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降魔都市に巣食う者3

 街の中心部に位置し、壮麗かつ絢爛を誇る巨大な建造物。

 カルマの庶民が見上げる王宮とは、概ねそのように説明できる。実際、文官や武官、御用商人のような例外を除けば、生涯を通じて一度たりとも王宮へ足を踏み入れたことがない者が、民衆の大多数を占めるだろう。


 では逆に、毎日のように出入りしている者はいるのか?

 先述した役人や商人はどうだろうか。確かに彼等は王宮へ登城する。しかしそれは役目や仕事の一環であり、休日も含めて考えれば決して毎日入り浸っているわけではない。


 ならば毎日王宮に出入りしている者は皆無なのか?

 その答えは断じて否である。

 出入り、とは若干ニュアンスが異なるかもしれないが、毎日王宮内で目を覚まし、そして眠りにつく者達は、ひと握りながらも存在する。彼等にとって王宮は仕事の場であると同時に、日常生活を送る家でもあった。


 王宮を生活の場とする者達。言わずもがな、それは王族に他ならない。

 現在のカルマにおいて、王族を名乗ることを許されているのはたった二人。王と王子しか存在しない。それゆえにその部屋は、カルマにおいて間違いなく二番目に重要な部屋だと断言できた。


 その重要な部屋――王子の寝室の扉が音もなく開かれる。

 幅にして一人通り抜けるのがやっとといったところ。そんな僅かな隙間を潜り抜け、とある人物が王子の寝室へと滑り込むようにして侵入を果たしたのだ。

 その人物は壁沿いにバルコニーのすぐ手前まで移動すると、続けてバルコニー沿いに王子のベッドに向かって歩を進めていく。


 ふとその時、頬を撫でるように一陣の風が吹き抜け、薄くかかっていた雲に切れ間を刻み込んだ。

 切れ間から覗いた空からは一条の月光が差し込み、カルマの王宮に優しく降り注ぐ。

 月光はバルコニーから室内にも差し込むと、侵入者の姿を克明に浮かび上がらせた。


 そこに立っていたのは、向こう側が簡単に見透かせるほどに薄い布を巻きつけただけという、扇情的な格好で肉感的な体を強調したラクーシャであった。

 近衛長の地位にある彼女ではあったが、この時間、この場所において相応しい格好とは、とてもではないが言い難い。

 それも当然の話で、ラクーシャが今ここにいるのは、近衛という役割に拠るものではなく、一人の女性としての行動だからだ。


 ラクーシャは獲物に忍び寄る蛇のようにするするとベッドに近づくと、重ねられた寝具の間をかき分けるようにしてその身を潜り込ませた。

 寝具に染みついた匂いを鼻孔からほんの少しだけ吸い込めば、彼女の頬は仄かに紅潮し、目元も蕩けたように潤む。

 体をくねらせて寝具の中を進んでいたラクーシャは、やがて目的地に到達すると、甘い響きを伴った猫撫で声で呼び掛けた。


「殿下ぁ、ただいま参りましたぁ」


 ここが王子の寝室である以上、ベッドの中に身を横たえている人物がたった一人に限定されるのは道理。あられもない格好をしたラクーシャに呼ばれ、死んだように閉じられていた目蓋をゆっくりと開いたのは、カルマの王子にして第一王位継承者である、ハリヤダット・カルマその人であった。


「やれやれ、また忍び込みおったのか。まったく、堪え性のない奴だ」

「だって、殿下にお会いしたかったんですもの」


 夜這いされているというのに、顔色一つ変えずにハリヤ王子はラクーシャの頭を撫でる。緩やかなウェーブを辿る手付きは手慣れており、この逢瀬が初めてではないことを伺わせた。

 撫でられたラクーシャは、顎の下を掻いてもらった猫さながらにうっとりと目を細めると、肉感的な肢体を更に王子へ密着させようとした。


 ところが、ハリヤ王子はスッとかざした手の平でラクーシャを押し止めると、彼女に背を向けベッドから身を起こした。

 立ち上がって月光の下に身を置くことで、王子が下半身のみ衣を身に付けており、上半身に何も着込んでいないことが明らかになる。鋭く引き締まった肉体は力強く月光を反射して浮かび上がり、彫りの深いマスクとの相乗効果により、彫像のごとき美を演出していた。


 たまらないのはお預けをくらったラクーシャである。ようやく抱き着けると思ったところで肩透かしを食わされ、あからさまに落胆した様子だ。頬を膨らませて拗ねる姿は、多くの者が知る普段の彼女からは、想像もできないギャップがあった。


