動き出す者達2
「ハ、ハカク君、助けてくれッ!!」
涙と鼻水で顔面をぐちゃぐちゃに滲ませて、緩み切ったたぷたぷボディを誇る肉塊が情けない声を上げた。
その様子を冷徹な瞳で見据えつつ、リンカの詰問は面識があるらしいハカクへと向かう。
「ハカク君の名前を知っているみたいだけど、もしかしてお知り合いかしら?」
「あ、はい、コウラン商会っていう大店の会頭さんッス。オイラがあすみ丸を買った時、それを仲介してくれたッス。ちらっと顔を会わせただけなんで、オイラなんかの顔を憶えてるとは思わなかったッスけど」
「へえ、コウラン商会ね」
どこか意味ありげに頷きながら、リンカは口中でその名前を反芻する。
ほんの一時、何かを考える素振りを見せていたが、ふと肉塊改め会頭に歩み寄ると、片膝をついておもむろにその顔を覗き込んだ。
「で、そんな大店の会頭さんが、どうして砂賊の船なんかに乗っているのかしら?」
「そ、それは……そう、攫われたのだ。きっと莫大な身代金を要求するつもりだったに違いない! 助けてくれて感謝するぞっ!」
唾を飛ばして精一杯力説する。なりふり構わぬ必死さは、主張すればするほど、逆に違和感を浮き上がらせる。
リンカは眉をひそめ、すっと体を引くことで飛来する唾を回避すると、今度はカイエンに視線を向けた。
「カイエン君、この人はどこで見つけたの?」
「ん? 普通に船の中で飯食ってたぞ。美味そうな匂いがしたんで覗いてみたら、こいつがテーブルいっぱいの料理を独り占めしてたんだ。ちょっとくらい分けてくれるかなーと思って声を掛けてみたら、始末に失敗しただの訳の分からない事を叫び出して、おまけにナイフで刺そうとしてきたんで、ちょっと小突いたらこうなった」
あちこちに転がっている砂賊達を引きずる手を止め、カイエンはその時のことを思い返しながら答える。
ちなみに今カイエンが行っているのは、武装解除を兼ねた砂賊達の後片付けであった。
武器の類は引っぺがし、砂賊達を一つ所にまとめておくのである。
普通は捕虜を無造作にまとめておくと反撃のおそれがあるのだが、すでに武器を持った状態で一蹴されている以上、無駄な抵抗で終わるのは目に見えている。
そのため、今は作業の手間を考慮し、とりあえず一か所にまとめてしまう方向で動いていた。
意識を失った人間を運ぶというのは、簡単そうに見えて実はかなりの重労働なのだが、霊紋持ちであるカイエンにとっては大した手間ではないらしく、みるみる内に呻き声を漏らす砂賊達で小山ができつつある。
砂賊達で形作られた小山を後ろに背負い、リンカは獲物を締めあげる蛇を彷彿とさせる嗜虐的な笑みを浮かべると、世間話でもするような口調で会頭に語り掛けた。
「妙な話だと思わない、会頭さん」
「な、何がかね……?」
会頭は脂汗をだらだらと噴き出しながら、妙に怯えた態度を滲ませつつ首をかしげてみせた。
もっとも、そんな中途半端な抵抗はリンカには通用しない。
「だってそうじゃない。身代金目的で拉致したなら、紐で縛りあげて船倉の片隅にでも転がしておくのがセオリーよ。縄もかけずに豪華な料理でおもてなしなんて、まるでお客様みたいだとは思わないかしら?」
「き、きっとそれだけ私の体調に気を遣っていたのだろう。私はとても繊細なのだ。万が一のことがあっては、砂賊達も大金をせしめ損ねてしまうからな!」
「繊細、ねえ?」
欠片も信じていないことが丸わかりな底冷えのする声音で復唱すると、不意に立ち上がり、つむじの天辺を覗き込むようにして会頭を見下ろした。
「で、狙っていたのはハカク君の身柄? いえ、違うわね。積み荷の方かしら?」
「なぜそれを!?」
思わず叫んでしまってから、しまったとばかりに会頭は己の口を押える。だが、一度飛び出してしまった言葉は引っ込めようのあるはずもなく、青褪めた表情の会頭を見下ろすリンカはとても楽しそうに微笑んだ。
「笑っちゃうくらい嘘が下手ね。ファンレンの街で旅客用の砂上船に乗れなかった時、あなたの商会について軽く調べさせてもらっているわ。砂賊と手を組んで交易路を荒らしているなんて噂もあったけど、この様子を見る限りでは本当の事みたいね」
「その噂はオイラも耳にしたことはあったッスけど……」
「待つんだハカク君! そんな女の口から出まかせを信じるつもりかね!? 君が砂上船を探している時、君の資金でも買える額の船を世話してやった恩を忘れたのか!」
慌てて食い下がる会頭の見苦しさに、リンカは呆れ果てたように天を仰ぐ。
理屈と心証では目が無いので、いよいよ情に訴えようというのだろう。そのなりふり構わない姿勢は嫌いではないが、あまりにも雑すぎてお話にならない。
