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悪魔来たりて3

「うおっ!?」


 覚醒した途端、カイエンは奇声を上げて飛び起きた。

 素早く立ち上がり拳を構えて臨戦態勢を取る。そこで初めて、周囲の光景が見慣れないことに気付き、狐につままれたような気分でぱちくりと目を瞬かせた。


「どこだ、ここ……っつつ」


 気を抜いた瞬間に背中を走り抜けた疼痛に顔をしかめる。

 その痛みが引き金となり、カイエンの脳裏に異形との戦いがフラッシュバックした。

 確か、異形の繰り出してきた炎の吐息に全身を焼かれ、薄れゆく意識の中、近くにあった井戸に飛び込んだところまでは記憶にあるのだが……


「そうか、負けたんだな。俺」


 言葉にするとストンと腑に落ちる。

 攻防共に圧倒され、咄嗟の機転で命からがら逃げ出したのだ。あれを敗北と呼ばずして何と呼ぶのか。

 だが、それでも逃げおおせることには成功したらしい。地底河川に落ちて生き延びられるかは賭けだったのだが、この状況が実はあの世でしたというどんでん返しでもない限り、ひとまずその賭けには勝ったのだろう。


 そんな風に己の状況を確認していたところで、カイエンは不思議なことに気が付いた。

 全身いたる箇所に包帯が巻かれ、治療が施されていたのである。

 よくよく見れば寝転んでいた場所も地面の上などではなく、簡素ながらも頑丈そうな造りの寝台であった。


「ってか、ここは一体どこなんだ?」


 よくよく周りを観察してみれば、壁や天井が随分とごつごつしており、所々が小さく隆起までしている。土壁というよりも、自然洞穴あたりを改装して地下室に用いているといった方が近そうだ。

 軽く体を動かしてみたカイエンは、腹の怪我や全身の火傷は治りきっていないものの、とりあえず動く分には支障がないことを確認すると、ひょいっと寝台の上から飛び降りた。


 するとそれを待ち構えていたかのようなタイミングで、部屋に唯一備わっている扉が軋んだ音を立てて開かれる。

 カイエンは反射的に素早く身を屈め、息を殺して気配をうかがう。

 警戒するカイエンの眼前に現れたのは、端正な顔立ちをした一人の青年であった。


「ぐるるぅぅ……」

「うわっ! まさか、もう目が覚めたというのかい!?」


 カイエンの漏らした威嚇の唸り声に、青年は虚を突かれたように目を丸くすると、寝台に転がされていたはずの少年が歯を剥き出しにして唸っている光景に、重ねて驚愕の声を上げた。


「いやはや、霊紋持ちは強靭な肉体を持っているとは聞いていたけど、あれだけの大怪我からたった一日で目を覚ますだなんて、規格外もいいところだね」

「んん? おまえ、俺が霊紋持ちだって知ってるのか? 何者だ?」


 至極当然なカイエンの疑問に、青年は稚気に溢れた笑みを浮かべてみせた。


「僕達は流されてきた君を拾って、怪我の手当てをした者さ。少しばかり事情があって、君に関してはちょっとした事情なら心得ているつもりだよ、九鬼顕獄拳のカイエン君」

「あ、そうなのか。助かったぜ、ありがとな。あれ、僕達? 他にもいるのか?」


 納得して礼を述べて疑問を呈す。

 めまぐるしいカイエンの言葉に、青年は微笑みと苦笑を足して二で割ってみせた。


「目が覚めたのならちょうどいい。動けるようなら付いて来てくれないか? 皆に君のことを紹介したいんだ」

「別にいいけど……なんか食える物ってないか? 俺、腹減っちまってさ」

「体が回復のために丸一日寝ていたのだから、まあ当然か。分かった。簡単なものでよければ用意させよう」

「おお、ありがとな。で、皆ってのはどこにいるんだ?」


 一足飛びに話を進めようとするカイエン。青年は曖昧な笑みを貼り付けたまま何も言わずに踵を返すと、先導して歩き出す。

 部屋の外に出ると、そこはカイエンの見立て通りに天然の地下洞穴だった。歩きやすいように足元は平らに均されているが、頭上から垂れ下がっている鍾乳石などは手つかずのままとなっている。


 そこまで広い洞穴だったわけではないらしく、すぐ近くの角を曲がったところから照明の灯りが差し込んでおり、それなりの数の人間がひとところに集まってがやがやと話し合っている様子がうかがえた。


