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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

黒魔術師の治療術

作者: 笠野瑞月

 あの山の上には医者がいる。

 あくまで噂であるがその医者の手にかかればどんな病もケガもたちまち治る。

 さらに、彼の治療はわずか数十分程度。たったそれだけの時間で完治するのだから、まさしく万能である。

 だが、その医者にはよくない噂がある。

 人体実験だ。

 その医師は人を使って実験をするという。万能な医療術は禍々しい実験の賜物であるという話が村人たちの間で語られている。

 医者は治す以上に実験をする。いつか訪れる病魔に備え、村人たちは彼に生贄をささげたという話さえあった。

 そして厄介なことに彼は、風邪や四肢の骨折といった軽度の治療は行わない。彼の研修対象はあくまでも重症患者。彼にとっては患者と検体はイコールで結ばれる。

 彼は医者としては充分に機能しているとは言い難かった。

 村人たちは診療所を作り都市部から開業医を雇い入れることにした。その後、彼は独り、小さな山小屋で暮らしているようであるが、今でも村の開業医が処置できないほどの重症患者は彼を頼る。それすなわち、彼は今でも実験を続けているということだ。

 彼の容貌については、多くは語られていない。黒い布を頭からかぶっているというのだ。だが、彼を訪ねたある女性が医者の素顔を見たという。

 その女性によれば、見える肌すべてに縫合された痕があったそうだ。

 顔も。首元も。腕も。

 全身ツギハギなのだという。

 決してその姿を目にしたものは多くないのだが、それは真実として村人たちの間に広まっていった。信じる理由は一つ。山から帰ってきた彼女の顔から、大きな火傷の痕が消えていたのだ。

 こうして、山小屋の医者について新たな噂が流れるようになる。

——彼は実験材料に飢えている。自分自身を検体にするほどに。


 彼の住処を訪ねることは検体になることと同義だ。それを承知で少年はこの山小屋にやってきた。

 心臓の病を治すためである。といっても、それは少年自身の病ではない。少年がここに来たのはある少女のためである。

 彼女は生まれながらにしてその病を抱えていた。心臓が血液を送り出す力が弱いのである。彼女の身体が成長しても心臓の力は成長しない。したがって血液は身体の成長に反比例して全身を巡り難くなる。

 そして、今では起き上がることもままならない。立ち上がれば貧血で倒れてしまう。おそらく数分と立っていられない。

「君はその女の子を助けたいわけだね。いいでしょう」

 これは村の診療所ではどうにもならない。もはやここを頼るしかない。必死の思いで説明すると、大きな黒い布を被った医者は思いの外、あっさりと事情を呑み込んだ。

「彼女は動けないんです。村まで来てもらえませんか」

「それは必要ない」

 そういうと彼は三十センチメートル四方の白い布を取り出した。

「君の持ってきたその血があれば大丈夫」

 家主は黒い液体の入った小さな小瓶を指さす。この瓶は診療所から貰ってきたもので元は彼女の病気を調べるために採取したものだ。

 黒い布から伸びたその手に噂通り縫い合わせたような傷跡があって少年はぎょっとする。瓶を渡すと少年はすぐに手を引っ込めた。

「今からこの布に魔法陣を仕込む。魔法陣があれば彼女の心臓はよくなるよ」

 早速やってみようか、というと医者は黒い布を脱ぎ捨てた。

——容貌は噂通りだ。

 顔もやはり傷痕だらけである。さらに言うのであれば、右目が濁っていてどうやら見えていないということと、左頬から首元にかけて大きな火傷の痕がある。

「心臓が良くなってもはりきって動かないように伝えてくれ。筋力は落ちているはずだから」医者の口が動くたびに、頬の傷痕も動く。「まあその辺はアンドレに聞くといい」

 アンドレとは村に来た開業医のことである。

「知り合いなんですか」

「ああ知ってるよ。僕がここに移る前に少し会話した程度だが」

「先生は何年前からここに?」

「先生なんてやめてくれ」医者は微笑んで見せたが、かえって少年を強張らせた。「僕は医療についてよく知らないんだ。医者なんかじゃないのだよ。ここに住むようになったのは二年前からかな。その前に村に住んでいたんだよ。数か月程度だけれどね」

 男は白い布を机に広げ、瓶に入った血で模様を描いていく。少年はその模様をしばらく眺めていた。魔法陣が何を意味するのかは全く分からないが、少年にはそれが禍々しく感じられた。

