思惑の交差点3
翌朝、ダ=シィフは砂上船の上で緊張のあまり己の髪をいじりつつ、出発の時を今や遅しと待ちわびていた。
昨日、半ば衝動的にアミン=ミミに料理の弟子入りを願い、無事にそれは認められたのだが、当然ながらアミン=ミミはまだ橙の民の一員であり、一夜明ければ彼女達の拠点である浮島へ帰らなければならない。
そのためダ=シィフは、アミンの一族が暮らす浮島へ一緒に連れて行って欲しいとも頼み込んでいた。
ダ=ジィルからすれば完全に寝耳に水の話であり、顎が落ちそうなほど仰天したのは言うまでもないが、溺愛している妹の目に強い決意の光が浮かんでいることに気付くと、長い沈思黙考の後、アミン=ミミの許可を条件としてその頼みを認めていた。
アミン=ミミにしても、もうすぐ妹になる相手が勇気を振り絞って懐に飛び込んできてくれたのである。もちろん異存のあろうはずがなく、アミン=ナナも根性の座りっぷりが気に入ったのか、上機嫌で受け入れを表明してくれた。
内堀と外堀が両方埋まってしまえば、長老ダ=ベインも黙認という形ではあるが許可を出さざるを得ず、晴れてダ=シィフはアミンの一族の島行きが認められることとなる。
そして思い立ったが吉日とばかりに、最低限の手荷物の選別と挨拶回りを手早く済ませ、陽が中天に差し掛かる頃にはダ=シィフは船上の人となっていたというわけであった。
「じゃあお兄ちゃん、行ってくるね」
「ああ、体には気をつけろ。失礼なことはするなよ。歯磨きは忘れずにな。困ったことがあったらすぐにアミン=ミミに相談するのだぞ。もし辛いことがあれば――」
「お兄ちゃん、心配し過ぎだよ。あたしだってもうすぐ成人なんだから」
次から次へと心配事を並べ立ててくる兄に、ダ=シィフは苦笑を浮かべてストップをかける。
ダ=シィフがブラコンであるように、ダ=ジィルも結構なシスコンであったらしい。引き締まった表情は一見すると普段通りだが、忙しなく虚空を掴んでは放してを繰り返す両手が、内面の浮足立ちっぷりを如実に物語っていた。
「安心しな、ダ=ジィル。あんたの大事な妹は、あたいが責任を持って守ってやるさ」
「そうですよ。それに来月には、私と一緒にここに帰ってきます。それまでの辛抱ですから」
力強く胸を叩くアミン=ナナと穏やかに諭すアミン=ミミの姉妹に口々に言われ、ようやくダ=ジィルは観念したように肩を落とす。
そちらが一段落ついたことを確認すると、ダ=シィフは見送りに来た人々の更に奥へと視線を向けた。
ごった返す波止場にあっても、異邦人というのは目に付きやすいものだ。さほど苦労することなく、懸命に手を振ってくるハカクと呑気にこちらを眺めているカイエン、そしてその隣で、抱き抱えたヘイに頬擦りしているリンカの姿を発見する。
ヘイにメロメロでこちらなど気にも留めていないかと思われたリンカだったが、壮行会の主役に気を配るという最低限の配慮は残っていたらしく、ダ=シィフの視線に気付くと突き出した拳を握り込むような仕草をしてみせた。
大砂海の民には馴染みの薄いジェスチャーではあったが、言わんとするところは十二分に伝わってくる。
返事代わりに拳を突き返してみせれば、リンカも安心したのか、小さく首肯するのが見えた。
「さて、ずっと別れを惜しんでちゃ、いつまで経っても出発できないからね。名残惜しいだろうけど、そろそろ船を出すよ」
一段落ついたことを察したらしいアミン=ナナが、一際通る声で宣言する。
波止場の杭に結ばれていた極太のもやい綱が解かれると、砂上船はゆらめく青砂の流れに乗り、人が歩くほどの速度でゆっくりと動き出した。
一度動き出せば後は止めるものなど無い。溢れそうになるダ=シィフの想いに押されるように、砂上船は段々とその速度を上げ、青の一族の浮島から遠ざかっていく。
徐々に小さく、最後には豆粒よりも小さい点が地平線の彼方に消えるまで、ダ=ジィルはただひたすらに砂海を見つめ続けたのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「さてと、それじゃ俺達も出発するか」
「え、どこかに行くんスか、兄貴?」
見送りが終わり、ぐいっと背筋を伸ばしながらカイエンが呟いた一言に唯一反応したのは、今日も商売頑張るぞと気合を入れ直していたハカクであった。