 青年の後について照明の光の中へ足を踏み入れれば、そこは洞穴内とは思えない広々とした空間であった。

 中央に置かれた円卓には二十人近い者達が着席しており、ある者は深刻そうに眉根を寄せて、ある者は青筋を立てて肩をいからせ、またある者は周囲に気取られないように欠伸をしている。


 その全員が、青年がやって来たことに気付くと一斉に席を立ち、次いで青年の背後で物珍しそうにきょろきょろと辺りを見回しているカイエンに、胡散臭そうな目を向けた。


「皆、彼については聞き及んでいるだろうから、改めての紹介は割愛させてもらう。カイエン、彼等はレジスタンスの主要メンバーだ。今の王家に対して異を唱えている者達だよ」

「レジスタ……よく分からんが、それって面白いのか?」

「面白い面白くないではない!」


 青筋を立てていた中年男が、声を荒げてカイエンに詰め寄ってきた。


「我々には義務があるのだ。卑劣な手段で権力の座を奪った現王家を断罪し、然る後に正当な王を戴くという義務がな! そのために、悔しいが貴様の力がどうしても必要なのだ!」

「この国の人間ではない彼にそんなことを訴えても、伝わる訳がないでしょう。少しは相手を見て会話をしてくださいよ」


 中年男の言わんとしていることが全く理解できずに呆けていると、今度は銀縁眼鏡をかけた男が、小馬鹿にしたような口調でもってカイエンに代わる。

 彼は眼鏡の位置をくいっと調節すると、言い聞かせるようにのたまった。


「私からの要望は至ってシンプルです。是非、現王家の打倒にご協力いただきたい。成功のあかつきには、報酬だけではなく然るべき地位の用意もあります。流れ者のあなたからすれば、決して悪い話ではないはずですよ」


 等々。カイエンの周囲を囲んでは次々にまくし立てる。

 正直、理念やら損得勘定やらについてはさっぱり飲み込めないカイエンであったが、同じような話を何度も聞かされれば、彼等がカイエンに何を求めているかも、薄っすらとではあるが理解できた。


 要するに、霊紋持ちの戦闘力を欲しているらしい。

 武力という一点で見た場合、現状では王家とレジスタンスの力比べに万に一つの勝ち目も無い。それは純粋に衛士の数という量の問題もさることながら、レジスタンスには霊紋持ちが所属していないという質の問題が大きいという。