「身代金目的で誘拐した人質を乗せたまま、霊紋持ちがいると分かっている船に攻撃を仕掛ける馬鹿がいるわけないでしょ。そんな荒唐無稽なお伽話を信じるくらいなら、手を組んでいる商会からの指示に逆らえずに、渋々襲ったって言われる方がまだ真実味があるわよ」
「うぐ……」
急所を抉ってくる指摘に絶句せざるを得ない。その指摘が限りなく真実を言い当てているため、反論もとてつもなく苦しいものになることが予想される。
更にリンカは、わざと言い聞かせるように言葉を紡いだ。
「もしもこの襲撃がコウラン商会の指示によるものならば、霊紋持ちであるカイエン君が乗っているにも関わらず、わざわざ襲撃するだけの理由があるはずよ。じゃあ、その理由とは何だと思う?」
「うぅー、わふっ!」
「さすがヘイ君、ばっちり要点を押さえているわね」
誰に投げ掛けたわけでもないその質問に反応したのは、ちょこんと佇んでいるヘイであった。
とたんにリンカは相好を崩してヘイの頭を撫で回す。ヘイも褒められるのは嬉しいらしく、気持ちよさそうに目を細めている。
一方、ヘイの言葉が分からないハカクはおずおずと手を挙げた。
「姉貴、ヘイさんは何と言ってたッスか?」
「一つずつ積み上げてみれば単純な話よ。砂賊が船を襲う理由なんて、普通は略奪か拉致のどちらかでしょう。でも、護衛を雇うお金すら無いようなハカク君なんて、はっきり言って誘拐するだけ時間の無駄じゃない。それこそ、実はどこかの大商会の跡取り息子でした、とかでもない限りはね」
「ううう、本当だから頷くしかできないのが悔しいッスけど、確かにその通りッス。ついでに言えば、オイラにはそんな大それた出生の秘密とか無いッスよ」
納得したような、或いは納得したくないような微妙な表情で頷くハカク。
当然予想していた範疇らしく、リンカはさばさばと可能性の一つを放棄する。
「それなら残る可能性は積み荷狙いになるわ。これは推測になるのだけど、コウラン商会が砂賊に物資を横流しする時、今回みたいな手段を使っていたんじゃないかしら。つまり、横流ししたい物資を適当な砂上船に積み込ませておいて、航海途中でわざと奪わせるの。これなら被害者のふりができて、自分達との繋がりも誤魔化せるしね」
「な、なるほどッス」
「言いがかりだ! そんな話、憶測に過ぎん!」
声を裏返らせて噛み付いてくる会頭に、リンカは肩をすくめてみせる。
「ええ、もちろんただの推測よ。ただし、あなたの言い分がそれ以上に穴だらけなのは自覚しておきなさい。ついでに言うならば、ここは公平な裁きの場じゃないのだから、別に確実な証拠なんて不要なの。まあ、どちらかを信じろと言われれば、状況的にあなたの方が真っ黒でしょうけど」
はっきりと突きつけられ、会頭は歯噛みして沈黙する。どう言い繕ってみたところで、砂賊船に乗り合わせていた事実がある以上、不利を挽回することはできないと悟ったからだ。
ところがリンカは、鼠を追い詰めて楽しむ猫程度で終わるタマではなかった。むしろここからが本題とばかりに、軽やかにさえずる。
「さてと、自分の立場を弁えてもらったところで、取引といきましょうか。私達を襲った理由を大人しく白状するならば、今日この場は見逃してあげるわ。でも、もしも答えなかったり、嘘を吐いたりした場合は……そうね、手足を縛ったまま大砂海に飛び込んでみるとかどうかしら? 大丈夫よ、あなたぽっちゃりしてるから浮かびそうだし」
「分かった! 話す、全て話す! だから命だけは!!」
歌うように提案してくるリンカの瞳には、本気と書いてマジと読む気配が満ち溢れている。往生際の悪さには定評のある会頭であったが、天秤の片方に己の命が乗っているとなれば、なかなかそうも言ってはいられない。
悲鳴と白旗を同時に上げるしか、会頭には道が残されていなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
一度観念した後は抵抗らしい抵抗も無く、別人のようにすっかり大人しくなった会頭は、訊かれるがままにその企みを暴露していた。
リンカの見立て通り、あらかじめ砂上船に仕込んであった品物を、「ゴコウ」砂賊団に回収させることが、今回の襲撃の目的だという。
作戦を容易に進めるため、ハカクの懐具合でぎりぎり手が届く砂上船を仲介し、わざと護衛を雇えない状態に仕向けたと白状され、ハカクはひどく憤慨した。
「姉貴、オイラこんな奴に利用されていたかと思うと、はらわたが煮え繰り返るくらい悔しいッス。このまま大砂海に放り込んじゃ駄目ッスか?」
