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仕組まれた動乱3

 シャヒルは目の前のドアを無言で凝視していた。

 絶体絶命の窮地に陥り、死を覚悟してからまだ半刻と経っていない。その際、共に王宮に乗り込んだ同志達はことごとく殺されてしまった。

 ガルシュラの救援が間に合わなければ、シャヒルも同志達と同じ運命を辿っていたことだろう。


 もしかしたらそちらの方が楽になれたのかもしれない。

 弱気の虫が耳元でそんな戯言を囁くが、シャヒルはつとめて無視すると、再度呼吸を整えた。

 ここで怖気づいてしまっては、ここに辿り着くまでに費やされた同志達の命と想いが全て無駄になってしまう。


 覚悟を決めると、ドアを押し開け室内に踏み込む。

 室内は薄暗かったが、随所に配置された燭台に灯りが点されているため、視界がまったくきかないというほどではない。

 大広間には劣るものの、下手をすれば小屋の一件程度ならば収まりそうな大容量を誇る部屋の奥では、直接の面識こそ無いが嫌というほど顔を知っている相手が、凝った装飾の椅子に腰かけ、優雅にグラスを傾けていた。


「ハリヤダット・カルマ王子で間違いないね?」


 隠し切れぬ緊張感を孕んだシャヒルの確認に、ハリヤ王子はグラスを傍らのテーブルの上に置くと、指を組んだ両手を顔の高さまで持ち上げた。


「いかにも。余がハリヤダット・カルマだ。ああ、貴様は名乗らずとも構わぬ。このような夜更けに、約束も無しに余の部屋へ踏み入るような不埒者の名など、記憶する価値も無いからな」


 極めて尊大なその態度は、その一点においてのみ、この上なく王族らしいと評価できなくもない。

 ともあれ、シャヒルは脂汗の浮き出た手で腰の剣を抜くと、緊張で小刻みに揺れる切っ先を王子へと向けた。


「今から幾つか質問する。嘘偽りなく答えるんだ。正直に答えている限り、危害は加えないと誓うよ」

「ほお、盗人猛々しいとはこのことだな。いや、これはこれでなかなかに面白い趣向ではあるか。良かろう、その要求、呑んでやろうではないか。問うてみるがよい」


 シャヒルの周囲にも実際に確認した者はおらず、市井に流れる情報では噂の域を出ないが、ハリヤ王子が霊紋持ちだというのは有名な話だ。もしもその話が事実ならば、常人であるシャヒルが突きつけた剣など、子供が爪楊枝を振りかざしているに等しいのだろうが、いきなり腕っぷしに物を言わせることなく、王子は整った眉目をぴくりとも動かさず先を促した。


「では問わせてもらうよ。二十年前の政変が、当時の王弟によるでっち上げだったというのは真実かい?」


 まずは小手調べ。つい半日ほど前に知らされた情報の真偽を尋ねてみる。するとハリヤ王子は、つまらなさそうに首を振ってみせた。


「さてな。生まれる前の出来事では、さすがの余も直接見聞きすることはかなわん。となれば、後に語られる諸説が真実か否かなど、そうたやすく見極められるものでもあるまい。まして、当事者の子たる余に、わざわざ父王の所業を否定するような説を吹き込む輩など、いるはずもなかろう」


 ハリヤ王子の返答に、シャヒルは心中で驚愕していた。

 父から受け継ぐであろう王権の正当性を、真っ向から否定しているに等しい質問だったのだが、ハリヤ王子はいささかも感情的になることなく、否定するでも肯定するでもない答えを返してみせたのだ。

