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降魔都市に巣食う者1

 カイエンがひょこっと地上に顔を出すと、寝起きにはやや眩し過ぎる陽光が目に飛び込んできた。

 それも束の間、徐々に光量に目が慣れてくれば、周囲の様相も視界に入ってくる。


 そこはカルマの街外れに位置する寂れた一画だった。

 今は街中が似たような状況となっているが、この地域に関しては普段から人気が無いのだろう。そこかしこで打ち捨てられた廃材の類が散見され、生活感につながるものは何一つ無い。

 そんな地区の端に設置された空井戸の底が、レジスタンスの拠点に通じていたのである。おそらくあの洞穴も、かつて地底河川が流れていた名残なのだろう。理由は分からないが水が干上がり、残された空間に拠点を作ったというわけだ。


 横穴から空井戸の底に出たカイエンは、井戸の内壁に設置された螺旋階段を軽やかな足取りで登りきると、久しぶりの地上の空気を胸一杯に吸い込んだ。


「ふう、シャバの空気が美味いぜ。それにしても腹減ったなあ。結局、何も食わずに出てきちまったもんなぁ」


 空きっ腹を抱えながら、覚束ない足取りで彷徨い歩く。

 指折り数えてみれば分かることだが、カイエンが最後にまともな物を食べてから、すでに丸一日以上が経過していた。怪我や火傷の回復を図るためにも、質はともかく十分な量の食事にありつきたいところなのだが……残念ながら、カルマに来て日が浅いカイエンには、まともな狩り場のあては無かった。


「街の近くに養殖池があるとか言ってた気がするし、ちょっくら探してみるか……でも、魚ってぬるぬる滑って捕まえにくいわりには、食いでがいまいちなんだよなあ」


 どこかに腹を膨ませるに足る獲物はいないかと、きょろきょろしながら徘徊する

 ふと気が付けば、いつの間にか異形と戦った広場にやって来ていた。明確にここを目指していたわけではなかったが、足が勝手に導いたらしい。死闘を繰り広げた広場も今は閑散としており、あの夜の痕跡は何一つ残っていなかった。


 あの戦いの反省点を探し、異形攻略の鍵を見つけるのも重要だが、今は腹ごしらえが先決だ。どこかに食べられそうな物でも落ちていないかと、あらためて広場へ目をやったその時である。突如、黒いモフモフが腕の中に飛び込んできた。


「わふっ、わふっ、わおぉんっ!」

「おっと、ヘイじゃんか! 一日ぶりだなあ!」


 モフモフの正体は、誰あろうヘイであった。ふさふさの尻尾を千切れんばかりに振りしきり、怒涛の勢いでカイエンの頬を舐め回す。

 いつまで経ってもカイエンが帰って来ないため、ずっと心配してくれていたのだろう。その反動とばかりに、普段よりも倍増しな勢いの甘えぶりである


「くうぅ、そんなに熱烈にヘイ君と戯れるだなんて……嫉妬せざるをえないっ」


 その光景を目に焼き付けながら、今にもハンカチを喰い千切りそうな形相をしている者など、言うまでもなくリンカしかいない。嬉しそうにカイエンに甘えるヘイを、今すぐにでも奪い取り、抱き締めて撫で回して頬擦りしたいところなのだろうが、そんな暴挙におよべばヘイの喜びに水を差すのが目に見えているため、二律背反の苦しみに滂沱の涙を流している。


 そんなわけで、ひとしきりヘイが満足するまで鋼鉄の自制心を発揮し続けたリンカであったが、ヘイが落ち着いたと見るや素早くひったくり、圧迫感を与えないぎりぎりの力加減で拘束しつつ、もののついでとばかりカイエンに尋ねてきた。


「それで、一体どこに姿を眩ましていたのかしら? 昨日、カイエン君につけていた影の糸の反応が突然消えたから、慌てて最後に反応があったここに何度か様子を確認に来ていたんだけど、ついさっき匂いを追って来たヘイ君と合流したのよ。そしたら図ったようにカイエン君が顔を見せるし、おまけにそんなぼろぼろの格好になっちゃって」

