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エピローグ

これにて第三章完結です。

現在、第四章 大砂海編を準備中となります。

 トウガン武術祭。

 南都ホウチンで開催される権威と伝統あるこの武術祭は、ある年、始まって以来の事態に見舞われることとなった。

 武術祭のクライマックスである決勝戦に、勝ち残っていた出場者が二人とも姿を現さなかったのである。

 結果として、その年の武術祭は前代未聞の優勝者無しという事態に陥ることとなってしまった。


 更に奇妙なことに、本来ならば顔に泥を塗られたとばかりに怒り狂って当然と思われていた最大スポンサーの豪商トンロウが、周囲の予想を裏切って騒ぎを大きくしない方針を発表したため、南都中を困惑の渦に巻き込んだこの事態は、思ったよりも早く鎮静化に向かうこととなる。

 なお、トンロウの態度の原因には、直前に優勝の目玉賞品が賊に盗まれてしまったことに起因すると噂も流布したが、その真偽を知る者はごく限られている。


 そんな異常事態の引き金……どころか装填から照準までオールインワンで担っていた原因は、南都から伸びていく街道の分岐点で別れを惜しんでいた。


「そなたらには言葉では表せぬほど世話になったのじゃ」


 ここから東へ進めば教国への主要街道に合流するという地点で、ミリアは目を細めると、感謝の念を込めて告げた。

 一見すると感極まったようにも見える――無論、その要素も若干はある――が、実際のところは燦々と降り注ぐ陽光が眩しいというのが本音だった。


 昨晩は追捕使とハンモンカイが争い合うどさくさを突いてホウチンを脱出し、あらかじめ南都から離れた場所で野営の準備をしていたクロードと合流を果たすことに成功した。

 そこで朝まで就寝していたわけだが、野営である以上はどう頑張ってみてもゴツゴツとした寝床の硬さからは逃れられず、目の前で繰り広げられた戦いで神経が昂ったせいもあってか、実際にはほぼ徹夜に近い状態だったのだ。


 いくら言動が大人びていても、ミリアはまだ十歳の子供である。徹夜への耐性などあるわけもなく、気を抜けば落ちてこようとする目蓋と必死に格闘する羽目となっている。


「わたくしからもお礼を言わせて頂きます」


 こちらはすっかり憑き物の落ちた顔つきで、カノンが丁寧に頭を下げる。

 これまでに数多くの機密情報を流出させ、ミリアの派閥が凋落する原因となっていた彼女であるが、もはやその呪縛からは解き放たれた。

 より強くなった主従の絆があれば、教国に戻ってからも続くのであろう導女の座を巡る暗闘でも、これまで以上にミリアを支え続けていけるはずだ。


「それにしても度肝を抜かれました。まさか本当に照霊鏡を入手して来るとは……」


 昨晩の事を思い返しているのか、クロードは興奮を隠せぬ面持ちでしきりに唸っている。

 リンカの立てた南都脱出計画における彼の役割は、一足先にホウチンを離れて合流地点を確保するというものであった。主であるミリア自身が囮となってハンモンカイを引き付けている間、部下である自身が安全な場所に退避しておくということで、クロードがその役目を引き受けるまでにひと悶着あったのだが、最終的にはミリアが強く言い聞かせること決着している。


 そんなわけでクロードからすれば不本意な役回りだったのだろうが、リンカが照霊鏡を入手してきた際にそれを受け取るという役目も兼ねていたため、どうしても誰かがホウチンの外で待機している必要があったのだ。


 そう、照霊鏡である。

 追捕使とハンモンカイが衝突している間、リンカは単身でトンロウの商会に潜入し、厳重に保管されていた筈の照霊鏡を盗み出してくることに成功していた。

 そもそもハンモンカイをトンロウ商会の近くまで誘き出したのも、容疑の目を彼等の向けるという狙いがあったためだ。


 脱出の際にもわざと偽の痕跡を残し、ハンモンカイに繋がるような遺留品を残してきている。こうして捜査を撹乱する手口は東都でも使っていたことから見て、どうやらリンカの十八番らしい。