 どこか投げやりな受け答えは、自分とは無関係な事柄の質問をされて退屈しているようにすら見えた。


「どうした。余に尋ねたい事とはそれだけか?」


 つい呆けてしまっていると、逆にハリヤ王子の方から催促してくる。

 一瞬、互いの立場が逆転したかのような錯覚を覚えるが、頭を振って気を取り直すと、唇を一舐めして湿らせた。


「もちろん、まだあるとも。だが、なぜ先程の問いを否定しなかった」

「おかしな事を訊くものよな。嘘偽りなく答えよと貴様が申したのであろう。余は極めて誠実に、その要求を叶えたに過ぎん」


 やや不機嫌そうに目を細めるハリヤ王子。

 先程の不躾な質問には気を悪くしたそぶりを一切見せなかったのに、今度はこんな些細な言葉に苛ついた様子を見せる。そのアンバランスさに、シャヒルが抱いた違和感はじわじわと拡大を続けるが、具体的に何がおかしいかと問われれば答えにならない。


 言葉にできないもどかしさに苛まれながらも、シャヒルは質問を重ねることにした。内省するのは後でもできる。今は相手の気が変わらぬうちに、聞くべきことを聞いてしまうことが肝要と判断したのだ。


「ではもう一つだけ質問させてもらうよ。ハリヤ王子、あなたが父王に毒を盛り、病の床に押し込めたという情報の真偽を答えてもらう」


 深呼吸を一つ挟み、シャヒルは本命の質問を放つ。

 現在進行形の出来事かつハリヤ王子自身の行為について尋ねているため、先程の質問よりも機嫌を損ねる可能性は遥かに高い。

 もしもこの質問でハリヤ王子が逆上すれば、常人であるシャヒルなど数秒ともたずに壁の染みとなることだろう。万が一の場合に備えて、レジスタンス運営の引継ぎは済ませてあるが、それでもギロチンの下に首を差し出す恐怖が薄れるわけではないのだ。

 だが、シャヒルの心配は杞憂に終わった。


「なんだ、そのことか。いかにも真実である」

「……は?」


 こらえきれずに間抜けな声を漏らしてしまっていた。とはいえ、それも仕方のない話だろう。お前は悪事に手を染めているかと真正面から問われ、首を縦に振る者はまずいない。だからこそ、シャヒルも報告書に記されていた情報の裏を取り、反論を許さないだけの根拠や証拠を持参してきたのだ。

 それがまさか、何の駆け引きや交渉もせずに初手で罪を認めるとは、さすがに予想しておけという方が無理筋というものである。


 一方のハリヤ王子は、あまりの衝撃にポカンと口を開けているシャヒルの顔を眺めると、楽しそうに口角を吊り上げた。


「どうした、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして。貴様の望む答えが得られたのではないのか? ならば喜びこそすれ、そのように睨むものではなかろうに」


 いけしゃあしゃあと言ってのける。

 その言葉に、シャヒルはその時になってようやく、自分が相手を睨み付けていることに気付かされた。

 直前まで感じていた不気味さも、今だけは根こそぎ吹き飛んでしまっている。

 それだけの激しい感情が、彼の中で渦巻いていたからだ。


「お前には……良心の呵責というものは無いのか? どうして己の家族に毒を盛るなどという非道を正気で行えるんだ! いや、それとも、もはや正気ではないのか!?」

「無礼なことを申すな。余は極めて正気であるぞ。正気だからこそ、余の道を塞いでいる王という名の障害を取り除かんとしているのだ」


 悲痛な色さえ滲ませるシャヒルの詰問に、王子は淡々と答えてのける。


「どうしても得心がいかぬというのならば教えてやろう。この国の一切は、このシャヒザダラ・カルマのものなのだ。ゆえにこの国で余がいかに振る舞おうとも、それを咎められるいわれはない」