「いやあ、大変だったんだぜ。滅茶苦茶強い殺人鬼にぶっ飛ばされて、火達磨になって、後は川に流されてたんだ。はっはっはっはっは」


 明らかに笑い事ではない。

 断片を聞いただけでも壮絶極まる体験をしていたことが察せられたらしく、ヘイの瞳が驚きのあまり真ん丸に見開かれる。

 対してリンカの方は、ある程度の予想がついていたらしく、軽く溜息を吐き出してみせるにとどまった。


「火達磨ね。まあそれくらいでもしないと、影の糸を消し去るなんて不可能なはずだから、もしかしてとは思っていたけど……殺人鬼に川に流されていたですって? 少し目を離せばすぐ波乱万丈になるだから」

「仕方ないだろ。殺人鬼を捕まえたら怪鳥の居場所を教えてくれるって、ハリヤの奴と約束したもんでな」

「……ちょっと待ちなさい。ものすごく軽い感じで呼び捨てにしてくれたけど、まさかハリヤって、ハリヤダット王子のことだったりしないでしょうね?」

「そう言われれば、そんな風に呼んでた奴もいた気がする。まあ、ハリヤダットなんて長くて呼びづらいし、ハリヤでいいじゃん」


 あっけらかんと言ってのけるカイエンだったが、リンカは頭痛を耐えるように額に手を当てた。

 正直、色々と言いたいことは山ほどあるのだが、今更この少年に礼儀作法の説教をしても無駄なことは、火を見るより明らかだ。無駄と分かっていることに労力を割くような愚を、リンカが犯すことはなかった。

 その代わり、一体何があったのか根掘り葉掘り聞き出すべく、ボロ雑巾のようになっている道着の袖をむんずと掴む。


「カイエン君、ちょっと色々聞かせてもらいたいから、落ち着いて話せる場所まで行きましょうか」

「じゃあ、どっか飯が食えるところにしてくれよ。丸一日何も食べてないから腹ペコで仕方ないんだ」


 ぐううぅぅぅ。

 カイエンの自己申告を裏付けるように、腹の音が人気の無い広場に盛大に鳴り響いた。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 肉や野菜を多種多様なスパイスで味付けし、じっくりコトコト煮込んだものを、こんがりカリカリに焼き上げた薄いクレープ状の小麦粉生地で包む。

 カルマではごく一般的な調理法らしいが、カイエンにとっては素材も調理法もすべてが物珍しかった。そのためか、最初は味わうように丁寧に食べていたカイエンであったが、おかわりを頼む頃にはすっかり慣れてしまい、テーブルの上に所狭しと並べられている料理の数々を、まるで飲み物であるかのように次から次へと嚥下していく。


 相も変わらない健啖ぶりを見せつけるカイエンの向かいでは、難しい顔をしたリンカがこつこつとテーブルを人差し指で叩いていた。


「今の話、本当でしょうね?」

「嘘を吐くのは苦手なんだ。知ってるだろ」


 積み上げた皿で周囲からの驚愕の視線が遮られる中、唸るように発したリンカの問いに、カイエンはなんら気負うことなく首肯してみせた。

 あまりに自然体なその仕草は、たった今語って聞かされた一連の回想に、一片の偽りも含まれていないことの証でもあった。


「まさか、巷で噂の殺人鬼が異形の霊獣だったなんて。一周回って腑に落ちたわ」


 食事の傍ら、リンカはカイエンに身に起きた諸々を、細かく聞き取り調査していたのである。

 散策中に喧嘩に巻き込まれるくらいなら余裕で想定の内だが、連鎖的にカルマの衛士長と戦っただの、連続殺人を解決する約束を王子と交わしただのと聞くと、トラブルメーカーの面目躍如っぷりに乾いた笑いさえ漏らしそうになる。

 かてて加えて、特筆すべきはカルマの住民を震撼させている連続殺人犯との邂逅だろう。衛士達は死体の損壊具合から、犯人は霊紋持ちと目星をつけていたとのことだが、さすがに見たことも聞いたこともない霊獣が相手とは想像もしていなかったに違いない。


「幸いというべきか、昨日から今日にかけて新しい事件の被害者は見つかっていないわ。その酔っ払いは、どうやら無事に逃げ延びたみたいね。まあ、その人が仮に衛士に犯人の姿形を伝えていたとしても、酒を飲み過ぎての妄言で片づけられるのがオチでしょうから、他所から来た霊紋持ちの肩身が狭い日々は当分続きそうだけど」

