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王都カルマ捕物帳1

 ガラの奢りを堪能して店を出たカイエンは、くちくなってきた腹を撫でながら、ふと視線を持ち上げた。

 カイエンとヘイがのんびりと歩を進めているのは、カルマの街を一直線に貫く大通りから2ブロック離れた区画である。


 そもそもこの散策自体、足の向くまま気の向くままという無計画の代名詞のような徘徊だったのだが、期せずして怪鳥の霊獣に関する情報が手に入ってしまった。

 これがリンカならば、早速にも情報の裏取りやら今後の計画検討やらに着手するのだろうが、カイエンはそんな七面倒なことをするつもりはさらさら無い。より正確には、そういった発想そのものが皆無なのだ。


 加えてカイエンの持ち味は、思いついたら即実行に移すその行動力にこそある。

 そんなわけでガラからアドバイスをもらったカイエンは、食後のデザートを頼むがごとき気楽さで次の目的地を定めていた。


「とりあえずは王宮って場所に向かってみるか。確か、そこに王家の連中がいるんだよな?」

「わふっ、わふぅ」


 肯定と共に注意を促す意図を込めて、ヘイが鳴き声を上げる。

 そんな慎重派なヘイの意見を右の耳から左の耳へとバイパスしつつ、カイエンはつい先程まで居座っていた店で、初老の店主から教えてもらった基礎情報を反芻していた。


 このカルマは王国というだけあって、王の一族によって構成された、王家と呼ばれる連中が国を仕切っているらしい。

 単に王家とだけ言えば、この国では暗黙的にカルマ王家を指すのだそうだ。


 つまりガラのアドバイスは、カルマの王族と繋がりを得ておけば怪鳥探しに都合が良いという意味となる。

 何がどういう理屈で都合が良いのかはこれっぽちも分からないが、一応は同門の人物からの情報なのだ。試しに信じてみるのも一興だろう。


 そう結論すると、カイエンは鼻歌交じりで歩き出す。

 向かう先は言うまでもなく王宮である。食後の腹ごなしも兼ね、のんびりとした足取りで裏路地を進んで行く。


 だが、穏やかな散策はあっさりと中断させられた。

 突然、目の前の曲がり角から肩幅の広い男がぬっと姿を現したかと思うと、それを察知して立ち止まっていたカイエンの肩に、自ら肩を押し当てるようにしてぶつかってきたのである。


 行為の意図がさっぱり分からず首をかしげるカイエンであったが、男の方は軽く触れるか触れないか程度に接触しただけの肩を押さえ、うずくまるように地面に倒れ込んだ。


「いってえぇ! ヤベえ、骨が折れちまってるかもしれねえ!」

「おい、どうした! 大丈夫か!?」


 完璧に計算し尽くされた芝居のようなタイミングで、うずくまっている男の仲間らしき連中が曲がり角の向こうから飛び出してくると、周りをガードするように取り囲む。


 いや、囲んでいるのは肩を押さえた男だけではない。

 気付けばカイエンとヘイの前後も、どこからともなく湧き出してきた男達で固められていた。

 その連携と手際の見事さは、カイエンをして思わず感心してしまうほどの鮮やかさだ。


 いつの間にか総勢十名以上に膨らんだ男達は、罠に掛かった獲物を見る視線でカイエンを眺めると、舌なめずりと共にドスの利いた声を張り上げた。


「おい、てめえっ! 俺の連れに怪我させといて詫びも無しとはいい度胸だなっ!」

「あれっぽっちで怪我したのか? そいつは災難だったな」


 堅気の人間ならば威圧に怯え、委縮してしまう状況なのだろうが、カイエンからすれば一角獅子の群れと戯れた時の方がよほど緊張感がある。

 ゆえにあっけらかんとした口調で感想を述べると、男達は示し合わせたかのように激昂した。


「なんだその返事は! てめえのせいでこいつは大怪我をしたんだぞ! 頭下げて、見舞金を差し出すのが礼儀ってモンだろうが。あぁ!!」


 わざとぶつかっておいての金銭の要求。要するに、昨今では滅多に見かけなくなった……どころか絶滅危惧種に認定されてもおかしくない程の、手垢がつきまくったと評して余りある、お手本中のお手本のような当たり屋である。

 だが彼等は、狙うべき相手を致命的なレベルで間違えていた。


「そいつが怪我したのは修行が足りなかったからだろ。自分からぶつかって来たくせに怪我するなんて、未熟過ぎてちょっと面白くなっちゃったじゃんか」

「んなっ!?」


 謝罪でも反論でもなく、なぜだか駄目出しをくらい、男達は鼻白む。

 一方のカイエンは、言いたいことを言ったら男達への興味を失ったらしく、並んでいる男達の隙間に割って入るようにして囲みを通り抜けようとする。

 我に返った一人が慌てて肩を掴んで引き止めれば、カイエンは不思議そうな表情で振り返った。


「ん? どうした、まだ何か用か?」

「ま、まだも何も、こっちの話は終わってねえんだよっ!」


 チンピラに絡まれているというのに能天気さが一向に翳りを見せないカイエンの態度に、そろそろ違和感を覚え始めた男達ではあったが、漠然とした感覚だけでは撤退を選ぶにはまだ弱い。