「うぅ、殿下は意地悪でございます」

「なに、求められるままに与えてばかりでは芸があるまい」


 恨みがましい視線がハリヤ王子の剥き出しの背に突き刺さるが、王子は気に留める風もなく嘯いてのけた。その真意はどこにあるのか。背を向けた状態では表情を窺うこともできない。


「ところで、ガルシュラの怪我の具合はどうだ?」


 バルコニーに面した全面ガラス張りの贅沢なドアを押し開き、ハリヤ王子は均整の取れた半裸を夜風に馴染ませると、バルコニーの手すりに身を持たれかけさせて眼下を見下ろしながら尋ねた。

 王子の寝室は王宮の中庭に面しており、無数の花々や豊富な地下水による噴水が目を楽しませる。王子にとっては見慣れた光景のはずだが、昼の陽光ではなく夜の月光の下では、どこか普段とは異なる趣を帯びているように感じられた。


「殿下は女心をご理解くださらないのですか。この場であのような野蛮人の話題を口にするなど、無粋の極みというものでございます」


 ベッドの中で上半身だけ起こしながら、ラクーシャは唇を尖らせた。

 別の女の名前を出されるよりはマシなのだろうが、逢瀬の最中に男の名前、それも好きか嫌いで分類したら間違いなく嫌いにカテゴリーされる相手の名前を出されては、ラクーシャとてヘソを曲げたくなる。


 珍しく真正面から不満の意を表明する臣下に苦笑を零し、ハリヤ王子は宥めるように答えた。


「許せ。王族として、常にこの国の事を考えるべき者として、臣下の負傷に心を痛めぬわけにはいかぬのだ。特にガルシュラは、長年に渡ってこの国に仕えてくれている大功ある身。奴の怪我の具合は、衛士達の士気にも著しく影響するのでな」


 言葉を尽くして語られれば、ラクーシャとていつまでも拗ねているわけにはいかない。悟られぬように小さく溜息を零すと、近衛長としての態度に切り替える。


「御心を汲み取ることがかなわず、まことに申し訳ございませんでした。直接に顔をあわせたわけではございませんが、治療を担当している医師の申すところでは、怪我はほぼ完治しているとのことです。霊紋持ちの回復能力を考慮すれば、妥当なところでございましょう」

「あいわかった。ところで、あの旅人からは何か報告はあったか?」

「旅人……?」


 ハリヤ王子の言わんとしていることが咄嗟に思い当たらず、ついつい首をひねりかけ、遅ればせながら気付く。

 一週間ほど前に市中を視察した際に出会った、無礼極まりないあの少年のことに違いない。


「殿下。殿下の仰る旅人とは、まさかとは存じますが、九鬼顕獄拳のカイエンとか名乗る、あの礼儀知らずのことではございましょうか」

「おお、確かそのように名乗っていたな。無論、あやつのことに決まっておろう」

「あのような礼儀知らずの吐く世迷言など、御心に留め置く必要はございません。カルマが誇る優秀な衛士達をもってしても足取りが追えぬ殺人犯を、あのようなどこの馬の骨とも分からぬ輩が捕らえることなど絶対にありえませぬ!」


 ついヒートアップして叩き付けるような口調となってしまう。我に返るやいなや、慌てて頭を下げ、「差し出がましい口をきいて申し訳ございません」と謝罪するラクーシャ。

 ハリヤ王子は鷹揚に頷いて、激昂してしまった臣下に許しを与えた。


「よい、お前があの旅人を嫌悪していることは承知しておる。だが、これは国家の安寧に関わる事柄だ。己の好き嫌いのみで語ることは控えよ」

「ありがたきお言葉。寛大な御心に感謝致します」

「うむ。で、カイエンから賊を捕らえたといった報告はまだ無いのだな?」


 改めてハリヤ王子が確認してくる。ラクーシャが肯定すると、王子は「そうか……」と小さく零した。その声音は落胆の中にも一抹の興奮が溶かし込まれており、王子がどのような意図でカイエンの名を出したのか、ラクーシャにも読み取ることができなかった。


「殿下は、あの者が事件を解決するとお考えなのでしょうか?」


 気付けば、ラクーシャは好奇心を抑えきれずに訊いてしまっていた。慌てて謝罪しようとするが、それよりも早く王子はここではない何処かへ向けた眼差しを浮かべる。


「さてな。だが、ガルシュラを正面から打ち破るほどの使い手だ。手掛かりの一つ程度なら掴んでくる、くらいには期待していたと言って良いかもしれぬ」

「もしそうならばありがたい話ですが……現状、あの者から連絡があったという報告は来ておりません。非才なる臣の身には、やはり口から出まかせを並べ立てたようにしか……」