「ふーん、大変なんだな」

「いや、カイエン君だって疑われていたんだからね。ハリヤダット王子がとりなしてくれなかったら、本当にこの街全体を敵に回すところだったのよ?」


 当事者意識のまるで感じられないカイエンの口ぶりに、呆れた調子で釘を刺す。

 だがしかし、腹一杯になるに伴って気も大きくなっているカイエンには馬耳東風、残念ながらこれっぽっちも届かなかった。


「なーに、要は本物の殺人犯を捕まえてやればいいんだろ。一度は見つけたんだ。次も探し出してみせるさ」

「……そっちも問題だけど、それ以上に大問題があるんでしょ。見つけても強すぎて手が出せないなら、詰んでいるわよ、この状況」


 リンカが渋面で指摘する。もしもこれが仮に、物や情報の探索・入手が目的なのであれば、その難易度はぐんと下がる。驚異的な強さを誇る異形の霊獣がいると分かっていれば、極力その異形と鉢合わせないように立ち回ればいいからだ。

 しかし、異形を捕らえること自体が目的なのであれば、どう転んでも直接対決は避けられまい。そうなった時、カイエンでも勝てなかったという事実は、作戦を組み立てる上で致命的である。

 ところが、カイエンはいっそ異常なほどに前向き――あるいは楽観的であった。


「だったら修行するしかないな」

「は?」


 ごく自然な結論であるかのように言い切るカイエンに、思わず目を点にしてしまうリンカ。

 拳法家であるカイエンには自明の理、対して武芸などかじったこともないリンカにとっては、思考の落とし穴ともいえる解決法だったからだ。


「というわけで、俺はこれからしばらく山籠もりでもしてくるんで」

「ちょ、ちょっと待った!」


 まるで食後の散歩でもしてくるかのような気軽さで告げられ、さすがのリンカも動転する。一瞬でも放心していれば、その隙に意気揚々と修行に赴いていたところだろうが、リンカはギリギリのタイミングながらも、勢いよく立ち上がろうとしたカイエンの手を繋ぎ留めた。


「大体、修行って一口で言うけど、一体どんな修行をするつもりよ。その修行をこなしたら、異形に勝てるようになるっていう保証はあるの?」

「そいつは興味深い。是非とも傾聴したいところだね」

「!?」


 何の前触れもなしに第三者の声が割って入る。弾かれたようにリンカが声の方を仰ぎ見れば、猛禽を思わせる鋭い目つきをした青年が、目付きとは裏腹の柔和な笑みを浮かべていた。


「……誰、あなた?」

「お、ガラ先輩じゃんか。久しぶり」

「やあ、カイエン後輩。その様子を見るに、随分とこっぴどくやられたらしいね」


 リンカからすると見ず知らずの青年と、実に気安く挨拶を交わすカイエン。

 軽い混乱に襲われるリンカだったが、それでも両者の関係を推測させる、重要な語句を聞き逃すことはなかった。


「カイエン君の先輩? まさか、この世にそんな奇特な人が存在するというの!?」

「おや? カイエン、さりげなく失礼なことを口走っているこちらのお嬢さんは、どこのどなただい?」

「そいつはリンカだ。俺が知らない小狡いことをたくさん知ってて、人を罠に嵌めるのが大好きな、なかなか面白い奴だな」

「カイエン君、後で話があるから覚悟しておきなさい」


 なるべく正確に伝わるようにと心を砕いたのだが、どうやら誠心誠意を込めた紹介はお気に召さなかったらしい。額に青筋を浮かべるリンカと小首をかしげるカイエンの姿から、両者の関係がなんとなく飲み込めたようで、ガラは笑いを堪えるように口元を押さえた。


