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砂の海の出会い1

 胸を躍らせながらファンレンの街へと通ずるトンネルを抜けると、目の前に広がっていたのは周囲を砂漠に囲まれているとは信じがたい、小ざっぱりとした清潔な街並みだった。


「へえ、岩壁の外とは随分と雰囲気が違うんだな」


 絶え間なく人の行き交う往来を感心した表情で眺めながら、カイエンは胸中を包み隠さず口にする。

 見渡す限りの大砂漠の真っ只中にある街だというので、てっきり砂まみれ埃まみれのあり様を想像していたのだが、良い意味で裏切られたといったところか。


「ふふふ、驚いたかしら。ファンレンの街がこの規模を保っていられるのは、主に二つの理由があるわ」


 人込みではぐれるのを防ぐためというもっともらしい理由をでっちあげ、堂々とヘイを抱っこする名目を勝ち取ったリンカが、両腕に抱え上げた毛並みに頬擦りをしながら自慢げに告げる。

 抱かれているヘイはというと、リンカの性癖に関してはとっくに諦めの境地に至っているらしく、たまに鬱陶しそうに身をよじりながらも目立った抵抗はせず、周囲の景観や喧噪に五感を振り向けている。


「まずは大砂海の玄関口としての存在意義ね。大砂海を横断しようとするならば、必ずこの街で準備を調える必要があるのよ。それだけに皇国もファンレンの存在は重要視していて、機能の維持には万全を期しているわ」


 リンカの言うところによれば、大砂海に立ち入らぬように迂回するルートもかつては検討されたことがあったらしいのだが、あまりに移動距離が長くなり過ぎるために断念されたのだという。

 また、西域と一口に言っても数多くの国が存在しており、迂回路ではどうしても敵対的な国々を通過する必要があるらしく、大砂海の横断よりも危険性が高いと判断されたとのことだった。


「もう一つの理由があの岩壁ね」


 リンカが指差すのに従って振り返ってみれば、つい先程通過してきたばかりのトンネルと、それを擁する巨大な岩壁が視界に飛び込んでくる。

 ちなみに岩壁は背後だけではなく左右にも聳え立っており、コの字型にファンレンを取り囲んでいた。

 見上げればどんなに低いところでも高さ五十メテルはあるだろう。壁面も垂直に近く、仮に霊紋持ちであっても登りきるのはそう簡単ではなさそうだ。


「あの岩壁が、昼夜絶え間なく吹きつけて来る砂からこの街を守っているのよ。もしも岩壁が無ければ、この街は数年もしないうちに、砂に埋もれて滅びてしまっているでしょうね」


 実際、皇国は他にも大砂海越えの中継地点を構築しようとしたことがあったらしいが、どこもまともに機能することなく砂に沈んだという。

 大自然の前には、大陸最大を誇るロザン皇国ですら太刀打ちできなかったというわけだ。


「そもそも、この大砂海は他の砂漠とは明確に違っている点があるのよ」

「そうなのか? 俺、他の砂漠なんて行ったことないから、全然気付かなかったぜ」


 感心した口振りのカイエンの視線をくすぐったく感じながら、リンカは両手を広げてみせる。

 釣られるようにカイエンが己を凝視したところで、リンカはおもむろに問いを発した。


「私の格好を見て何か気付かない?」

「恰好?」


 まじまじと観察するカイエンであったが、肝心の答えにはさっぱり思い至らない。それもそのはずで、リンカの装いは一見した限りにおいて、昨日までと少しも変わっていなかったからである。

 耐久性に優れた旅装を着込み、種々の荷物は背負った葛籠の中に収納されている。足回りも頑丈さを第一に置いた脚絆とブーツといった具合だ。


「分からん。どこも変わってないように見えるぞ。ヘイは気付いたか?」

「ぅぉん……」


 自信無さそうな鳴き声を上げるヘイ。どうやらカイエン同様、どこが変わったのか皆目見当が付かないようだ。

 するとリンカは、大正解とばかりに頷いた。


「その通り。大砂海に入る前と後で装備に差は無いわ。それこそが異常なのよ」

「なんだそりゃ?」


 変わっていないことが異常だと言われても、意味がちんぷんかんぷんである。カイエンとヘイが揃って首をひねっていると、リンカは楽しそうに種明かしをしてみせる。


「通常の砂漠は、地形や気候といった要因が重なって形成されるのよ。大きな特徴としては昼と夜の寒暖差や乾燥で、今の私達みたいな恰好で砂漠を歩いていたら、二日ともたずに干乾びるでしょうね」

