虹砂帯の暴威3
やばい、一万字超えてた。
目が疲れた時は適宜休憩を入れてください。
戦いは佳境へと差し掛かっていた。
砂上船など比較対象にもならず、大砂海の一族が拠点とする浮島と並べてもなんら遜色のない程の巨体。見上げても全容を把握するのが困難なその霊獣は、まとわりついてくる小うるさい輩を排除すべく、超重量を支える極太の脚の一本を無造作に振るった。
遠目から見ればゆったりとした動作にも思えるが、手の届く距離にいる者からすれば、小山のごとき質量が風を切って迫ってくるのである。生きた心地がしないとはこの事だ。
常人ではかすめただけでも粉砕されるは必至。アミン=ナナという手練れの霊紋持ちであっても、辛うじて防御の体勢を取り、衝撃に備えるのが精一杯だった。
巧みな操船で島蠍の足元を縫うように航行していた砂上船だったが、遂に躱しきれずに船体が接触されるや、まるで塵か埃のようにアミン=ナナ諸共はねのけられる。
ただそれだけ。たった一撫でで、頑丈さを主眼において建造された砂上船が、完膚なきまでに粉々となる。不幸中の幸いというべきか、アミン=ナナの小柄な体は全身の骨格が軋みをあげているものの、霊紋持ちの頑丈さに助けられてまだ五体満足を保っていた。
だが、足場となるべき砂上船が失われた今、これ以上の足止めは難しいことは明白である。
(はっ、ここまでかい。あたいとしたことが、随分とドジを踏んじまったねぇ)
山なりの放物線を描きながら、アミン=ナナは奇妙なほどに穏やかな心持ちで回想する。
アミンの民の浮島が島蠍に最も近かったらしく、誰よりも先駆けて虹砂帯に踏み込んだアミン=ナナは、後続を待たずに一人で島蠍へと仕掛けることに決めた。
どうせ待っていても期待できる増援はダ=ジィルだけなのだ。どちらにせよ勝ち目が薄い喧嘩ならば、万が一に賭けてみても罰は当たるまい。
だが、残念ながら――あるいは当然の帰結として、残り九千九百九十九の外れクジを引き当てたらしい。自慢の青龍偃月刀は伝説の霊獣相手にも力負けすることなく、多少なりともその外殻を削ることができたのだが、島蠍全体の体積からすれば痛打と呼ぶにはほど遠い。
それどころかたった一度身じろぎしただけで、アミン=ナナの方が砂上船ごと砂海の藻屑へ変わろうとしている有り様だった。
じんわりと広がる諦観と共に下降曲線に乗ったアミン=ナナが、あわや大砂海に叩き付けられようかというその直前、落下地点の砂が不意に蠢くとぐにゃりと形を変え、半球状に窪んでアミン=ナナの背を優しく受け止めた。
露骨に不自然としか言いようのないこの砂の挙動には、いやというほど心当たりがある。青の一族、ダの民の霊紋持ちにして砂霊の加護を持つ男。ダ=ジィルの仕業に相違あるまい。
できればこいつが来るより先に決着をつけたかったのだが、そう上手くは行かなかったらしい。
「随分といいタイミングじゃないかい。もしかして狙っていたんじゃないだろうね」
「否定する。我々は今辿り着いたばかりだ」
「はんっ、相変わらず堅物だねえ。妹も、何が気に入ってあんたを選んだんだか、さっぱり分からないよ……って、我々だってぇ?」
軽口の途中でありえないはずの表現に気付き、慌てて跳ね起きる。
クッション状の砂面から顔を突き出してみれば、そこにはダ=ジィルの操る砂上船に加えてもう一隻、つい最近知り合ったばかりの面子が揃った船が並んでいるではないか。
「見ていたわよ。随分と派手に吹き飛ばされたものね」
「ちぇっ、リンカ達じゃないかい。こんな所に何の用があって来たんだい」
少しばつが悪そうにアミン=ナナが唇を尖らせると、砂上船の縁から覗き込んでいたカイエンが胸を張って答える。