 当然、追捕使達の捜査の手は真っ先にハンモンカイに伸びるはずで、ミリア達はその隙に悠々と教国へ帰国してしまおうという目論見である。

 さすがの追捕使も、国境を跨いでしまえば追ってくることはできないからだ。


「ま、蛇の道は蛇ってやつね。あの程度の警備じゃ、私に掛かれば穴だらけみたいなものよ」


 リンカは自慢げに胸を反らすと、戦利品である照霊鏡をぽんぽんと叩いてみせた。

 疑問の余地なく盗品である以上、大っぴらに人目に付くような保管方法は選べず、今は厳重に梱包した上で荷車の上に乗せられている。

 これが南都追捕使の目に止まらぬうちにこの地を離れる必要があるため、ミリア達は大慌てで出発しようとしているというわけであった。


「しかし、本当に構わぬのだろうか。こうして照霊鏡まで受け取ってしまって……」


 ミリアが自問するように呟く。

 この照霊鏡を無事に教国まで持ち帰れば、導女の後継者争いに終止符を打つ一手となることだけは間違いない。それだけの重責を担っている事を今更になって実感したのか、あるいは照霊鏡の入手を目的に南都までやって来てからずっと、空回りを続けていた自覚があったのか。


 どちらにせよ丁寧に梱包された照霊鏡を見下ろす瞳には、自信を失いかけた不安の色が溶け込んでいる。

 その背中をパンッと勢いよく叩いたのは、なんとカイエンであった。

 意表を突かれたせいもあり、ミリアの小さな体はたたらを踏むだけでは耐え切れず、顔面から派手に倒れ込む。突然の事態に、他の者も何が起きたのか飲み込むのに一拍の時間を要してしまう。

 その間にも、カイエンは倒れ込んだミリアの横にしゃがみ込むと、鼻を打って涙目を浮かべている幼女に語りかけた。


「何に落ち込んでるのか知らないけど、目が死にかけてるぞ。目が死んでる奴は、そのうち本当に死んじまうもんなんだ。それとも、もしかして死にたいのか?」


 あくまでも本気で訊いてくるカイエン。ミリアは涙をちょちょぎらせながら「そんな訳がないのじゃ!」と即座に力強く否定した。

 その返答に、カイエンは満足そうに頷く。


「それなら顔を上げろよ。ま、一度や二度失敗したくらいで落ち込むことはないぜ。それに世の中、最後にはなるようになるんだ。あんまり難しい事ばかり考えてると、脳味噌が腐っちまうぞ」

「カイエン君の場合は、使わな過ぎてすっかすかになっちゃう方が心配だけどね。ねえ、ヘイ君」

「うぉん」


 その鳴き声が肯定か否定か、ミリアには生憎とさっぱり分からない。

 だが、落ち込みかけていた心に灯りが差し込んだことだけは間違いがなかった。


「なるようになる、か。そうか……そうじゃのう……」


 カイエンに贈られた言葉を反芻する。

 無責任のようにも聞こえるが、そんなつもりはこの少年に限って毛頭あるまい。

 彼はただ、起きた結果を素直に受け入れているだけなのだ。過去を変えることはできない。だからといって未来を否定することもない。

 ひたすらにどこまでも、己のありのままを貫かんとする生き様を見せつけてくる。


 それは逆説的に、ほんの少し前の自分がいかに下を向いていたかを、まざまざと浮かび上がらせてくることとなる。

 改めて落ち込んでいたことを自覚したミリアは、今度こそ感謝でもって眩しげに目を細めると、


「確かにカイエンの言う通りじゃな。霊器を手に入れるという目的は果たしたのじゃ。その過程に今更こだわっていても前には進めぬ、と言いたいのじゃな!」

「いや、別にそこまで難しい事は考えてなかったぞ」


 意気込むミリアに欠伸混じりで首を振るカイエン。

 顔を真っ赤にしたミリアは、強引に話題の転換を試みた。


「わ、妾等はそろそろ出発するのじゃ。リンカ、カイエン、ヘイ。そなたらに受けた恩は決して忘れぬ。もしも教国で困った事態に遭うことがあれば、必ず力になると約束しよう。その時は導女になった妾を遠慮なく頼ると良いのじゃ」

「ええ、期待しているわよ」


 差し出された小さな手を、リンカが代表して握り返す。

 ミリアは少しだけ口元を綻ばせたが、すぐに意志の強さを感じさせる眼差しで振り返ると、「さらばじゃ」と言って歩き出した。

 小さく会釈し、カノンと荷車を牽くクロードもそれに続いた。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 幼女一行の姿が田園風景の彼方に霞むまで見送った後、リンカはおもむろにカイエンへと向き直った。

