14 会議/第1中隊・第2小隊
【ベクター/刀】
攻性解像器。世界の無限大情報は誰をも圧殺する。歪ませ偏らせ取りこぼせ。
刀の才覚で理解する者は、清純に断ち分かり、やがて絶望を患い滅ぶだろう。
自分が今どういう表情をしているのか、高瀬にはまるでわからなかった。
「主攻はS連隊を中核とする光ヶ丘基地抽出部隊だ。北東から廃城郭へ接近し、この地点に布陣する」
小会議室に響くバリトンボイスで説明をしているダンディなマッチョマン……ヤクモ大尉である。指示棒を握る手には拳ダコが厳つい。アバターも凛々しい美女ではあったが、迫力が段違いである。
「どう見た、ガンホ伍長。意見を許す」
しかし雰囲気が同じという意味では、ガンホ伍長よりも受け入れやすいのかもしれない。
「んんー? 後詰の必要もないのに距離開けるなんて、これ、露骨に消極的ですねえ!」
肉厚の二重顎を撫でさすり、頬やら髪やら汗を拭きに拭き、韓国系の青年はしたり顔である。ガンホ伍長だ。決めポーズはない。アイドルというよりはアイドルファンの側の雰囲気である。
「位置取り的に、丘陵からの敵に挟撃される危険性をわかってないんじゃなくて、むしろどっちからの敵も受け止めようって構えでしょう。あるいはいっそ光ヶ丘基地防衛戦の第二幕をやるつもりかも」
「うむ。おおよそはその通りだ。廃城郭、丘陵地帯、それぞれへ攻撃部隊を差し向けて敵群を誘引、防御陣地で迎え撃つ。固守はしない方針だ。光ヶ丘基地へつながるルートを縦深的に用いて敵群の殲滅を狙う」
武闘派ダンディとアイドルマニアが真剣に戦争を話し合っている。慣れが必要な光景だと高瀬は考える。
しかし高瀬の集中力を削いでいるのはその二人だけではなかった。
「……なあ、あとで少しいいか?」
隣からそっとアポイントだけを取ってきて、その後はつまらなそうにしている美少女……もとい美少年がいる。ナチュラルな茶髪を腰まで垂らした深窓の令嬢がメンズファッションをしてみたという印象の、ホトリ二等兵である。
アバターとの差がないことが違和感である。姉弟ないしは兄妹というくらいに似通っている。
残る一人、シャオ上等兵であろう男は高瀬の正面に座っているのだが。
凶相である。
中国系の切れ長の目といい、いわゆる細マッチョの体格といい、ベースは極めて「カッコイイ」のだが。
まず、傷痕が多過ぎる。裂傷や火傷と思しきもの、肉をえぐられたようなくぼみ、上半分の欠けた左耳……鎖骨の形は左右不対象で、右手の指は数が足りない。
しかもそれらを刺青で飾り立てているのだ。裂傷の側に描かれた大太刀の鎧武者や大爪の虎、火傷の側には火吹きの龍、くぼみの側には腹の大きな鰐のようなバケモノ、首では子狼が耳の切れ端を咀嚼し、手の甲では猫が切断された指先で遊ぶ。まるで浮世絵のストリートアートといった見応えだ。
どうしてかくも細かに観察できるのか。見せつけてくるからである。
今もシャツのボタンを一つか二つしか留めず、肌をはだけて、次はこれをご覧あれとばかりのドヤ顔だ。見事な腹筋を横切って一文字の切り傷と、こぼれ出た臓物をモチーフにしたらしい妖怪図柄。どういう反応が正解なのか。
「さて……我々は、これらの戦いに参加しない。別動任務を与えられている……タカセ准尉、その内容は何だと思う」
肩がはねた。気分は昔懐かしき中高の教室だ。軽く咳払いして答える。
「VIPの救出、でしょうか」
「その通り。正確には、トーキョーハイロウに対処するための国連特別作戦軍における国連事務局長直属特別代表、トール氏の救助任務だ」
一枚の写真が掲示された。一目で知性と品性の伝わってくる老紳士が、瀟洒な部屋で微笑んでいる。
「本隊による敵群撃滅と並行し、我々は廃城郭への潜入を試みる。第三小隊は都営大江戸線練馬春日町駅から豊島園駅へと地下鉄線路を使って東側から。我々第二小隊は石神井川沿いに西側からアプローチする……タカセ准尉はこの地上ルートに参加だ。ベクターの性質上、地下では本領を発揮できないからな」
うなずくと共に思い出されるものがあった。春の石神井川の風景だ。
としまえん遊園地があった頃、高瀬も何度か遊びに訪れたことがある。隣接する映画館も数度利用した。雰囲気の良い場所だったと記憶している。特に春はいい。川辺の桜が見事で、花びらで染まった流れには目を見張る美しさがあった。
「本隊が敵群を早期に撃滅すればよし。長引いても、敵群を廃城郭から引き離しさせすればトール氏の脱出は成る。我々はトール氏の生存確率を高めるための第三方策、念のための一手だ。全力を尽くすことは当然だが無茶はするな。各員欠けることなく帰還すること……これは少佐殿からの厳命である」
トオノ少佐の不機嫌顔と、その理由であるところの戦況と、彼女の目利きによる命の値段。
