野生児は邂逅す1
「お、見えてきたぜ。あれがカルマかな?」
街道の彼方にほんのりと浮かび上がった点を嬉しそうに指差し、カイエンは傍らで手元の地図に視線を落としているリンカに呼びかけた。
旅芸人の一座と別れて丸一日以上。早く巨鳥をこの目で見てみたいカイエンの心は逸るばかりで、集落らしきものを見かけるたびに同じことを聞いてくるため、リンカはすっかり耳にタコができている。
そのたびに目を凝らすことを余儀なくされていたリンカだったが、我慢強く途中の村で購入しておいた地図と見比べると、とうとうとばかりに頷いた。
「ええ、地図が正しければ、あの街がカルマで間違いないと思うわ」
「うひー、ようやくか。思ったよりも距離があったな」
「わふぅ……」
やっと目指す地を視界にとらえたからか、気の抜けた口調でカイエンはしみじみ呟く。同意するように、ヘイもくたびれた様子で頷いた。
昨日の段階ですでに山の姿が見えていたため、てっきり半日程度の距離かと侮ってしまっていたが、実際には倍以上の時間がかかってしまった。
これは単純に、山の標高が高過ぎたため、遠近感を狂わされたことに起因している。
おかげで野宿を余儀なくされたが、今日こそは暖かい寝床にありつけそうだ。
「ここまで来れば、あと一息って訳だな。よっし、ヘイ。カルマまで競争しようぜ」
「わんっ!?」
「はははっ、勝負は既に始まっているのだ! ぐへっ!」
いきなり勝ち誇って駆け出さんとしたカイエンだったが、間髪入れずにリンカに襟首を掴まれたおかげで、気道が圧迫されて盛大にむせ返る。
七転八倒して転げ回るカイエンを、リンカは冷ややかな瞳で見下した。
「入国税も払えないくせに先走ってどうするつもりよ。ごねて面倒事を起こされたら、後始末をするのは私なんだからね」
「げほっ、だからっていきなり首絞めなくてもいいだろうが。ところで、入国税ってなんだっけ?」
きわめて根本的な質問に、リンカはこれみよがしに天を仰ぐと、びしりと指を突きつけて言い聞かせにかかる。
「読んで字のごとく、国に入る際に支払う税金よ。出国税といって、国を出る際にも税金がかかるみたいね」
「ふーん、そうなのか。でも、これまではそんなもの払ったことないんじゃないか?」
「ま、ロザン皇国内はそういった税金は全部撤廃されてるし、大砂海を越えてすぐのタルコスの街も、皇国の影響で街の出入りに関する税金は免除されてたから、確かにカイエン君には初めての体験かもね」
これまで辿ってきた道のりを思い返し、リンカは静かに納得する。
皇国以外では割と一般的な類の税金なのだが、幸か不幸かこれまで遭遇することがなかったため、実感が沸いていなかったらしい。
ちなみに路銀その他、お金に関する一切はリンカが一手に担っていた。
野生児を地で行くカイエンにうっかり財布を預けようものなら、後先見ずに使い切る程度ならばまだましで、子供騙しで見え見えの詐欺に引っ掛かるといったトラブルに発展するであろうことが想像に難くなかったためである。
「というか、入国税の話は昨日教えてあげたでしょう。もう忘れたの?」
「うんにゃ、忘れたんじゃなくて聞いてなかったんだ」
悪びれることなく言い切ってみせる野生児の脳天にチョップを叩き込み、じわじわと訴えかけてくる頭痛を気力で振り払うと、リンカは改めて口を開いた。
「はあ……ということは、カルマについての説明もまったく聞いていなかったってことよね。仕方ないわ。もう一度説明してあげるから、今度はちゃんと聞いておいて頂戴」
そう言うと、カイエンがこくこく頷いたのを確認し、リンカはここに至るまでの道中で拾い集めておいた情報を諳んじた。
「都市国家カルマ。王都カルマとその周辺地域からなる小国よ。ヒムレス山脈の麓を主な版図としていて、山脈由来の鉱物、植物、動物資源の加工と輸出が産業の柱らしいわ。カイエン君にも理解できるように言い換えるなら、山師と樵と狩人の国ってところかしらね」
「ほうほう、なるほどなるほど」
理解しているのかいないのか、適当な相槌を打つカイエン。
本当に理解しているのか、若干どころではなく疑わしいのだが、逐一突っ込んでいては日が暮れても話が終わらないため、リンカは疑念を振り切って解説を続ける。
「山脈に染み込んだ雨が豊富な地下水になっているおかげで、街のあちこちに井戸が掘ってあるらしいわ。ほぼ自給自足だけで国が回っているから、国全体の傾向としては閉鎖的。とはいえ、入国税さえ払えばお客様っていう割り切りは持っているみたいだから、入るのを咎められたりはしないと思うけど」
