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野生児は邂逅す2

 情報屋に渡りをつけてくると言ってリンカが姿を消した後、カイエンとヘイはぶらぶらとカルマの街を歩き回っていた。

 ロザン皇国では木材と泥で建てた家屋が主流だったが、この国では石材とレンガを組み合わせる手法が一般的らしく、大人二人がどうにかすれ違える程度の幅しかない細い路地の左右には、異なる建材によって彩られた斑色の壁が連なっている。


 常ならばこの辺りの路地で子供達が無邪気に遊び回っているのだろう。そこかしこに不揃いの落書きが散見されるが、生憎とカイエンの視界には人っ子一人見当たらない。奇しくも、こんな所からもリンカが気にしていた異変の影響がうかがえた。


 そんな人気の無い入り組んだ路地を通り抜ければ、広がっていたのは結構な規模の広場であった。

 広場とはいっても最初からそれを目的として整備されたものではなく、大通りの一角に雑然と露店や屋台が軒を連ね、自然と人が集まるようになったという雰囲気だ。


 店が出ているだけあって、さすがにここには賑わいと呼ぶに相応しい喧噪がある。

 とりあえず目をつぶって歩き回れば、十歩と行かずに誰かにぶつかることは間違いないだろう。

 実はこれでも普段と比べれば人出は少なく、本当ならば文字通り人がひしめき合っていたはずなのだが、そんな事を知る由も無いカイエンは物珍しげに辺りを見回した。


 きょろきょろ しげしげ まじまじ


 純度百パーセントな好奇の視線に気付く者もいるが、あからさまに余所者なカイエンに自ら関わりに行こうという者はおらず、結果として誰にも邪魔されることなく広場の様子を観察することができた。


 どうやらここには、食料や日用品を売っている店が集まっているようだ。

 地面に逆さに置かれた一抱え程の大きさがある籠の中に、雀より一回り大きなサイズの小鳥を生きたまま入れている店。

 継ぎが当たっていたり不揃いだったりと、一見してお古と分かる衣服を大量に吊るした店。

 陽光を照り返す鱗も眩しい、手の平よりやや大きめの魚を、小分けのザルに乗せて並べている店。


「へえ、魚なんてあるんだ。近くに川なんてあったっけかな?」

「なんだ、知らないのか。街の近くにある貯水池で養殖をしているから、毎日新鮮な魚が手に入るのさ」


 ふと零れていたカイエンの呟きに、魚を売っている露店の主が目敏く反応する。

 声を掛けた後、一瞬だけ「しまった」という風な表情を浮かべるも、すぐに作り笑顔の下に押し隠し、足を止めたカイエンに話し掛けてきた。


「あんた、見たところこの国の人間じゃないみたいだが、旅人だろ。どこから来たんだい?」

「えーと、なんて名前だったっけかな。確か、ラザンだかレザンだか、そんな名前の所から来たぞ」

「……そいつはロザン皇国だな、きっと。しかし、また随分と遠い所から遥々と来たもんだ。ところで、今朝獲れたての新鮮な魚はいらんかね」


 営業スマイルで繰り出された店主の言葉に、カイエンは目を輝かせる。


「え、もらっちゃっていいのか!?」

「そりゃ、お代さえ頂ければな。ちなみに一尾3ラピだ。この国の金を持ってないってんなら、ロザン皇国の金でもいいぞ。あれだけデカイ国の金なら、両替商のところに持ち込めば、絶対に交換してもらえるはずだからな」

「へえー、そうなのか。でも生憎だったな。金なんてこれっぽっちも持ってないぜ!」


 無意味に胸を張り、腹の底から力強く言い放つ。その途端、店主は態度を一変させた。


「ちっ、冷やかしかよ。金が無いなら用も無いぞ。他の客の邪魔になるから、とっととどっかに失せちまいな」

「おお、豹変したな、あんた。金を持ってない奴は嫌いなのか?」

「当たり前だろ。こっちは商売やってるんだ。スッカラカンな奴を相手にしたって、時間の無駄以外の何物でもないだろうが。井戸水ならタダだから、金のない奴はそこの井戸で水でも飲んでるんだな」