隣にいるリンカには当然聞こえているはずなのだが、ちらりと一瞥したのみで特段のリアクションはない。まあ、単にヘイを撫で繰り回す方を優先しただけかもしれないが。
ちなみにヘイはというと、見送りの間中抱き締められ続けていたためか、隙をついてリンカの腕の中から抜け出そうとし、寸前で捉まって再び抱え込まれていた。
ともあれ、ハカクに問われたカイエンは、何を当たり前といった顔をして答える。
「ああ、そろそろ俺達も旅に戻ろうぜ」
「……ええっ!?」
あまりに唐突だったため、一拍遅れて理解が追いつき、素っ頓狂な声を上げてしまう。
周囲のダの民達が、突然何事かと好奇の視線を向けてくるが、慌てふためているハカクはそれに気付くことはない。
「兄貴、急に何を言い出すんスか。せっかく滅多に来られない所に来たのに、もう出発するなんて勿体なさ過ぎるッス!」
「でもよ、島蠍にしても虹砂帯にしても、あと二十年も待つなんて面倒だろ。ズルズル長居しても飽きるだけだしな」
カイエンがあっけらかんと理由を挙げる。
一応の筋は通っているのかもしれないが、大砂海の民の拠点という珍しい場所からさっさと旅立ってしまおうとする提案は、ハカクにとって理解に苦しむ。
そんなハカクを諭すように、ヘイをモフっていたリンカが肩をすくめつつ口を挟んだ。
「ハカク君、その理屈じゃカイエン君は説得できないわよ。カイエン君にとっては、この島もこれから先の旅路も、全てが等しく珍しいのよ。強いて言うなら、見るべきものは見た、ってところかしらね」
「おお、なるほど。そうだったのか、俺」
ハカクの感覚ではいまいち納得しづらい説明だったのだが、カイエンにとってはしっくり来たらしく、嬉しそうに納得している。
それでも無意識に仲間を求め、リンカに向かって助け舟を期待するように尋ねていた。
「あ、姉貴はもういいッスか? この島の遺物の調査なんて、一日やそこらでは終わらないんじゃないッスか?」
「どうしても見ておきたい場所は全部調査したから、私としては満足してるわよ。本当に徹底的に調査するなら、それこそ二十年かけたって足りないもの。いずれにせよ、どこかで区切りは必要よ。ハカク君だって、交易の許可はもらってるんでしょ?」
「それはまあ、そうなんスけど……」
フィールドワーク中心のリンカの調査手法だが、旅の途中で隙間を縫うように行うことが多いため、元来一回ごとの調査にかけられる時間はさほど多くない。
その分、範囲を限定して深く追求することを目指しており、地味に霊紋持ちとしての身体能力もその方針に一役買っている。例えば、常人では一カ月はかかるような発掘作業であっても、必要な道具さえ用意できれば半日かからずに完了させることが可能であった。
そして昨日の散策の折り、浮島中を歩き回っていたリンカは、例の社以外の場所については一通りの調査を終えていた。
その社にしても、ダ=シィフの旅立ちの準備でダ=ジィル達が大騒ぎをしている間にこっそりと赴き、とっくに内部の調査は終えている。そんなわけで、リンカとしてはこの島へやって来た最低限の目的は、すでに果たされているのであった。
ちなみに、アミンの一族の拠点へ長期滞在する許可をもらいに、ダ=シィフが長老ダ=ベインの元へ訪ねた際、さりげなく一緒に付いていったハカクは、自分を窓口として交易をして欲しい旨をついでに頼み込んである。
昨日の貸しの件もあってか、しばらくは試用期間とはなるものの、ひとまずは色よい返事をもらうことに成功していた。
そんなわけで、理屈の上ではこの島に留まる意味は薄いのであった。
無論、カイエンがそこまで考慮しているわけではなかったが、改めて振り返ってみれば区切りとしては悪くないタイミングではある。
そしてハカクにとって最も重要な点は、カイエン達が望めばダの民は喜んで砂上船を貸してくれるであろうということだった。
それはつまり、カイエン達にとってハカクの船が必須ではなくなったことを意味する。
ファンレンを出る際はハカクの砂上船が唯一の選択肢だったのだが、他にも砂上船がある現状においては、別にそちらに乗り換えてもカイエン達は特に困らないのである。その場合、ハカクは護衛無しで残りの航海を乗り切らねばならない。
その展開はハカクにとって、極めて都合が悪かった。
「ううう、分かったッス。大急ぎで出港準備をするッスよ」
色々と後ろ髪を引かれつつも、ハカクは素早く決断する。