 まさしく暴君の論理を振りかざし、王子はきっぱりと言いきってみせた。

 シャヒルにできたのは、怒りに震える声で反論を絞り出すことのみ。


「……お前は、現在はまだ王ではない。王子の身でありながら、王に毒を盛るのは言い逃れようのない大罪だぞ」

「ああ、その点については心配いらぬ。王に毒を盛ったのは貴様だからな」

「……なん、だって?」


 一瞬、何を言われたのか理解できず、反応するのが遅れてしまう。

 ハリヤ王子は、一切濁りが無く澄みきっているというのに、決して奥底を見通すことができない瞳に不穏な光を湛えると、憐れむような視線をシャヒルへと向けた。


「王に毒を盛り、そして殺すという大罪を犯すのは貴様だと言ったのだ。シャヒザダラ・カルマ、レジスタンスの頭目にして我が従兄殿よ」

「!! お前、知って――」

「カルマの衛士の情報収集能力を軽んじるものではないな。無論、承知しているとも。そして、貴様達レジスタンスが、今日まで捕まることなく活動を続けられたのは何故だと思う。言うまでもなく、余が差し止めていたからに他ならん」


 それはつまり、これまでのレジスタンスとしての活動が、すべて宿敵の掌の上だったことを意味する。

 シャヒルは愕然として崩れ落ちそうになるも、ふわふわとして力が入らない両足を懸命に叱咤し、歯を食いしばることで辛うじてその場に踏み止まった。


「何を企んでいる……」

「ほう、それほど聞きたいのならば答えてやろうではないか。質問には誠実に答えるという約束であったからな」


 嘲るようにそう口にすると、ハリヤ王子はおもむろに立ち上がった。

 たったそれだけで、一寸先も見通せない闇の向こうで何かが蠢いたような、おぞましい感覚がシャヒルの背筋を震わせる。

 生まれて初めて味わう霊紋持ちのプレッシャーに身を竦ませているシャヒルの前に、王子は殊更ゆっくりと歩を進めた。


「二十年前、生まれたばかりの王子は政変に巻き込まれて死んだと思われていた。だが、実際には生き延び、レジスタンスを組織して現王家に反旗を翻す時を虎視眈々と狙い続けていた。とはいえ、レジスタンスの保有する戦力では、衛士達を乗り越えて王宮へ踏み入ることなど到底不可能。ゆえに元王子は、王宮内部に潜入させていた手の者を使い、毒を用いて王の暗殺を試みたのだ」


 淡々と虚実入り混じった言葉を連ねる。いや、最初はわずかではあるが事実が含まれていたが、シャヒルの前に立つ頃には、純粋混じり気無しの虚言に塗り替えられていた。


「ところが王の生命力は毒に完全に屈することはなく、かと言って完治するでもなく、昏睡状態となって三年が過ぎる。業を煮やした元王子は、少数精鋭による王宮への潜入と暗殺を試み、多大な犠牲を払いながらも眠り続ける王の心臓に剣を突き立てたところで、事態を察知して駆けつけた余によって討ち果たされるのだ。どうだ、悪くない筋書きであろう?」


 全ての罪をシャヒルになすりつけ、ハリヤ王子からすれば邪魔者でしかない父王を暗殺する。外道極まる計画を開陳され、シャヒルは嫌悪に身を震わせた。


 元々、彼が王宮に乗り込んだ目的は、一つは真実を確信するためだったが、もう一つには決別を告げるためというものもあった。

 政変から二十年が経ち、最近は少し羽振りが悪いが、それでもカルマは国としては安定している。今更自分が立ちあがっても、カルマの世論を二つに割るだけで、国民には得るところは少ない。国の安定を第一に置くのであれば、どこかでけじめをつけて身を引くべきだと、シャヒルはいつの頃からか考えていたのだ。

 そんな感傷も、今は綺麗さっぱり吹き飛んでしまっている。


「お前のような輩を王にすることだけは、絶対に許しはしない!」

「ほう、許さぬと。では、どうやって余を止めるか、じっくり見せてもらおう」


 ひどく機械的に王子が告げた次の瞬間、筆舌に尽くしがたい衝撃が胸を打ち、シャヒルは派手に床に転がった。

 チカチカと明滅する視界を持ち上げれば、軽く裏拳を突き出した王子の全身に、薄っすらと燐光のような紋様が浮かび上がっている。実物を見るのは初めてだが、あれこそが王子の霊紋に間違いない。


