仕組まれた動乱1
「おう、あれじゃ、あれじゃ。あの建物の中に、お嬢さんの尋ね人が待っておるぞ」
皺だらけの顔をくしゃくしゃに変形させ、貧民街にほど近い区画にひっそりと佇む一軒の家屋を示してみせたのは、カルマの街の裏社会を一手に仕切る大物中の大物、ギィその人だった。
好々爺然とした見た目に反し、かくしゃくとした立ち居振る舞いでここまで案内をしてくれたのも彼だ。ちなみにトレードマークの水タバコだが、今は吸っていない。まあ、元来が持ち運ぶことを想定した器具ではないので、当然といえば当然ではある。
その意味では、カルマ随一の非合法組織であるアマーワーシャの頂点に立つ人物が、わざわざ自ら案内してくれたという事実こそが、もっとも想定外といえるだろう。
「ひとまずお礼を言っておくわ。でも、至れり尽くせり過ぎて少し不安になるわね」
軽く頭を下げ、感謝と疑念を同時に伝えたのは、言わずもがな、リンカである。
ありがとうの一言すら素直に伝えられないその態度に、ギィはむしろ笑みを深める。
どこまで相手の懐に踏み込んだように見えたとしても、最後の最後に越えようのない一線を引いていることがありありと伝わってきたからだ。
その警戒心の強さには、注意深さによってこれまで数多くの修羅場を潜り抜けてきたギィからすれば、共感を覚えずにはいられない。
それゆえか、ギィは最後に餞別を贈りたくなってしまった。
「お嬢さん、賭けに負けない秘策を知っておるかの?」
「藪から棒に何を言い出すのかしら」
「なに、ちょっとした老人の世間話じゃよ」
訝しげに眉根を寄せるリンカに向けて、ギィは器用に片目を瞑ってみせる。
その仕草に何かを感じ取ったのか、リンカは一瞬だけ人差し指を己の顎に当てると、きっぱりと言い切った。
「賭けをしないことでしょうね」
「では、賭けに必ず勝つ方法はなんじゃと思う?」
さすがにこちらは少しだけ間があった。が、それもせいぜい十秒に満たない程度。確信を込めた声音でリンカは嘯く。
「勝ちが決まってから賭けること、というのはどうかしら?」
「ふぉっふぉっふぉ、さすがに明察よのう。その通り、その二つこそ儂の人生の秘訣といっても過言ではない」
本人の申告通り、世間話でもするかのような口調でギィは己の哲学を語る。その思想は一言で表すならば、徹底的に勝ち馬に乗るということに尽きた。
取捨選択を決して間違えず、あるいはギィ自身の権力とコネクションをフル活用して天秤を意図的に傾けさせることで、結果的に正しい選択を掴み取る。
どうしても見極められないのならば、そもそも勝負を成立させないことに全力を注ぐ。
それを繰り返してきた結果こそが、アマーワーシャなる巨大組織の長という現在の立場まで、ギィを押し上げてきた。
「まあ何が言いたいかというとじゃ、今回儂は、お嬢さんの計画に乗ることに決めた。つまり、お嬢さんとその相棒とやらに賭けたと受け取ってもらって構わん。無論、それが勝ちにつながると踏んだからこそ、じゃがな。それだけの勝算がお嬢さんの策にはある。自信を持って行ってくるとええ」
「言われなくても当然でしょ。でも、ここまで形にできたのは、間違いなくギィさん達の協力があればこそよ。そこには素直に感謝しているわ。今回も賭けには勝たせてあげるから、吉報を待っていて頂戴」
振り返ることなく言い置くと、リンカは一人、目的の家屋に向かって足を踏み出した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「侵入者……、いや訪問者だって?」
警備担当の同志からの報告を受け、シャヒルは寝泊まりしているヤサが誰かに発見されたという危機感よりも、言葉では表しようのない違和感を先に覚えていた。それは報告してきた同志自身もどこか困惑した様子だったことに起因しているのかもしれない。