「落ち着きなさい。まだ肝心な事を聞いていないわ」
頭から湯気を噴き出して憤慨するハカクにどうにかブレーキを掛けると、リンカは怯えた表情を浮かべている会頭から情報を引き出しにかかる。
「その品物というのは何なのかしら? ハカク君の船に積める量なんて限られているでしょうに」
「それは…………」
「沈黙は抵抗とみなすわよ」
「言うっ。いや、言わせてくれ!」
あっさり風味の非情宣告に、会頭は迅雷の速度で頭を甲板に擦りつけた。もはやプライドもへったくれもない姿だが、今はこの場を生き延びるのに必死で周りがまったく見えておらず、情けない格好を気にする余裕など髪の毛一筋たりとて無い。
「ハカクの船にこっそり積んでおいたのは、ご禁制の薬物だ。人間が摂取しても害はないが、これを砂鮫に嗅がせてやれば、たちまち異常な興奮状態にすることができると聞いている!」
会頭が叫ぶように告げた内容は、さすがに見過ごすことはできず、リンカは目尻を吊り上げた。頭を下げたままの会頭はそれには気付かぬまま、次々と薬の効能を並べ立てる。
「一つまみ砂海に投げ込んでやれば、近くにいる砂鮫はことごとく凶暴化して、手当たり次第に周囲の船を襲うようになる。上手く使えば、船の襲撃は砂鮫にやらせて残った獲物だけ頂戴したり、敵対勢力に追われた時の妨害に使えるはずだったのだ!」
そこまで上手く使いこなせるかは若干の疑問ではあるが、想像以上に危険な代物なのは間違いない。
普通の交易船や旅客船は言うまでもなく、凶暴化して行動パターンが変化するようなことがあれば、大砂海の民が擁する砂鮫狩りとて危うくなる。
彼等が狩る側に回っていられるのは、長い年月をかけて蓄積した砂鮫の生態に関する知識に拠るところも大きいためだ。
むしろ通常の砂鮫の反応に慣れている分、興奮のあまり常とは異なる行動を取る砂鮫を相手取ることがあれば、予想外の結果を招くかもしれない。
霊紋持ちであるダ=ジィルやアミン=ナナならばそれでも不覚を取ることはないだろうが、それ以外の砂鮫狩りにとっては極めて危険であると言わざるを得ない状況であった。
「随分と厄介な物を押し付けてくれたことは分かったわ。で、それは船のどこに隠したのかしら。見た目と特徴を素直に吐きなさい」
「か、隠したというよりも積み荷に偽装させてあるのだ。これくらいの大きさで――」
「も、もしかして、包装に高級岩塩って書いてあるやつッスか!?」
心当たりがあったようで、ハカクが焦った口調で詰め寄ると、襟首を掴まれた会頭はその勢いに押されるように、こくこくと頷いた。
「そ、その通りだ。精製して結晶状になった薬は、見た目では岩塩と区別がつかない。おまえの取り扱っている交易品に岩塩が含まれていないのは確認済みだったから、「ゴコウ」の連中には、おまえの船から岩塩を回収するように指示していたのだ」
それを聞き届けたハカクの手から力が抜け、会頭の身体が滑り落ちて後頭部を甲板に打ち付ける。目から星が飛び出し、文句を言おうと顔を持ち上げるが、血の気が引いて別人のようになったハカクの表情が目に入り、思わず抗議の言葉を飲み込んでしまった。
そしてハカクは、本日最大の爆弾を投下する。
「大変ッス! それ、アミン=ミミさんに渡しちゃったッスよ!!」
『はあっ!?』
リンカと会頭の声がハモる。
詳しく説明している時間も惜しいと言わんばかりに、ハカクは自分の船に向かって駆け出した。
「もしもうっかり砂海に落っことしたりしたら、ここら一帯の砂鮫が暴走状態に陥るッス。急いで回収しないと!」
「っ! 分かったわ。カイエン君、行くわよ!」
「おうよ。そういや、こいつらはどうするんだ?」
最後の一人を片付けて戻ってきたカイエンが首をかしげれば、リンカは苛立たしげに舌打ちをする。
「相手にしている時間が惜しいわ。頼んでおいた通り、舵は壊してくれたのよね?」
「ああ、一番最初に壊しておいたぞ」
「なんだとっ!?」
航海する者にとっては致命的な情報があっさりと飛び出し、会頭が素っ頓狂な声を上げて驚愕するも、リンカは取り合う素振りすら一切見せない。
「それなら放置よ。舵がきかなければ追っては来れないはずだし、まあ運が良ければ助かるでしょ」
「分かった。行こうぜ、ヘイ」
「あぉん!」
口々に言うなり、二人と一頭は風のごとき速度で甲板上を走り抜けると、隣に停めてあったあすみ丸へと乗り込んでいく。
慌ただしく彼等が去っていった後には、呆然とする会頭だけが取り残されたのだった。
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