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思惑の交差点2

 途中で酔いの醒めそうな話題こそあったものの、宴が続けばそれすら酒の肴となる。

 酔っぱらったハカクが調子外れの歌を景気良く吟じ始めた頃合いで、こんな時でも観察を怠らないリンカは目敏くある事に気付くと、さり気なく立ち上がった。


 片時も休むことなく毛並みを撫でていた手の感触が無くなったことに気付き、上目遣いで「どうしたの?」と問い掛けてくるヘイの視線に対して、何やら意味ありげな笑みを返すと、リンカはごく軽い口調で離席を告げる。


「カイエン君、少し席を外すわね」

「おう、厠か?」

「淑女にそういうことを言うものじゃないわよ」


 デリカシーの無い質問を悪気なく投げてくる脳天を軽くチョップを入れ、夜気に冷えた屋外へと出る。

 見上げれば満点の星空が広がる中、リンカは迷いのない足取りで少し離れた空き地まで足を延ばすと、ぽつりと寂しげに佇む人影に背後から声を掛けた。


「元気が無いわね。体の具合でも悪いのかしら?」

「ぴゃあっ!!」


 可愛らしい声を裏返らせてその場から跳び上がったのは、ダ=ジィルの妹であるダ=シィフであった。

 年齢は確か十三と言っていたか。兄と同じ色合いの髪は左右に分けて束ねており、驚いた拍子に右のひと房を自分の鼻へと打ちつけてしまっている。

 くりくりとした両の瞳は驚きのあまり大きく見開かれ、悪戯っぽく微笑むリンカを夜景と共に映し込んでいた。


 誰にも気付かれずに抜け出したと確信していたのに、こうもあっさり後をつけられるとは思ってもおらず、胸骨を突き破らん程に自己主張する心臓を服の上から抑える羽目になったダ=シィフは、若干恨みがましい視線でリンカを睨み付けた。


「あら、驚かせちゃったかしら。ごめんなさいね」

「い、いえ、大丈夫です。リンカさん、ですよね。わたしに何か御用でしょうか?」


 おずおずと警戒心剥き出しの小動物のごとき雰囲気で問い掛ける。しかし、リンカはその問いには答えることなく優雅に身を翻すと、ダ=シィフが瞬きをしている間に背後に回り込み、戸惑う少女を抱きすくめるような体勢で保持してしまった。


「え、い、いつの間に……!」

「ふふふ、そう怯えなくても大丈夫よ。私はあなたの事が心配なだけだから」


 そう言われたものの、ほとんど初対面に近い相手が自分の何を心配するというのか。リンカの意図がまったく読めず、ダ=シィフは混乱でパニックに陥りかける。

 すると、リンカは優しく笑いかけ、ダ=シィフの耳元に口を寄せた。


「砂上船に密航した罰を受けたのでしょう? 厳しい土地だと、ちょっと掟を破っただけで、口にするのも憚られるようなお仕置きを受けることもあるもの。気にかけるのは当然よ」

「あ、ありがとうございます。でも、大丈夫です。お兄ちゃんが……庇ってくれましたから……」


 なんとか明るく答えようとするも、尻すぼみ的に声が小さくなる。


「罰は……本当に大したことなかったんです。一日食事抜きと、あちこちお手伝いをするように言われただけで、密航の罰としてはとても軽いものでした」

「そう。良かったわね」

「良くないですっ!!」


 リンカのかけた上っ面を撫でるような慰めによって、押さえ込んでいた感情が逆に膨れ上がり、制御不能な嗚咽と共に放たれる。

 目尻から溢れる涙を拭うこともせず、ダ=シィフは声を震わせた。


「あたしの罰が軽かったのは、お兄ちゃんのおかげなんです。お兄ちゃんは精霊様に選ばれた霊紋持ちで、砂鮫狩りの人達からもすっごく信頼されているんです。そんなお兄ちゃんに、あたしが馬鹿な事をしたせいで下げなくてもいい頭を下げさせて……どんな罰より、あたしにはそれが一番辛いんですっ」

「じゃあどうして、密航なんて真似をしたのかしら?」


 堪え切れずに泣きじゃくるダ=シィフの喉元に、リンカは微塵の躊躇もなく言葉の剣を突きつける。

 見えなくとも間違いなくそこにある切っ先は、気付いた時には半ば以上ダ=シィフの柔肌に食い込んでいた。

 案の定、ダ=シィフはすぐに答えることが出来ず、唇を噛んで俯き、肩を震わせる。

 そんな年端もいかぬ少女に対し、リンカは手を止めるどころか、むしろ更に一歩踏み込んでいく。


「密航がバレればどうなるか、まったく想像がつかない歳でもないでしょう。それなのにあなたは罪を犯してしまった。私の目には、むしろあなたが進んでダ=ジィルに迷惑を掛けようとしているように映るわ」