「虹砂帯を見に来たんだ。あと、ついでに島蠍を見物に」
「冷やかしなら帰ってもらえるかねえ」
「カイエン君、そっちは本音でしょ。こういう時は建前を言わないと」
身も蓋もないリンカの指摘に、カイエンは「おお、そうか」と納得した面持ちで頷くと、満面の笑みで言い直す。
「俺達も島蠍退治を手伝いに来たぜ。面倒事は勘弁だけど恩が売れそうだから手伝ってやるかって、リンカも言ってたしな」
「ちょっ、カイエン君! 建前と見せかけて私の本音を暴露するのはやめて頂戴!」
「おいダ=ジィル、こいつらは手伝いに来たのか邪魔しに来たのか、一体どっちなんだい」
「手伝いだ。きっと……多分……おそらく……」
尻すぼみになっていく未来の義弟の背中に、アミン=ナナはやれやれと溜息をつかされた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「なるほどね、それだったら確かに可能性があるかもしれないねえ」
リンカから簡潔に説明された作戦の概略に、アミン=ナナは唸りながら同意した。
大砂海から引き上げられたアミン=ナナは、ひとまずダ=ジィルの操る砂上船に乗り込んでいる。
併走するあすみ丸と共に、ダ=ジィルが砂を操ってこれを操作しているため、時々思い出したように降ってくる島蠍の踏み潰し攻撃も、結構な余裕を持って回避できている。
もっとも、島蠍にしてみても本気というわけではないらしく、攻撃は散発的なものにとどまっていた。
今は砂鮫を喰らうのに夢中な様子で、地響きのような音を立てて大量の砂が島蠍の口中に吸い込まれては、砂鮫を濾し取られた残りが甲殻の隙間から滝のように流れ落ちている。
「作戦は分かったよ。だけど一つだけ、重大な問題があるんじゃないかねえ?」
「あら、何かしら?」
アミン=ナナが疑問を呈すると、即座にリンカが反応した。
口振りこそ意外な風を装っているが、その目には動揺の色は一切見られない。おそらくは反論が出てくることも予想済みなのだろう。何しろ、作戦の根幹とも言える部分に、これ以上ない程の不確定要素が据えられているのだから。
想定通りの質問をしてやるのは少しばかり癪ではあるが、些細な事だと己を納得させると、アミン=ナナはおもむろに尋ねる。
「雷尾といったって、ヘイはまだ子供なんだろう。本当にそんな真似ができるのかい?」
皆の視線が一斉にヘイへと注がれる。少しばかり緊張した様子で、ヘイはぶるりと滑らかな毛皮に覆われた全身を震わせた。
アミン=ナナの言葉通り、リンカの立てた作戦はヘイの活躍がその根幹にある。ぶっちゃけて言えば、ヘイが期待通りの役割をこなせるかどうかで成否が決まるのだ。
失敗すれば大砂海が滅亡の危機に瀕するというこの事態では、確証も無い迂闊な一点賭けはさすがに憚られる。特にほんの少しでも勝機が見えた現状において、それを掴むために細心の注意を払うというアミン=ナナの慎重さは、褒められこそすれ後ろ指を指されることはあるまい。
「ああ、大丈夫だ。ヘイに任せとけ」
「いや、カイエン君が答えるのは違うでしょ。ここはせめて、ヘイ君マイスターであるこの私が――」
いつも通りにわちゃわちゃ騒ぎ始めた二人には目もくれず、アミン=ナナはしかと雷尾の幼体を見据える。するとヘイは物怖じすることなく、ふさふさの尻尾をぴんと立てると、つぶらな瞳に強い決意の光を灯してアミン=ナナを見つめ返してきた。
「がうっ!」
「ふふん、中々良い面構えをするじゃないか。気に入ったよ、あんたに賭けてみようじゃないかい」
常になく気迫の込められたヘイの吠え声に、アミン=ナナは思わず口角を引き上げる。
