表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
98/104

仕組まれた動乱2

 外回りの仕事を終えて戻って来たガルシュラは、執務室のドアに手を掛けた瞬間、中で待ち構えている何者かの気配を察知した。

 公明正大に生きているつもりの彼であったが、片方にとっての正義はもう片方にとっては悪となる。恨みを買っている心当たりなら掃いて捨てるほどあるため、咄嗟に刺客の可能性が頭をよぎるが、それにしては様子がおかしい。


 積極的に隠れているわけでも、威嚇をしているわけでもない。例えるならば、野良猫が入り込んで寛いでいるといった雰囲気だろうか。ガルシュラは足音を殺していたわけではないので、部屋の主が帰ってきたことにはとうに勘付いているだろうに、それでも慌てたり逃げ出したりといった、通常あるべき反応が一切無いのである。


 ガルシュラは気息を整えると、勢いよくドアを開け、間髪入れずに部屋に踏み込んだ。

 念のため不意打ちの類は警戒していたのだが、予想外というか予想通りというか、部屋の中にいた人影は靴音高く乗り込んできたガルシュラに微笑んでみせると、敵対的な反応は一切見せることなく、すまし顔でのたまってのける。


「初めまして。留守だったから勝手に上がらせてもらっているわよ」


 親しい相手と親しくない相手、それぞれに向けるべき挨拶がミックスされており絶妙に混乱を誘う。

 ガルシュラは警戒を解くことなく、執務室で一番高級な家具である来客用の長椅子にゆったりと身を預けている相手を観察した。

 銀髪をヘアバンドで纏め、ペットと思しき黒い毛並みの仔犬を撫で回しているその女性の容姿は、少なくともガルシュラの記憶には存在しない。本人も初めましてと言っているくらいなので、初対面と判断して問題あるまい。


「ただの不審者、というわけではなさそうだな。貴様、何者だ。なぜここにいる」


 この執務室は王宮の中でもかなり奥まった位置にある。つまり、素人が思い付きで侵入できるような場所ではない。必然的に、この女には高度な隠密の技能があると推測された。

 となれば問題なのは、この女の素性と目的だ。仮に暗殺の類ならば、ここまで堂々としているのは腑に落ちない。


「私はリンカ。初対面ではあるけれど、あなたの事はよく聞いているわよ。九鬼顕獄拳のカイエン君から、ね」

「カイエン! あの拳法家の仲間ということか!」


 ガルシュラにとって、ほんの一週間前に激闘を繰り広げた霊紋持ちの名は記憶に新しい。

 死闘の記憶が喚起され、全身を甘美な電流が駆け抜けるが、リンカと名乗ったその女は、にわかに殺気と歓喜を帯びたガルシュラの反応には取り合わず、鼻歌でも歌うような調子で新たな話題を口にした。


「私があなたは訪ねた理由はたった一つよ。ちょっとクーデターに協力してもらおうと思って」


 言い終わるか言い終わらぬかの内に、ガルシュラの両手には大小二本の斧が握られていた。

 背負っていた得物を抜き放つ速度はまさしく神速で、突然に斧が出現したと錯覚したのか、リンカの腕の中に収まっていた仔犬は床に跳び下り、漆黒の毛並みを逆立ててくる。


「なかなか面白い冗談をほざいてくれる。俺の事をよく知っていると言ったな、女。それならば俺がカルマの衛士長だということも、当然知っているはずだ。その俺に向かってクーデターに協力しろとは、想像以上に頭のネジが抜けているらしい」


 今度は純粋な殺気のみを叩きつける。常人ならばこれだけで泡を吹いて倒れてもおかしくないところなのだが、リンカはまるで堪えた様子もなく、返事代わりにひとくくりの紙束を取り出してみせた。