 それゆえか、本能的に怯えかけている己自身を叱咤させようと、カイエンの肩を押さえている男は半ば反射的に、空いている方の手で拳を握ってカイエンを殴りつけていた。


 ごしゃり、という肉が肉を打ったとは思えない湿った音が、一触即発の路地裏で耳朶を打つ。

 殴りかかった男は唖然とした顔付きで、五本の指が出鱈目な方向に折れ曲がった己の拳を見つめ、一拍置いて声帯の限界に挑戦するような悲鳴を響き渡らせた。


「あがぁぁっっ!! いでっ、いでええぇぇ――っっ!?」

「なんだ、こっちも修行不足か」


 男の醜態を冷めた目で見やり、聞こえよがしに平然と言い放つカイエン。

 一方の男達は全員がそれを見届けていた。すなわち至近距離から繰り出された拳が間違いなくカイエンの額に打ち込まれ、そして冗談のように拳の方が粉砕される一部始終を。

 だからこそ目の前の光景が理解できず、声を震わせ裏返らせる。


「何をしやがった!?」

「何って、殴ってきたから受けただけだが?」

「嘘つくんじゃねえ! 顔を殴られた方がピンピンしてて、殴った方が手を傷めるなんて、そんな馬鹿な話があるか!」


 唾を飛ばして力説するが、その認識は誤りだ。

 まず大前提として、人間の頭蓋骨というものはそれなりの強度がある。特に額部分の骨は厚くなっており、打撃への応用も十分に可能なのだ。


 要するにカイエンはただ殴られたのではなく、拳に向かって自ら頭突きをかましたということになる。

 打点を上手く調整してやれば、逆に拳の方に深刻なダメージを負わせることもそう難しくはない。

 無論、カイエンが懇切丁寧にそんなカラクリを解説するはずもなく、あっさりと一言で切って捨ててしまうが。


「知らん。こいつの鍛え方が足りなかっただけだろ。正直、素人と大差なかったし」

「なんだとぅ……」


 カイエンとしては嘘偽りない評価を下しただけだったが、その評価を男達がどう受け取るかなど、じっくりと考えるまでもない。

 当然の帰結として侮辱と受け取り、男達は怒りと屈辱で顔を真っ赤に染めた。


 怒りの衝動に突き動かされ、男達が一斉にカイエンに飛び掛かる。

 狭い路地裏という立地と合わせ、前後から迫る男達の包囲を突破することなど不可能かに思われた。


 しかし、カイエンは一切の動揺を見せることなく、わずかに腰を落とすと素早く地を蹴る。向かう先は前でも後ろでもなく、路地を挟むように聳え立っている建物の外壁だ。

 速度を全く落とそうとしないため、あわや正面衝突するかと思われたが、その直前で小さく跳躍すると両足で外壁に着地し、あまつさえ勢いを殺すことなく軽快に駆け上がっていく。


「てめっ、逃げんな――」

「逃げるかよ」


 数歩で男達の手の届く範囲から抜け出せば、今度は一転して外壁を蹴り飛ばし、逆落としの軌道でもって男達に迫る。

 慌てたのは男達だ。壁を駆け上がって攻撃から逃れるというのも度肝を抜かれたが、まさか反転して襲ってくるとは、更に輪を掛けて想像の埒外だったのだ。


 その戸惑いが命取り。驚愕のあまり棒立ちとなっている男の顔面に着地したカイエンは、続けて素早くその足場を蹴り飛ばし、たやすく包囲の外へと離脱してみせる。

 余裕を感じさせる身のこなしで振り向けば、鼻っ柱を蹴り折られて悶絶する一人の男と、驚異的な運動能力を見せつけたカイエンに警戒の視線を向けるそれ以外の男達、彼等全員と視線が交錯する。


 カイエンはわざとゆっくり、半身に構え、腰を落とし、両足の爪先をそれぞれ前後に向けると、余裕たっぷりの笑みを浮かべ、真っ直ぐに伸ばした左手の指を揃えてクイクイと手招きしてみせた。

 絵に描いたような挑発のジェスチャーである。


 一対多数のこの状況で挑発までされて、典型的なチンピラである男達がそれを無視できるはずがあろうか。いや、ない。

 ほとんど条件反射的な反応で、男達は再度カイエンに向かって突撃を掛けた。

 しかし先程と決定的に異なるのは、カイエンはすでに包囲網を突破しており、背後を気にする必要がないという点だ。それはつまり、前方から襲い掛かってくる男達の迎撃に専念できるという意味でもある。


「しっ」


 独特の呼気と共に、ぬるりとした踏み込みで先頭の男の懐に潜り込むと、慌てて立ち止まろうとする男の顎目掛けて手刀を放つ。

 鞭を彷彿とさせるしなりを伴った手刀が撫でるように顎先をかすめれば、たったそれだけで脳を揺らされた男は、糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。