ヘイの言葉は理解できずとも、言わんとしていることは十分に伝わってきた。
最後にダ=ジィルが中心となって詳細な役割を確認すると、いよいよ彼等の一世一代の大勝負が始まった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
島蠍は久方ぶりの食事を次々と飲み下しつつ、ちょこまかとまとわりついてくる連中を鬱陶しく感じていた。
サイズ差だけならば子供と大人どころではないのだが、どういうわけか思い出したように、刺すような痛みを伴って噛み付いてくるのである。
遠い過去の記憶でも、妙に力の強い小虫を相手にしていたような気はするのだが……どうにも思い出せずに記憶のサルベージ作業を放棄すると、島蠍はとうとう重い腰を上げ、邪魔者を排除に乗り出すことにした。
「来るぞっ」
注意を促すダ=ジィルの声が鋭く響いたかと思うと、カイエン達の乗る砂上船がグンッと加速する。足の裏が船底に押し付けられるような感覚に耐えていると、目を見張る速度で砂上を移動し続ける船の航跡を追うように、島蠍の脚が連続で叩きつけられた。
「ヒイィィッ! 潰れるッス、もうおしまいッスー!」
上を見上げれば左右あわせて八本もの毛むくじゃらの脚が、明確な殺意となって雨あられと降り注いで来ていた。とても生きた心地がしないハカクは、気付けば腰を抜かしてへたり込んでしまっていたが、ダ=ジィルはその醜態にはまるで取りあうことなく、ただ静かに己の霊紋を活性化させる。
活性化した霊紋は背後の霊像をより鮮明に浮かび上がらせ、比例するように砂を操作する能力も青天井に出力を上げていく。
それによって更なる加速を得た砂上船は、間一髪で島蠍の踏みつけ攻撃網を潜り抜けると、速度を全く緩めぬままに尻尾側へと走り抜けた。
「アミン=ナナ、任せた」
「任せておきな」
張りのある声が応ずれば、青龍偃月刀を肩に担いだ小柄な姿が砂上船から飛び出して行く。
その全身が薄っすらと輝き、複雑怪奇な紋様が手足のみならず頬や額にまで浮かび上がると、背後に従えた霊像と寸分の狂いなくシンクロした動作で、アミン=ナナは相棒である青龍偃月刀を振り抜いた。
「っせや!!」
気合一閃、飛翔する斬撃が空を裂く。
回避をダ=ジィルに任せ、ただひたすら攻撃のために練り上げられた霊紋の力は先程までとは比べ物にならない。どう頑張っても表面を傷つけるのが精一杯だった甲殻に、深々と一条の傷を穿つと、そこから青い体液が間欠泉のように噴き出した。
とはいえ、傷をつけた程度で一喜一憂はしていられない。手応えを確かめる暇も無く、ダ=ジィルの能力で空中に生成された足場を蹴って砂上船に舞い戻ると、島蠍はようやく傷をつけられたことに気付いたようで、苦痛に憤るかのように身をよじりながら砂上船へ向き直った。
これまではだらりと下げられていた大鋏と尻尾も高々と構えられており、この超弩級の霊獣がダ=ジィル達の存在を明確な敵として認識したことは間違いない。
これまで以上に苛烈を極めるであろう攻勢が予想され、ダ=ジィルは我知らず一筋の冷や汗を垂らしていた。
それを証明するかのように、砂上船の衝角が子供騙しとしか思えない凶悪な外見の大鋏が振り下ろされ――その瞬間、ダ=ジィルの横をいつぞやのように人影が駆け抜ける。
「ダ=ジィル、足場頼むぜ!」
強大な敵にまるで怯む素振りもなく、初めて会った時同様に髪の毛一筋ほどの躊躇も見せず砂上船から身を躍らせたのは、他でもないカイエンであった。
大砂海では見慣れない道着を着込んだ手足には、霊紋の光が薄っすらと浮かび上がっている。