 相手からすれば様子見にノックする程度の感覚だったようだが、霊紋持ちの身体能力は常人のそれとは、文字通り桁が異なる。武術については人並みでしかないシャヒルでは、回避はおろか、防御する暇すら与えられなかった。

 おまけに先程まで相手に向けていたはずの愛剣はシャヒルの手を離れ、打ち据えた本人の足元に転がっている。

 絶体絶命、もはや逃げ場など無いかに思われた。


 だが、シャヒルは諦め悪く左右に視線を走らせると、部屋の奥に置かれていた豪華なベッドに目を付けた。無論、寝るためではなく、身を隠すためである。

 内臓を傷つけたのか、血泡混じりの胃液がせり上がってくるのを懸命に押し殺しながら、足をもつれさせつつもベッドの裏へと転がり込む。


 と、その足に引き攣ったような痛みが走る。

 ちらりと視線を走らせれば、ぱっくりと肉が裂け、見る見るうちに鮮血が溢れ出してくるではないか。

 首を巡らせれば、投擲されたと思しき愛剣が床に突き立ち、少なくない血痕が傷ついた足まで垂れているのが確認できる。その気ならばシャヒルの命を奪うことなど造作もないだろうに、わざと致命傷を避けて甚振ってやろうという魂胆が透けて見えるようだった。


「どうした。余を許さぬのではなかったのか。そんな所に隠れていては、先程の勇敢さも色褪せるぞ」


 ハリヤ王子は挑発の言葉を投げかけるが、身を隠したシャヒルに動きは無い。王子はこれみよがしな溜息をつき、突き立った剣を引き抜いた。


「三つ数える間に出てくれば、苦しまぬように息の根を止めてやろう。もしもこの慈悲を拒むというならば、まずは皮と肉を削ぎ落とし、次いでどれだけ骨と内臓を失っても人間は生きていられるか、貴様の体で試みてくれる」


 最後通告にも返事はなく、王子はゆっくりと数を数え始めた。


「一つ……二つ……三っ――」


 影が奔る。

 最後のカウントを数え終わろうとしている王子を狙い、足に怪我をしているとはとても信じられないスピードで、ベッドの裏から影が飛び出してきたのだ。


 だが、意表を突くまでには至らない。

 王子はつまらない見世物を無理矢理に鑑賞させられたような醒めた表情で、手にしていた剣を一直線に突き出した。

 影の正中線を捉えた剣身はするりと飲み込まれ――次の瞬間、影が爆ぜる。


「!?」


 さすがにこれには意表を突かれたらしく、ハリヤ王子の動きが止まる。

 爆ぜたといっても影は影、顔全体を覆ってもダメージにつながる要素は一切無い。しかし、王子の視界を奪うという本来の目的は、十二分に達せられた。


 影に囚われていた王子は見ることがかなわなかったが、部屋の片隅に堆積していた影が持ち上がり、膨らみ、裏返る。

 そこから姿を現したのは、綺麗に繕い直された道着を着込み、白と黒の腕輪をはめたカイエンだ。

 室内をぼんやりと照らし出す霊紋の輝きを携え、突如視界を奪われて警戒する王子に迫ると、カイエンは流れるような動作で飛び蹴りを叩き込んだ。


 王子の方もさすがに霊紋持ちらしく、カイエンの気配を察知したのか寸前で防御するも、奇襲の不利までは覆せない。カイエンの生み出したベクトルに足の裏を床から剥がされると、バルコニーの手すりを巻き込みながら、中庭へと落下していく。


「さーて、おっぱじめるかあ!!」


 気合十分といった様子で開戦を告げると、ハリヤ王子の後を追い、カイエンも中庭に向かってその身を躍らせたのだった。

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