「何のつもりだ?」

「ま、騙されたと思って読んでみなさいな。その斧で私を斬るつもりなんでしょうけど、ひとまず話だけでも聞いてみることをお勧めするわよ」

「ふん、命乞いのつもりか……」


 鼻を鳴らすと紙束を受け取る。これが囮である可能性も考慮し、周囲とリンカへの警戒は怠らぬまま、ガルシュラは半眼で紙束に目を通した。

 その途端、斧の柄を握っていた指がわなわなと震え、ガルシュラは動揺が色濃く滲んだ声音で血を吐くように呻く。


「馬鹿なっ……あの政変が仕組まれたものだっただと!? それに王の病の原因が、まさかっ……」

「信じる信じないは好きに判断すればいいわ。でも、ほんの少しでも真実の可能性があると思うなら、こっちの手紙も読んでみてくれるかしら」


 頭を鈍器で殴りつけられたような錯覚に襲われ、ふらつくガルシュラに一通の手紙が手渡される。呆然自失に近い状態ながら、震える指先で折り畳まれた紙片を広げると、書かれた文字を一言一句見落とさぬように舐め尽くした。


 次の瞬間、ガルシュラは膝から崩れ落ちていた。

 感極まった結果、大粒の涙がガルシュラの両目から滂沱の如く流れ落ちるが、当の本人はそれを止めようともせず、野太い声で嗚咽を漏らしている。


「おおう!! 本当に、本当に生きておいでなのか!?」

「ええ、直接会った私が保証するわ。それどころか、王宮のすぐ近くまで来ているはずよ。二十年前と、それから現在の真相を明らかにするために」

「……それでクーデターというわけか……」

「ええ、これなら協力する気になったんじゃないかしら?」


 あらためて問われ、思わずごくりと息を呑んでしまう。

 人に堕落を囁いたとされる、魔性の蛇を彷彿とさせるリンカの誘惑。今この瞬間、非常に重大な、そして一歩でも踏み出せば決して戻ることはできない、そんな境界線上に立たされていることを実感する。


 だが、逡巡している時間は無い。クーデターの情報を明かした以上、ガルシュラの返事がどちらになろうとも、事態はすでに転がり始めていると判断すべきだ。

 永遠にも感じられる数十秒の後、ガルシュラの選択はリンカに向けていた斧を下ろすことだった。


「了承してもらえた、という理解でいいのかしら?」

「全面的な協力はせん。だが、あの方がハリヤ殿下にお会いしたいというのならば、その一点だけは俺の命に代えても確約してみせる」

「十分よ。それじゃあ早速、クーデター開始といきましょうか」


 わざとガルシュラの神経を逆撫でするような言い回しを挟みつつ、リンカは長椅子から立ち上がると、執務室を照らしていた照明具を取り外した。油を燃やしていたランタンの炎に一つまみの粉を振りかければ、その色が一気に鮮やかな紅へと変貌する。


 リンカはランタンを提げて窓から身を乗り出すと、複雑な動きでランタンを動かし、陽が落ちて暗くなってきていた夜闇の中に図形を浮かび上がらせた。

 おそらくは灯りの色と動きで、王宮の外に待機しているというレジスタンスに合図を送ったのだろう。


「さて、これで良しっと。それじゃあガルシュラさん、さっきの約束を忘れないように頼むわね」


 それだけ言うと用は済んだとばかりに執務室を出て行こうとするリンカの背に、ガルシュラは鋭い声を投げかけた。


「待てっ、もしも先程の報告書が真実であれば、あの方とハリヤ殿下がお会いした時、とても穏便に済むとは思えん。最悪、あの方の命が脅かされる可能性があるのではないか!?」

「その点については一切心配無用よ」


 血相を変えたガルシュラに、リンカは軽い調子で否を突きつけた。人差し指を唇に当て、愉しそうに目を細めてみせる。


「そこから先は、うちの野生児が引き受けるもの」


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 王宮の中を密かに進む集団があった。

 人数は二十人になるかならないかといったところ。街中ですれ違えば結構な大所帯に見えるのだろうが、これが王宮に攻め入ったレジスタンスの全容だと教えられれば、あまりの寡兵っぷりに涙がちょちょぎれる。


