青龍偃月刀の襲来1
歓迎の宴の翌日、ダの民が暮らす浮島をリンカは一人で歩き回っていた。
他の面子はというと、まずカイエンは朝早くからダ=ジィルに誘われ、砂鮫狩りに出掛けてしまっている。
ヘイもカイエンに同行しており、護衛対象であるハカクは驚くべきことに、ダの民達を相手に商売の真似事を始めようとしているらしかった。
そんな訳で手持ち無沙汰となったリンカは、喜々として単独行動に身を投じているというわけだ。
本音を言えば、ヘイと一緒に砂鮫狩りに参加する案も捨てがたかったのだが、それ以上に余所者が滅多に立ち入ることのないこの浮島が、歴史研究家としてのリンカの血を騒がせて仕方なかったのである。
ちなみに浮島の土地は、元々が砂だったとはちょっと信じられない程に緑豊かな環境であった。
さすがに水辺の類こそ見当たらないものの、青々と繁茂した植物がそこかしこに生えている。通常の砂漠では考えられない光景だが、それを言うならばここは大砂海だ。気候という面では外界とさほど変わらないうえ、この地に適応した品種の可能性もある。
何よりもリンカの気を惹いたのは、あちこちに打ち捨てられている砂上船の残骸と思しき廃材の山だった。
近くを通りがかったダの民に事情を聞いてみたところ、難破した砂上船が偶に流れ着くのだという。
その中から使えそうな資材だけ抜き出して再利用し、後はこうして放置しているというわけだ。
ダの民からすれば用済みのガラクタなのだろうが、リンカの目から見れば宝船に等しかった。
長い年月を大砂海に揉まれることで徐々に朽ちてきた砂上船は、その船体に大砂海の営み全てが記録されているといってもいい。船の建造様式から難破した時期を推測し、船体の傷み具合からその難破船が耐え抜いてきた歳月に思いを馳せる。うっかりと航海日誌でも見つかろうものならば、小躍りの一つもしてしまっていたことだろう。
そんな有意義な散策を満喫しながら海岸線をぐるりと歩き終わったリンカは、続いて島の中央部に向かって歩を進めた。やがて行き当たったのは、見慣れない様式で建立された社らしき建造物であった。
家屋や砂上船については、大砂海の外から入って来た技術が端々に見受けられるため、そのルーツや成立過程についてあやふやながらも仮説を立てることが出来る。
だが、今リンカの眼前にひっそりと佇む社は、彼女の知識にあるどの文化圏とも異なる系統に属していることは間違いがなかった。
未知の発見の興奮に震える心臓を服の上から鷲掴む。跳ね上がりそうになる鼓動を強引に抑え込むと、リンカはゆっくりと社に近寄った。
手を伸ばせば届くほどの距離まで接近し、まずはじっくりと観察する。
社は土を盛って形作られた饅頭のような外観をしており、その表面を分厚い苔の層が覆っている。
出入り口は正面に設けられた、大人一人がやっと通れるかどうかといったサイズの扉だけ。遠くから子供達が戯れているらしき声が風に乗って届き、それがかえって社を包み込んでいるしんとした静けさを強調している。
ざっと見たところ、鍵の類はかかっていないようである。
キョロキョロと辺りを見回したリンカは、周囲に誰もいないことを確認すると、そっと扉に手を伸ばす。
だが、リンカが神秘の扉を押し開けるよりほんの少し早く、波止場から上がった歓声が波のように打ち寄せて来た。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「さあさあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃいッス。仕入れたてほやほやッスよ」
波止場近くの少し開けた一画で、地面に敷いたゴザ一面に砂上船から運び出した品物を所狭しと並べたハカクは、深呼吸をして息を吸いこむと大きな声を張り上げた。
何を始めるのかと遠巻きに眺めていた者や、ハカクの呼び声で初めて気付いた者達が、誘われるように近づいて来る。
昨日の宴の後、ハカクは長老のダ=ベインに頼み事を一つ持ち掛けていた。
それは露店の営業許可である。
元々、本来の航海計画をうっちゃってまでダの民の招きに応じたのは、未知の販路を開拓できるかもしれないと行商人の勘が囁いたからだ。例えば、本格的にダの民と取引できるようになれば、現状では唯一ハカクだけが彼等との交易を担うこととなるに違いない。
独占販売、競合皆無。いわゆる一つのブルーオーシャン。
商売を目指す者ならば誰でも一度は夢に見る、典型的な成功への一本道だ。もちろん、そんな美味い話は無いという教訓まで完備の、至れり尽くせりな仕様である。
だが、もしもここでダの民の信頼を勝ち取ることが出来れば、妄想が現実となる可能性がぐんと高まるのである。
