10 戦闘/魔女の弟子
【エーテリック変異体/敵性】
モンスター:人間外の変異体。大小様々。獰猛で貪欲。独自増殖し数が多い。
オーガ:男性の変異体。血眼から血涙。凶暴で見境なし。少数。脅威度高し。
誰かに呼ばれた気がして、高瀬は北の曇天を仰いだ。聞き逃してはならない気さえしたが。
耳に届くのは怒号と悲鳴、あるいは翅音と鳴き声ばかりであった。
おぞましさ極まる大群……蜘蛛、ゴキブリ、ダンゴ虫、コオロギ、ハサミ虫、ケラ……およそ陰気な虫けらたちが巨大奇怪に変わり果てて、森の中へと雪崩れ込んでいく。
光ヶ丘公園だったものが広く深く変化したそこは、戦場だ。
木々の開けた丘陵部に空堀が掘られ、防塁が積まれ、バリケードが組まれ、物見台が建っている。現代戦の陣地ではなく戦国時代以前のそれである。鎧甲冑を武装したアバターたちが徒党を組み、あるいは隊伍を強固にして、モンスターの群へ様々なベクターを振るっている。
投擲物やクロスボウ、アストラル技能による遠距離攻撃などはあれど、それらの使用は限定的だ。
白兵戦だ。銃火器も爆弾もない戦いは、どこまでも暴力的で、ひどく血生臭い。
突き、斬り、砕く。噛まれ、刺され、潰される。モンスターの側は死ねば煙のように消失するものの、アバターは残るから、遠目にも見るに堪えない。ちぎれ飛んだ肉片はすぐにも喰われる。倒れて動かないアバターは群がられる。身の毛のよだつ蠢きの中から細い手だけが空へ伸ばされて、すぐにそれも喰い尽くされた。
そんな凄惨さを眺めやれる高所―――比較的状態のいいビルの屋上に、その女はいた。
「よくも、気色の悪い顔面を並べたもんね。女体化願望のクソ痴漢どもが」
白濁を塗りたくったような細面に毒々しい黒色の口紅。残忍な切り傷のような目つき。墓暴きでもしてきたか悪趣味かつ多量の宝飾。ドブネズミの灰色をまとう痩身。下品に尖った爪と、悪魔のそれのごとき長い耳。
魔女の弟子は、高瀬の目にひどく邪悪な存在として映った。
「……白騎士たちを壊したのもお前らね。最悪」
吐き捨てるように言う弟子の周りには、気品のある白軍服の美青年が五人、弟子を護るように立っている。先に倒した騎馬が騎士ならばそれらは王子様ないしはアイドルだろうか。構えるサーベルすら華麗なデザインだ。つまるところがゴーレムなのだろう。
対するは、ヤクモ大尉、ガンホ伍長、シャオ上等兵、そして高瀬の四人だけである。合流した第三小隊の面々のうち半数は囮として遊撃に回っており、もう半数は身を隠した。援護ないしは決定打のためだ。
「国連軍大尉、ヤクモである。降伏せよ。人道的な扱いを約束する」
「臭い息を吐くな! 何様のつもり!」
金切り声がヤクモ大尉の盾を激しく打った。いや斬りつけた。物理的にだ。
唇だ。黒く塗られた唇がエーテリックへ影響したのだ。弟子とヤクモ大尉との間に黒ずんだ瘴気のごときものが漂う。苛立たしげな呼気にも墨の色がにじむ。
「死ね! 死ね! 死ねえ!!」
悪意は矢か、それとも槍か。そのことごとくを盾が弾くも攻撃は絶え間ない。五人のゴーレムも動いた。甘い笑みを張り付けたまま斬りかかってくる。
ヤクモ大尉の両脇はガンホ伍長とシャオ上等兵が固めており、高瀬はやや離れてどうとでも動ける位置である。
一人、来る。
高瀬は剣大王ユグドクラウンを肩に担いだ。距離を見極めて。
「大王……ダイナミック!」
袈裟懸けに斬った。持てる力の全てを刀身に込めきった一撃だ。僅かな時間とはいえ指導してくれたヤクモ大尉いわく、人間が最も自然に全力を発揮できる振り下ろし方であり、特大剣のリーチと質量を鑑みれば二の打ちを考える必要もないのだとか。
当たった。防がれ、いなされ―――なかった。サーベルも腕も肩も胴体も、一気に切断して床へ刀身が食い込んだ。嫌な感触と思うが早いか、ひび割れ、崩れた。
「うおおっ!?」
一気に穴が広がる。高瀬も巻き込まれた。真っ二つになり消えていくゴーレムと共に階下へ落下だ。思い切り尻もちをついた。埃を吸って咳き込んだ。
そんな高瀬を、緑色の目を丸くして見る褐色肌の美女アバター。
「わお。ダイナミックエントリー」
