降魔都市に巣食う者2
早速修行してくると言い置いて、意気揚々とカイエンとヘイが去った後、リンカはただ一人残った食事処の片隅で、これまでに集まった情報を整理し沈思黙考していた。
「やっぱり、相手の居所をどうにかして探り当てる必要があるわね……」
ようやくある程度の考えがまとまったのか、険しい表情で手元のコップに残っていたミルクをあおる。牛乳ではなく山羊乳だったため、鼻をつく家畜特有の匂いが気にならないといえば嘘になるが、脳がフル回転しているリンカの五感は、それらを余計な情報としてすぐさま忘却してのけた。
さしあたって問題なのは、戦場の設定方法だろう。
先日のカイエンのように、いつ姿を現すかわからない相手を待ち続けていては、気力体力ともに早晩限界が来るのは目に見えている。それに加えて向こうが好きに戦場を設定できる現状では、いざ追い詰めてもとどめを刺しきれず逃してしまう可能性がある。
強大な力を持つ異形を手負いで野放しにした日には、カルマの街にどれだけの被害が出るか分かったものではない。もしも異形を仕留められたとしても、被害の出し過ぎという理由で怪鳥の居所を教えてもらう約束を反故にされては、折角命を懸けた意味がなくなってしまう。少なくとも、計画立案の段階で被害を前提にした作戦を練っていてはまずいだろう。
となれば、最低でも異形が出現する場所を予測し、待ち構えるといった対策が必要になる。
贅沢を言うならば、異形がどこに潜伏しているかを突き止め、隠れ家を強襲できればベストなのだが――
「もしかして、前提が間違っている……?」
没頭していた思考が、ふと違和感の匂いを嗅ぎつける。
もしもあの異形がカルマの街に潜伏していたのだとすれば、三カ月以上もの間、衛士達の必死の捜索から隠れ続けていることになる。ちなみにリンカが入手している情報では、すでに二度ほど、街中の空き家という空き家をローラー作戦で探索済みとのことだ。
加えて、カイエンから聞いた話が正しければ、異形はかなりキツイ硫黄臭を漂わせていたらしい。どれだけ上手く姿を隠せたとしても、匂いまでは誤魔化せない。そんな特徴丸出しの異臭を放っていれば、衛士達から隠れ続けることなど到底不可能だろう。
「匂いを消せる……いえ、それだけじゃないわね。衛士隊に集められていた情報には、硫黄の匂いなんて証言はどこにも無かった。そこから考えられる理由は――」
あらためて思考を巡らせれば、見落としていた可能性が浮上して水面から顔を出す。
リンカは素早く荷物を漁ると、年季の入った書き付けの束を取り出した。
フィールドワーク中心の歴史研究者を自認するリンカにとって、研究成果そのものと言ってもいい代物である。
そのうちの一冊。各地の神話や伝承を集めた束を手に取ると、リンカは素早くページをめくり始めた。もしもこの推測が当たっているならば、衛士達を含め、あの異形を追う者達はそろっていっぱい食わされていたことになる。
「硫黄臭、蝙蝠に酷似した翼、捻じれた角……」
カイエンから聞かされた異形の特徴を、一つ一つ丹念に確認していく。やがてインクの上を滑っていた指先が、目的の記述を見つけて停止した。
それはここ西域よりも更に西方から伝来したとされる、とある存在についての伝承だった。
細められた双眸が一心不乱に文字を追う。記された伝承自体はごく短いものが数篇のみのため、最後まで読み通しても大して時間はかからない。しかしリンカは、何度も何度も、丹念に咀嚼するように羅列された文字を追い続けた。その様は文章を読むというより、その裏に隠された神秘を暴こうと挑みかかるようであり、事実ようやく目を通し終わった頃には、先程思いついたばかりの仮説に確信を抱くに至っていた。
ただし、そうはいっても今のままでは単なる思い付きに過ぎない。見落としや考え違いをしている可能性も十分にある。
カイエンならば思いついた時点で脇目も振らずに突っ走っていくところなのだろうが、幸いなことにこの場にあの野生児はいない。ならばじっくりと裏取りを行い、計画を煮詰めて固めてやることこそが、リンカに課せられた役割というものだろう。
そうと決まれば善は急げだ。
裏を取るならば、この街の事情について詳しい者の協力が必須となる。また、この仮説の正しさが裏付けられれば、次の一手に向けて更なる調査や工作活動が必要となることは明白だ。
カルマの街に根ざしていて、調査力と実行力を併せ持ち、加えてリンカの推測が正しければ、危ない橋でも堂々と渡りきるだけの度胸が必要となる。
そんな条件を兼ね備えた相手など、リンカにはたった一人しか思い当たらなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「というわけで、ちょっと遊びに来ちゃった」
