王都カルマ捕物帳3
久方ぶりの激闘で膨れ上がった体内の熱を、カイエンが呼吸に乗せて排出していると、大勢の衛士達が路地から湧き出してきた。
ガルシュラと戦っている間に、一度は撒いた衛士達が追い付いて来てしまったらしい。
衛士達はカイエンを見つけると大慌てで槍を構えるものの、ズタボロになって気を失っているガルシュラに気付き、血の気の引いた表情で混乱を表現してみせた。
赤、青、白と目まぐるしく入れ替わり、傍目に見ている分にはちょっと面白い。
「ま、まさか、ガルシュラ衛士長が敗れたというのか!?」
「終わりだ。俺達はこれからバラバラに引き裂かれて殺されるんだ!」
「うっ、ううっ、ごめんよ母さん。親不孝な僕を許して下さい……」
勝手に盛り上がり始めた衛士達から視線を切り、カイエンはくるりと踵を返す。
事情はまったく分からないままだが、こちらに注意を払っていない隙に、こっそりトンズラしようという算段である。
だが、踏み出し掛けた足がふと止まった。気のせいかもしれないが、地面がほんの少し揺れたように感じたのだ。
「…………」
地面に手を当ててみて確信する。気のせいなどではない。ガルシュラとの戦いで昂ぶり、鋭敏に研ぎ澄まされていたカイエンの五感は、最初は錯覚かと思われた地面の揺れが徐々に大きくなっていると告げていた。
「何が起きてるってんだ……?」
カイエンが呟くのを待っていたかのように、疑問の答えはいともあっさりと姿を現す。
大通りの向こうに姿を現したのは、威容を誇る一頭の白象だ。これまでに見たことがあるどんな象よりも、優に一回りは大きい。
見上げるような規格外の巨体は、純白の布や金銀細工を施した金属環などで煌びやかに飾られている。
何よりの特徴として、屋根付きの台座と呼ぶべき人工物を背中に乗せており、これまた豪華な装飾が施されたその台座には、彫りの深い顔立ちをした青年が胡坐をかいて気だるげに座っていた。
青年自身も見る人が見れば分かる高級品で身を固めているのだが、豪奢で装飾過多な象や台座と異なり、パッと見ではどれも実用性に重きを置いた大人しいデザインであるため、見た目のインパクトでは一歩劣る。
ちなみに象のビジュアルが衝撃的過ぎてつい見落とされていたが、大通りを闊歩する象の左右と背後には、衛士達のように統一された格好をした従者達が付き従っていた。
そんな従者達の先頭に立ち、我が物顔で大通りを歩む象の傍らに並んでいるのは、薄手の衣服を纏うことであえて豊満な肉体を強調した、狐を彷彿とさせる吊り目が勝気さを匂わせる美女であった。
「こりゃあまた、随分とけったいな連中が出てきたなぁ」
「わふぅ」
ついつい口をついてしまった正直な感想に、同じ光景を眺めているヘイも同意する。
カイエンの感性では、金ピカ過ぎて目に痛いとしか言いようのない連中なのだが、混乱の真っ只中にあった衛士達にとっては違ったらしく、その姿を目にするやいなや、半ば条件反射のように膝をついて頭を垂れた。
「恐れながら申し上げます、ハリヤダット殿下! 我等は市中の巡回警備を任とする衛士にございます! 現在は標的の追跡中でありますれば、御身に危険が及ぶ可能性も――」
「よい、すでに把握しておる」
緊張でカチコチに強張った舌をなんとか動員し、悲鳴のような口上をまくし立てかけた代表者らしき衛士は、報告の途中で青年に言葉を遮られ、泣きそうなほどに表情を歪めた。
自分の報告で青年の機嫌を損ねたものと思ったからである。
だが青年は、悲壮な表情で頭を垂れる衛士には目もくれず、緩やかに揺れている象の背中の高みから、尊大な口調でカイエンに向かって言葉を投げ落としてきた。
「そなたが市中を騒がせているとかいう霊紋持ちか。ガルシュラを破るとは、見事な腕前であるな」
「いやあ、あのおっさんも強かったぜ。正直、綱渡りだったよ」
敬語もへりくだるそぶりも見せず、ごく親しい知人と立ち話でもするかのようなカイエンの口ぶりに、衛士達や遠巻きに眺めている通行人達から驚愕の気配が伝わってくる。
「貴様、殿下に向かってその言葉遣い!! 無礼千万にも――」
「構わぬ。下がれ、ラクーシャ」
「……かしこまりました殿下。御身のお心の広さには、感服するばかりでございます」
カイエンの返答が気に食わなかったのか、吊り目美女が声を荒げかけるが、青年が制止すれば拍子抜けするほどあっさりと引き下がる。
