俺は「彼女」の事を「婚約者」に言い出せない
春の推理2023参加作品です。
エッセイ以外の初投稿になります。
よろしくお願いします。
「ねえ、引っ越し先、早く決めないとね。」
俺の借りているオンボロアパートのキッチン…と言うより「台所」に立ち夕食を作りながら優香が言った。
「そうだね。式の前には引っ越しを済ませたいから…出来るだけ早く探したいね」
優香とは友人の紹介で知り合った。
優し気な眼差しと、おっとりとした口調で話す優香に俺は一目惚れした。
すぐにインスタ交換、お互いがどんな趣味か一目で分かる。
優香の投稿は、控えめで清潔感のある暮らしぶりがうかがえた。
対して俺は趣味のバイクと、ツーリング先で食べたうまいものの投稿だらけ。
御当地焼きそばの食べ比べや、御当地おでんの食べ比べ。古民家のピザ屋や、山奥の蕎麦屋などなど。
ツーリング仲間と行ったところ、一人で行ったところなど、メモ代わりに使っていた。
全く共通する物がなく、ダメだと思っていたが、優香から「投稿された美味しそうなものを食べてみたい」とメッセージがきた。
そこから二人であちこちに行くようになり、お互いの気持ちを確認。
2年経った先日、俺は優香にプロポーズした。
優香は目を潤ませて「よろしくお願いします」と言ってくれた。
二人で温かな家庭をつくろうと約束し、俺は絶対に優香を幸せにしようと思った。
そして結婚と同時に、このボロアパートから引っ越そうと話していたのだった。
本当に幸せだと思っていた。
それなのに…
俺は隣の部屋に出入りする「彼女」に心を奪われてしまっていた。
初めて彼女を見かけたのは深夜2時頃。
仕事が立て込んでいた3月、バイクで通勤していた俺は時間なんて気にせずに残業して遅くなって帰宅した。
そこでたまたま隣の部屋から出てきた彼女を見かけたのだ。
黒い艶のあるロングヘアーが、月明かりで濡れているかのように光る。
チラリとこちらを見るその瞳。
心臓が止まるかと思うほどの色気を振り撒きながら、俺の横を通り過ぎ、離れて行く彼女。
暗闇にその姿が消えるまで、俺は目が離せなかった。
優香になんて言えば…いや、そもそも言う必要はない。
こんな想いはバレなきゃいいんだ。
俺だけの心にしまっておけば丸く収まるはずだ。
関わらなければ良い。
その日以降、隣の部屋から出て行く彼女を見掛ける度に湧き上がるもやもやした思い。
そんな気持ちを隠しつつ過ごす日々。
彼女を見るようになって2週間しない頃、不意にお隣さんが引っ越して行った。
「もう会う事はない…」
ポツポツと降り出した雨の中、ホッとした様な、残念な様な…
いや、これで良かった。
そう思っていたのに…
その日の夜、隣の部屋の前で雨に濡れて泣いてる彼女がいた。
隣人は彼女を…?
どういう事だ…?
堪らずに俺は彼女を…俺の部屋に引き入れた。
そして一夜を共に過ごしてしまった。
酷い後悔と罪悪感。
自分の無責任さに腹が立つ。
反面、彼女が一晩でも俺を受け入れてくれた事に、なんとも言えない高揚感があった。
そして、それをきっかけに、彼女はたびたび俺の部屋を訪ねてくるようになった。
優香に隠し事をするなんて…
俺は自分の不誠実さに驚いていた。
断ち切れない彼女との関係をズルズルと続けていたある日、優香が言った。
「ねえ、この頃何か隠してない?」
優香が怪訝な顔をして俺に問いかけてきた。
跳ね上がる心拍数。
「何か…って?」
俺は出来るだけ平静を装いおかしくないように答える。
「だって、結婚したらこの部屋から引っ越す話しだったでしよ?それなのに引っ越し先なかなか決めようとしないじゃない。それに、最近部屋がやたら綺麗だよ?前は私が掃除機をかけていたのに、それも必要ない程綺麗だし、何より洗濯をマメにするようになったじゃない」
そうだ。
彼女の痕跡を消す為に、彼女が来た日は掃除や洗濯を必ずしているのだ。
落ち着け俺。
大丈夫。
俺はあらかじめ用意していた返事をする。
「同僚に言われたんだよ。結婚するなら掃除や洗濯は奥さんと分担するようにって。それもそうだと思って今から練習しているんだよ。優香だって仕事続けるんだから、俺もそれくらい出来ないとって思ったんだ」
「…ふうん。同僚に…ねぇ。じゃあ、その同僚さんに感謝しないとね…」
「それよりさ、この前話したパーティーもできるレストラン、下見に行ってみない?予約してあるからこの後行こうよ」
俺、ナイス!