「言われてみりゃ少し喉が渇いてる気がするぜ。そうさせてもらうよ、ありがとな」


 しっしと追い払う仕草を繰り返す店主に笑顔で礼を告げると、カイエンは広場の片隅に設置された滑車付きの井戸へと歩み寄った。

 桶を投げ込む前に中を覗き込んでみれば、井戸の底では僅かに差し込む光を反射して水がきらめている。


 きらめているということは、水面が揺れているという意味であり、ひいては水が流れている事を意味していた。

 周囲の地層から染み出すタイプの井戸ではこうはならない。

 リンカから聞いていた通り、この街の下にはかなり大規模な地底河川が広がっているようだ。


 カイエンは胸元ほどの高さの台に置かれていた桶を手に取ると、無造作に井戸の中へと放り込んだ。

 桶は二度ほど側面に擦れてカツンカツンという音を反響させ、無事に底まで到達したらしくボチャンと水飛沫を撥ね上げる。

 続けて目の前に垂れ下がっていた縄を勢いよく引き上げると、頭上の滑車がガラガラという音を立てて回転し、先程投じた桶が七分目まで水をたたえて顔を覗かせた。


 早速口をつけてみれば、キンキン一歩手前まで冷えた水が喉越しよく胃袋へと落下していく。

 周囲の気温は若干汗ばむくらいなのだが、その汗がスッと引いていく感覚が心地良い。


「ぷはっ、美味いな、この水」

「わんっ、わんっ」

「分かった分かった。今やるって」


 カイエンがあまりに美味そうに飲むため触発されたのか、足元でヘイが吠えたてて自分にも水を飲ませろと要求してくる。

 手で皿を作ってそこに水を掬ってやれば、ヘイは迷わず顔を突っ込み、ばしゃばしゃと舌で水柱を立てて飲み始めた。

 ひとしきり飲んだところで満足したらしく、水にぬれた鼻先を持ち上げると、ブンブンと振っては水滴を落とす。


「美味かったか、ヘイ?」

「あおん」

「そっか、そいつは良かったな。それにしてもアレだな。喉が渇いてたのが治まったら、今度は腹が減ったな」


 カイエンはきゅるきゅると自己主張するお腹を押さえながら、誰に向けるでもなくのたまった。

 思い返してみれば、まだ日が昇るか昇らないかといった明け方に、日持ちするように焼き固められたパンを食べた後は、食料らしい食料は一切口にしていなかった。

 カルマ国に到着したことで気付かぬうちに興奮し、空腹感がすっ飛んでしまっていたのだろう。そんな状態で空っぽの胃袋にいきなり冷えた水を流し込んだものだから、体が吃驚してしまい、ようやく空きっ腹に気付いたというわけだ。


 無論、用意周到なリンカのことである。

 金は持たせずともある程度の食料は持たされており、カイエンの肩掛け袋にはヘイの分も合わせて一、二食分にはなるくらいの干し肉が収められてはいる。


 だが、折角大きな街に到着したのだ。

 わざわざ干し肉を齧らなければならない強い理由が無いのであれば、携帯性と保存性第一で味は二の次といった干し肉に頼るよりも、温かくて美味い飯にありつきたいというのが人情というものであろう。


 そんな訳でカイエンは、一度大きく息を吐き出すと、その反動をも利用して、大きく広げた鼻の穴から目一杯に周囲の空気を吸い込んだ。

 カイエンの嗅覚は犬のそれにも匹敵する精度を誇る。多くの人や物が雑多に紛れ合っているこの広場であっても、食べ物の匂いを嗅ぎ分けることなど造作も無い。


「見つけたぜっ!」


 目を見開くやいなや、突進と見紛う速度でもって人波に飛び込んでいく。

 極端なまでに身を引くくし、目の前に次から次へと現れる人間という名の障害物の隙間を、針の穴に糸を通すがごとき正確さですり抜けていく。

 小規模なつむじ風を巻き起こして駆け抜けたカイエンは、目的の匂いの前まで到達すると、地面にブレーキ痕を刻みながら停止した。


 匂いの源は一軒の屋台だ。

 大きな鍋が二つ、調理台の上で薪火に熱されてぐつぐつと揺れている。鍋と蓋の間から漂ってくるのは、複数の香辛料と肉汁の匂いが混然一体となった、得も言われぬ香りである。