これで奮い立たぬ行商人などいようか。いや、いまい。
そんな決意を改めて胸に刻み込むと、ハカクはおっかなびっくりといった様子で露店の品々をちらちらと見ている女性に向け、愛想の良い笑顔を浮かべて話し掛けた。
「お姉さん、どうッスか。気になる物があれば、手に取ってもらって構わないッスよ」
「え、あっ。そ、そうなのかい?」
客観的に見ればお姉さんと呼ぶには人生経験豊富のそしりを免れないラインだったが、いきなり声を掛けられて動揺したその女性は己の呼称に頓着する余裕も無いらしく、目を白黒させてハカクを見返してくる。
それに対して、ハカクはどんと胸を叩くと、自信たっぷりに頷いてみせた。
「勿論ッス。この店に並んでいる物は全部、オイラがこの目で見て品質を確認した、自信を持ってお勧めできる商品ばかりッスからね。お姉さんにも、他のお客さん方にも、納得した上でお買い上げ頂きたいと考えているッス」
商売の基本。それは信用だ。
正直な話、これまで商人という人種に触れたこともない相手など、口八丁で誤魔化して暴利を貪るのは容易い。だが、それが通用するのは精々が最初の数回に限られる。
おまけに一度でもバレれば、残るのは決して消えない悪評のみ。
折角の独占販路を開拓できるこの好機に、そんな目先の利益に躍らされるのは悪手でしかない。
それを弁えているからこそ、ハカクは侮ることも侮られることもなく、対等の立場で取引することを強く己に戒めていた。
そんな心意気が伝わったのか、女性は気になっていたらしい品へおずおずと手を伸ばす。
手に取ったそれは、皇国のあちこちで採取されたスパイスを独自の配合で調合した一品だった。
元々の計画では西域の国々に売り込む予定だったため、向こうでは貴重品とされるこれらのスパイスを多目に仕入れていたのである。
「お姉さん、お目が高いッスね。それは今回商った中でも特に自信のある一品ッス。料理にアクセントを付けるのにも使えるし、干し肉を作る時に擦り込めば、味が増す上に日持ちも良くなるッス。お買い得ッスよ」
「へえ、そうなのかい。そんなに便利なら試してみようかねえ」
「毎度ありッス!!」
一歩踏み出させることさえできれば、後は坂を転がるようなものだった。勧められるままにスパイスの壺を手に取った女性を皮切りに、物珍しさも手伝ってか山積みとなっていた交易品が飛ぶように売れていく。
最大の問題は大抵の住民が貨幣を持ち合わせていない事だったが、それは当初から織り込み済みである。ハカクが貨幣の代用として提案したのは、砂鮫の素材との交換であった。
ちなみにその代表格が皮だ。砂鮫狩りが着込んでいた革製の衣服。その素材に他ならない。
常に死の危険と隣り合わせにある砂鮫狩り達が着ていることから推測できる通り、砂鮫の皮は優れた強靭性と伸縮性を併せ持っている。おまけに砂鮫自体の危険性から、市場にも滅多に流れないという希少性の高い素材なのだ。物々交換の材料とするには十分といえよう。
そうして目まぐるしく働くこと暫し。ようやく人波が引いて一段落ついた頃、ハカクは疲労困憊の態でゴザの上に突っ伏していた。
それなりに商売の経験はあると自負していたが、揉みくちゃにされて内臓が飛び出るかと思う程の大盛況はさすがに身に覚えがない。もしかしたら夢でも見ているのではないかという疑念さえ湧きかけるが、突っ伏したまま背後を見やれば受け取った砂鮫の皮が小山を成している。その事実こそが、先程までの取引が嘘でも幻でもなかったことを実感させてくれる。
早速使ってみたという住民達からの評判も上々で、これなら長老に今後の直接取引を申し出ても、そう無下には扱われまい。
思いもよらず巡って来た幸運を噛み締めつつ、ハカクは心地良い疲労感に身を委ねながら、遠目に見える大砂海へと目をやった。
ぼんやりとした視界の中、愛船あすみ丸の遥か彼方に浮かぶ小さな点が目に止まる。点の正体はどうやら砂上船らしく、砂海の波に沿ってゆっくりと上下に揺れている。
ハカクは航海時の癖で手の届く位置に置いてあった遠眼鏡を引き寄せると、のろのろと片目をあてがった。
一秒、二秒と経過し、ようやく焦点が合った時、拡大された視界の中に飛び込んできた光景に、ハカクの意識は一気に覚醒した。
顔を青褪めさせながらわたわたと起き上がると、慌てて手近にいたダの民に縋りつき、手をぶんぶんと振り回して力説する。
「砂賊ッス! 砂賊が襲って来たッス!!」
青天の霹靂を思わせる宣告に、波止場中が蜂の巣を突いたような騒ぎとなるまで、さほどの時間はかからなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ダ=ボルクは若くして砂鮫狩りの一員に選ばれた前途有望な若者だった。