上手く誤魔化せた。
…と思う。
下見に行ったレストランは、とてもお洒落で、出された料理も美味しかった。
二人でワインを飲み比べしたり、メインを肉にするか魚にするか悩んでみたりした。
過去にここで結婚式を挙げた人たちの写真を見せてもらう。
皆、笑顔で幸せそうだった。
人気のレストランで式の予約はけっこう先まで埋まっているとの事。
俺と優香はここでパーティー形式の結婚式を挙げようと、空いている日をいくつかピックアップしてもらい、あとは家で考え、後日連絡するとし、店を出た。
タクシーの中でも、式の日取りの事や、誰を呼ぶか、何人くらいになるかなどをざっくりと話しながらアパートに戻ってきた。
そこで俺はハッとする。
このまま優香と部屋に戻ったら、もしかしたら彼女と鉢合わせてしまわないかと。
薄暗い部屋のドアの前に目を凝らす。
彼女は居ないようだ。
優香に変に思われないよう、さりげなく辺りを見回す。
鍵を開け、玄関のドアを開けて中に入った時、何処から現れたのか、するりと彼女も中に入ってきた。
「にゃーーん」
「帰ってくるの待ってたよ、お腹が空いた」と鳴く彼女。
恐る恐る優香の顔を見る。
「彼女、あなたの帰りを待ってたみたいね笑」
優香が「彼女」を抱き上げる。
「気づいてたの?」
「当たり前じゃない。キッチンの棚に猫缶があったり、やたら可愛い猫用のぬいぐるみがあったりして。この部屋は私がいつ来てもいいようにって鍵渡してくれたでしょ。だから、私だってクロちゃんと仲良しなんだからね!」
「クロ…ちゃん?」
「そ、黒猫だもん。クロちゃんでしょ?」
「…いちごちゃん…いや、クロちゃんです。はい。クロちゃんです」
「もーっ!なんで内緒にしてたの?あんな下手な嘘までついて」
「ごめん。結婚して引っ越したらいち…クロちゃんを置いて行かなきゃいけないと思って…猫と暮らすの嫌かと思って…言い出せなかったんだ…」
「全然嫌じゃないよ!逆に置いて行くような人でなくて良かったよ。でも…これからは何でも相談して?一人で「にゃーーん」決めないでね…」
「ごめん!優香、俺、本当に優香の事「にゃーーん」愛してるから…嫌われたくなくて…」
「うん…私も…「にゃーーん」」
「にゃーーん」
俺と優香は二人で顔を見合わせて大笑いした。
優香が「はいはいごめんね、お腹空いたよね?いちごちゃん?」と言ってこちらをチラリと見た。
俺はこれから「にゃーん」も優香には敵わないと思う。
でも、それが俺の「にゃーん」幸せだと思った。
「にゃーん」
わかったって!笑
拙い文章、最後までお読み下さりありがとうございます。
☆「いちごちゃん」は、もともとノラ猫で、勝手にお隣さんちに入っていました。
飼うことが出来ないお隣さんも「ニボシちゃん」を気にしつつお引越ししています( ^ω^ )
※誤字脱字のお知らせありがとうございます。
修正致しました。