 美味そう以外の感想が思いつかないこの香りこそ、カイエンを一本釣りしてのけた張本人であった。


 ちょうどその時、通りがかった客が屋台の女店主に注文する。

 大きな布で髪を束ねている女店主は愛想の良い笑顔で頷くと、あらかじめ何枚も焼き上げてあった円形の薄い生地をおもむろに手に取った。蓋を外した片方の鍋から具を掬い、生地の中央に投下した具を柔らかな生地で巻き上げ、今や遅しと待ち構えている客へと手渡す。


 一切の淀みを感じさせない、実に流麗な手さばきである。

 流れるように代金の受け取りまでこなした女店主がふと顔を上げると、そこには道着を着込んだ見たことのない少年が、至近距離から屋台を覗き込んでいた。


「ヒィッ、誰だい、アンタ!?」


 思わず悲鳴が口をついて出る。が、それも無理からぬ話だろう。

 唐突な出現に意表を突かれたというのもあるが、鋭く細められた少年の眼差しはまるで刺し貫かんとするかのようで、獲物に喰らいつく寸前の狼を彷彿とさせる。

 今にも涎が零れそうになっている口は半開きとなり、喉奥からぐるぐると威嚇するような音を漏らしていた。

 はっきり言って怖い。


 そんな威圧するような様子とは裏腹に、少年は気さくに女店主の誰何に応じたのであった。


「俺か? 俺はカイエンだ。それ、めちゃくちゃ美味そうだな」

「……もしかして……客なのかい?」


 女店主が恐る恐る尋ねてみると、カイエンは首が取れそうな勢いで首肯してのける。


「ああ、腹が減ってペコペコなんだ」

「なんだい、客ならそうと最初に言いなよ。動転しちまったじゃないかい」


 一安心して胸を撫で下ろす。

 ひとしきり文句を垂れながら、女店主は生地に具を盛りつけると、慣れた手つきでそれを包み上げた。

 その一挙手一投足に注目して来るカイエンの様子に苦笑を漏らしつつ、女店主が完成した料理を手渡してやると、カイエンは目を輝かせて勢いよくかぶりついた。

 その途端、生地に包み込まれた具材のありとあらゆる旨味が、カイエンの口内で爆発する。


「美っっっ味いなっ、これ!!」


 目を白黒させ、感動に打ち震える。

 空腹という後押しも勿論あるのだろうが、複数の香辛料を複雑に組み合わせて新たな味へと昇華させる料理の作法は、カイエンがこれまで味わってきたどの料理とも一線を画していたのである。


「わふっ!!」

「おっと、悪かったな。ほら、食ってみろよ。物凄く美味いぞ」


 足元にじゃれついてくるヘイに、半分に千切った片方を差し出すと、勢いよくかぶりついたヘイも驚いた様子で、コロコロと目まぐるしくその表情を変化させた。

 好リアクションの数々に、女店主は得意げに胸を張る。


「ふふん、うちの香辛料の配合は秘伝中の秘伝だからね。そこいらの店には真似のできない味なのさ」

「おおっ、秘伝か。そいつは凄えな。その凄いやつ、もう一個くれ」

「はいよ。一つ5ラピで、二つ合わせて10ラピだね」

「そういや、さっきの魚屋も言ってたけど、ラピって何だ?」


 カイエンの発した素朴な疑問に、女店主はぴたりと動きを止めた。客へ向ける愛想笑いから、不審者へ向ける疑惑の視線へと表情を移行させつつ、ややドスの利いた声音で尋ねる。


