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思惑の交差点1

あけましておめでとうございます。

今年もカイエン達の旅をよろしくお願いします。

「ぷはぁ~、美味いっ! やっぱり全身全霊を絞り尽くした後の一杯は格別だねえ!」


 砂鮫の骨から削り出された盃になみなみと注がれた酒精を一息で飲み干し、それでもなお酩酊の気配など微塵も感じさせないしっかりとした口調で、アミン=ナナは吠えるように快哉を上げた


「姉さん、最初から飛ばし過ぎよ」

「そう固いこと言わないでおくれよ。こっちは一日中駆けずり回ってへとへとなのさ」


 やんわりとなだめてくるアミン=ミミに苦笑を返すと、己の向かいに腰を下ろしている相手に向け、中身が空となった盃を力強く突きつける。


「どこかの誰かが随分と小賢しい罠に嵌めてくれたおかげでね」


 紡がれた言葉は字面だけ追えば敵意に満ちていたが、アミン=ナナの醸し出している雰囲気に刺々しいものはない。むしろ、智謀でもって見事に己を翻弄してみせた敵手に対する、尊敬の念が滲み出ているほどだ。

 となれば、盃を突きつけられたリンカも受けて立ち、並べられた料理の数々に打っていた舌鼓を一旦止めると、すまし顔にほんの一滴の親愛を添えて応じてみせた。


「ふふふっ、そうね。どこかの誰かがあっさりと引っ掛かってくれたから、随分と楽をさせてもらったわ」

「言うじゃないかい。次に勝負する時は憶えておくんだね」

「あら、残念ね。私、勝負は勝ち逃げすることに決めているの」


 互いに軽口を叩き合い、しばし睨み合った後、両者同時に相好を崩して笑い合う。

 先程まで決闘騒ぎを引き起こしていたとは思えない、和気あいあいとした空気である。


「それにしても、私達までご相伴に預かっちゃって良かったのかしら、ダ=ジィルさん?」

「構わない。むしろアミン=ミミとアミン=ナナにも、きちんと紹介しておきたかった」


 ひとしきり盛り上がったところで話を振ると、アミン=ミミの隣で盃を干していたダ=ジィルは、当然とでも言いたげにはっきりと頷いた。

 ちなみに、ここはダ=ジィルの家である。

 普段はダ=ジィルと妹のダ=シィフが二人で静かに暮らしているのだが、今晩に限っては随分と多彩な顔触れが揃っている。


 家主とその妹であるダ=ジィル、ダ=シィフの兄妹はともかくとして、ダ=ジィルの婚約者であるアミン=ミミと、その姉にして子供と見紛う程の小柄な体躯ながら、青龍偃月刀という規格外の長物を自在に振り回す霊紋持ちのアミン=ナナ。

 この四人だけでも十分に食卓が賑やかになるのだろうが、それに加えてカイエン、リンカ、ヘイ、そしてハカクの四名もこの場には招待されていた。


 なお、大砂海の民には食卓という文化は無いらしく、七人と一匹は床の上に車座となり、大皿に盛りつけられた宴会料理の数々を囲んでいる。

 昨晩の晩餐にも引けを取らないラインナップだが、これらの料理はなんとアミン=ミミ一人の手によるものだった。多少の身内贔屓が入っている可能性はあるが、アミン=ナナ曰く、アミン=ミミは料理上手で相当に有名らしい。


 この集まりは元々、突然押し掛ける形でやって来たアミンの姉妹がダ=ジィルの家に泊まるという話が発端だったのだが、どこでどう話が転がったのか、ダ=ジィルがカイエン達も夕食に招待したいと言い出したのである。


 遠慮という概念を持ち合わせていないカイエンはともかく、婚約者を迎えての食事の場に大勢が押し掛けるのは迷惑だろうと、一般常識担当のリンカが一度は断ったのだが、客人枠であるアミン=ナナが是非リンカと盃を酌み交わしたいと強く主張したため、最終的にこうしてお邪魔する事態となっていた。


 そんなアミン=ナナはといえば、あっという間に盃を三杯も空にしたかと思うと、今度はリンカの隣でしこたま飲み食いしている少年へと視線を転じた。


「どんな奴かと思ってたけど、ダ=ジィルと引き分けたっていう砂海の外から来た霊紋持ちが、その小僧とはねぇ」

「んあ? 何か用か?」


 怒涛の勢いで汁物料理を胃袋へと流し込んでいたカイエンだったが、推し量るようなアミン=ナナの視線に気付いて顔を持ち上げる。

 頬に具材の切れ端を貼り付けて首をかしげている様子からは、精悍さの類が極限まで削ぎ落とされた上に希釈までされており、どこからどう見ても食欲丸出しの無邪気な少年としか映らない。