 そんな少人数でありながら、こうして王宮の奥まった区画まで到達できたのは、ひとえにリンカがもたらした情報に拠るところが大きい。

 アマーワーシャの全面協力によって丸裸にされた王宮の見取り図の中には、どこから情報漏洩したのか、王族しか知らないはずの抜け道に加え、衛士達の巡回経路や頻度までもが含まれていたのである。


 正面から挑んでも叩き潰されるしか道がなかったレジスタンスは、その抜け道を使うことで衛士達との遭遇をまとめてスキップし、いよいよ目的地まであと一息といった場所まで足を踏み入れようとしていた。


「ここまでは順調ですね!」

「気を抜くな。士気を高めるのは良いが、調子に乗ると足元をすくわれるぞ」


 先頭を進んでいたレジスタンスの兵士が、高揚した調子で声を張る。街中に潜伏していたレジスタンス全員に、急遽招集命令が届いたのが半日前。そこからあれよあれよという間に話は進み、気付けば抜け道を使った突入作戦に組み込まれていた。

 そのこと自体に文句は無いのだが、覚悟を決める時間さえ与えられなかった彼は半ば混乱した状態でこの作戦に臨んでおり、興奮のあまり少しばかり舞い上がってしまっている。

 そして、冷静さを失った者から倒れていくのは、いつの時代、どこの国においても共通の宿命らしかった。


 とすっ。

 場所は大広間。だだっぴろい空間の中央辺りまでレジスタンスの一団が歩を進めたタイミングで、乾いた音と共に放たれた一条の矢が、紅潮した顔で先頭を進んでいた兵士の胸板に突き刺さったのである。


「え……?」


 何が起きたのか理解できないといった声を漏らし、兵士は突き立った矢を見つめる。まるで出来の悪い芝居のような一幕だったが、一拍遅れて噴き出した大量の命の水が、この光景は夢でも冗談でもないと言外に告げるや、兵士の瞳から灯りが永遠に失われた。


 突然の事態にざわつくレジスタンスの前に、死が人の形を伴って現れる。小型の弓を打ち捨てながら通路の闇から歩み出てきたのは、カルマの誇る霊紋持ちの一人、近衛長のラクーシャであった。


「尊き方々の住まう地に土足で踏み入る不作法者達。おまえ達にかける慈悲は、この世の果てまで探しても一片たりとてありはしないわ。無謀な夢に胸躍らせたことを悔いながら、無様にあの世へ向かいなさい」


 底冷えのする声で告げるラクーシャの四肢が淡く輝く。

 陽が落ち、灯りが落ちたこの大広間では、仄かな霊紋の輝きですら、人目を惹きつけるには十分な明るさだ。


 その輝きが、レジスタンスにとって人生の最期に見た輝きとなった。

 腰に佩いていた長剣をすらりと抜き払ったラクーシャが床を蹴る。霊紋持ちの身体能力は常人に過ぎないレジスタンス達の動体視力をたやすく振り切り、かき分けた空気が長剣を振りかぶったラクーシャの背後で渦を巻いた。


 レジスタンス達の主観としては、ラクーシャの姿が消えたと思ったら、いつの間にか目の前に出現していたといったところだろう。驚愕に目を見開いたレジスタンスの男が恐怖に呑まれるより早く、躊躇の感じられない軌道で振り抜かれた剣身が、男の頭と胴の間に差し込まれ、わずかな抵抗と共に抜けてく。

 軽々と宙を舞った頭部が、愛着のあったであろう首の上から強制的に床の上へと退去させられると、それを合図としていたかのように、レジスタンスの面々に恐慌が襲いかかった。


 戦闘訓練はこなしていたのだろうが、大っぴらに活動できない以上、実戦経験が致命的に不足していたことは想像に難くない。

 それを見越して初手で殊更残虐な死に様を見せつけることで、ラクーシャはレジスタンス達から、冷静な思考を奪ってのけたのである。


 そこから先は文字通りの独壇場であった。

 陣形を組み、優秀な指揮官の下で適切に運用されるならばともかく、戦闘訓練こそ受けていても実戦経験の無い兵士など、霊紋持ちにかかればいくら集まったところで烏合の衆と大差は無い。