 そこまで言いかけてラクーシャは言葉を濁した。先程注意されたばかりなのに、またしてもカイエンを否定するかのような言動をしたと受け取られるのを恐れたのである。

 しかし、ハリヤ王子は言い淀むラクーシャに取り合うことはなかった。


「期待していた、か。ああ、そうかもしれぬ。言葉に出せば不思議としっくりくる。余はあの者に期待していたのであろうな」

「殿下?」


 突如として独白を始めた主の姿に、ラクーシャは心臓を鷲掴みにされたような寒気を覚えてしまう。バルコニーで月光浴をしている人物が、彼女のよく知るハリヤダット・カルマ王子ではなく、その皮をかぶった全く異質の化け物のように感じられてならなかったからだ。


 思わず心配そうな声を上げると、バルコニーの手すりに身を預けていたハリヤ王子がふと視線を向けてくる。

 心の内すら覗き込まんとするような視線にラクーシャの胸は高鳴り、一瞬前の寒気も嘘のようにどこかへと消え去っていた。


「放ってしまってすまなかったな。少しばかり、相手をしてやろう」

「ああ、殿下ぁ」


 ゆっくりと歩み寄って来るハリヤ王子。その逞しい双腕に、ラクーシャは迷うことなく身を委ねる。

 もはや彼女の脳裏からは、直前にハリヤ王子が見せた豹変のことはすっかり抜け落ちている。いまはただ、この部屋にやって来た本来の理由を果たしたい。その想いに突き動かされ、ラクーシャはただ衝動に従っていったのだった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 しばらくの後、ベッドから身を起こす影があった。

 月はとうに山陰に沈んでいるため、いくら満点の星空とはいえど、その人影を詳細に照らし出すには至らない。


 と、立ち上がろうとする動きに抵抗する力を感じ取り、人影は己の右腕に視線を落とした。

 そこには一糸纏わぬ裸身をさらしたラクーシャが、縋りつくように腕を絡めている。

 当人はすっかり眠っているらしく、穏やかな寝息を規則正しく繰り返していた。

 人影は一瞬だけ逡巡するそぶりを見せたが、すぐにやや荒っぽく腕を振り払った。

 ラクーシャの腕がとさりと寝具の上に落ち、何かを求めてもがくような動きを見せる。


 しかし、振り払った側である人影はそんな光景には一瞥もくれることなく、ゆっくりとバルコニーへ続く扉を押し開けた。

 キィという微かな音を残し、外界へと通ずる扉が開かれる。人影は辺りの気配を探ると、王宮全体がすっかり寝静まっていることを確信し、堂々とした足取りで部屋の外へと踏み出した。


 と、その時である。人影の体が突如として発光する。

 夜の闇を押しのけるような強烈なものではなく、ぼんやりと浮かび上がらせるその光は、人影の全身に無数に蠢いている紋様の放つものに他ならない。

 霊紋。

 森羅万象に宿る精霊を、その身に宿した超人の証。霊紋を刻まれた超人を、人は畏怖を込めて霊紋持ちと呼ぶ


 人影は全身に霊紋の光をまとわりつかせると、おもむろにバルコニーからその身を躍らせた。

 バルコニーの高さから中庭まで転落すれば、運が良くて全身打撲、打ち所が悪ければあの世行きとなるのは間違いない。

 とはいえ、それは常人の話である。超人的な身体能力を獲得した霊紋持ちであれば、この程度の高さでは足をくじくことすらない。


 だが、いつまで経っても着地に伴う振動は発生しなかった。

 たとえ霊紋持ちといえども、高所から飛び降りれば相応の衝撃は発生する。霊紋持ちの場合はその衝撃に耐えられるだけであって、決して衝撃が発生しなくなるわけではないのだ。


 では一体何が起きたというのだろうか。

 もしもその光景を同じバルコニーから眺めている者がいれば、彼は人影が飛び降りた直後に慌てて下を覗き込み、次いで己の目が狂ったのかと疑っていたことだろう。


 そこには人影が飛び降りた痕跡など何一つなく、また霊紋の輝きを帯びた人影など、左右どちらを見渡しても見当たらなかったからである。

 その代わり、ベッドからバルコニーまでの間には、不快感を喚起してやまない強烈な硫黄の匂いが、噎せ返るほどに残されていたのだった。

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