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動き出す者達1

 ヘイがそれに気付いたのは、砂上船あすみ丸が浮島を発ってから、まださほどの時間が経っていない頃合いだった。

 手持ち無沙汰なのか、隙あらばモフろうと迫りくるリンカの魔手から逃れ、縦横に張り巡らされたロープを足場にマストの天辺まで登っていたおかげで、偶然にも高所から周囲の様子が一望できたのである。


「わぉん!」


 ぱちくりと瞬かせた視界に飛び込んできたのは、一隻の砂上船だった。それも凶悪にして強靭な衝角を船首に備え、鉄製と思しき盾を甲板の随所に配置した、どう贔屓目に見ても荒事を前提としているとしか思えない造りをしている。

 船体のあちこちには、不揃いの木材でツギを当てたような修理の痕があり、この船がただの見掛け倒しではなく、生死を懸けた本物の実戦を潜り抜けてきたことを伺わせる。

 十中八九、砂賊かそれに類する連中に違いあるまい。


 ヘイの鳴き声を聞きつけたカイエンは修行の手を止め、目を細めて砂流の向こう側に浮かび上がってくる砂上船を凝視している。リンカは迫りくる砂上船を確認すると、舵を取っているハカクに提案した。


「ハカク君、どうにかして迂回できないかしら? この船、間違いなく狙われているわよ」

「そうしたいのはオイラも山々ッスけど、ここら辺りは砂の流れが速くて、今からあの船を避けるコースに乗るのは無理ッス。せめて乗り移られないように距離を取ったまま、脇をすれ違えないか試してみるッスけど……」


 ハカクの返事は歯切れが悪く、同時に尻すぼみとなって消えてしまう。明言まではせずとも、荒事無しに通過するという試みがかなりの高難易度であることは、砂上船に関しては素人であるリンカにも察せられた。


 しかし、連中は一体何者なのだろうか。

 少なくとも友好的な相手でないことは明白だ。

 わざわざ大砂海のど真ん中で待ち伏せるような真似をしていることから容易に想像がつくが、個人的な恨みを買っているのでない限り、砂賊の襲撃と見て間違いあるまい。


 しかし奇妙なことに、略奪が目的ならば待ち伏せが成功したこのタイミングで降伏勧告の一つでも寄越してきそうなものなのだが、砂賊船は互いの顔が見える距離までは近づいたものの、そこでピタリと接近を止めたのである。


 てっきり勢いに任せて乗り移ってくるものと、手ぐすね引いて待ち構えていたカイエンだったが、その予想をあっさりと裏切り、甲板上にずらりと並んだのは弓矢を構えた砂賊達だった。


 砂賊達は緊張した面持ちでぎりっと弓を引き絞るや、てんでばらばらに矢を射かけてくる。

 一糸乱れぬ、というわけではなくとも数が数だ。ざあっという音と共に、雪崩を打って降り注いで来る矢の雨には、無傷で避けきるだけの隙間など無いかに思われた。


 ならば防ぎきればいい。

 カイエンは霊紋持ちの動体視力でそれら一本一本の軌道を見極めると、足場の不安定な砂上船の上という不利をまるで感じさせないバランス感覚を発揮し、矢ぶすまを迎撃すべく始動する。


 拳が、手刀が、回し蹴りが、それらすべてが常人の目には留まらぬ速度で繰り出される。

 淡い霊紋の光が躍動するたび、打ち据えられた矢が乾いた音を立てて砕けていく。

 やがてハリネズミ必至と思われた攻勢が止んだ時、そこには手傷一つ負うことなく飽和攻撃をしのいでみせたカイエンが仁王立ちしていた。

 道着に付着した矢の破片を払いつつ、ぎろりと見上げるように睨み付ければ、気迫で圧倒された砂賊達の間に動揺が走った。


「匂うわね」


 ヘイを抱き抱えてカイエンの背後に隠れ、辛くも難を逃れていたリンカの呟きが、砂賊の襲撃が止んだ空隙に染み渡るかのように響いた。


「匂うって何がだ? そんな変な匂いはしないぞ」

「砂賊達の手口に違和感があるという意味よ。問答無用で仕掛けて来るのは、まあ百歩譲ってありうるとしても、いきなりこれだけ大量の矢を放ってくるなんて異常だわ」

「そうなのか?」


 異常と言われても何がおかしいのかが分からず、カイエンは疑問符を浮かべる。

 そこに、とっさに交易品の裏に隠れて命拾いをしたハカクが、恐怖で腰が抜けた様子で這い寄って来た。

 物々交換で大量に入手していた砂鮫の皮が防壁となり、その強靭さを如何なく見せつけてくれたお陰で無事ではあるようだが、無数の矢が自分目掛けて降り注いで来る光景には肝を冷やしたようで、引き攣った表情は蒼白となり、息も絶え絶えといった風に見える。