その呼びかけで我に返ったダ=ジィルが慌てて手をかざすと、これまでの戦いで空中に撒き散らされていた砂が急速に固まり、次の瞬間にはカイエンの要望通り、無数の足場が生成されていた。
カイエンの双眸がギラリと鈍く輝く。
跳躍の最中、両手を肩の位置まで持ち上げ、膝を曲げた体勢を取ったカイエンは、最初の足場に着地すると、獣が牙を剥くように獰猛な笑みを浮かべる。
「九鬼顕獄拳、奥伝の一・双角」
その声がわずかに耳に届いたかと思った瞬間、声を発したカイエンの姿がかき消える。
いや、そうと錯覚させるほどの速度で足場を蹴って跳躍したのだ。
それもただ闇雲に跳んだわけではない。速度を落とすことなく次の足場へ到達すると、再び足場を蹴って次の跳躍の推進力となす。
言葉にすればその繰り返しでしかないはずなのだが、跳躍の度に徐々に加速を重ねると、霊紋の光を彗星の尾のように白くたなびかせ、あっという間に島蠍の大鋏へと到達する。
無論、到達して終わりのわけがない。
もはや常人には影すら見えない速度に達していたカイエンは、勢いそのまま、さながら砲弾のごとくに島蠍の大鋏を横から殴りつけていた。
ゴヅン
生き物が生き物を殴っているとはにわかに信じがたい、重く硬い音。
たとえ霊紋持ちが相手でも一撃で意識を刈り取れそうな打撃であったが、それでも圧倒的な質量を誇る島蠍には決定打とはなりえない。
ほんの少し大鋏を振り下ろす速度が落ち――それだけが今の一撃が成し遂げた成果だった。
こればかりは島蠍の質量をさすがと評価するしかない。
九鬼顕獄拳の二つの型を同時に繰り出す奥義を駆使し、「翔鬼の型」によって間合いを詰め、「剛鬼の型」によって強烈な拳撃を叩き込んだのだが、それでもまるで足りないのである。
だが、カイエンはまるで落胆することなく、再び連続して跳躍した。
ガヅン ガヅン ガヅン ガヅン
ゴヅン ゴヅン ゴヅン ゴヅン
ガヅン ガヅン ガヅン ガヅン
ゴヅン ゴヅン ゴヅン ゴヅン
今度は打撃音すらも連続する。
鞠のごとく跳ね回り続けるカイエンが、跳躍の度にすれ違いざまに拳を叩き込んでいるのだ。
一発で駄目なら十発、十発で駄目ならば百発。シンプルな数の論理が功を奏し、振り下ろされかけていた大鋏の軌道が大きく逸れると、砂上船から遠く離れた砂海に突き立つ。
「よっしゃあ、どんなもんだ!」
「流石だな、カイエン」
砂上船に無事着地を決めガッツポーズをするカイエンを、苦笑と共にダ=ジィルは労う。
島蠍を取り囲むように沢山の足場を作ってくれと頼まれた時は、一体どうするつもりなのかと尋ねてしまったが、なるほど先程の技を繰り出すためには無数とも言える数の足場が必要だったというわけだ。
「浮かれてるんじゃないよ。今のあたい達の役目は陽動なんだ。遊んでる暇があるなら、奴の注意をもっとこっちに惹きつけな!」
「言われなくても分かってるって」
「無論、承知している」
気を引き締めるアミン=ナナの喝に応えるように、三人の霊紋持ちは再び人外の技の応酬を繰り広げるのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「そろそろいい頃合いかしらね」
「くぅーん」
身を潜めていた砂上船の残骸からひょこりと起き上がると、リンカは胸元に抱いていたヘイと共に、随分と遠くで繰り広げられている激戦を観察した。
今のところは一進一退といったところか。
唯一、島蠍の強靭な甲殻を切り裂くことが可能なアミン=ナナを攻撃に専念させ、砂を操るダ=ジィルが砂上船の回避を担い、どうしても避けきれない攻撃はカイエンが防御する。
即席チームにしてはなかなかどうして健闘しているようだが、綱渡りなのは明白だ。誰かが一手しくじれば、均衡は容易く瓦解するだろう。