 ラクーシャが剣を振るう度に一人、また一人とレジスタンスは倒れてゆき、最後には悲痛な表情で唇を噛み締めた青年が唯一人だけ残されていた。

 この青年だけが生き残ったのは偶然ではない。レジスタンスの陣形や動きから、まだ若輩にも見える青年こそが一隊を率いる立場にあると見抜き、わざと生かしておいたのだ。

 拷問の一つでもして、不穏分子達の情報を洗いざらい吐かせようという、ラクーシャの目論見だった


 と、その時である。

 嗜虐的な笑みを浮かべていたラクーシャの耳が、大広間に近づく新たな足音を捉えた。

 レジスタンスの増援にしては遅すぎる到着だ。不審に思ったラクーシャがそちらを振り向けば、大小二本の斧を構えた人影が暗がりから進み出てきた。


「ガルシュラ衛士長。こんな所に何の御用でしょうか?」


 そりが合わない相手の登場に、自然、ラクーシャの詰問にも険が混ざる。


「クーデターが起きたと聞いて、役目を果たしに来たまでだ」

「それはご愁傷さま。あなたの仕事はすべて私がこなしておいてあげたわ。そもそも役目というならば、衛士達はあなたの管轄でしょう。このような王宮の奥まで、易々と侵入を許して――」


 調子よく責め立てる言葉を並べていたラクーシャは、そこまで口にしてようやく気が付いた。

 今回はラクーシャが近場に詰めていたから察知できたが、本来ならばこんな奥まで到達するずっと前に、レジスタンス達の侵入は露見していて然るべきなのだ。

 王宮の出入り口である大門や壁の内側を警備しているはずの衛士達と戦闘になっていないということは、どこか抜け道のようなものを使ったに違いない。


 だが、今、ガルシュラは「クーデターが起きたと聞いた」と言った。この侵入者達が衛士達に気付かれずに王宮に忍び込んだのであれば、一体ガルシュラは誰からその報告を受けたのか。そもそも、盗賊の類ではなくクーデターであると、どうして言い切ることができたのか。


「まさか、あなたが手引きを――!?」


 思考が火花となって脳裏を巡る。刹那の差で間に合った防御の向こう側で、いつになく硬い表情のガルシュラが斧を握る手に力を込めた。

 ぎぃぃんっ、と耳障りな金属音が木霊し、横薙ぎに振り抜かれた斧をかろうじて受け止めていた長剣が折れ曲がる。殺しきれなかった衝撃の分だけ、ラクーシャは大広間の壁に打ち付けられ、肺から呼気が押し出された。


「ちっ、相変わらず勘のいい女だ。気付かなけりゃ、穏便に気絶で済ませてやれたってのに」

「裏切ったのね、ガルシュラ!」

「さて、最初に裏切ったのはどっちなのやら。そいつを知りたくて、俺はこうしているんだがね」


 半ば自嘲気味に呟くと、仲間の血の海の中に唯一人残された青年を横目で窺う。

 ガルシュラにとってどこか見覚えのある顔の造作は、二十年という月日が流れていても、その血筋を確信させるには十分だった。


「お早くお進みを。ここは俺が引き受けます」

「……感謝する」


 それだけの邂逅で通じ合うものがあったのか、それは定かではない。あるいはガルシュラからは感じるものがあったとしても、その逆となると可能性は極小のはずだ。なにしろ、ガルシュラがあの青年の姿を最後に見たのは、青年どころか這い這いすら覚束ない赤子の時分だったはずなのだから。


 ともあれ青年は短く礼を告げると、周囲の死体を踏み越えるようにして奥へと駆けていく。下手な感傷に囚われることなく突き進む姿は、人を率いる立場に相応しい風格を備えていた。