 霊紋持ちは一人で百の兵士に互するとされる。

 特にカルマのような小国となれば、たった一人で戦況をひっくり返すことすら可能だろう。

 だからこそ、王家側には霊紋持ちが三人もおり、対するレジスタンスには一人も所属していないという現状は、それだけで蜂起を踏み止まらせる十分な理由になっていた。


 だが、絶対的に天秤を傾けていた要素の内、衛士長ガルシュラを打ち破る者が出現した。

 その人物を自分達の戦力として引き込むことができれば、やり方次第では到底不可能と思われていた現王家の転覆すら実現できるかもしれないのだ。

 レジスタンスの面々が我先にカイエンを取り込もうとするのも、まあ無理のない話なのである。


 そんな事情を察せない点にかけては定評のあるカイエンは、一通り全員の言い分に耳を貸すと、最後に大きく一つ頷いて、全員に聞こえるようにはっきりと宣言した。


「お断りだ」


 あまりにきっぱりし過ぎていたため、多くの者が一瞬何を言っているのか飲み込めなかったほどである。

 だが、理解が追いついた途端、蜂の巣を突いたような騒ぎが巻き起こった。

 地下空間を怒号が飛び交い、頭に血が上った者は思わずカイエンに掴みかからんとするが、ひょいと身を躱されてたたらを踏む。

 そんな興奮の連鎖に終止符を打ったのは、この場にカイエンを連れて来たあの青年であった。


「皆、一旦落ち着いて欲しい!」


 よく通る声が響き渡ると、口々にカイエンを罵っていた者達がぴたりと動きを止める。

 目を見張る統率力を発揮してみせた青年は、ゆっくりとカイエンに向き直った。


「カイエン、君の判断は可能な限り尊重したいと思っている。そのためにも、どうして協力してくれないのか、理由を教えてはもらえないかい」

「そんなの、こいつらが信用できないからに決まってるだろ」


 何を当然といった雰囲気で、カイエンは普通の感性であれば口に出すのを躊躇するであろう理由を、一切クッションを挟まずに正面からストレートに叩き付ける。

 もはや殺意に近い視線がカイエンに向けられる中、落ち着いた声音で青年が重ねて問うた。


「僕の仲間に対して、そこまで率直に信用できないと言われるのは、いくらなんでも見過ごせないね。君は何を根拠に、彼等が信用に値しないと判断したんだい?」

「言わなきゃ分かんないかな。まあいいや、教えてやるよ。それはな、ボスの姿が見えないからだ」

「…………!?」


 果たして、カイエンの指摘が予想外に過ぎたのか、青年は反論するでもなく硬直する。

 対するカイエンは、淡々と言葉を連ねた。


「別に、俺の前まで来て、ボスが直接頭を下げろとかいう気はないよ。でもな、こいつらの言い分を聞いてると、どいつもこいつも自分に都合の良いことしか言わないじゃん。要するに、ボスの顔が見えてこないんだよ、あんた達からは。そんな群れに力を貸せるわけないだろ」


 言い回しこそカイエン独特のものであったが、言わんとしているところは青年にもおぼろげながら理解できた。

 カイエンが指摘しているのは、組織として見た際の統率が取れていないということだろう。各々が好き勝手に振る舞っているだけでは、所詮は烏合の衆でしかない。


 いや、行動自体は別々だったとしても、それを通して実現しようとしている組織としての到達点――カイエンの言葉を借りるならばボスの顔――がはっきりとしているならば、それは一個の群れたりえる。

 だが、今のレジスタンスにはそれが無い。

 一切の虚飾が無いゆえに、カイエンの指摘は青年を沈黙させるに十分なものだった。


 それ以上の反論が飛んでこないことを確認すると、カイエンはゆっくりと部屋の出口に向かって歩を進める。緩やかではあるが風が吹き込んできている気配があるため、洞穴の外に出るのはそう難しくはないだろう。

 カイエンが一歩踏み出すたびに、進路上にいた者達が気圧されたように後退り、結果として人垣は割れて道となる。

 やがてカイエンが人垣の外に踏み出した時、その背中にかなりトーンダウンした青年の声が投げかけられた。


「カイエン……君はこれからどうするつもりだい」

「修行する」


 一切迷う素振りを見せず、カイエンはこれ以上ないほど端的に告げる。


「負けっ放しってのは癪だからな。リベンジってやつさ」

「……すっかり聞きそびれていたよ。君ほどの使い手があそこまで追い詰められるというのは尋常じゃない。一体、何と戦っていたんだ?」

「ああ、最近この街に出没してるっていう殺人鬼だよ」


 あまりに自然な告白に、青年は一瞬首肯しかけ、次の瞬間、絶句していた。


「なんっ!?」

「手当てしてもらったことには感謝してるぜ。お礼と言っちゃあなんだけど、奴は必ず俺が倒してみせる」


 大胆不敵な発言に、まるで気負う様子もない。振り返ろうとすらしないその背中に、青年は最後に一言呼びかけるので精一杯だった。


「カイエン、僕の名はシャヒザダラ……シャヒルと呼んでくれ。レジスタンスに連絡を取りたいときは、僕の名前を使って欲しい!」


 了承のつもりか、背中越しに右手を上げ、カイエンは洞穴の闇へと消えて行った。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「行ってしまった、か」


 後ろ姿が見えなくなってからもしばらくの間、シャヒルはカイエンの去っていった出口を見つめていたが、頭を振って意識を切り替えると、自分に向けられる多くの視線に応えるべく振り返った。


 レジスタンスの主要メンバー達が、自分に様々な感情を向けているのを実感する。

 期待、同情、不安、執着。

 少し前のシャヒルであれば、反射的に目を逸らしていたかもしれないが、カイエンの言葉にぶん殴られたような気分を味わった今のシャヒルには、その選択肢は存在しない。


 腹の底に力を込めると、全員の顔をぐるりと見回す。

 これまでとどこか違うシャヒルの様子に誰もが息を飲む中、シャヒルはおもむろに口を開いた。


「彼は僕に、道を指し示すことの重要性を教えてくれた。ならば次は、僕が君達に道を指し示さなければならない。いや、本来はもっと前から、そうするべきだったんだろう。こんな不甲斐無い僕で申し訳ないが、もう少しだけ付き合って欲しい」


 そこで一度言葉を切ると、シャヒル――レジスタンスの指導者であるシャヒザダラ・カルマは、燃え盛る意気を瞳に宿して朗々と宣言した。


「この国を救うため、力を貸してくれないだろうか!」

『おおっ!!』


 力強い呼びかけに、レジスタンスが結成して以来初めて、全員の声が唱和したのだった。

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