「いやなに、あんたみたいな小僧がダ=ジィルと引き分けるほどの使い手と聞いて、世界は広いと感心してたのさ」

「何言ってんだよ。見た目だったらそっちの方がよっぽど子供だろ」


 オブラートのオの字もないカイエンの返答に、笑顔を保ったままであるにも関わらず、アミン=ナナの額に青筋が浮かび上がる。


「言ってくれるじゃないかい。もしかして喧嘩でも売ってるつもりかい?」

「それは誤解よ、アミン=ナナ。カイエン君は正直に思ったことを言っているだけ。深読みなんてするだけ無駄になるわ。なんといっても、裏表が無いのがカイエン君の一番の特徴なんだから」


 反射的に噛み付きかけるアミン=ナナだったが、それに待ったをかけたのはリンカであった。

 小皿に取り分けた料理をせっせとヘイの口元に運んでいる最中で、アミン=ナナの方へは振り向きもせずに言い放った忠告には、達観と諦観とその他諸々がこれでもかと濃縮されており、さすがにアミン=ナナも言外に込められたナニカに気圧されてしまう。


「ええと、なんだ、あんたも色々と大変みたいだな……」

「ふっ、もう慣れたわ。っていうか、慣れないとやってられないわよ。まあ、ヘイ君をモフれるという一点だけで、その他全てがどうでもよくなってくるんだけどね……」

「うん、あたいが悪かった! だからこいつでも飲んでいておくれ!」


 ドロリとしたものが噴き出しそうになるのを素早く察知し、アミン=ナナが慌てて酒杯を押し付ける。

 歴戦の女傑の直感が、リンカの溜め込んでいたものを今この場で吐き出させるのはマズいと囁いたのである。実に英断といえよう。


 リンカのストレッサー疑惑が急遽浮上したカイエンはというと、そんなわちゃわちゃとした光景を横目で眺めながら、疑惑など気にかける素振りも見せずにダ=ジィルに問い掛けていた。


「そうだダ=ジィル、一つ教えてくれよ。大砂海の民とか砂鮫狩りにだけ伝わってる、凄い修行法とかあったりしないのか?」

「カイエン、いきなり何を言い出す?」


 あまりに唐突な話題の転換に、ダ=ジィルは困惑の表情を形作る。対してカイエンは、いたって真面目な顔で言い募った。


「だってさ、俺が知っているだけで砂鮫狩りに二人も霊紋持ちがいるんだぜ。何か、特別な修行法とかがあるのかなーと思ってな」

「さすがにそれは偶然じゃないかしら? まあ、まだ他にも霊紋持ちがいるなんて言われたら、吃驚どころじゃ済まなくなるのだけど」

「霊紋持ち、まだいるが」

「え、嘘でしょ!?」


 ダ=ジィルの簡潔極まりない情報開示に、リンカは宣言通りに吃驚して固まってしまう。

 いささか芝居がかっているようにも思われるリアクションだったが、そういった反応になってしまうのも無理はない。

 本来であれば霊紋持ちというのは、想像を絶する修行の果てに至る、武術家としての最高峰であるためだ。


 才能ありと目される武術家であっても必ず霊紋を体得できるという訳ではなく、むしろ大半の人間が修行の厳しさに耐えかねて、挫折するか身体を壊す。

 それほどの狭き門を潜り抜けた一握りのみが、更に精霊に選ばれるという幸運を経ることで、ようやく霊紋持ちとして超絶的な力を得ることが可能となるのだ。ましてやその先に聳える第二階梯への壁となれば、もはや筆舌に尽くしがたい。


 そんな霊紋持ちが少なくとも三人。ダ=ジィルの発言のニュアンスからして、もっと大勢いる可能性もある。

 大砂海はロザン皇国の常識が通用しない別世界だと俗に言われているが、たとえそうだったとしても、それだけ沢山の霊紋持ちを排出する一族など眉唾物としか考えられない。普通ならばそう結論付けるはずだ。

 だが、ダ=ジィルにはそんな嘘を吐く理由が無い。加えて、アミン=ナナとアミン=ミミの姉妹も平然と頷いており、どうやら彼等の間では共通認識であるらしかった。


「大砂海の民にとって、霊紋持ちはいずれ来たる日への備えなのだ」


 とても信じられないと書いてあるリンカの表情を読み取り、ダ=ジィルはすっと目を細める。

 気配が切り替わったことを敏感に察し、リンカは我知らず居住まいを正す。カイエンもそれに釣られたのか、頬袋を膨らませたリスのようになってまで詰め込んでいた料理を一息に飲み下すと、ダ=ジィルの目を正面から見据えた。


「昨日、長老ダ=ベインから島蠍については聞いているな?」

「ああ、虹砂帯ができる原因だって霊獣だろ。そいつも虹砂帯も、一度くらいは拝んでみたかったけどな」


 カイエンの軽口を受けてほんの少しだけ苦々しい色が瞳に浮かび上がるが、ダ=ジィルはすぐに頭を振って気を取り直すと、重々しい口調で告げた。


「島蠍は強大にして貪欲。放っておけば砂鮫のみならず、この大砂海に生きる者全てを喰らい尽くす」


 なるほど、十分にありそうな話である。

 島蠍が砂鮫を主食としているのも、要は大きい分だけ食いでがあるからというわけだ。

 仮に砂鮫を食い尽してしまったとしたら、島蠍は間違いなく次の獲物を求めて動き出すことだろう。そんな怪物が大砂海を徘徊するなど、どう考えても厄介な未来になる可能性しか思いつかない。