そしてリンカとヘイの役目こそ、その均衡をカイエン達の側へ傾けさせる極めて重大なものであった。
「それじゃあ行くわよ、ヘイ君」
「わふっ」
気合十分なヘイが頭の上に張り付いたことを確認すると、そのモフモフしっとりとした感触に一呼吸だけ頬を緩めた後、リンカは残骸の陰から移動を開始する。
目の前に聳えるは島蠍の脚の一本。あちらこちらに人間よりも長く太い毛が突き出すように生えている。
リンカの知識によれば、蠍の毛は触覚を司る感覚器となっているはずだ。霊獣である島蠍にどこまで理屈が通じるかは分からないが、用心をして損になることはあるまい。
島蠍に気取られずに近づくため、こうしてアミン=ナナの砂上船の残骸に身を潜め、自然に漂って接近したと見えるようダ=ジィルに誘導してもらったのである。わざわざここで不要なリスクを冒すなど、愚の骨頂以外の何物でもない。
リンカは軽く上を見上げてルートを確認すると、まばらに生えている毛に触れぬよう気をつけながら登攀を開始した。
島蠍の外殻は硬質で一見すると登りにくそうだが、そこここに足場や手掛かりとなる凹凸があるため、登るだけであれば難易度はさほどでもない。
だが、島蠍が敵を排除しようと暴れている上、登っている事を気取られないように注意するとなると、その困難さは並大抵ではなくなってくる。
その点、仮にも霊紋持ちであり常人を越えた身体能力を発揮することができ、それに加えて隠密行動への造詣が深いことから、リンカという人材はこういった作業にうってつけといえた。
するすると無音のまま島蠍を登り続けていたリンカだったが、すぐにゴールへと辿り着く。
ゴールとは島蠍の背中だ。脚を踏破してみせたリンカが最後の段差をよじ登ると、そこには荒野と見間違えそうになる広大な空間が広がっていた。
これが登山ならば達成感に浸るところだが、今は一分一秒が惜しい。
リンカの頭にしがみついていたヘイもそれには同意見らしく、リンカが促すより先に跳び下りると、ぶるりと全身を震わせた。
「ヘイ君、頼んだわよ」
「わぉん」
一鳴きしたヘイは、つぶらな瞳を閉じるとピンと立てていた耳をペタリと倒す。
視覚を放棄し、聴覚を塞ぐ。意識するまでもなく呼吸が緩やかとなり、他の五感も同じように閉じていけば、ヘイの意識は己の内へ内へと潜っていく。
目指す先は、普段テレパシーを使う時には意識せずに引き出している雷霊の力。しかし今この瞬間に必要とされているのは、単なるテレパシー程度ではなく、成体の雷尾だけが使いこなしているより大きな力だ。
カイエンとの旅で出会った様々な霊紋持ち達。敵もいれば味方もいた。彼ら全員の記憶を一人ひとりつぶさに思い返しながら、ヘイは精霊との向き合い方を模索する。
本来であれば、それは成長に伴い本能的に身に付けていく技術なのだろう。だが、それを待っている時間は無い。ヘイの力が必要とされているのは、今この瞬間なのだから。
「ぐるぅっっ!!」
突如として体の隅々までナニカが走り抜けた感触に、意図せず唸り声が漏れる。同時にそれこそが雷霊そのものであると直感的に悟ったヘイは、更に神経を研ぎ澄ませてその感触に没頭した。
熱く、激しく、捉えどころのない奔流。
まさしく雷そのものといえる奔流が、流されまいと懸命に耐えるヘイを弄ぶかのように、するりと潜り込んで全身を満たしたかと思うと、容赦なくその力を解放する。
「!!」
鳴き声すら出せない。
細胞の一つ一つが圧倒的な雷に焼かれ、と同時に賦活されているのが知覚できる。
圧倒的な痛苦と全能感の海に溺れそうになるヘイだったが、血が滲むほどに牙を食いしばると、ぎりぎりで意識を保った。