「ちがっ、違いますっ!」


 ぶんぶんと激しく首を横に振り、顔面を蒼白とさせながら否定する。ダ=シィフにとって、これだけはどうしても譲れぬ一線であった。


「あたしはっ! ……あたしはただ、あたしの知らないお兄ちゃんがいるのが嫌だったんです。しばらく前ですが、お兄ちゃんが砂鮫狩りのお役目の最中に大怪我をしたと聞いた時、あたしが死んで代わりにお兄ちゃんが助かるなら、喜んで身代わりになりたいとすら思いました。だから怪我が治ってお兄ちゃんが帰ってきた時、嬉しくて涙が止まらなかったんです」


 その話はハカクから聞いていた。ダ=ジィルとアミン=ミミの馴れ初めの件だろう。


「でも、帰って来たお兄ちゃんは、以前のお兄ちゃんとは少し変わっていました。以前はあたしだけを見てくれていたのに、帰って来てからはあたしが会ったこともない人の事ばかり気にしていて、どれだけ話し掛けても上の空だったんです。少し経つと、段々あたしの方も見てくれるようになったけど、それでもあたしはお兄ちゃんの一番じゃなくなっていました」


 視線を落としたまま、絞り出すように言葉を紡いでいく。普段であれば厳しい指摘をして追い込んでいるところだが、今日のリンカはただ無言で少女の独白を待つ。

 果たして、ダ=シィフは大きく息を吸いこむと、引き千切られそうな悲痛な声で訴えた。


「お兄ちゃんがアミン=ミミさんを連れて来て、『家族が増える』って言われた時、ようやく分かったんです。お兄ちゃんの一番はとっくにあたしじゃなくなってた。あたしの知らない間に、アミン=ミミさんがそこに入り込んでいたんだ、って」


 ようやく言えたとばかりに、ダ=シィフは天を仰ぎ、ほぅと小さく息を吐き出す。


「そう気づいた時には頭を殴られたような気がしましたけど、反対するつもりは無いんです。お兄ちゃんの一番じゃなくなったのはショックだったけど、お兄ちゃんが幸せになるなら、あたしにとってもそれが一番幸せなんだって思ったから。だけど、あたしの知らないお兄ちゃんをアミン=ミミさんが知っているんだと思うと、居ても立ってもいられなくて、せめてそれだけでも知りたくて、気付くと砂上船に潜り込んでいました」


 憑りつかれたように、あるいは堰を切ったかのように、気付けばその胸中を洗いざらいぶち撒けていたダ=シィフだったが、ようやく全てを吐き出し終わると、久方ぶりの開放感にその身を委ねていた。


 当人であるダ=ジィルはもちろん、友人達にも隠し通してきたのだろう。積もり積もった想いは雁字搦めに心を縛り付けて来たはずだ。

 無関係な立場にいるリンカが相手だからこそ、ダ=シィフも後先を考えずに訴えられたのである。

 ようやくその事実に気付き、ダ=シィフは年齢相応に幼さの残る両頬を赤く染めた。


「すみません、勝手に色々喋ってあたしだけ勝手にスッキリしちゃって……それで、失礼ついでにお願いなんですけど、今あたしが言ったことはお兄ちゃん達には内緒にしてもらえないでしょうか」

「ええ、勿論よ。元々口外するつもりなんて無いから安心して頂戴」


 ウィンクを交えつつ、殊更に安心させるように穏やかな口調でリンカは告げる。

 ほっと安堵するダ=シィフを優しい眼差しで見守りながら、「ただし」と楔を打ち込んだ。


「あなた自身の問題には口を挟ませてもらうわよ」

「あたし自身の問題?」


 何を言わんとしているのかが飲み込めず、ダ=シィフは思わず小首をかしげてしまう。

 先程まではあらゆる感情がごちゃ混ぜになって、思い返すだけでも暴発寸前だったと分かるが、リンカを相手に発散したおかげで今はすっきりとしている。問題と言われてもピンと来ないのは当然といえよう。

 だが、リンカはダ=シィフ以上に、ダ=シィフの置かれた状況を理解していた。


「ええ、そう。今はガス抜きができたから少し落ち着いたみたいだけど、所詮は対処療法よ。このまま放置しておくと、すぐに鬱屈を溜め込んで、また今回みたいな事件を起こすわ。あるいはもっと酷くなるかもしれない」


