その二 難局
立花宗虎は難しい立場に置かれていた。
井伊直政と交わした密約に従い、大津城に張り付いて関ヶ原には参戦しなかった宗虎である。
しかし、大津城の陥落後に関ヶ原に向かって一旦は北上しかけたことと、大坂城での籠城戦を強行に主張したことが家康の知るところとなり、徳川への恭順がどこまで本気なのかを疑われていた。
宗虎の方とて領国柳川を出陣するときには、どこまでも豊臣家への忠義を貫く姿勢で臨んでおり、今更徳川の調略にまんまと乗って西軍敗北の引き金を引いたなどとは到底表向きには出来ないことであった。
それ故の大坂城徹底抗戦の主張であり、己が後ろめたさの裏返しでもあった。
領国柳川に立花を追い詰める清正と如水に対して作戦指示を出すため、家康、正信、直政の三人が西の丸で額を寄せ合ったいた。
「立花の鉄砲隊を豊臣方に残すは後々厄介である。
輝元の腰が引けてくれたおかげで大事にならずに済んだが、この大坂城に立花の鉄砲隊が篭もっておったらと思うとぞっとするわ ・・・・ 」
そう言って家康は眉をしかめた。
「この際、宗虎の腰の定まらぬことを理由に密約を反故にしてでも攻め滅ぼしておく方が安心にございましょう」
正信も立花を攻めることに賛同した。
「直政はどう見る?」
家康は立花の調略を担った井伊直政に意見を求めた。
「上様の申されますこともっともではござりますが直政、一つ気になることがございます」
「何だ、申してみよ」
「島津義弘殿にございます ・・・・ 」
「ふむ、どちらも其の方に任せた者達であったな」
「我らの追撃を振り切った義弘殿は、大坂で妻女を救出し領国まで逃げ延びましたが九州まで同道したのが ・・・・ 」
「立花宗虎」
「如何にも、道すがら両者の間で某との密約の内容が共有されたと見なさなければなりますまい。
特に島津には徳川の痛いところを握られており申すゆえ ・・・・
すべて某の落ち度なれど大名同士の約束は約束。
他国に漏れるところとなれば今後の ・・・・ にも悪い影響が出るやも知れませぬ」
直政は"天下取り"のところは口を濁した。
「直政、そちが気に病むことではない。命じたのはわしである」
そう言って家康は直政をかばった。
「正信、どうにかして立花の鉄砲隊を封じて、徳川の体面を保ち、宗虎の面目をも立てる方策は無いものか?」
黙って聞いていた正信の口がにやっと横に伸びた。
こういう顔をしたときの正信老人の思いつきは、これまで何度も家康の窮地を救ってきた。