カイエンやリンカが寄せてくれた信頼と、アミン=ナナに誇った矜持。その二つに懸けて、ここで制御を手放すことだけは絶対にしない。
「あおぉーんっっ!!」
ここまで来れば、残っているのはもはや意地と根性のみだ。
最後の気力を振り絞ると、ヘイは体内で荒れ狂う膨大な力を一点に束ね、刹那の間に放出した。
眩しくて直視できない程に増幅されていた雷霊の力は、その瞬間だけ針の先程に凝縮されたかと思うと、ヘイの尻尾から島蠍に向かって流れ込む。
まさしく地上の稲妻と呼ぶに相応しい雷撃が駆け抜けると、さすがの島蠍も一瞬だけ動きを止めざるをえない。
そう、一瞬だけだ。
ヘイが全身全霊を振り絞った雷撃ですら、島蠍にとっては致命傷とはなりえない。
それどころか、いつの間にか背中に取りついていた不埒な輩に気付かされた島蠍は、その怒りを表すかのようにキチキチと甲殻を震わせたのである。
作戦は失敗、一挙に窮地に追い詰められた。
そうとも受け取れる光景だったが、ヘイもリンカも焦燥に駆られたりはしない。
この雷撃の目的は、島蠍を倒すことではないのだから。
「ばう……」
気力を振り絞り、最後の一言を伝えると、ヘイはぐらりと倒れ込んだ。
素早く抱きとめたリンカは、許容範囲を超える力を行使して気を失ったヘイを労うように軽く撫でると、島蠍の足元で攻防を繰り広げるカイエン達に届けと大音声を張り上げる。
「頭から二番目の体節の中央部よ。そこに島蠍の中枢神経があるわ!」
そう、あの雷撃の目的は、外見からは分からない島蠍の弱点を見つけること。
そのために島蠍の全身に雷撃を流し、最も顕著に反応する一点を探ったのだ。こればかりは他の霊紋持ちでは手も足も出せない。ただ雷霊を宿したヘイだけが成し遂げられる、極めて重大な役割といえる。
これこそが、リンカが浮島の碑文から読み解いた、前回の戦いで雷尾が放ったとされる起死回生の一手であった。
己の役割をまっとうすると、リンカは最大の功労者を懐に抱え、怒りに任せて荒れ狂い始めた島蠍の背中から、素早く退避を開始するのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
リンカの声が聞こえた瞬間、三人の霊紋持ちは即座に陣形を組み替えた。
これまでが陽動・時間稼ぎを目的とした防御主体の陣形であれば、島蠍打倒を目的とした攻撃主体の陣形へ。
その先陣を切ったのはダ=ジィルだ。
「黒砂陥穽」
技の発動と共に、島蠍の足元の砂が蠢く。まるで渦を巻くかのように収縮すると、次の瞬間、黒々とした大穴が顔を覗かせた。
その大きさは島蠍の脚をまるごと範囲に収めて余りある。
さらに驚くべきは、その大穴が計八つあったことだ。すなわち、島蠍の巨体を支えていた足場を根こそぎ崩してのけたのである。
いくら島蠍が強大といえども、接地面がなければ足の踏ん張りようがない。
だるま落としのように崩れ落ちると、大砂海に胴体を打ち付け、大質量の衝突が虹砂の津波となって波及する。
その砂津波を切り裂いて走る影が二つ。
言うまでもなくカイエンとアミン=ナナの二人である。
相手が体勢を崩したこの好機を見逃すことなく、島蠍の背に飛び移ると、ヘイが見つけ出した中枢神経目掛けて疾駆する。
だが、それを黙って見過ごすような島蠍ではなかった。
転倒しているため両の大鋏は振るえないが、尻尾だけは動かすことが出来る。誤って自分自身を刺してしまう可能性すら許容して、目障りな敵を排除せんと規格外の大針を突き刺してくる。
「ちっ、こいつは防がないとマズイな」
ちらりと尻尾へ視線を走らせたカイエンが、迎撃せんと立ち止まろうとする。が、それをアミン=ナナが叱咤した。