射殺すような視線はカイエンに向けられたままなので、納得して退いた訳ではないことは一目瞭然だ。それなのに引き下がるということは、青年の言葉にそれだけ強い影響力があることの証明でもあった。
「さて、そなたにいくつか尋ねたいことがある。よもや断りはせぬだろうな?」
「ああ、別にいいぞ。今はそれほど急いでいるわけじゃないしな」
「ならば単刀直入に問おうではないか。そなたが、最近続けざまにこの街の人間を殺めている下手人で相違ないか?」
「そんなわけあるか。誰だよ、そんな根も葉もないデマを流しやがった奴は」
いきなり身に覚えの無い罪を着せられ、カイエンはふんすと鼻を鳴らした。
「大体、ここ最近って、一体いつ頃からの話だよ? 俺達がカルマに来たのは今朝の話だぜ」
「ふむ、およそここ一カ月といったところだが……今朝到着したばかりという話、真であろうな?」
「俺、嘘は苦手なんだ」
肩をすくめて肯定すれば、青年はすぐさま従者の一人を呼びつけた。象の傍らに平伏する従者に指示を出すと、従者は御意とばかりに頷き、小走りに駆け去っていく。
「今、そなたの言葉に偽りがないか、街の出入りを記録している部署に確認の者を遣わした。あの者が戻るまで、しばし待ってもらおう」
「まあいいや、少しだけなら付き合ってやるよ。あ、そうだ。待っている間、色々訊きたいんだけどいいか?」
馴れ馴れしいにも限度があるカイエンの態度に、またしても美女がブチ切れそうになるが、今度は予期していた青年が先手を打って目配せで押しとどめ、どうにか事なきを得る。
「たまにはそなたのような無知なる者と言葉を交わすのも、無聊の慰めになろう。遠慮せずに尋ねるがよい」
「おお、太っ腹だな、あんた。じゃあまずは、あんたのことを教えてくれよ。一体全体、何者なんだ? ちなみに俺は九鬼顕獄拳のカイエンってんだ。世界を見て回るために旅をしている」
物怖じの気配が微塵も感じられない奔放さ100%なカイエンに、周囲の人々は揃って仰天し、肝心の青年は楽しそうに口角を引き上げた。
「なるほど、そなたが本当に今朝この街を訪れたばかりなのであれば、余を知らぬというのも道理が通る。面白い、問われたからに答えてやろう。余はハリダヤット・カルマ、この国の第一王子である」
「殿下は第一王位継承者であらせられ、広き知識は古今の諸学に通じ、武芸は百般を修め、霊紋を刻むまでに至られたお方です。貴様のようなどこの馬の骨とも知れぬ輩が言葉を交わすなど、恐れ多いと知りなさい!」
「なあなあハリヤ、さっきからちょくちょく喧嘩売ってくる、メスの匂いをプンプンさせたそっちの姉ちゃんは何者なんだ?」
「ああ、そやつはラクーシャ。近衛の長を務めておる霊紋持ちだな」
「え、お前達二人とも霊紋持ちなのか!? すげえな! そのうち手合わせしてくれよ!」
いきなり敬称抜きで呼び捨てにした上、目を輝かせて不敬の極みのようなことをのたまう。
成り行きを見守っている者達の中には、ストレスのあまり胃痛で気が遠くなる者や卒倒する者までもが出る始末だが、あいにくとカイエンにはそちらを気遣うという発想そのものを持ち合わせていないため、それからも次から次へと無礼ラインを軽々と飛び越えた質問を投げ続けた。
そうして関係者の寿命が少なく見積もって十年は縮んだ頃、皆が待ちに待った時がやって来た。
王子の命令で入国記録を確かめに行っていた従者が、往路同様に小走りで帰って来たのである。
それはつまり、胃と心臓をめった刺しにするドキドキ質問タイムが、ようやく終わることを意味していた。
なぜか自分に向けられる圧倒的感謝の奔流に首をひねりながら、従者は命令を受けた時の再現さながらに象の傍らに跪くと、厳かな声音で告げる。
「殿下に申し上げます。確かに今朝早く、カイエンと名乗る者が入国した記録がございました。手続きを行った衛士に問いましたところ、記憶していた出で立ちや風貌から、そこの九鬼顕獄拳カイエンを名乗る者と同一人物の可能性が極めて高いと判じられます」
「あいわかった。ご苦労であった」
王子が労うと、従者は再び頭を垂れ、そのまま従者の列に戻っていった。
一方、王子は相変わらずの気だるげな様子で溜息をつくと、カイエンに向かって言葉を紡ぐ。
「どうやらそなたの言い分が真実だったようだ。今朝この国を訪れたばかりのそなたが、一月前より続いている事件の下手人とは考えづらかろう」
「だろ。だから最初から俺じゃないって言ってるじゃん」
うんうんと満足そうに頷くカイエン。そんなカイエンに、驚くべきことに王子は頭を下げてみせる。