「無論、そんな暴挙を我々は許さない。だから島蠍が目覚めると、大砂海の一族に生まれた霊紋持ち、力を合わせて彼の者に挑むのだ」

「力を合わせる、か。それって要するに――」


 カイエンの呟き半ばでダ=ジィルは力強く頷き、後半を引き取る。


「島蠍は大砂海に生きる者全ての脅威。目覚めた彼の者を押し止め、再び眠りにつかせることが我等の使命となる。七色の部族からそれぞれ一人ずつ、ダ=ジィルやアミン=ナナのように加護を受けた霊紋持ち、七人が島蠍へと挑む」


 つまりは七人もの霊紋持ちによる共同戦線ということだ。

 考えうる限りの最精鋭。まさしく量より質の極みと言ってもいいだろう。

 そしてそれは逆説的に、たとえ鍛え抜いた戦士であるはずの砂鮫狩りであっても、霊紋持ちでなければ戦力にならないことを意味していた。

 要するに島蠍という霊獣は、それほどまでに強大な存在なのである。


「んんー、幾つか確認してもいいかしら?」

「構わない。何が聞きたい?」


 初めて聞く者にとっては想像を絶する内容であったが、どうにも引っ掛かる点があったらしく、リンカはしきりに首をかしげながら声を上げる。

 拒否する理由など無いダ=ジィルが促せば、リンカはさりげなくヘイを胸元に抱き上げながら訊いた。


「七色の部族から一人ずつという事だけれど、それは必ず七人なの? 多少の増減も無しなのかしら?」

「無い。島蠍に挑む霊紋持ちは必ず七人だ。これまで幾度か彼の者が覚醒したことがあるが、一度たりとて欠けることはなかったと聞く」

「ただし、助っ人が混ざる事はあったらしいけどね。例えば前回の戦いの時には、霊獣・雷尾様が味方してくれたおかげで、大きな被害を出さずに撃退できたんだとさ」


 即座に返るダ=ジィルの答えに、横合いからアミン=ナナが補足を付け加えてくれる。

 大砂海の一族の存在意義ともいえる島蠍との戦いに助力したからこそ、ただの通りすがりであるはずのヘイが、雷尾であるというただ一点だけで下にも置かれないような熱烈な歓迎を受けたのだろう。


 そのヘイ自身も、己以外の雷尾の話となれば多少は興味があるらしく、砂鮫の骨付き肉をかじかじと齧りつつ、柔らかな獣毛で覆われた両耳はピンとそばだてている。

 だが、リンカが気になっていたのは雷尾についてではなかった。


「必ず七人……霊紋持ちがそんなに都合よく揃うものかしら?」

「ああ、言われてみりゃそうだな」


 シンプルだが核心を突いたリンカの疑問に、カイエンも思わず膝を打って同意する。

 それはダ=ジィルの語る内容が、リンカやカイエンの知識からかけ離れていたためだ。


 前述のとおり、霊紋持ちとなるには才能だけでも鍛錬だけでも十分とはいえず、どうしても運の要素が絡むとされている。

 そうであれば、島蠍が目覚めた際に都合よく七人の霊紋持ちが揃っているのは、どう考えてもおかしい。飾らずに指摘するならば、あまりにも出来過ぎなのだ。

 そこに関してはダ=ジィルも承知していたらしく、あっさりと種明かしをしてくれた。


「加護を授けてくれる精霊、代々継承される。初代の七人が宿していた精霊、普段は各色の部族が祀っている霊楔に宿っている。島蠍の目覚めが近づくと、精霊は部族の中から相応しい者を選び、宿るとされている」

「祀って……ああ、なるほどね。あの社の奥に、その霊器――霊楔が収められているといったところかしら」


 見たこともない様式で建てられていた社を思い返し、リンカはようやく引っ掛かっていたものが腑に落ちた。

 随分と丁寧に祀られている割に、ここしばらく手入れをした形跡が見当たらないことが、密かに気になっていたのである。


 すでにダ=ジィルが霊紋持ちとなっているということは、あの社に祀られているという霊楔には今現在、精霊は宿っていないのだろう。そして大砂海の民にとって、崇めるべきは霊器ではなく精霊であり、空の霊楔は粗末に扱いこそしないものの、頻繁に手入れする対象ではないと推測できた。


「そうだ。霊楔は各部族が一つずつ祀っている。聞いた話では、我とアミン=ナナの他にもう一人、黄の一族にも精霊を継承した者がいるらしい。島蠍の目覚めが近くなれば、残りの精霊も継承者を選び、来る決戦の日には必ず七人が揃うはずだ」


 自信に満ちた声音で、ダ=ジィルはそう言い切るのだった。

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