 崩れ落ちる一人目の背後に位置していた二人目には、いつの間にか手刀から姿を変えていた掌底を、胸元に柔らかく押し当てる。

 無論、ただ当てただけでは攻撃にはなり得ない。何のつもりかと問いたげな男の視線に対し、カイエンは一瞬だけ全身を脱力させることで返答とした。


「ふっ」


 脱力すれば全身を支えていた力は失われ、カイエンの体は重力に引かれて地面へと落ちる。地に臥すその寸前、ぎりぎりで踏みしばった足に全体重が乗る感触を知覚しながら、カイエンは足から返ってくる地面の全反発力を、相手の胸元へ押し当てている掌へと収束させた。


 寸勁と呼ばれる、拳を振り回すことなく破壊の力を乗せる技術。

 ただ押し当てられただけに見えて、実質カイエンの全体重を乗せたに等しい掌底を食らった二人目は、錐揉みしながら吹き飛ばされると、後続の男達を巻き込みながら失神する羽目となる。

 大の男が手の足も出ずにあしらわれる様に、男達は冷や汗交じりで悪態を吐く。


「くそっ、なんて野郎だ。こんなに腕が立つだなんて聞いてないぞ」

「やばいぞ。このままじゃ、俺達全員返り討ちにされちまう……」


 もしもそんな事態となれば、取り返しのつかない傷を負う可能性がある。

 傷と言っても肉体の負傷のことではなく、面子を損なう悪評のことだ。

 余所者らしき少年一人に対して十人以上で包囲しておきながら、手も足も出ずに返り討ちというのは、はっきり言って外聞が悪いどころの騒ぎではない。

 アウトローにはアウトローなりの流儀があり、その中でも虚仮にされたまま報復を諦めるというのは、集団としての存続を危うくするほどの醜聞なのである。


「くそっ、これ以上舐められてたまるか!」


 カイエンが拳を繰り出すたびに積み上がっていく仲間の惨状に、遂にキレた男が隠し持っていたナイフを抜き放った。

 ぎらりと鈍く輝く刀身は、精神安定剤的な効果を味方にもたらす。

 一人が抜けば連鎖的に、男達は揃ってそれぞれの得物を振りかざした。


「はっ、随分と好き勝手暴れてくれたが、そいつもここまでだ。痛めつける程度じゃ済まさねえぞ、このクソガキがっ!!」

「ふーん、そっちがその気なら、俺もそれなりの対応をさせてもらうまでだけどな」


 武器を持ったことで己が優位にあると確信した男達が、口々に罵り恫喝する。

 しかしカイエンは余裕の態度を崩すことなく、ただ小さく呼吸を整えた。

 次の瞬間、男達は揃って我が目を疑うこととなる。


 カイエンの全身が仄かに発光を始めたのだ。正確には、手足や顔に複雑怪奇な紋様が浮かび上がり、それが淡く輝きながら形を変え続けている。

 道着があるので確認はできないが、おそらくこの紋様は全身いたる所に浮かび上がっているに違いない。


「霊紋持ち……?」


 掠れた声が舌の上を滑る。

 カルマという小国の中でもチンピラの一党に過ぎない男達だが、決して敵に回してはならない相手として有名な存在を見誤ることはなかった。

 まあ、全身に刻まれた蠢く紋様という特徴的過ぎる特徴を、どうして見間違えられるのかという話もあるが。


 硬直する男達にとどめをさすように、カイエンは無造作に手近な男に近づくと、自分に向けて突き出されたままブルブルと震えているナイフの切っ先を無造作に掴む。


 ミシ、ミシ、メギリ


 折るでもなく奪い取るでもなく、掌中でナイフの刀身がねじ切られ、折り畳まれて捨てられる。

 もはや目の錯覚などではありえない。霊紋持ち以外に、何者であれば刃物を素手で握りつぶすことができるというのか。


 十秒にも満たないデモンストレーションであったが、その効果は覿面で、男達の戦意は根こそぎ圧し折られる。

 カイエンがぎろりと睨みをきかせれば、動ける全員が血の気の引いた表情で、くるりと背を向け我先に逃げ出した。

 一度逃げの体勢に入れば見事なもので、気が付けば残っているのはすでにカイエンにやられて昏倒している男達のみしかいない。


 これにて一件落着。

 かに思われたが、そうは問屋が卸さない。

 男達が逃げ去った方からバタバタと足音がしたかと思うと、揃いの制服を着込んで手には素っ気ない拵えの槍を携えた衛士達が、雪崩れ込むように路地裏へと駆け込んできたのである。


 衛士達は全身を輝かせているカイエンに気付くと、視線を険しくして槍を突きつけてくる。

 どう考えてもトラブルの匂いしかしない。

 やはりカイエンには、騒ぎを起こさぬことなど難易度が高過ぎたらしかった。

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