「君は魔術に興味があるのかな」

 少年の感情とは裏腹に男は明るい声を出したのだが、少年はそれを不気味に感じている。だから少年の対応はひどく無愛想である。

「いいえ、僕は魔術はよくわからなくて」

「そうかい。じゃあ後学のためにおしえてあげよう。僕が使うのは黒魔術だ」

 黒魔術と聞いてハッとする。少年が禍々しいという感情に確信を持ったのを見透かすように男は「邪悪に感じるかい」と問う。

「はい。そんなことしてあの子は助かるんですか。余計に苦しめることは——」

「その子は助かるよ。黒魔術といっても、無条件に邪悪なわけではない。白魔術と黒魔術の区別は、要は対価の問題なんだ。君は白魔術を知ってるね」

「はい」少年は頷く。「村のお医者さんが使うのは白魔術だと聞いたことがあります」

「その通り。白魔術は主に医療に使われる。その対価は薬草だ」

 薬草、と少年が繰り返すと今度は男が頷いた。

「そう。白魔術の起源は薬草学だ。薬草を研究し、その効能を高める目的で白魔術が登場している」

「でも対価は魔力なんじゃないですか」

「魔力だってポーションから補充するだろう。あれだって薬草を加工したものに過ぎない」

 君の質問はいい考え方だけれどね、と男は少年に言葉をかけて続ける。

「薬草から始まって薬草の効能に終わるのが白魔術だ。薬草以外に必要な対価がないのだから、白魔術が広まることは至極当然だね」

「白魔術では彼女の病気は治らないんですか」

「言っただろう。白魔術は薬草の効能を高めるだけだ。後天的な状態異常を治すのは得意だが、重度の病、先天的な障害を治すことは難しい」

「では黒魔術に頼るしかないんですか」

「黒魔術イコール邪悪と考えるのならば、拒絶感があるのだろうが、頼るしかないだろうね。だから、黒魔術についても話しておこう。正しく認識すれば恐ろしいということもない。《《黒魔術の対価は実物》》だ」

 実物、と少年はまたも繰り返す。男もまた頷いた。

「対価は対象と同等のものが必要なんだ。例えば、折れた腕を治したければ折れた腕と同等のもの。だけれど、同等かどうかなんて判別はとても難しい。だから、実物を用意するのが手っ取り早い」

 つまり、と一呼吸おいて男は血の付いた指で自分の左腕を指す。

「折れた腕を治したければ、健全な腕を——ということだよ」

 少年は恐ろしくなってきた。それでは今から自分がやろうとしていることの対価はどうなるんだ——

「今話したのは魔術のごく一部だよ。でも対価が薬草なら白。それ以外の実物であれば黒。この考え方に間違いはない。だから生贄をささげて神を生き返らせるのも黒魔術だし、生まれつき目の見えない赤子に視力を与えるのも黒魔術だ。炎を使うのも水を使うのも広義では黒魔術だよ。魔法の世界では白以外は黒なんだ」

 意外だと思うがね、と男は言う。男の言葉で少年の中の黒魔術に対する恐ろさは少し緩和されている。顔を上げると男は血の付いた指を布巾で拭っていた。どうやら魔法陣は完成したようだ。男はそれを手渡す。

「村に戻ったらこれを彼女の上半身に掛けるんだ。服の上からで構わない。彼女以外の人間には作用しないから安心すると良い。魔法陣は完了すると自然にきえる」

 気を付けて、と男が部屋の奥に戻ろうとしたので少年は引き留めた。

「あの、聞きたいことが——」「なんだい」男が振り返る。「先生はどうやって治すんですか、対価というのは——」

 だからその先生というのは、と男は少し困ったような顔になる。

「僕の得意な魔法はね。対象の機能の一部を入れ替えること。というかそれしかできない。一部の天才を除いて、世の人間は一種類かせいぜい二種類程度の魔法しか使えない」

 確かに魔術師たちは炎なら炎。水なら水。というように切り分けがされているようだが、今肝心なのはそこではない。少年は男に問う。手に汗が滲んで力が入らない。

「では今回の対価というのは、その——健全な心臓なんですね」

 その通り、と男は微笑む。

——そうかやっぱり。

「対価があるからといって迷う必要はないよ。君は助けたいんだろう」

 グッと拳に力をいれる。少年は覚悟きめて頷いた。

 命を投げ出す覚悟だ。

——自分の心臓と彼女の心臓を入れ替える。

「選ぶんだ。この世界で人を救いたければ、対価を選ぶしかないのだよ」

 よろしくお願いします、と小さな体を直角にするほど深く頭を下げて、少年は山小屋を後にした。


 村に戻ると少年は男に言われた通り、少女の上半身に布をかける。これで彼女は助かるが、自分は——。考える間もなく血で書かれた魔法陣が光を発して、布が真っ白になる。魔法陣が効力を発揮したのだ。

 身体を起こすのも苦しそうだった彼女はベッドに腰かけることができるようになった。村の白魔術師に診てもらったところ心機能は正常であるらしい。これがこの家での最後の仕事とわかると白魔術師は、診察代金を多めに請求していった。褒められた行いではないが、彼女の家族とって娘の病気が治ったことと比べれば些細なことである。

 良かった。魔法は無事に動いたんだ、彼女の病気は治ったんだと安心する一方で、少年は不思議に思う。

 ——なぜ自分の身体に変化がないのだろう。


 その真相に気づいたのは、少年が再度山小屋を訪れた時である。

 そこにはベッドに横たわった傷だらけの黒魔術師がいた。



 










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