過去形なのは、つい先日大砂海の外から来た者と小競り合いとなり、不覚を取ってしまったからである。
後から判明したことだが、ダ=ボルクを一撃で昏倒させた相手は霊紋持ちであり、青の一族で当代最強のダ=ジィルと互角の戦いを繰り広げた猛者でもあった。
要するに相手が悪かっただけなのだが、生真面目なところのあるダ=ボルクは誰よりも彼自身が納得できず、傷を癒すためとして二日間の静養を申し渡されても、こっそりと抜け出しては修練に励んでいた。
自宅の裏に用意した、廃材から作った木偶人形数体を相手に、愛用の銛でもって時に突き、時に振り下ろし、時に薙ぎ払う。
どれほどそうしていただろうか。額から滴る汗が地面に染み込みきれなくなった頃、ダ=ボルクは表が何やら騒がしいことに気が付いた。
袖で汗を拭いながら顔を出してみれば、ちょうど顔見知りが慌てた様子で家の前を駆け抜けて行こうとしたため、咄嗟に呼び止める。
「どうした、何があった?」
呼び止められて初めてダ=ボルクがいることに気が付いたらしく、彼は息を切らせながら急ブレーキをかけ立ち止まった。
「ダ=ボルクではないか! 砂鮫狩りはどうしたのだ?」
「傷を癒せと言われて明日まで乗船を禁じられているのだ。それより、何か問題でも起きたのか?」
改めて同じ問いを発すると、彼は「これはありがたい」と小声で呟くやいなや、ダ=ボルクの手を掴んでいきなり走り出した。当然、掴まれているダ=ボルクも引きずられるようにして駆け出す羽目になる。
「おい、一体どうしたというのだ?」
「砂賊が現れたらしい。一隻だが、この島に向かっていると耳にした」
「本当か!?」
ダ=ボルクが聞き返してしまったのも無理はない。浮島の周囲は特に砂の流れが激しく、航路を熟知した青の一族が先導でもしない限りは、流砂の溜まり場に吸い込まれて難破船の仲間入りをするのがオチなのだ。
それを抜けてきたという事は、よほどの強運の持ち主か、浮島周辺の砂流の情報をあらかじめ入手していたことになる。
前者はともかく、後者であればかなり周到な準備の上での行動だ。
まさかとは思うが、砂鮫狩りが出発した機を見計らうかのようにやって来たのも、抵抗勢力が少ないタイミングを狙ったと考えることができる。
だが、砂鮫狩りであるダ=ボルクが居残りをしていることまでは、さすがに知らなかったのだろう。それだけは不幸中の幸いといえる。
砂賊がどれだけの手練れを送り込んできたかは知らないが、全員返り討ちにしてくれる。
そんな風に気を昂らせたダ=ボルクが波止場に到着すると、そこにはすでに大勢の人々が集まっていた。
だが、奇妙なことに緊迫した空気は微塵も無く、どこか気の抜けた雰囲気が漂っているではないか。
「おいっ、砂賊はどこだ!?」
気を引き締めるべくダ=ボルクが大音声を上げると、若い衆を中心として集まっていた者達が一斉に振り返った。
それに伴い、人垣が壁となって見えなかった砂賊のものだという砂上船が、ダ=ボルクの視界に飛び込んでくる。
大きさはハカクの砂上船と同等か若干小さい程度。つまりは定員が十名にも満たない小型船ということだ。
その船上で得物を携えて屹立する姿に、ダ=ボルクはとても見覚えがあった。
驚きのあまり言葉を失っている間に、その人影は僅かに身を屈めると、次の瞬間、勢いよく砂上船を蹴って跳躍する。
足場となった砂上船は大きく揺れるが、そこは安定性重視で建造されているらしく、ぐらぐらと揺れはするものの横転することなく持ち堪えた。
一方の跳躍した人影は、十メテルはあった波止場との距離をただの一跳びで踏み潰し、巻き上げる砂も豪快にダ=ボルク達の前に降り立ってのける。
ダの民の砂鮫狩りと同様、砂鮫の皮で出来た上衣を羽織っているが、その胸部は豪快にせり出しており、性別を見間違えることはない。
身長も百四十メテルに満たない程度しかなく、その童顔と相まってしまうと、彼女が成人していることを初見で看破できる者はそう多くあるまい。
とはいえ、自身の二倍以上あろうかという青龍偃月刀を片手で軽々と扱う様と、四肢に薄っすら浮かび上がる霊紋を見れば、喧嘩を売っていい相手かどうかを見極めることくらいはできるはずだ。
ちなみに言うまでないが、売ってはいけない人種であった。
「やあやあ、雁首揃えてお出迎えとは嬉しいじゃないかい! で、ダ=ジィルの野郎はどこに居やがるんだい? 今日のあたいは、あいつに話付けるために来てやったんだからね!」
威勢よく喚き散らすその女性に対し、集ったダの民達はまるで示し合わせたように、揃って首を横に振ることしかできなかった。
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