 しかし、そんな有り様ではありながらも、リンカの指摘に同意を示した。


「た、確かに姉貴の言う通りッス。普通はこんな小舟が相手だったら、ここまで徹底的に攻撃したりしないで、さっさと乗り込んでくるはずッス」


 ハカクの言わんとすることを簡潔に説明するならば、費用対効果の一語に尽きる。

 少し考えてみれば当たり前の事なのだが、矢は無料ではない。作るにせよ買うにせよ、多少なりともコストがかかっている。


 これが陸上であれば、外れた矢をある程度回収することも可能かもしれないが、ここは大砂海のど真ん中なのだ。当然、的を外した矢は砂流に呑まれ、回収・再利用することはできない。


 であれば矢の消費は少しでも抑えたくなるのが人情というものである。結果として、矢を使うまでもない相手ならば出し惜しみするのが一般的となる。

 例えば、たった三人しか乗っていないような小さな砂上船を、数十人規模の砂賊が襲撃する場合などがまさにそれだ。

 どこをどう考えてみても、わざわざ矢の雨を降らせて皆殺しにするより、さっさと接舷して制圧してしまった方が、安上がりだし手間も少ない。


 だが、一言で表すならばセオリー無視の戦術を、この砂賊達はぶつけてきた。ならばそこには、必ずそれを選択するに至った理由があるはず。

 そこまで思考を走らせれば、浮かぶ仮説は一つだけだった。


「カイエン君の存在を知っていた、ということかしらね」


 弓矢の最大の利点。それは相手から距離を取って攻撃できることに尽きる。

 もしも砂賊達がカイエン、つまりは霊紋持ちが護衛についていることをあらかじめ知っていたのであれば、こちらに乗り込んでこないのも頷ける。なにしろ迂闊に近寄ってしまえば、逆にカイエンによって蹂躙されかねないのである。少し頭が働くならば、絶対に犯すべきではないリスクであることくらいはすぐに分かる。


 ファンレンの街での喧嘩騒ぎや、船上でのダ=ジィルとの決闘など、カイエンが霊紋持ちだと知られる機会はいくつかあった。おそらくこの砂賊達は、そういった情報を入手しているのだろう。


「いえ、問題はそこじゃないわね……こちらに霊紋持ちがいると知って、それでもなお襲って来た。それは何故?」


 霊紋持ちの護衛がいる船を襲うなど、矢の消費云々よりも遥かに割に合わないはずだ。手を出さなければいいだけの話なのだから、略奪が目的なのであれば別の獲物を探した方が余程賢い。

 それでも襲ってきたという事実が、連中の目的が単なる略奪ではない可能性を示唆している。


「ハカク君、あなた、砂賊に恨まれるよう真似をしたことがあるんじゃない? 連中を騙して上前をはねたとか」

「してないッス! 天地神明に誓って、オイラは真っ当な商売にしか手を出してないッスよ!!」


 ぶんぶんと残像が残りそうな勢いで首を横に振るハカク。本人の申告なので鵜呑みにするわけにはいかないが、逆恨みの線を疑うならばカイエンやリンカにも十分に可能性はある。

 特にリンカの場合、各地で暗躍してきた実績があるため、怨恨で命を狙われてもおかしくない自覚は十分にあった。


 とはいえ、わざわざ砂賊に手を下させるという回りくどい方法を取る相手となると、とんと心当たりが無い。それ以上の情報も無いため、リンカはひとまず動機の推測を打ち切ることにする。

 そしてもう一つ、ここまでの推測が正しければ、砂賊が打ってくる次の一手はおそらく――


「カイエン君、近くに瓦礫が漂っていたりしないかしら?」

「なんだよ、藪から棒に」

「んんー、多分だけど、伏兵がいる気がするのよね。私だったら霊紋持ちを相手にするのなら、きっとそうするわ。こんな場所で隠れようとするなら、瓦礫とかに偽装した砂上船に乗せておくのが一番かなぁ、と」


 実際、ダの民の砂鮫狩り達に聞いた武勇伝では、そういった手段を駆使した砂賊もいたらしい。

 ともあれ、そのつもりで探せば怪しい瓦礫はすぐに見つかった。

 半壊した砂上船のようで、一部だけが砂の上に顔を覗かせている。このままのコースを進めば、ちょうど傍を通り抜けるという絶好の位置取りだ。


「ハカク君、重石を一個もらうわよ」

「いいッスけど、何をするつもりッスか?」


 船のバランスを保つために積まれていた重石を受け取ると、それをカイエンに投げ渡しつつ、リンカは悪戯っぽくウィンクをしてみせた。


「カイエン君、全力で投げてあの壊れた砂上船に当てて頂戴」

「よし、任せとけ。石投げなんて小龍のやつと競争して以来だから、久しぶりでワクワクするな!」


 全身から淡い光を放つカイエンは大きく振りかぶると、惚れ惚れするようなフォームで重石を投擲する。

 大気を引き千切りながらほぼ水平の軌道で飛翔した重石は、絶妙なコントロールに従い、瓦礫と化した砂上船の腹部分へとめり込んだ。


 轟音。衝撃。

 寒気がするほどの運動エネルギーを譲渡され、瓦礫――に偽装していた待ち伏せ用の砂上船が、たった一撃で木っ端微塵となって爆砕する。

 息を潜めて隠れていた砂賊達は、何が起きたのかまるで理解できないまま揃って宙に投げ出されると、次の瞬間には大砂海へとダイブする羽目となった。


「読んでやがっただと!?」


 驚いたのは砂賊の頭目だ。

 どうしてバレたのかは皆目見当が付かないが、弓矢による牽制で注意を引きつけておき、その隙に偽装していた手下が相手の船に忍び込んで、こっそり目的の物を回収するという完璧な計画が、いともあっさり見破られたのである。