「うんうん、仲が良いみたいで大変結構」

「あおん」

「もちろん、ヘイの事だって忘れていないとも」


 自然な手つきでヘイの頭を一撫ですると、ガラは流麗な所作で席に着いた。

 ちらちらとこちらの様子を窺う女給を手招きすると、硬貨を一枚渡してお茶を持ってくるよう頼み、あらためて話を軌道修正する。


「それでカイエン、リンカさんの懸念している通り、闇雲に修行したところでアレを打ち倒すのは至難の技だよ。道筋は見えているのかい?」

「うんにゃ、実はまだ全然だ」


 隠す素振りもなく、カイエンはふるふると首を横に振った。見栄を張るといった態度とは無縁な反応に、仕方ないなあとでも言いたげにガラは頬を緩めた。

 その隙に、若干放置気味となっていたリンカが疑問を捻じ込む。


「ガラさん、だったかしら。あなた、カイエン君が戦った霊獣の事を知っているみたいだけど、何者なの?」

「それは僕自身のことかな? それとも、今回の事件の犯人……君達が呼ぶところの、殺人鬼のことかな」

「どちらもよ」


 間髪入れないリンカの返しに、ガラは「ふうむ」と一瞬だけ思案したものの、すぐに穏やかな表情へと復帰した。


「まずは僕自身のことだけど、君も既に理解している通り、そこにいるカイエンの先輩に当たる者だ。まあ、つい先日初めてお互いの存在を知ったばかりだけど、ファン老師の教えを受けた者同士という意味では、同門と言って差し支えないはずさ」

「ファン老師……それがカイエン君達の師匠の御名前なんですね」

「ああ、そうだよ。まあ、あの地にいる限りは他の名前を呼ぶ機会なんてないから、カイエンの奴はすっかり忘れていたみたいだけれど……っと、これはどうでもいい話だった。肝心なのは、例の殺人鬼についてだろう?」


 心なしか声のトーンを一段階下げ、ガラは自身を注視している二人と一頭の顔を順番に見回した。


「アレについて、僕は君達の知らない事実をいくつか心得ている。でも、それをここで開示するつもりは無いんだ。期待させていたら申し訳ないけどね」

「ちぇっ、ケチ臭い先輩だな」

「理由を教えてもらっても構わないかしら」

「簡単に言ってしまえば、カイエンの成長の為だね」


 いきなり自分の名前を持ち出され、悪態を吐いていたカイエンが目を白黒させる。リンカが視線で先を促すと、ガラは微笑みながら頷いた。


「今のカイエンのままでは、万に一つ勝ち目があれば良い方だ。だからこそ、殻を破るための重要な一歩になると思ったのさ。これでも一応、身内の中では後輩想いで通っているんだよ」

「すでに多くの人が殺されているのに、ですか? そんな相手を後輩の育成に利用しようだなんて、ちょっとどころじゃなく頭のネジが飛んでいると言わざるを得ませんね」

「ふふふ、挑発に乗ってあげるのも面白そうだけど、今は見逃そう。それに僕は彼の潜在能力を信じているからね。実力を引き出すことが出来れば、勝機は十分にあるさ」


 そう言うと、ガラは来たばかりのお茶を一口で飲み干し、姿を現した時と同様の唐突さで席を立った。

 そのままカイエンの耳元に口を寄せると、二言三言囁く。

 何を告げたのかはリンカにも聞き取れなかったが、一瞬だけ大きく目を見開いたカイエンが、何かを覚悟したように神妙に頷いたところをみると、ただならぬ話であるのは間違いあるまい。


「僕が手を出せるのはここまでだ。後は自分自身に尋ねてみるといいだろう。では、全てが片付いたその時、また会えることを楽しみにしているよ」


 丁寧な所作を添えて別れの挨拶をすると、ガラは振り返ることなく、颯爽と店を出て行ってしまった。

 カイエンは残っていた料理の片づけに専念していたが、やがてテーブル上のありとあらゆる物を胃袋に収めると、げっぷと共に立ち上がった。


「さてと、腹も膨れたし、俺もそろそろ修行に行ってくるわ。リンカ、お膳立ての方は頼んだぜ」


 清々しい程に全てを丸投げしてくる。こんな事を言われれば、普通は腹を立てるところなのだろうが、この丸投げこそがカイエンの信頼の証だと理解しているリンカは、全力で溜息をつくも首を縦に振った。


「はああぁぁぁ……仕方ないわね、事件の解決が怪鳥の居所を教えてもらうための条件だっていうなら、手伝わないわけにいかないじゃない。それで、雪辱の目途は立ったんでしょうね?」

「ああ、二度は負けねえよ」


 力強く言い切るカイエン。気迫の漲りを感じ取り、リンカも熱に当てられたように頬を紅潮させる。なんだかんだ言ったところで、リンカもこの件から手を引くつもりは毛頭なかったのだ。ならばいっそ、開き直って好き勝手やってみても構わないだろう。


「それならいいわ。わたしに任せたことを涙を流して感謝したくなるくらい、最高の舞台を用意してあげようじゃないの」


 はっきりとリベンジを宣言するカイエンの言葉を受け、それはそれは愉しそうに、リンカは呟いたのだった。

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