「ここはあたいが食い止めてやるさ。カイエン、あんたはこのデカブツの中枢神経とやらを潰してきな!」
「一人で大丈夫か?」
「あんまり舐めないで欲しいね。あたいの青龍偃月刀の冴え、とくと見せてやろうじゃないか。それよか、そっちの方がよっぽど大仕事だよ。なにせ中枢神経ってのも、あたいの刃でどうにか傷をつけるのが精一杯な、おそろしく硬い殻の奥にあるんだろうからね」
「そっちこそ舐めるなよ。俺だって色々と修羅場を潜り抜けてきたんだ。手はあるさ」
カイエンの啖呵を合図に交錯する。
前を走っていたアミン=ナナは、引き出せる限りの霊紋の力を振り絞りながら反転。
そのすぐ脇を、一切速度を緩めることなく、そして振り返りすらせず、カイエンは駆け抜けて行った。
迷いの無い足音を頼もしく感じながら、アミン=ナナは切り札を放つ。
「交叉七刃」
振るわれる刃は六回。高速で振り抜かれた青龍偃月刀はそのたびに斬撃を飛ばし、その全てが落ちてくる尻尾目掛けて放たれる。
最後にアミン=ナナはぐっと踏み込むと、全身を撓ませて生み出したバネを反発させ、弾丸のように跳躍した。
目指すは一点。空中に飛び出すと同時に相棒を振りかぶり――一閃。
霊紋の輝きを引き連れた斬撃が、大針を備えた体節の可動部へと吸い込まれる。
その数は七つ。
あらかじめタイミングと飛翔速度をずらして放っておいた六つの斬撃と、アミン=ナナ自らが振るった最後の一撃が、狙いすましたタイミングで重なり合う。
それはただの七連撃とは意味がまったく異なる。完璧に同時に繰り出された斬撃は互いに互いの威力を増幅し合い、切断力は倍々に積み上がるのだ。
それが七刃。わずかな誤差さえ許さぬ神業じみた斬撃が、空前絶後の光景となって結実する。
ぞんっ!
大針を備えた尻尾が体節と体節の境目で両断され、くるくると宙に舞う。
さすがにこれは堪えたのか、島蠍は豪雨のように体液を噴き出す切断面を、やたらめったらに振り回した。
真っ青な血の雨が降り注ぐ中、人知を超えた速度でカイエンは駆ける。
すでに両腕の白と黒の腕輪は外され、カイエンの額からは指先程の長さの角が生えている。
カイエンの中に宿る鬼霊。普段は霊器の腕輪によって抑え込んでいるそれを解き放つことで、伝承にうたわれる破壊の権化の力を振るうことを可能とする。
爆発的に増大する力の代償は自身の自我。侵食する破壊衝動に抗うため、ひときわ強く拳を握り込んだカイエンの視界に、ヘイの見つけ出した島蠍の中枢神経が飛び込んでくる。
目印のつもりか、リンカの操る影によって丸と矢印が甲殻に描き込まれていた。
これなら万が一、億が一にも的を外す心配はない。
甲殻に降り積もっていた砂を蹴り上げながらカイエンが停止すれば、そこはまさに指示されたポイントだった。
「九鬼顕獄拳、阿修羅の型・震」
とんっ、という優しくすら見える踏み込み。
しかしその本質は、分厚い岩すら透徹して内部のみを破壊する浸透打撃だ。
頑強極まりない甲殻といえど、この技の前には意味を成さない。
「!!!? !!!?」
島蠍の急所である中枢神経を、無形の破壊力が蹂躙する。
人間で例えるならば、脳髄を直接殴りつけられたに等しい。
さしもの島蠍も抗うことはできず、ゆっくりと全身から力が抜けていくと、地響きを立てて大砂海へと倒れ伏した。
「なんとか……なったみたいだな……」
腕輪をはめ直したカイエンも、全身を襲う脱力感に身を委ねて大の字に倒れ込む。
こうして大砂海の存亡を懸けた一戦は、辛うじて人間側に軍配が上がったのだった。
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