「ふーん、そうなのか。まあ、もし入れなくても、街は無視してヒムレス山脈に登って、巨鳥の霊獣を探しちまえばいいだけだけどな」
「ふっ」
気楽に流そうとするカイエンの感想を、リンカは鼻で笑い飛ばした。
「甘いわ、甘々よ。カイエン君、その目論見は甘すぎると言わせてもらうわ」
「ちなみにどれくらい甘いんだ?」
「そうね。干した果実の蜂蜜漬けをメープルシロップの角砂糖添えで頂くくらいかしら」
「……なんか、想像しただけで吐き気がしてきたぞ」
比喩を想像してしまったらしく、げんなりとするカイエン。
一方のリンカは、それすら嘲笑って言葉を続ける。
「一口にヒムレス山脈と言っても途轍もなく広大よ。それこそ、隅から隅まで探索し尽すつもりなら、霊紋持ちであっても年単位の時間は見込んでおく必要があるくらいにね。カイエン君はそんなに長い間、当てもなく山の中を彷徨いたいのかしら?」
「俺は別に野宿でも構わないけど……まあ、どこにいるか分からない霊獣を探し続けるってのは、確かに面倒臭そうだな」
仮ではあるが相手の同意を得ることができ、リンカは満足げに首肯する。
「だからこそ、カルマ王家が巨鳥を崇めているっていう情報が活きてくるわけね。もしかしたら、具体的な居場所や出会うための手順が分かるかもしれないでしょ」
「おお、なるほど。そう言われたらそんな気がしてきた! やっぱり頭良いな、リンカは!」
「ふっふっふ、正直カイエン君がチョロ過ぎて少し心配になってくるけど、それはともかくとして、もっと褒めて構わないわよ」
胸を張ってふんぞり返るリンカ。対するカイエンは目を輝かせ、
「要するに、カルマの街で聞き込みをして、霊獣の居所を調べろってことだな。よっしゃ、そうと決まれば善は急げだ。ヘイ、カルマまで競争しようぜ! げほっ!?」
「入国税が必要だって言ってるでしょうが。教えてあげたそばから忘却してるんじゃないわよ!」
「わぉん……」
フィルムを再生したかのように、先程と寸分たがわぬ動きでリンカに襟首をふん捕まえられ、勢い込んで駆け出そうとしたカイエンがむせて悶絶する。
あまりの学習能力皆無っぷりに、ヘイはただ物悲しそうに首を振るのみだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
それから数回のすったもんだを繰り返した結果、一行がカルマへの入国を果たしたのは、昼飯時をすっかりと過ぎた時刻だった。
霊獣の情報を探すという目的を抜きにしても、初めて足を踏み入れる街並みにカイエンの好奇心は疼いて止まない。
入出国の手続きに使用している門をくぐるやいなや、リンカの制止すら巧みに潜り抜けてダッシュすると、あらかじめ聞いていた街の大通りまで脇目もふらずに走り抜ける。
土煙を巻き上げてブレーキをかけると、カイエンは全身の五感をフル稼働させて、周囲の様子を観察した。
馬車がすれ違えるほどの道幅を誇る通りは綺麗に整備され、都市の最奥に見える宮殿に向かって真っすぐ伸びている。
ところどころに設置された滑車付きの井戸は、リンカから聞いていた地下水をくみ上げるためのものだろう。誰でも使えるように公共の場所に設置してあるところからみても、山脈のもたらす水量は相当のようだ。
往来を行き来する人々の見た目は様々だが、大半を占めているのは薄い褐色の肌に黒髪の出で立ちだ。どうやら民族衣装の類らしく、男性は胸元に切れ目の入っているぴっちりとした薄手のシャツを着込み、女性は逆にかなり緩めのワンピースを着た上から、透けるように薄い一枚の長布を幾重にも巻き付けている。
彼等は異邦人丸出しな人相風体のカイエンに気付くと、まずは不審人物を見る眼差しでカイエンを見やり、無邪気に周囲を眺めている様子から悪い人間ではなさそうだと判断したのか少し警戒を緩めるも、声を掛けたりはせず、どこかよそよそしい雰囲気を残したまま足早に立ち去っていく。
「どうも聞いていた話とは違うわね」
「違うって、何がどう違うってんだ?」
いつの間にか追いついていたリンカの独り言に、カイエンは素早く反応する。
リンカ自身、無意識に発していた言葉だったらしく、しばしの間カイエン同様に大通りの光景を観察していたが、考えが纏まると、カイエンの袖を引いて道の端に寄った。