続けて、どこか躊躇うような素振りを伴いながらの詳細な報告に、自身の勘が間違っていなかったことを確信する。
なんとその訪問者は、カイエンの名前を出し、シャヒルに会いに来たと堂々と告げたという。
「なるほど、カイエンの相棒を名乗っていると。確かに、ここに直接訪ねてくるのは、少しばかり予想外だった」
カイエンが接触を図ってくるとすれば、彼を介抱する際に使用した、井戸の底から通じているレジスタンスの拠点だと見込んでいたのである。鮮やかに一枚上手を行かれた格好だ。
常に大勢の人員が出入りしていては目立つため、幹部陣の会合等の機会を除き、レジスタンスの人員はカルマの街のあちこちに分散して潜伏している。
数多くの潜伏先候補の中からシャヒルの居場所を特定する調査能力と、その上で堂々と正面から面会を求めてくる胆力。胆力だけならばカイエンのそれに相通じるものがあるが、調査能力となるとカイエンという人物から連想させられるイメージとはまるで異なる。
もしもわずかでも違和感を覚えたのであれば、カイエンの相棒という自己申告すら疑ってかからなければならないのが、シャヒルにとっての立場ゆえの悩みであった。レジスタンスを率いる者には、常に相応の警戒心が求められるのである。
「地下拠点で待機してもらっている連絡係の同志からは、何の報告も来ていないんだね?」
「はい、カイエンもしくはその縁者を名乗る者が現れた場合、真偽の如何に関わらず、全て報告するように通達しています。ですが現状、何の連絡も入って来てはいません。それとシャヒル様、こちらを」
そう言って取り出したのは、数枚の紙をくくり紐で束ねた報告書であった。
「侵入者から押し付けられた物ですので、お渡しするべきか迷ったのですが……少しでも判断材料の足しになれば」
「ありがとう。確認させてもらうとするよ」
礼を言うと慣れた手つきで報告書をめくる。ページが進むたびにシャヒルの顔色が徐々に深刻の度を増してゆき、最後まで読み切った頃には、資料を受け取る前とは完全に別人と断言できるほどに、険しい表情を浮かべていた。
「シャヒル様、大丈夫ですか? 体調が優れないようでしたら休まれた方が――」
「いや、構わない。それよりも、カイエンの相棒はまだ待たせているのか?」
気遣う同志を片手で遮り、シャヒルは硬く強張った声で尋ねた。普段とどこか異なるシャヒルの様子に、同志は一瞬だけ面食らったように言葉に詰まるが、すぐに頷いて肯定の意を示す。
「はい、すぐに会う気になるはずだから待たせてもらいたいというので、監視付きで留め置いています」
「やれやれ、僕の反応はお見通しというわけか。いいだろう、今すぐに会おうじゃないか」
「よ、よろしいのですか! そんな即決されてしまって?」
「構わない。むしろ、今は是が非でも即決すべき場面だ。問答している時間も惜しい、即刻ここに通してくれ」
強い決意の色を瞳に秘め、シャヒルは凛とした口調で言い切った。言葉の端々に滲み出す意志の固さに圧倒され、同志は暫しの間言葉を失ってしまう。
と、その時だ。同志が我に返るよりも早く、部屋の片隅で黒い塊がぬるりと屹立した。高さにして二メテルほど。大の大人をすっぽり包み込める大きさである。
突然の怪現象に、その場にいた誰もが言葉を失い警戒心を剥き出しにする中、黒い塊は立ち上がった時とまったく同じ唐突さで、水面に潜るようにずぶずぶと床に染み込んでいくと、跡形もなく消滅する。
不意打ちにも限度がある展開に、一体何事かと叫び出しそうになるが、シャヒルはその欲求を、持てる限りの自制心を動員して抑え込んだ。
その理由はただ一つ。黒い塊が消えた跡に、一人の女性が残されていたからだ。