「そうなのか……んん? でも、この街に来るまでの間で、特に暑いだの寒いだの、喉が渇いたりとかはなかったぞ?」


 ふと気付いたカイエンが疑問点を口にする。するとリンカは、我が意を得たりとばかりにぱちんと手を打ち合わせた。


「ようやく気付いたみたいね。大砂海が地形や気候によって形作られたわけじゃないというのはそういう事よ。だから横断時の旅装も、他の砂漠のように特化したものである必要はないの。つまり、差が無い事こそが異常、というわけ」

「おおっ、なるほど!」


 目から鱗とばかりにカイエンは感心の声を漏らす。だが、生徒の片割れであるヘイにはまだ納得いかない箇所があるらしく、ひくひくと鼻面を蠢かすと「わおん!」と鳴いてみせた。

 教師役になりきっているリンカは、着眼点の鋭さに瞠目すると、唇の端を持ち上げる。


「いい質問ね、ヘイ君。それじゃあ順番に答えてあげる、と言いたいところなのだけど、最初の質問について私は答えを持ち合わせてはいないの」

「くぅん」


 リンカの返答を受け、申し訳なさそうにヘイが鳴き声を漏らす。リンカは苦笑を浮かべて首を横に振った。


「ヘイ君が謝ることじゃないわ。大砂海が形成された理由は昔から諸説あるのだけれど、いまだに結論が出ていないのよ。結果があるのに原因らしい原因が見当たらないから、大規模な霊器の暴走という説が有力ではあるのだけど、肝心の霊器が見つかっていない以上は机上の空論に過ぎないといったところね」


 霊器にせよ霊獣にせよ、単体で天変地異を引き起こす可能性が存在しうるのは、歴史上で幾度も確認されている事実である。

 だが、何でもかんでも正体不明の原因をそれらに押し付けていては、最早ただの思考停止でしかない。それゆえにリンカとしては、現状では原因不明というのが最も適切な表現だと考えていた。


「もう一つの質問――この街で調えなければならない準備については、私から説明するよりも、今から向かっている先で確認してもらった方が理解しやすいでしょうから、残りは見てのお楽しみということにしましょうか」


 そこはかとない稚気を込めて、リンカは楽しそうに微笑むのだった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 リンカの案内に従い、ファンレンの街を抜けてカイエン達がやって来たのは、街外れに位置する巨大な施設だった。

 この一帯はコの字型の岩壁の開放部分に近く、遠目ながらも大砂海の様子が見て取れる。それどころか引き込まれて施設の一部に繋がっているようですらあった。

 だが、それよりも目を引く物体が一行の眼前に鎮座している。


「これ、もしかして船か?」


 見慣れない形状ながらもカイエンがその正体に思い至ったのは、カイエンが世間知らずであることが理由としては大きいのだろう。

 常識が身に付いた人間であれば、砂漠に船があるという発想は思い浮かんだ時点で自ら却下してしまうものだからだ。

 その点、感性が野生動物に近いカイエンならば、見たまま感じたままをストレートに言葉にできたのである。


 そこにあったのは確かに一隻の船だった。

 木材で形作られた流線形の船体に広々とした甲板。甲板に聳えるマストには、今は畳んであるが帆らしき巨大な布が結わえ付けられているのが見て取れる。

 甲板へは渡し板が掛けられており、荷物を背負った人々が忙しそうに乗り降りしていた。

 まさに出港準備中の船舶といった風情である。


 更には左右を見渡せば、他にも大小様々な船が停泊している。出ていく船や入って来る船もあり、要するにこの施設は港であった。


 だが、砂漠に港とはどういうことか。そもそも船とは、水に浮かぶものではなかったか?