「途中の村で聞いていた話だと、カルマの人達はもっと警戒感が薄くて、簡単に言いくるめられそうな印象だったのよ」
「随分と失礼な印象もあったもんだな」
「でも、カイエン君も感じた通り、見た目が余所者だってだけで結構な警戒を抱いていたじゃない。それだけじゃなくて、人通りも少な過ぎるわ」
そいつは気付かなかったとカイエンは密かに感心する。
確かに言われてみれば、大通りの立派さに引きずられて見落としていたが、往来を歩く人影はまばらといってよい少なさだった。
普通に考えてみれば、幅の広い通りというのは通行人が多いからこそ必要とされるのであって、閑散としているのであれば幅広の道など、手入れに手間がかかるだけの無用の長物に他ならない。
「でも、人口が少ないって雰囲気じゃないのよね。大通りに出るまでの道でもそうだったのだけど、どうやら皆、建物の中に閉じこもっているみたい。まるで何かを恐れているようだわ」
「ははあ、そんなもんか。ちょっと見ただけで、よくそこまで想像できるもんだな」
「ありがとう。そこは色々な経験の賜物とだけ言っておくわ。ともあれ、この状況はちょっと気に掛かるわね。調べてみる必要がありそう」
右手で口元を覆い隠しながら、リンカは独白めいて方針を告げる。
こういった方面において、リンカの勘はカイエンの嗅覚並の精度を誇る。その勘が発する危険信号を無視することなど、リンカには想像もつかない。
そしてその手の勘が一切働かないことに定評のあるカイエンはというと、面倒そうな雰囲気を隠そうともせず唇を尖らせた。
「そんなことより、俺はとっとと怪鳥の情報を聞き込みしたいぞ」
「……そうね、カイエン君はそうして頂戴」
ほんの少しの逡巡の後、リンカはカイエンの意見を肯定する。
「正直、カイエン君が一緒に来ても、邪魔になるだけで調査の役には立たなそうだもの。だったら、ここは二手に別れるべきでしょう。私は街の異変について探りを入れてみるから、カイエン君は王家の崇めている怪鳥について聞き込みをお願いするわ。いくらカイエン君がカイエン君だとしても、それくらいなら出来るでしょ」
常識人ならば馬鹿にしているのかと立腹すべき言い草であったが、カイエンは文句一つ付けることなく、むしろ喜び勇んでドンと胸を叩いてみせた。
「おうよ。怪鳥の方は俺に任せとけ」
「カイエン君に任せるなんて、トラブルの予感しかしないのだけど……まあいいわ、ここは適材適所だと思うことにしておきましょ。あ、そうだ、カイエン君、首を出してくれるかしら」
「ん、こうか」
言われるがままに喉仏を突き出せば、リンカの指先が躍るように翻る。
そこには、じっくりと目を凝らさなければ見えない程の非常に細い糸状の影が、陽光を吸収して黒々と伸びていた。
この糸こそ、リンカの霊紋持ちとしての能力の一端である。
影の精霊を宿した第二階梯の霊紋持ちであるリンカは、影を自由自在な形状に変化、操作させられる他、その影をセンサー代わりとして遠隔から情報を得ることを可能としている。
今回は影の糸をあらかじめカイエンに取りつけておくことで、その居場所を常に知ることができるというわけだ。
油断するとすぐに姿を消して騒動を招き寄せてくるカイエンに、文字通り縄をつけるべく、最近になってリンカが考案した方法である。
この際、トラブルを引き起こすことには目をつぶり、動向だけでも把握しようという苦肉の策とも言える。
ともあれ、首を一周するように糸を生成すると、影は肌に同化するように隙間なく巻きついた。
「これでいいわ。無駄だとは思うけど、くれぐれも余計な騒ぎは起こさないように注意して頂戴。こんなに警戒されている中でうっかり事件なんか起こしたら、最悪の場合は国外退去になるかもしれないからね」
「わふっ、わうっ!」
「ええ、ヘイ君はくれぐれもカイエン君のお守りをお願いね」
「ひどい言い草だな。少しは俺を信用しろよ」
抗議を受け、リンカはカイエンの過去の行状を思い返すと、どこか諦めに似た境地でヘイに語りかけた。
「ヘイ君、まず間違いなくカイエン君は騒動を起こすに決まっているから、最悪の事態だけは避けるように努力してもらえるかしら」
「わおん」
ある意味でこれほどにカイエンを信用した頼み方もあるまい。
満場一致で旅の仲間からトラブルメーカーと断定され、カイエンは心外そうに頬を引き攣らせるのだった。
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