 そして頭目には、悠長に驚いている時間は残されていなかった。

 砂賊達の注意がわずかに逸れた一瞬をつき、カイエンが動き出していたからだ。


「九鬼顕獄拳、浮鬼の型」


 背筋をピンと伸ばし、左手を胸元に、右手を腰へと引き付けた姿勢。

 まるで駆けっこでも始めるような構えから、カイエンは躊躇なく砂海めがけて突進する。

 それを見た誰もが、何の真似かとカイエンの正気を疑い、次の瞬間には己の目を疑った。


 走ったのである。すぐに砂海に沈むと思われたカイエンが、その予想を嘲笑うかのように軽やかに砂の上を駆けたのだ。

 接地の瞬間、砂を蹴り込むようにして膨大な反発力を生み、その反発力が体を支えているわずかの間にもう片方の足を踏み出す。

 通称、右足が沈む前に左足を踏み出せば沈まない理論。シンプルかつ鼻で笑い飛ばされるような暴挙が、霊紋持ちの身体能力によって強引に現実となる。


「ち、近付けさせるんじゃねえ!!」


 悲鳴のような頭目の絶叫。我に返った砂賊が慌ててカイエンを弓で射ようとするが、時すでに遅し。

 蹴り上げた砂柱を背後に置き去りにし、砂海を踏破して砂上船まで到達したカイエンは、修理の痕跡がそこかしこにある船体にへばりつく。

 ほんのわずかな突起を支えとし、両手両足を蜘蛛のごとく器用に駆使すると、カイエンの身体は走っていると錯覚するような速度で船体を駆けあがり、砂賊達の頭上を跳び越えて甲板へと着地してのけた。


「よお、邪魔するぜ」


 不敵な笑みを浮かべるカイエン。挨拶の言葉もそこそこに、身を屈めるようにして加速する。

 常人の目には影しか残らぬ速度をもって、カイエンは頭目の懐に潜り込むと、まるっきり無防備な顎に向かって拳を突き上げた。

 ガチン、という上顎と下顎が激突する音が耳を打つ。意識を刈り取られた頭目は軽々と宙を舞うと、一瞬の浮遊の後にカイエンの背後にぐしゃりと落下し、ひくひくと無惨に痙攣することしかできない。


 頭では理解していたはずなのだが、目の前で繰り広げられた圧倒的な蹂躙劇は、理屈ではない恐怖の実感を砂賊達に焼き付ける。

 恐慌状態は瞬く間に伝播し、ある者は逃げ出そうとして砂海に落下し、またある者は破れかぶれでカイエンに挑みかかり、あっさりと返り討ちにあう。

 こうして大した時間もかからず、「ゴコウ」砂賊団は一人残らず壊滅したのだった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「随分と派手に暴れたわねぇ」


 まるで出来の悪いホラーのように、呻き声だけを漏らす砂賊達が死屍累々と積み重なる光景を前にして、ハカクの砂上船から乗り移って来たリンカは、呆れた口調で寸評した。

 ざっと数えて四十人強といったところか。かなり規模の大きい砂賊団だったようだが、相手が悪かったとしか言いようがない。


「とりあえず、私達を襲った理由だけでも聞きたいんだけど……」


 呟きは半ばで溶け消える。

 右を見ても左を見ても、砂賊達は見事に昏倒してしまっているため、尋問をするにしてもまず意識を取り戻させなければならない。

 手間が増えたとばかりに溜息を吐いたその時、カイエンが肉塊を引きずってやって来た。


「おーい、何かよく分からんけど、砂賊っぽくない奴を見つけたぞ」


 手を振りながら引きずっていた肉塊をどさりと放り出せば、それは肉塊ではなく一人の人間であった。

 全身いたる所にこれでもかと贅肉を装備しているため、引きずられている間は人間と認識できなかったのである。


 見るからに脅えきっており、全身をたぷたぷさせながら震え続け、顔も一切上げようとしない。

 とはいえ、砂賊達を起こすよりはさすがに早く済むだろう。

 まずは名前を聞き出そうと手を伸ばしかけたリンカだったが、それよりも早く、答えは別の方からやって来た。


「あれ、コウラン商会の会頭さんじゃないッスか!?」


 己の砂上船を繋ぎ、操船から解放されたハカクが甲板に顔を覗かせる。そのハカクに名前を呼ばれ、肉塊はびくりと硬直したのだった。

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