 そんな疑問が浮かんだかどうかは定かではないが、ちらりと船の下を覗き込んでみれば、そこを占めていたのは水ではなく大量の砂だ。

 ただし先程まで踏みしめていた見慣れた砂とは異なり、ほんのりと青みがかった色合いをして、波打つように蠕動している。


「驚いたかしら。これは砂上船、読んで字のごとく、砂の上を走る船よ。大砂海を横断するには、ここで砂上船に乗る必要があるというわけね」


 これこそが、この地域一帯が大砂漠ではなく大砂海と呼ばれている所以であった。

 周辺部はともかく、大砂海中央の一帯に広がる砂は、まるで水のように常に流れ続けているのである。

 迂闊に足を踏み入れればたちまち流砂に足を取られ、どこへともなく押し流された挙句に砂の底へと引きずり込まれてしまうだろう。


 また、大砂海にはここでしかお目に掛かれない生物も数多く、その中には人間ですら捕食する危険極まりない種類もいる。

 そういった脅威から身を守り、大砂海を航海するための乗り物こそ砂上船であった。

 そして船には港が必要であり、皇国が唯一保有する砂上船専用の港町が、このファンレンというわけであった。


「はあー、こいつはたまげた。地面の上を走る船なんて代物があるとは……いやあ、度肝を抜かれたぜ」


 目を丸くするカイエンの様子に気を良くして、ふふんと胸を張るリンカ。別段、リンカが自慢する要素は無いのだが、その辺りにツッコミを入れる者はいない。


「そういうわけだから、次は乗船させてくれる砂上船を探すわよ。これだけ沢山船があるのだから、私達三人分くらいの空きなんていくらでもある筈よ」


 そう宣言すると、リンカは自信満々に、積み込み作業を監督している船乗りに声を掛けに向かうのだった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 一刻後、リンカは打ちひしがれた様子で、港近くに店舗を構えているカフェはオープンテラスのテーブルに、ぐったりと突っ伏していた。

 向かいに座ったカイエンは、味の薄いお茶をすすりながら、


「はははっ、まさかどの船にも断られるとはな。いやー、困ったな、こいつは」

「笑い事じゃないでしょ。はあ、コウラン商会だったかしら、旅人は必ず旅客船に乗るように制度を変えさせた挙句、肝心の旅客船は向こう半年間予約待ちで一杯だなんて……完全に詐欺じゃない!」


 珍しくぶりぶりと愚痴を垂れるリンカをお茶請け代わりに眺めていたカイエンだったが、一通りの愚痴を吐き出し尽くしたと見ると、カップの底に残っていたお茶をちびちびやりつつ尋ねる。


「結局、これからどうするんだ? おとなしく半年待つつもりか?」

「冗談言わないで。こんな所に半年も足止めされてたら干乾びちゃうわ。こうなったら密航よ。どこかの船に荷物に紛れて乗り込んでしまえば、一週間も我慢している間に向こう側に着くわ。いざとなったら、カイエン君が暴れて船を乗っ取っちゃえばいいのよ!」


 珍しく短絡的な案を本気で口にしているっぽい辺り、愚痴こそ吐き出したものの内心はまだ煮えくり返っているらしい。

 これはもう少し時間を置いてからの方がいいかとリンカから視線を外し、カイエンは暇潰しとしてオープンテラスから見える街の様子を観察した。


 港に近い立地のためか、異国情緒あふれた姿が目立つ。

 コブに荷物を結わえ付けたラクダを牽く、ターバンをかぶった行商人。

 扇情的な肢体を透けるような薄布で申し訳程度に覆った踊り子達。

 ヒゲモジャでガタイの良い男達の集団は、日に焼けた肌から察するに砂上船の人足や船乗りだろうか。


 そんな中、殊更に人相の悪い二人組が肩で風を切りながら闊歩していた。

 忙しなく左右へ動かしている視線は、警戒ではなく獲物を物色しているように見える。周囲の人々もそれを察知しているのか、二人組とは決して目を合わせようとはせず、足早に通り過ぎて行くのみだ。


 そんな二人組と、唯一彼等を真っ直ぐに眺めるカイエンの視線が交錯するのは、時間の問題でしかなかった。


「おう、兄ちゃん。なにガン飛ばしてくれてんだ」


 二人組の片割れ、若干横幅のある方が舌なめずりをすると、通りの向こう側からずかずかとカイエンに向かって詰め寄ってくる。

 もう片方の若干縦長の男も、相棒の傍らに並び立つとにやにやと笑いながら、


「おいおい、なんだその生意気な面は。何か言いたいことであるってのか、おい?」

「面って言われても、昔からこの顔だぞ、俺。そっちこそ、随分と悪人面だな」


 まるで怯んだ様子の無いカイエンの返しに、二人組は一瞬面食らったように目を瞬かせたが、すぐに気を取り直したのか野太い笑い声を上げた。


「悪人面だとぉ。酷い事を言うじゃねえか。俺達の繊細な心はズタズタに傷つけられちまったぜ。こりゃあ慰謝料を払ってもらうしかねえな」

「医者猟? 医者って狩りで捕まえるものだったのか。そいつは知らなかったな」

「はあ? おちょくってやがるのか、てめえ!?」

「何言ってるんだ、俺はいつだって真面目だぞ。馬鹿なんじゃないか、お前達」


 どうやらカイエンの反応は、二人組のお気に召すものではなかったらしい。白昼堂々の天下の往来にも関わらず、二人組は腰に提げていた刃物を抜き放つと、ギラギラとした輝きをカイエンに向けてくる。