「初めまして、シャヒルさん。やっと呼んでくれるみたいだから、張り切って来ちゃった」
一切悪びれるそぶりも見せず、それどころか逆に悪戯っぽく告げたのは、カイエンの相棒を名乗る訪問者――リンカである。
初手からシャヒル達の度肝を抜く演出をしてみせたのは、正常な判断力を麻痺させて交渉を有利に進める布石とみて間違いないだろう。そうと分かっていても、どこか気後れのような気分を感じていることが、彼女の策略が見事にはまっていることを如実に表していた。
「ど、どうやって入ってきた!? お前は外で、俺の仲間達が監視していたはずだ!?」
「残念だったわね。そういった人の目を誤魔化すのが、私の一番の得意技なの」
「……あまり同志をからかうのは止めて頂きたいものだ。ところで、お名前をうかがっても構いませんか? カイエンの相棒さんと呼ぶと、いかにも語呂が悪いでしょう」
やんわりと双方の間に割って入るシャヒル。本当は驚きのあまり、心臓が口から飛び出しそうになっていたのだが、悟られぬように無理やり声を押し殺した結果、普段よりも倍増しの威厳を装うことに成功していた。災い転じて福とは、よく言ったものである。
「あら、ごめんなさい。私ったら演出に凝り過ぎちゃったみたい。私はリンカ、カイエン君の相棒というか旅の道連れというか、まあそういう関係ね」
ぺろりと舌を出して謝罪すると、気圧されていた同志が止める暇もなく、空いていた椅子に腰を下ろしてシャヒルへと向き直る。一瞬だけ値踏みするような視線でシャヒルを頭から足まで眺めるが、すぐに笑みを浮かべると、舌の動きも滑らかにこう切り出した。
「おめでとう、シャヒルさん。あなた達レジスタンスにとって、悲願成就の好機がやってきたわ」
はっきり言って胡散臭い、臭過ぎる。
半眼で見据えるシャヒルからそんな無言の声を聞き取ったのか、リンカはかえって微笑みを深めてみせる。
あからさまな態度を見せつけられたシャヒルは、どうやら先程の胡散臭い言い回しも、リンカの仕組んだ演出の一つだったらしいと悟った。いや、悟ったと思うこと自体、すでにリンカの掌の上という可能性もある。
果たして何が虚で何が実なのか。
そんな問い掛けに囚われかけるが、シャヒルは頭を振ると余計な思考を追い出すことに成功する。
今この場で考えるべきはそこではない。なにしろ、リンカがどんな意図で訪ねてきたかすら、いまだ上がらぬ帳の奥に隠されているのだから。
「用向きをうかがいましょうか」
迂闊に相手の盤面に乗るのは愚策。そしてリンカと腹の探り合いをするのは、まさしくリンカの盤面に乗るに等しい。
その危険性に本能的に気付いたシャヒルは、疑問を問い質したいというシンプルにして抗いがたい誘惑を放つ欲求からかろうじて目を背けると、胸中とは正反対に、真正面から堂々とリンカの双眸を覗き込んだ。心中の動揺を強引に抑え込んだがゆえの、一切熱を持たない乾ききった口調で事務的に告げる。
リンカは相も変らぬ微笑を浮かべたままだが、それ以上シャヒルを惑わすような仕草を挟むことはなく、すっと顔を寄せるとシャヒルの耳元で二言三言囁いた。
「………………本気ですか?」
しばしの沈黙の後、シャヒルが絞り出したのは曰く言い難い問いかけだった。
驚きでも不審でも、ましてや歓喜でもない。しかしそれら全てが混然一体となった斑色。強いて言うならばそんなところだろう。
一方のリンカは、この部屋に足を踏み入れてから初めてとなる、予想外の話を聞かされた時特有のきょとんとした表情を浮かべると、シャヒルを見つめ返して穏やかに反問を発した。
「もちろんよ。報告書は読んでくれたのよね?」
リンカの言葉が杭のように突き立つ。
確かにあの報告書には、これまで知らなかった全てが細大漏らさず記載されていた。