「無実のそなたに嫌疑をかけたことを謝罪しよう。詫びといってはなんだが、余にかなえられる願いがあるならば申すがよい」
「で、殿下!?」
ラクーシャが声を裏返らせるも、王子はそちらに向けて緩やかに頭を振ってみせる。
「この国の民ではない者にあらぬ疑いを掛けたのだ。こちらも相応の礼は尽くさねばなるまい。そういうわけだ、カイエンよ。遠慮なくとまでは言えぬのが心苦しいが、何か望むものはないか?」
「そう言われてもなぁ……」
いきなりそんな事を言われてもすぐには思いつかず、カイエンは困ったように首をひねる。と、その足首をたしたしと叩く感触があった。
「ん? どうかしたのか、ヘイ?」
「あおん! わうっ、わふっ!」
いつになく興奮した様子を見せるヘイの訴えに、カイエンはポンと手を打つ。
「なるほど。さすがだな、ヘイ。めっちゃ冴えてるぜ!」
ヘイの頭をかいぐりかいぐりと撫で回し、しばらく褒め称えたカイエンは、小手調べとばかりに王子に向かい、
「なあ、ハリヤ。あんた、王子だって言ったよな。それって要するに、あんたは王家の人間だって意味だよな?」
「何を異なことを。余が王家の人間でなければ、一体誰が王家に属するというのだ」
当たり前すぎる質問に、王子は呆れた様子はないものの、わざとらしく顔をしかめてみせる。
その非難めいた視線を受け流し、カイエンはうきうきとした様子で望みを口にした。
「実は俺達、この街には怪鳥の霊獣に会うために来たんだ。聞いた話だと、怪鳥がどこにいるのか王家の連中なら知ってるんだろ。だったら、その場所を俺に教えてくれよ!」
「それは……できん相談だな」
「んな!?」
早速怪鳥の居場所の情報が手に入ると盛り上がっていたカイエンだったが、王子がにべもなく望みを却下したことで、逆に顎を落としかねない有様でぽかんと口を開ける。
「なんでだよ、場所を教えるくらいなら別にいいじゃんか。ケチケチすんなよ」
「そうもいかんのだ。何しろあそこは、このカルマを守護する聖鳥の座。おいそれと余人を近づけることは許されん。加えて、現在の情勢下では尚更の話よ」
「情勢……って、どういう意味だ?」
王子の言わんとすることが汲み取れず、カイエンは首をかしげる。
そんなカイエンに言い聞かせるように王子が語ったところでは、現在のカルマはかなり危険な状況にあるのだという。
それというのも、ついさっきカイエンが犯人に間違われかけた、連続殺人事件のせいらしい。
被害者に共通点はなく、動機の線から追うことは困難。
殺しの手口は常人には到底不可能な猟奇的なものであり、次は自分が標的になるかもしれないと怯えた住民の多くは家に籠ってしまったことで、街中では活気という活気がなりを潜めている。
国を運営している王家にとって、頭が痛いどころではない。
「父上が病の床に臥せている今、余が陣頭に立ってこの難局を乗り切らねばならん。聖鳥に関わる事項は、それがどれほど些細なことであれ、王家が正式な手順を経て任ずるのが慣わしだ。殺人事件が止まらぬ現状では、聖鳥謁見のために式を執り行うには甚だしく不適と言わざるをえん。心苦しいが理解してもらいたい」
「よっしゃ、分かった。じゃあ、事件の犯人を捕まえてやるよ」
懇切丁寧に語られた説明を咀嚼せずに丸呑みしたカイエンの、第一声がそれだった。
あまりにも唐突な宣言に、王子を含めた一同が一瞬硬直してしまう。
「事件のせいで怪鳥の居場所を教えられないってんなら、その事件を解決すればいいだけじゃん。だったら任せとけ、作戦ならある!」
力強く言い切ると、ヘイを小脇に抱えて跳躍する。
ただの一跳びで大通り沿いの建物の屋根まで到達したカイエンは、これまでとは逆に見下ろす位置関係となった王子に向けて、拳を突き出してみせた。
「ってわけだから、俺が事件の犯人を捕まえてきたら、怪鳥に会えるように骨を折ってくれよ。頼んだからな!」
一方的に言い置くと、常人の目ではとても追いきれない高速移動で姿を消す。
言いたい事だけ言って去っていた少年の余韻が残る中、真っ先に気を取り直したラクーシャは王子の様子を窺い、予想外の光景に息を呑む。
殺人事件に関する心労のためか、ここ最近はいつも気だるげだった王子が、この時だけは心底楽しそうな梟雄の笑みを浮かべていた。
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