こうして一刻後、ダの民達から名残を惜しまれつつ、カイエン達も浮島を離れるのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「お頭、動きましたぜ」
「けっ、予想よりも早いじゃねえか」
昼夜問わずの見張りを続けていた手下からの連絡を受け、「ゴコウ」砂賊団の頭目は小声で毒づきながら立ち上がった。
彼の読みでは、獲物の砂上船は最低でも一週間は浮島に滞在するはずで、できればその間にコウラン商会の肥満会頭に穏便にお引き取り願う計画を練るはずだったのだが、こうも早く浮島を出立されたとあってはそれもままならない。
内心で悪態を吐きながら甲板に出ると、船尾に陣取っている手下達の元へずかずか歩み寄っていく。
三交代制でローテーションを回しているため、二人ほど毛布にくるまって寝ている隣を無遠慮に通過すると、遠眼鏡を覗き込んでいる手下の傍らに立った。
「おい、連中が動いたってのは本当か。まだ三日と経ってねえだろ」
「へい、例の砂上船で間違いありやせん。乗っている面子も変わりなしです。確かに俺も早過ぎるとは思いやすが、実際に出てきてるんだから仕方ないじゃねえですか」
確かに見張りに文句をつける筋合いではない。それは分かってはいるのだが、そこまですっぱりと割り切ることもできず、頭目は「貸せっ」と苛立たしげに遠眼鏡を奪い取った。
覗き穴に片目を押し当ててみれば、確かに報告の通り、例の小型砂上船が浮島周辺の砂流地帯から出てくるところであった。
乗組員の顔ぶれも変わっていない。霊紋持ちと目される拳法家もばっちり乗船しているのが、小さな円形の視界内に確認できる。
砂流地帯を抜けるための案内役らしき砂上船がそこで引き返していくことから、連中が浮島を出て行こうとしているのは間違いないだろう。
どうせならずっと浮島に引きこもり、肥満会頭が諦めるまで大人しくしていて欲しかったところなのだが、ここでそんな文句を言っていても時間の無駄でしかない。
「ハカクの船が出港しているだと!」
案の定、地獄耳だけは一級品を搭載しているらしい肥満会頭が、どこで噂を聞きつけたのかドスドスと足音を立てて迫って来た。
揺れる船上のためか足元が不確かで、寝ている手下を踏みつけては「ぐえっ!」という蛙の鳴き声じみた悲鳴を上げさせているが、当の本人はまるで気にした様子も無い。
丸々と肥え太った豚を彷彿とさせる顔は真っ赤に染まり、頭から湯気を噴き出している。
どうやらすでに興奮はMAX状態らしい。
「落ち着いてくださいよ。ちょうど今、確認しているところですぜ」
「ふん、それで確認結果はどうだったのだ。ハカクの奴は本当に出港したのか?」
「……間違いなく、連中の船です。こっちの想像以上に早く出て来やがった」
苦虫を噛み潰しながらも肯定せざるをえない頭目。そんな頭目の消極的な態度に気付くことなく、会頭はニタリと薄気味の悪い笑みを浮かべる。
「よしよし、大砂海の民の拠点から出てきさえすればこちらのものだ。おい、襲撃準備はできているんだろうな?」
「一応は。本当はもう少しばかり、時間をかけて確実を期したいんですがね」
「そんな時間は無いことくらい分かっとろうが。万が一、逃げられては元も子もないんだ。準備が出来ているなら、とっとと襲撃して例の物を回収して来い!」
頭目の腹積もりなどこれっぽっちも斟酌せず、頭ごなしに怒鳴りつけてくる。明らかにこちらを下に見た物言いに、思わず砂海に突き落として知らん顔をしたくなる誘惑に駆られる頭目だったが、そんな事をすればコウラン商会との癒着関係が破綻するだけではなく、最悪の場合は別の砂賊に乗り換えられた挙句、報復の対象にされる可能性もある。
この豚野郎の命の代償としてはあまりに高くつき過ぎると己に言い聞かせ、引き攣りながらも作り笑いを浮かべると、頭目は渋々ながら頷いた。
「任せといてくださいよ。あっという間に片付けて御覧に入れまさあ」
「ようし。ではとっとと仕事に掛からんか。そのためにお前達を飼ってやっているのだからな!」
頭目のローテンションと相殺するかのように、意気揚々と肥満会頭が号令をかける。
こうして「ゴコウ」砂賊団は、破滅への一歩を強引に踏み出させられたのだった。
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