ミソギ軍曹だ。第三小隊の面々は誰も重装備であったが、この人だけはヘルメットこそかぶるものの軽装であり、ベクターであろう両手の爪状刃付き手甲の重量感が妙に印象に残っていた。
「やば。バレたら奇襲が」
つられて見上げると、天井の大穴からゴーレムが覗き込んでいた。逆光となった微笑みはいかにも不気味だが、その無防備な頭へ突き立ったものがある。矢だ。エーテリックをまとうそれは頭蓋を貫通し、矢じりが後頭部へと抜けている。
「ビュリホー、サトウ一等兵!」
どうやらもう一人の潜伏隊員の攻撃のようだ。第三小隊はベクターの種類も多様である。
「准尉もすぐにお戻りあれ。攪乱よろしく。遠慮無用の全力で」
急かされ、跳ぶ。エーテリックへ作用しての大ジャンプだ。
いつぞやと同じような見下ろす視界……ゴーレムは残すところ一人なれども、モンスターが新たに増えていた。頭高三メートルはあろうかというカマキリのバケモノと軽トラック大の大蜘蛛である。そればかりか、ビルの外壁を伝って中小の虫型モンスターたちが殺到しつつある。
怒鳴り続ける弟子。その顔に浮かぶ身勝手な必死さと性悪な敵愾心。エーテリックを汚染する加害欲求と被害者意識と尊大かつ狭量な世界観。何て「無様で貧相」なのか。
高瀬は奥歯を噛んだ。目に映る敵どもがヨアの平穏にとって脅威であることも勿論腹立たしいが。
トーキョーハイロウとは、こうなのか。ならばE災害とは、エーテリック大渦とは、こういうものだったのではあるまいか。天災という無差別ではなく、犯罪の身勝手さが吹き荒れたのではないか。
彼女の最期も、まさか……奥歯が軋む。剣大王も鳴る。
高瀬は吠えた。激怒の咆哮だ。自らの美声も嫌だった。美少女になり戦う、このアニメやらゲームやらと見紛う闘争自体が、いかにも薄っぺらく感じられ、どうにも馬鹿馬鹿しく思えて、耐え難く許し難く虫酸が走るからである。
「大王! エネルギーッシュ!!」
空中にて剣大王を振り回すこと三回、カマキリと大蜘蛛とゴーレムへそれぞれ一撃を見舞った。恥ずかしげもなく叫んだから味方は避けてくれたが、床は崩れ鉄骨はむき出しになって、いよいよ屋上は崩壊の一歩手前にまで至ったようだ。着地するも後退し、高瀬は難を逃れた。
「クソが! 何なの!? 気持ち悪い! 気持ち悪い気持ち悪いぃっ!!」
黒い害意が狂おしくのたうつ中心に、弟子がいる。ビルの縁にまだ立っている。飛べはしないのだろうが落下を恐れてもいない。高瀬の側からはもう近づけないが。
「ぎゃあっ!?」
足場もない中空からミソギ軍曹が襲い掛かった。背を裂いたか灰色の布と液体が散った。
「何すんのよ!」
「殺すんだよー」
爪刃と黒い斬りつけがぶつかった。もう片方の手の爪刃もぶつかり合った。
「暴力しか知らないサルどもが! ギャハハ! 滅びろ!」
動けなくなったミソギ軍曹へ、新たな黒い攻撃が二つ三つと鎌首をもたげる。
「ぎゃああっ!?」
悲鳴を上げたのは弟子だ。どういう仕掛けか背中を再び切り裂かれたようだ。
「ブーメラン乙」
すかさずミソギ軍曹の前蹴りが入る。弟子はもんどりうって倒れた。痛みにもだえ、崩れた床に難儀するところへ、影を覆いかぶせるようにして立ったのはヤクモ大尉だ。
一切の躊躇いなく、弟子のみぞおちへ長柄直剣を突き立てた。
「アサルト・ヒート」
言うや剣刃が赤光と高熱を発しはじめた。肉が沸騰し溶解し蒸発する。弟子が暴れに暴れる。獣じみた形相と咆哮も、昆虫の必死を連想させる手足の振り回しも、やがて力を失った。戦塵が風に払われた後には何も残らない。一人分の怨嗟もエーテリックへ溶け消えていった。
破壊の跡の広がる屋上にもはやさしたる危険はない。迫りつつあった虫群も今や統制を欠き、右往左往したり、同士討ちをしたりする有り様である。
「弟子討伐完了。各員、残敵を掃討せよ」
激情も戦意もサラサラと立ち消えたから、高瀬は剣大王をヨッコラショと持ち直した。気持ちとは裏腹に四肢はしなやかに動く。銀髪もシャラシャラと音がしそうなほどに滑らかだ。絶世の美少女のアバターである。
この討伐は殺人だったのだろうか、と高瀬は自問してみた。
誰も彼も人間らしからぬゆえに否であると自答して、もう省みることはなかった。