二十年前、カルマを襲った政変の一部始終。当時、敵対していた近隣の国と内通していたとされ、無慈悲に処断された悲劇の王。
善政を敷き、賢王と呼ばれて多くの者達から慕われていたため、その政変はまさしく青天の霹靂であった。
結局、政変はたった半日で終結する。それだけ周到に準備を積み重ねていたということであり、政変を仕組んだ者の能力を示すには十分な成果といってよかった。
そう、つい先程読んだ――読まされた報告書によれば、あの政変には全てを仕組み、罠にかけて王を葬った黒幕が存在する。
報告書にはその名前も載っていたが、それ以上にその先も記載されていた。すなわち、黒幕の置かれている現状である。
あれを読まされたからには、黙って見て見ぬふりをすることなど、今のシャヒルには到底不可能だった。リンカはそれすら重々承知しているらしく、報告書の末尾にとある計画を記した紙を付け加えた上で、シャヒルに渡してきたのである。
「一つだけ教えて頂きたい。あの計画の真意はどこにあるのでしょうか?」
「それは秘密……と言いたいところだけど、特別に少しだけ教えてあげるわ。カイエン君がやられっ放しは嫌だって言うから、雪辱戦のお手伝いが私の目的よ。でも、あなた方にも利益のある計画なのは間違いないでしょう?」
「……ええ、その点については認めざるをえません。そしてこの機を逃せば、二度とチャンスが回ってくることはない」
シャヒルの返答に、リンカはにんまりと唇を歪めると、満足そうに首肯してみせる。
「では交渉成立ね。決行は今夜、時間が無いから準備は迅速に頼むわよ」
「準備ならばこれまでずっと続けてきました。今すぐにだって行動に移せますよ」
「それは頼もしいわね。後顧の憂いが無くなったのなら、私は最後の詰めをかけてこようかしら」
「詰め?」
リンカの言わんとしていることが飲み込めず、シャヒルは首をかしげていた。
リンカは少し考え込んで言葉を選ぶと、答えの分かりきっている質問を投げかけた。
「シャヒルさんは将棋という遊戯をご存知かしら?」
「いえ、寡聞にして聞いたことがありませんね」
「簡単に言えば戦駒の親戚みたいなものかしら。でも一つだけ他の遊戯には無い特徴があって、討ち取った兵を自分の兵として配置できるのよ」
「ほう、それは興味深いルールですね」
「それと同じことをしに行くといったところかしらね。大駒を制するには、どうしたって大駒が必要になるでしょうから」
そんな事を言いながら、リンカはごそごそと荷物を漁ると、中から折り目一つ付いていない綺麗な紙を取り出し始める。
紙と大駒を制するのと、どう関係するのかさっぱり分からないが、シャヒルはとりあえず相槌を打ちながら応じてみた。
「仰ることはよく分かりませんが、大駒の動きを制限するのは戦駒の常道ですからね。僕でお手伝いできることがあれば良かったのですが……」
シャヒルが手伝えることなどあるはずがない。そう思っての発言は、しかし言質を与えることになってしまった。
リンカはパチンと指を鳴らし、蛙を前にした蛇のように唇をぺろりと舐める。
「シャヒルさんならそう言ってくれると信じていたわ。というわけで、私の指定する相手に向けて、ちょっと手紙を書いてもらえるかしら。多分、それでこの計画の成否が決まるから」
「……随分と大役を任せて頂けるようで」
「ええ、だってこの国の守護者を動かすには、どうしたってあなたの名前を出すのが一番ですもの。そうでしょう、シャヒザダラ・カルマさん?」
隠してきたはずの名前もあっさりと言い当てられ、シャヒルは苦笑とも諦観ともつかない表情で、「口は災いの元」と心に刻むのだった。
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