「おい小僧。泣いて謝るなら今のうちだぞ!」

「? なんで泣いたり謝ったりしなくちゃいけないんだ? なあ、教えてくれよ」

「ガキがっ! ぶっ殺す!!」


 いきり立つ二人組。威嚇が悉く的外れに受け流され、真っ赤に染まった顔から湯気を噴き出すと、有無を言わさずカイエンへと斬りかかってくる。

 だが、彼等は喧嘩を売る相手を決定的に間違えていた。

 胸元目掛けて突き出された切っ先を、カイエンは椅子に座ったまま、眉一つ動かさずに掴み取ったのである。


「んなっ!?」

「ふむふむ、随分と堪え性の無い奴だな、おまえ」


 言葉と同時に横幅のある方が握っていた短刀が軽くなる。刃先を掴み取っていたカイエンが指先に力を込め、短刀の刃をぽっきりと折り取ったのだと、視覚では理解できるものの思考が付いて行かない。

 大の男が振るった凶器を苦も無く受け止め、あまつさえ片手で破壊してのけるなど、常人には逆立ちしても不可能だからだ。

 ゆえに導かれる回答は唯一つ。


「小僧、霊紋持ちっ――」


 言い切る暇もあらばこそ、跳ね上げるように下から繰り出されたカイエンの爪先が横幅男の顎を的確に捉えると、彼は声も出せずに縦方向に鮮やかな五回転宙返りを決め、地面に熱烈なキスをして沈黙した。

 まるで歯が立たない。大人と子供の方が百倍マシとすら思える実力差だ。


 だが、それも無理はない話であった。カイエンの四肢に浮かび上がった淡く輝く紋様は、カイエンが精霊をその身に宿した超人――霊紋持ちであるという端的な事実を。余すことなく意味しているのだから。

 精霊紋章、略して霊紋をその身に刻んだ霊紋持ちは、頑強な肉体と十人力を併せ持ち、常人ではたとえ束になってもかなうものではない。


 そして圧倒的な暴威と至近距離で向き合わされる羽目となった縦長男は、恐怖のあまり選択肢を誤った。

 すぐさま背を向けて逃げ出せば、カイエンとしてはさほど興味を引く相手でもないので見逃してもらえたのだろうが、彼は何をトチ狂ったのか、カイエンの向かいで突っ伏したままのリンカにターゲットを変えてしまったのだ。


 もしかすると人質にでもしようとしたのかもしれないが、果たしてその目論見は果たされずに終わる。ちなみに阻止したのはカイエン……ではなく、テーブルの傍らにうずくまっていたヘイであった。


「がうっ!」


 目の前に突き出された足首に死角から噛み付く。

 縦長男はバランスを崩し、両手を万歳のように振り上げた格好で地面へと倒れ込んだ。

 立ち上がるよりも早く、その後頭部がカイエンによってむんずと掴まれ、あっという間に宙吊りにされる。


「おまえ達には特に恨みとかはないけど、とりあえず邪魔だから眠っとけ」

「あがっ、あがががっ!?」


 万力で締め上げられたような激痛。霊紋によって強化されたカイエンの握力は、本気になれば男の頭蓋すら果物同然に握り潰せる。もっともカイエンにはスプラッタショーをやる気など毛頭無く、縦長男が完全に気絶したことを確認すると、ぽいとその場に放り捨てた。


 二人組が刃物を取り出してからここまで、三十秒も経っていない。

 一連のやり取りを見ていた通行人達は、あまりに早い展開についていけず、揃って絶句することしか出来なかった。


 ……いや、一人だけ例外がいた。

 丈を詰めた簡素な衣服を身に纏い、頭髪を随分と短く刈り込んだ少年。カイエンと同じか、あるいはそれより年若くすらありそうな少年が、呆気に取られている通行人達の間から飛び出してカイエン達の前まで走ってくると、いきなり土下座をかましたのである。


「兄貴っ! お願いがあるッス!」

「誰だお前。俺はお前の兄弟なんかじゃないぞ」

「それなら魂の兄弟ってことでよろしくお願いするッス!」

「ああ、それなら別にいいぞ」

「いいの!?」


 あっさりと了承するカイエンの返答に、突っ伏していたはずのリンカも思わず顔を上げて突っ込んでしまう。

 その間にも、少年は地べたに頭を擦りつけたまま、大きな声を張り上げた。


「兄貴を霊紋持ちと見込んで頼みがあるッス! どうかオイラの船に護衛として乗り込んで、一緒に大砂海を渡って欲しいッス!」


 一息に言い切って顔を上げると、目の前には爛々と目を輝かせたリンカが待ち構えていた。


「その話、詳しく聞かせてもらおうかしら」

「は、はひっ!?」


 蛇に睨まれた蛙の心地を味わわされ、少年は素っ頓狂な声音で頷くことしかできなかった。

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