諸々を踏まえて考えると実際が見えてくる。ヤクモ大尉の説明は、救助任務の重要性を意図的に軽んじていやしないか。本当はもっと切実な任務であり、あるいは部隊が壊滅しようとも要人を救い出せという命令ではなかろうか。高瀬にはそう思われてならない。
しかし確かめはしなかった。作戦詳細の中に生還する道筋を探すのみだ。
それから地形や装具の細かな確認があった後、解散となった。次の集合は作戦のためのログイン直前となる。それまでは自由にしていいとのことで、ヤクモ大尉は早々に去り、にこやかに高瀬へ振り向いたガンホ伍長はシャオ上等兵に捕まりどこかへ連れていかれてしまった。軍内でカツアゲ等の犯罪はないと思いたい。
図らずも二人きりになった高瀬とホトリ二等兵であるが。
「……外行こうぜ。晴れてるのに地下いるの、もったいねーし」
「それなら、少し早いが何か食べないか? 実は朝食を食べていないんだ」
「あー、そういや俺も食ってねーや」
高瀬はホトリ二等兵と連れ立って近くのファミリーレストランへ訪れた。店内は閑散としたものだ。案内されるままに窓際の隅へ座り、すぐさま注文も済ませてしまった。
「ヨアだけどさ、ちゃんと無事だよ。マジ元気。基地の案内したら喜んでたし」
「ああ。ひとまずは安心できたよ」
「第三中隊の人らに引き継いだんだけど、子ども好きが多いらしくてさ。すげー張り切ってた。なんか小学生の頃の遊びやってみよう大会になってたわ。超楽しそう」
言葉の内容とは裏腹に、ホトリ二等兵はどこか憂鬱そうだ。コップを両手で包むようにし、水面をジッと見ている。
「ヨア……アイツ……人間じゃねえじゃん?」
「ひどい言い方に聞こえるが」
「え、そう? オレらも、アイツも、あの場所に関わっててマトモなわけあるかよ」
「それは、まあ、そうかもしれないが」
「あそこじゃ動物だってしゃべるかんなあ……いやいやマジな話だって。ペットっぽいやつだけだけど」
何とはなしに水を口にし、高瀬はその不味さに驚いた。雑味がある。口が濡れるばかりで呆気なく消えてしまう。よく冷やされているからだろうか。
「……オーガと出くわしたんだよ。二人で隠れてる時に」
「オーガ……男のエーテリック変異体だな? あの、鬼のような」
「そう。ヤバかった。ああこりゃ死んだなって思ったわ」
左右の手のひらを広げ、指を握ったり開いたりをしつつ、ホトリ二等兵は言う。
「でも戦いにならなかった。いや、戦うには戦ったんだけど、向こうが無抵抗だったんだ……今もすげえ気分悪い……必死に、一方的に刺しまくって……倒しちまった。そしたらさ?」
少年らしい手が合わされ、握られた。祈るような形だ。
「手、握ったんだよ。倒れたオーガが伸ばした手を、ヨアが、じーちゃんを看取る孫みてえに握ったんだよ」
指が白くなるほどに強く、長く、力が込められている。
「オーガが死んで、煙みたくなって……ヨアを包んだ気がする。いや、ヨアがハグしたのか? とにかく、なんかありがたい感じでさ……いつものと全然違ったんだ」
カレーが届き、ホトリ二等兵の前へ置かれた。高瀬の前にはクラブハウスサンドとコーヒーだ。
「……アイツって、なんなんだろ。拝みたくなっちまったオレが変なのかな?」
言い終えてスッキリしたのか、それともスパイシーな香りに誘われたのか、ホトリ二等兵はガツガツと食べ始めた。半分ほど食べると呼び鈴ボタンを押し、ピザとピラフを追加注文したようだ。
そんな若さを他人事にして、高瀬はコーヒーの暗い水面を見た。
ヨアには、出会った頃から不思議なところがあった。
瓦礫に挟まった老人を助けようとしていたが、高瀬がその場に駆けつけた時、老人はいなかった。瓦礫をどけてのけたということだ。その後の魔女との戦いでは、高瀬の後方から重いベンチや窓具などを投げつけ援護してくれた。どちらも子どもの力でどうにかできることではない。ヨアが怪力ということもない。非力は何気ない所作に表れる。
また、白い騎士との戦いで馬に撥ねられた。蹴り飛ばされた音を確かに聞いた。しかし傷一つなかった。身体が頑強だからでは説明がつかない。服には地面へ叩きつけられた汚れや擦過すらもなかったのだから。
まるで何かに護られ、助けられているかのようではないか。
ありそうな話だと高瀬は思う。なぜならば、あそこはエーテリックの海の底……トーキョーハイロウなのだから。
残された手のひらをジッと見た。握り、開き、また握る。祈ることはしない。誰かが弱者へ寄り添うことに敬服し、感謝し、祈願する日々はもう終わった。巻き込まれた形とはいえ戦うことを覚悟した身である。
明日、三度目のログインをする。
そのうちに数えることもしなくなるのだろうと、黒い苦味を飲み下した。
第1幕終了。ここまで読んでいただき感謝申し上げます。
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次話よりは不定期更新です。