「待ちなさいっ、ここから先へ行かせるわけにはっ!!」

「邪魔はさせんよ」


 青年の背に向けて投げつけられた長剣の残骸を、片手に持った斧で打ち払う。

 ラクーシャが忌々しそうにガルシュラを睨み付ける間にも、青年は大広間を抜けてその先へと姿を消した。


「何てことを……気でも狂ったの、ガルシュラ衛士長!?」

「俺は正気のつもりだがね。まあ、狂人が自分のことを、狂人と自覚できていないだけって可能性は残っているが。いや、それは俺だけに限った話じゃないか」

「何をぶつくさ言っているのかしら。あなたのやったことは明確な叛逆よ。理解しているのでしょうね!」


 激昂するラクーシャに対して、ガルシュラはひどく醒めた表情で問い返した。


「叛逆、ね。そいつは何に対する叛逆だい?」

「無論、王族の方々への叛逆に決まっているわ」

「なら俺には関係ないな。俺が忠誠を誓っているのは王様達にじゃない。このカルマという国に対してだ。俺の行為がカルマの国のためになるなら、そいつは俺にとって叛逆とは呼ばない」


 そう言い切ると懐から紙束を取り出し、対峙している近衛長の前に滑らせる。言うまでもなく、先程リンカから渡されたばかりの報告書である。

 ラクーシャは今すぐにでも青年の後を追いたそうだったが、報告書を読めという無言の圧力を受け、渋々ながら紙束を手に取った。流し読みに近い速度で目を通すと、ゴミか何かのように投げ捨てる。


「くだらない妄想ね。まさか、こんな与太話を真に受けたわけではないでしょうね?」

「与太話か。なら、さっきおまえが殺しかけていた相手が何者か、知っているのか?」

「なんですって?」


 気付いていなかったらしい。いや、それも当然か。二十年前など、ラクーシャがまだ物心がつくかどうかといった幼子だった時分である。それはつまり、あの政変以前を知らないということだ。


「あの方はシャヒザダラ・カルマ。二十年前の政変の際、死亡した……いや、死亡したものとして処理された、先王の一粒種だ」

「…………ありえないわ。先王の血族は、当時の王弟、現王以外は全員死亡したはずよ」

「そのありえない事が目の前で起きているんだ。俺はシャヒル殿下をあやしてさしあげたことだってあるから、見間違えるはずはない。少なくとも一つはありえない事が起きた。あともう二つ三つ妄想か与太話が起きたって、俺にとっては現実と何ら変わらんさ」


 肩をすくめてつまらなそうに吐き捨てる。とんだ茶番を演じさせられていた気分だった。


「まあ、古い話は置いておくとしてもだ。もう一つの方はさすがに見過ごせなかろうよ」


 もう一つ。あの報告書の後半に記載されていた、黒幕の現状。それはすなわち、今現在の王についての報告を意味している。

 そんな王の現状は、ある意味この国の誰もが知っている公然の事実であった。三年ほど前に病を発症し、それからずっと人前に姿を見せていないのだから、当然といえよう。

 だが、報告書で触れられていたのは容体ではなく、その原因であった。


「ハリヤ殿下が毒を盛って、父王を昏睡状態に陥れた、か。もし報告書が本当なら、この親にしてこの子ありってところだな」


 自分が命を懸けて守ってきたカルマ王国の王族が、そんな所業に手を染めていたのだとしたら……それを想像しただけで、ガルシュラはどこかやるせない気持ちになってしまう。

 だが、カルマ国を守護する双璧の片割れである近衛長は、ガルシュラの独白に付き合うつもりなど毛頭ないらしく、大広間の壁に飾られていた盾を二つ掴むと立ち上がった。


「大人しく聞いていれば不敬が過ぎるわね。ガルシュラ、あなたは最早殿下にとって害悪でしかない。今ここで斬り捨ててあげるわ」

「はあ……もしかしてとは思っていたが、やっぱりおまえはそっち側だったか」


 あの報告書を見ても髪の毛一筋程の動揺すら見せていないこと。王族に毒を盛ろうと企む者からすれば、必ず障害となるはずの近衛長という立場。ガルシュラがこの女を敵とみなす根拠としてはそんなところか。