 容赦のないリンカの指摘にダ=シィフは背筋を震わせる。すでに一度暴発させた身として、その予言が単なる当てずっぽうでないことが理解できたからである。

 いや、予言という枠にすら収まらない。もはや定まりきった未来を告げる託宣のようにすら、ダ=シィフの耳には響いた。


「そんなのは嫌ですっ! これ以上、お兄ちゃんに迷惑はかけたくない!」

「安心なさい。私はあなたの味方よ」


 時と場合によっては一発で詐欺師認定間違いなしの台詞である。だが、幸か不幸か大砂海の民は詐欺師の手口には疎いらしく、ダ=シィフは一縷の望みを込めてリンカを見やる。

 それに応えるように、リンカはゆっくりと問い掛けた。


「改めて確認させてもらうけど、ダ=ジィルさんとアミン=ミミさんの結婚に反対、というわけではないのよね?」

「……うん、それは間違いないです。アミン=ミミさんの事を話すお兄ちゃんは、とても幸せそうだもの」


 一抹の逡巡こそあったものの、確信を込めた瞳でダ=シィフが頷く。

 ダ=シィフの告白と合わせて、すでに全体像は概ね掴めている。となれば、後はそれに沿ってピースを並べ替えていくだけだ。

 その第一歩として、リンカは自覚を促すことに決めた。


「ダ=シィフちゃん、あなたの抱えている想いの正体は、ずばり寂しさよ」


 遠回しに伝えることも可能だが、この少女は決して鈍感や意地っ張りの類ではない。ただ初めての感情に戸惑い、持て余しているだけだ。

 ならばこの場合はストレートに伝えることが最も効果的と判断し、リンカはダ=シィフの目を正面から覗き込みながら告げる。


「寂しさ、ですか?」

「ええ、その通り。物心がついた時から、あなたの傍にはダ=ジィルさんがいた。そして片時も離れず寄り添ってくれていたからこそ、あなたは寂しさというものを本当の意味で理解していなかったのね。でも、アミン=ミミさんと出会って彼の想いはそちらにも向けられるようになった。結果、あなたは生まれて初めて、本当の寂しさを知って混乱してしまったのよ」


 子供に言い聞かせるように丁寧に語り掛ける。実際、ずっと兄妹二人だけの家族といった状況でもない限り、完璧には他者と繋がることのできない空虚感など、もっと幼い時分に経験して然るべきものだ。

 その意味では、単にダ=シィフが兄離れできていないだけとも言える。


 だが、リンカの口からその診断を伝えるだけでは、反発を招くことは必至。なにしろダ=シィフはこれまで、兄以外の家族を知らなかったのだ。そんな状況のまま、口先だけで兄離れを促してみたところで、未知に対する脅えから自覚無く耳を塞いでしまうことは目に見えている。

 それゆえ、リンカが提示したのは全く別方面からのアプローチであった。


「ダ=シィフちゃん、アミン=ミミさんの事はどれだけ知ってるかしら?」

「え、何ですか、突然に」

「大事な話よ。思いつく限り挙げてみて」


 真面目な口調で言い切られては、自ら頼った手前、ダ=シィフも従うしかない。

 アミン=ナナの妹であること、怪我をしたダ=ジィルを介抱してくれたこと等々、これまで兄から聞いていた人物像を指折り数えていく。

 両手の指を全て折り曲げた辺りで種切れになったらしく、ダ=シィフは上目遣いにリンカを見上げた。


「そんなところかしら。じゃあ尋ねるけど、同じようにダ=ジィルさんについて知っている事を挙げていったら、幾つくらい挙げられるのかしら?」

「お兄ちゃんの事だったら、この百倍は楽勝です」


 隠し切れぬブラコン宣言に、リンカは思わず苦笑を浮かべるが、すぐに気を取り直すと有無を言わさぬ口調で、


「だったらアミン=ミミさんについても、同じ数だけ挙げられるようになりなさい」

「そ、そんなの無理――」

「無理だと思うのは、あなたがアミン=ミミさんの事を知ろうと努力していないからよ。ダ=ジィルさんは『家族が増える』とあなたに言ったのでしょう? ダ=ジィルさんもきっと、新しい家族の事をもっとあなたに知って欲しいと願っているはずよ」


 訥々と言い含めるリンカの言葉に、最初は反発しそうになったダ=シィフであったが、やがて心を決めたらしく、泣きじゃくっていた時とは比べ物にならない引き締まった表情を見せる。


「分かった。それがお兄ちゃんの望みなら、やり遂げてみせる」

「その意気よ。頑張ってね」


 リンカのエールを受け、力強く頷くと、ダ=シィフは一目散に家の方へと駆けていく。

 珍しく良い事をしたと自画自賛し、少し時間を置いてからダ=ジィルの家へと戻ってみれば、料理を教えて欲しいとダ=シィフがアミン=ミミに頼み込み、ちょうど快諾されているところであった。


 料理上手として知られているアミン=ミミと距離を詰めるのに、なるほど料理の話題ほど相応しいものもあるまい。

 砂上船への密航で分かっていたことではあるが、頭の回転、行動力ともに申し分ない。方向性さえ示してやれば、後は自分で適切な道を選べるはずだ。

 ついでに、大砂海の一族における有力者の身内にそれとなく恩を売りつけるという、暇潰し半分なリンカの計画も大成功というわけだ。


 視線でアドバイスへの感謝を伝えてくるダ=シィフに、笑みを浮かべてみせることで返答とするリンカ。

 その笑顔に気付いたカイエンが、無邪気に感想を漏らす。


「そこまで嬉しそうな顔をするなんて、相当デカイのが出てすっきりしたんだな」


 笑顔のまま、淑女は本気チョップを叩き込んだ。

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