指摘しました」
「また、報道官は全国民の定期的な健康診断を推奨しています。これはE災害対策室による国民の健康に関する基本提言にもとづく―――」
序幕終了。ここまで読んでいただき感謝申し上げます。
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