 そして無意識だろうが、ラクーシャは「殿下にとって害悪」とも言っていた。カルマ国でも、カルマ王でもなく、王子の名を挙げたのである。

 その一言で、ラクーシャの忠誠が捧げられた先が、これ以上ないほどにはっきりした。これは推測の域を出ないが、王の服毒にも少なからず関与していたとみて間違いあるまい。


 ならばここから先に、もはや問答は不要。

 押し黙ったガルシュラの隙を伺うように、ラクーシャも徐々に体勢を落とし、代わりに霊紋の輝きが強さを増す。

 鍛錬の場であれば、過去に何度も手合わせした間柄だ。互いの手の内など探るまでもない。

 それを踏まえての判断か、ガルシュラは一合で勝負を決するつもりで霊紋を全開で稼働させ、対するラクーシャも応じるつもりか、ただ仄明るい光を放つのみ。


 どれだけそうして睨み合っていただろうか。突如、王宮の最奥、ハリヤ王子の寝室の方から、嵐のような精霊の気配が押し寄せた。

 普段ならば呆気に取られるか、何事かと大急ぎで駆けつけたことだろう。

 だが、今この瞬間に限っては、極限まで圧縮された敵意同士の絶妙な均衡を崩壊させる、傍迷惑な号砲に他ならなかった。


 意識するよりも早く、ガルシュラが吶喊する。

 間合いの直前で更に一歩踏み込むと、左手の小斧を掬い上げるような軌道で放つ。人体の構造上、死角からの攻撃にはどうしても対処が遅れがちになるものだが、ラクーシャは片手にかざした盾を器用に軌道上に滑り込ませると、絶妙の角度をつけて受け流した。


 その時にはすでに、ガルシュラは次の一撃を放っている。

 初撃が下からならば次撃は上からと言わんばかりに、右腕の可動域全てを使って振り抜いた大斧は、凄まじい加速度を伴ってラクーシャの脳天に迫った。

 が、それすらも防がれる。最初から二撃目の大斧が本命だと読んでいたのだろう。完璧なタイミングでラクーシャがかざした盾は、ガルシュラ渾身の一撃すら捌ききるに足るものだったのである


 一方、全力で振りきったガルシュラは態勢を崩したように重心を乱し、返しで放たれるラクーシャの反撃を防ぐ術は無いかに思われた。


 ゴシャッ、という鈍い打撃音が大広間に響き渡る。

 音の正体は、ラクーシャの側頭部に叩き込まれたガルシュラの上段蹴りであった。

 何が起きたのか理解できぬまま、床と水平に吹き飛んだラクーシャは人間砲弾と化して大広間の壁に半ばめり込み、白目を剥いて昏倒する。


 今の攻防、たとえ遠目から霊紋持ちが見ていたとしても、理解できたのはごく一握りだったことだろう。

 二撃目が防がれた瞬間、いやそれよりも更に半呼吸早く、ガルシュラは既に防御されていた初撃に用いていた小斧を放棄したのだ。

 武器を手放すことで自由を得た五指は、盾という目隠しの裏側で素早く盾の縁を掴むと、ガルシュラが蹴りを放つと同時に下に引き落とし、頭部を守っていた防御網に穴をこじ開けたのである。


 かくしてガルシュラの放った本命の足刀は、狙い過たずラクーシャの頭部に突き刺さり、見事に一撃で勝負を決するに至ったというわけだった。

 国一番の斧使いと名を馳せていながら、あえて斧を囮に使う勝負勘。同格の霊紋持ち同士とはいえ、経験の差が如実に出たというところか。


「さて、後は王子同士の話し合い……とはいかないだろうな」


 初対面の相手に必ず凶悪犯と間違えられる形相に隠し切れない不安を貼り付け、ガルシュラは王子の寝室へ通じる通路の闇を見据えて、そう呟くのだった。

面白いと思って頂けたら、評価・ブクマをポチってもらえると励みになります。


また、勝手にランキングにも参加しています。

お邪魔でなければ投票してやってください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