「昨日の今日で、肝の太いお嬢さんじゃのう。もうちょっとばかし慎重な性格かと思っとったわい」
姿を見せたかと思いきや、開口一番フレンドリーに挨拶してのけたリンカに、さすがのギィも苦笑を浮かべると、煙を吐き出し続ける水タバコの吸い口から顔を離した。
場所は先日と同じ、カルマの下町ならばどこにでもありそうな空き地である。そこで美味そうに水タバコを嗜んでいたギィも、リンカが再び己を訪ねてくる可能性自体は想定していた。しかし、即座に忠告を蹴るという半ば喧嘩別れに近い形となった以上、ある程度の時間を置くなり相応のきっかけを用意して来ると踏んでいたのである。さほどの期間も空けず、ましてや友人のようなノリで訪問してくるとは、さすがのギィも夢にも想像できなかった。
手土産のつもりか、水タバコに用いる煙草の葉を糖蜜で固めた物が詰められた袋をギィの隣に置くと、リンカは勧められてもいない縁台にさっさと腰を下ろす。
「連続殺人犯の正体が分かった」
「!?」
座るやいなや、前置き無しに放たれた一言に思わず息を吸いこんでしまい、大量の煙を一挙に流し込まれた肺が過剰に反応する。
ゲホゲホとむせるギィが恨めしそうな視線を向けると、リンカは頬を緩めた。
「って言ったらどう思うか聞きたかったんだけど、その反応を見る限りは脈ありのようね」
「やれやれ、冗談じゃったのか。年寄りをからかうもんじゃない。もっと老体を労わらんかい」
「あら、冗談なんかじゃないわよ」
「……ほう……」
たった一言で、ギィのまとう空気が豹変した。
それまでの好々爺然とした緩い雰囲気から、カルマの裏社会の頂点に位置すると納得させる、極北の氷を思わせる気配に。不用意に触れれば、皮と肉が瞬時に凍り付き、削ぎ落とされることだろう。
だがしかし、その程度ではリンカは怯えも怯みもしなかった。
強がるでも無視するでもなく、ただ自然に受け入れ受け流す。
「正確には、正体が分かったというよりも、これまで犯人の動向が掴めなかったカラクリが分かったといったところかしら。まだ仮説の段階ではあるけど、これが手品のタネである確率はかなり高いと踏んでいるわ」
「随分と気を持たせてくれるわい。勿体ぶりたい気持ちは分からんでもないが、そういう駆け引きは、使い所を間違えんようにせんと痛い目を見るぞい」
さすがに年の功というべきか。すでに自分のペースを取り戻したらしく、がっつく素振りなど微塵も見せることなく、ギィは水タバコの煙をくゆらせた。
とはいえ、リンカの告げた仮説そのものには興味があるらしく、鋭い視線で先を促してくる。
対するリンカは、にんまりと性格の悪そうな笑みを浮かべると、人差し指を立てて微かに左右に振ってみせた。
「残念、ここまでが無料お試し分。ここから先を聞きたいのであれば、相応の代価が入用になるわ」
「……阿漕な商売もあったもんじゃのう。わざと気を惹くように煽っておいて、肝心な部分は隠しておくというわけかい。で、お代はいかほどなんじゃ?」
一手間違えれば相手の機嫌を損ねることが明白なこの状況において、焦らすような言い回しをした上でこの言い草。
狙ってやっているのかまでは読み取れないが、眼前の相手の繰り出すクソ度胸に、ギィはついつい呆れと感心を同時に抱いてしまう。
「金銭の類ならいらないわ。私が欲しいのは協力よ」
「協力じゃと?」
今一つ呑み込めない表情でおうむ返しに問うギィに、リンカは神妙な面持ちで頷きを返した。
「ええ、そう。さっきも言った通り、まだ仮説の段階なの。だから裏を取るために手を貸して欲しい。そしてもう一つ、私の仮説が正しければ、殺人犯を追い詰めるには色々と準備が必要になるわ。その手伝いもお願いしたいところね」
「要は、儂等アマーワーシャの組織力を便利使いしたい、ということじゃろが。これはまた、随分と軽く見られたものじゃのう。そんな条件で首を縦に振るほど、儂はまだ耄碌しておらんぞい」
目を細めたギィが、口中で弄んだ煙をふいっと吹きかける。
吹きかけられたリンカは、しかし一切目を逸らすことなく、真正面からギィを見つめ返した。
「便利使いしたいというのは否定できないわね。ただし、理由はそれだけじゃないけれど」
「言うてみい」
「簡単な話よ。たとえ殺人犯の正体が分かっても、あなた達の力では捕らえることはできないから。どう、シンプルでしょ?」
肩をすくめながら同意を求めるように小首をかしげてみせるリンカに対し、ギィは額の皺一つ動かすことなく、やれやれと言わんばかりの仕草で頭を振った。
「はあ、お嬢さんと話したのが儂で良かったわい。うちの若い衆が聞いたら、頭から湯気を噴き出して殴りかかっていたところじゃて」