「ラピっていえば、この国の通貨に決まってるじゃないかい。もしかしてとは思うけど、アンタ、お金は持っているんだろうね?」

「金なら無いぞ」


 打てば響くといった反応速度で、カイエンははっきりと告げる。

 それを聞いた女店主は、地の底から響いてくるような陰鬱な調子で、


「ほほう。つまりあんたは、このあたしを相手に食い逃げをかまそうって魂胆なわけだね」

「あれ? もしかしてさっき食ったやつって、くれたんじゃなかったのか?」

「そんな訳ないだろっ! 馬鹿にしているのかいっ!」


 本気で驚いていることは疑いようのないカイエンの吃驚顔に、女店主は噛み付くように吠える。

 胸倉を掴もうとするもスウェーで回避され、怒り心頭に発した女店主は生地を伸ばす際に使っている麺棒を引っ掴むと、頭から湯気を噴き出しつつ屋台の外に躍り出た。


「なんだなんだ」

「喧嘩か?」

「食い逃げらしいぞ」

「あーあ、あの女将から食い逃げしようだなんて、無謀な奴もいたもんだな」


 女店主の剣幕が引き寄せたのか、周囲の人々がカイエンと女店主を囲むように見物の人垣をこしらえる。

 即席の舞台の真ん中で、カイエンと女店主は対峙した。


「随分と舐めた真似をしてくれたじゃないかい。1ラピを笑う者は1ラピに泣く。きっちりと落とし前をつけさせてもらうよ」

「あー、その、金が無いのに飯を食っちまったのは悪かったよ。謝るから、騒ぎにするのは勘弁してくれないかな。ほれ、この通り」

「問答無用! 覚悟しな!」


 騒ぎを起こせば最悪の場合、街から追い出されるという。まだ怪鳥の情報を入手していない以上、今追い出されるわけにはいかないと、カイエンは頬を掻きながら頭を下げた。

 しかし女店主にとって、カイエンの都合など知ったことではない。

 むしろ盗人猛々しいとでも言わんばかりに、天に向かって突き立てるように麺棒を構えると、裂帛の気合と共に振り下ろさんとする。


 まさにその時だった。

 蹄が地面を抉る地響きのような音が耳に飛び込んできたかと思うと、馬に乗った衛士服の男が通りに飛び出してきたのである。

 相当に急ぎの伝令らしく、馬は速度を落とすことなく人垣に突っ込んでくる。


「どけっ、踏み潰されても知らんぞ!」


 馬の背から投げつけられる切迫した通告に、通りを塞いでいた野次馬達が蜘蛛の子を散らすように道を開ける。

 誰もが我先に道の端に寄ろうとするその流れに背を押され、女店主はよろめくと、己の屋台へと倒れ込んでしまった。


 両手をついた拍子に屋台が大きく揺れ、火に掛けていた鍋がバランスを崩したかと思うと、その中身が盛大にぶちまけられる。

 じっくりと煮込まれた大量の具材が頭上から降り注いで来る様を、女店主は音が消えて時間が止まったかのようにゆっくりと流れる視界の中、呆然と見上げることしかできなかった。


 大量の熱された具材を頭からかぶってしまえば、どんな奇跡が起きたとしても全身大火傷は免れないだろう。

 となれば、妙に時間が間延びして感じられるこの瞬間は、噂に聞く走馬燈というやつに違いあるまい。

 頭の中のどこか冷めた部分が、そんな益体もない思考を弄んでいる間にも、鍋の中身は女店主へと迫り――


 突如、ぐいっと体が引っ張られる感触が女店主を襲ったかと思うと、世界に音が戻ってきた。

 同時に目の前に鍋が倒れ込み、鼓膜に響く金属音と共にアツアツの具材が地面に拡散していく。

 窮地に一生を得た女店主は、その光景を呆然とした表情で眺めることしかできない。


「ふう、危なかったな。間に合ったみたいで何よりだぜ」

「……あんたが助けてくれたのかい?」


 首裏の襟を掴んでいるのがカイエンなのだから、今更問うまでもないのだが、放心状態の女店主はつい確認してしまう。

 つい今しがたまで脳天をかち割ろうとした相手に命を助けられたのだから、動揺を隠せないのも無理はない話ではある。


 それでも女店主は己を叱咤し、どうにか深呼吸をして息を整えると、差し出されたカイエンの手に掴まって立ち上がった。


「あー、その、なんだい。いきなり殴ろうとして悪かったね」

「いや、人間社会じゃ金を持ってない方が一方的に悪いんだろ。リンカが以前にそう言ってたぞ」

「……随分と偏った交友関係みたいだね。まあいいさ、助けてもらった礼をさせとくれ。うちの屋台で好きなだけ食べていって構わないよ。もちろん、お代はいらないからね」

「え、いいのか!? 本当に好きなだけ食っても怒らないのか?」


 女店主の申し出に、カイエンは目を丸くして訊いてしまう。裏表の無いその反応に、女店主は頬を緩ませ、任せておけとばかりにドンと胸を叩いてみせた。


「当たり前じゃないかい。命の恩人への御礼なんだ。ケチケチしていたら女が廃るってもんさ」

「おおおっ、すげえっ、太っ腹だ! よっしゃ、それじゃあ遠慮なく食うぞー!」


 拳を握り締め、固い決意の雄叫びを咆哮するカイエン。

 この野生児には本当の意味で遠慮という概念が皆無であることを、女店主はまだ知る由はなかった。

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