「さすがに組織の長ともなると、この程度の挑発じゃ動じないってわけね。ええ、私も同意見よ。交渉相手にギィさんを選んだのは正解だったと、胸を撫で下ろしているわ」
どの口が言うかと突っ込みたいところだが、生憎とこの場には他に誰もいない。
いや、正確にはギィの護衛らしき気配はあるが、どうやら職務に忠実な性分らしく、リンカがどれだけ暴言を吐いても姿を見せようとしなかった。
ともあれ、ギィはぷかりぷかりと美味そうに煙を吐き出すと、徐々に形を崩して溶け消えていくそれらを眺めながら、ぽつりと呟いた。
「ええじゃろ、お嬢さんの条件、呑んでやるわい。じゃが、もしその仮説とやらを聞いても、儂等の手に余ると納得できんかったら、その時は勝手にやらせてもらうが構わんな?」
「どうぞ、ご自由に。話を聞けば、あなた達では手が出せない理由も、きっと理解してもらえると信じているもの。むしろ理解できないようなら、こちらから願い下げにさせてもらうくらいよ」
口調こそ穏やかだが、リンカとギィの間の空気が撓み、固まり、凍りつく。
それでも驚異的な自制心を発揮するギィの様子に、リンカは満足そうに頷くと、おもむろに自らの仮説を開陳したのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ううむ、なるほどのう……」
心底納得、とは言い難いものの、それなりに理解の色を含んだ声音で、ギィは小さく唸り声を漏らした。
リンカから伝えられた仮説が、この事件に対して誰もが抱いていた共通見解を、がらりと転換するものだったからである。
反論の言葉を探すも適切なものは見つからない。それはすなわち、リンカの提示した説が十分な説得力を持っていることを意味していた。
そしてその仮説を支持するのであれば、なるほどギィが率いる非合法組織アマーワーシャの手には負えないというのも道理であった。
いくら非合法組織とはいえ、カルマという国――人々の集合に属しているのは間違いない。だからこそ、手を出すことが躊躇われる相手というものがいるのだ。
「話としては分かったわい。先程の発言は撤回させてもらうとしよう。確かにこの件、お嬢さん達に預けるしかなさそうじゃが……大丈夫なんかのう?」
苦渋に満ちた表情で疑問を呈する。
その意味するところを、リンカは過たず理解していた。
リンカの仮説が正しければ、殺人犯を捕らえるために被害度外視の人海戦術は採用できない。必然的に、少数精鋭による奇襲作戦になる。
その際、カイエンが手も足も出なかったという異形を抑え込むことなど、本当にかなうのか? 言葉にすればそんなところか。
しかし、その点についてだけは、リンカは一片たりとも心配していなかった。
それはカイエンがリベンジを宣言してみせたからに他ならない。あの野生児は、普段は目を離すとどんな事態を招いてくるか分からない危なっかしさがあるが、代わりに今回のような状況においては誰よりも頼りになる。
こうと決めたら脇目も振らずに猛進する生き様は、その背中は、彼の後ろに立つ者にとっては何より信頼に足る道標になるのだ。
とはいえ、こればっかりはカイエン本人と直接の面識がある者にしか理解できない感覚だろう。たとえば、東都でカイエンと出会う前のリンカであれば、同じ状況に陥ったら鼻で笑ってトンズラを決め込んでいた自信がある。
「それはこっちの役割だから任せてもらうしかないわ。でも私としては、自信がない計画に他人を巻き込むほど、無謀でも傍迷惑でもないつもりですけど」
「……まあいいわい。今回の件はお嬢さんの持ち込みじゃ。お嬢さんの相棒とやらが片を付けるというなら、ひとまずは任せてみるのが筋っちゅうもじゃろう」
溜息と共に力なく瞼を閉じるギィ。
彼が目を開けた時、目の前には折り畳まれた一枚の紙が差し出されていた。差し出しているのは、無論リンカだ。
「この中に頼みたい仕事がまとめてあるわ。相手が次にいつ動くか分からないから、あまり悠長にはしていられないの。とりあえず、今から一日で全部こなしておいて頂戴」
水タバコの煙をゆるゆると吸い込みながら、ギィは滑らかな手つきで折り畳まれた紙片を開くと、中に列記された仕事の内容を確認し……驚愕で目を剥いた。
そのいずれもが、たった一日でこなすなど無茶で無謀としか形容しようのない内容だったからである。
先程言っていた、アマーワーシャを便利使いするという発言は、その場限りの冗談の類ではなく、本気で本音だったらしい。
「やれやれ、実に老人使いの荒いお嬢さんじゃ」
天を仰ぐギィの口調はどこか哀愁を帯びているように聞こえたが、その口元には隠しようもない笑みが浮かべられていた。
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