 一仕事終えた開放感からか、伸びなどをしながら明るい口調で声を掛ける。


「さてと、これからどうしようかしらね」

「まずは朝飯を食うに決まってるだろ」

「私が言ってるのはもうちょっと未来の話よ。昨日の騒ぎで南都はしばらくゴタゴタするでしょうし、そろそろ次の目的地を決めた方が良いと思うのよね。無難なところなら、北上して央都を目指すとか、街道沿いに西都へ向かうところだけど――」

「なかなか面白そうな話をしているじゃないか。僕も仲間に入れておくれよ」


 あまりに自然に混ざって来たのは、つい半日前までカイエンと死闘を繰り広げていたソウエイであった。

 道着のあちこちが引き裂かれて泥まみれとなった姿は見るからに痛々しいが、本人はあっけらかんとしている。

 一晩寝たおかげで動ける状態までは回復したらしく、時折ふらつきながらも密林から出てきたところでカイエン達に気付き、声を掛けてきたのである。


「君達はこれからホウチンを離れるのかい?」

「ああ、俺の目的は『世界を見て回ること』だからな」


 軽いながらも揺らぐことのない信念を込めた口調で答える。

 更に続けて、猫をかぶったリンカが、実は初対面となる相手に挨拶をした。


「初めましてソウエイさん。私はカイエン君の旅の連れの連れ、リンカという者です」

「連れの連れ?」


 耳慣れない表現に首をかしげる。カイエンが指折りながら解説した。


「えーと、まずヘイが俺の旅に付いてくることになって、そしたらリンカの奴がヘイに付いて来るって言い出したんだ」

「ヘイというのはそっちの仔犬の事だよね? 思っていたよりも面倒そうな関係のようだけど……まあ、そこに触れるつもりは無いよ。僕はただ、これから君が向かう先を知りたかっただけなんだ。また自分を鍛え直して、そのうちリベンジを果たすためにね」


 さすがは戦闘狂である。あれだけの戦いを繰り広げたにも関わらず、もう次の戦いを切望しているらしい。

 もっとも、まずは修行をと考えているらしく、今この場で第二ラウンドをおっぱじめる気はないようだが。


「目的地か、実は全然決まってないんだよな……あ、そうだ。ソウエイ、『天の角、地の翼』ってやつを聞いたことあるか?」

「天の……なんだい、それは?」

「カイエン君がお師匠様から与えられた課題といったところかしらね。世界を見て回るついでに、見つけてみせろと言われたそうよ」


 リンカの捕捉に納得する様子を見せ、ソウエイは記憶の底をさらう。

 やがて彼は、「関係あるか分からないが」と前置きを置いたうえで、心当たりを切り出した。


「そのものズバリというわけではないけど、西域の果てには天を統べると謳われる巨鳥の霊獣がいるらしい。天にも翼にも関係があるかもしれないと思うんだが、どうだろう?」

「おおっ、本当か、それ! 何だか面白そうだな!」


 予想通りに目を輝かせて食い付くカイエン。『天の角、地の翼』に関係があろうと無かろうと、見に行く気満々になっていることが手に取る様に分かる。

 まあ、旅の目的自体、『天の角、地の翼』とやらを探す事ではなく世界を見て回ることなのだから、ある意味正しい反応ではあるが。


「巨鳥の霊獣ねえ。私は寡聞にして聞いたことが無いけれど、そういった伝承でもあるのかしら」


 リンカとしては情報の出所が気になるらしく、これはこれで興味津々な素振りでソウエイへ尋ねる。

 ソウエイは苦笑を交えつつ、肩をすくめてみせた。


「僕は師範から聞いただけに過ぎないさ。師範もその師範から、その師範も更に……って具合に遡っていくと、開祖が出会ったという話に辿り着くらしいんだけど、さすがに大昔の話過ぎて保証の限りじゃないね」

「天元武心流の開祖、テイラクの残した口伝というわけね。確か、テイラクの生きた時代は皇国の成立期……うん、あたってみる価値はありそうね」


 なにやら納得した様子を見せる。ヘイにも異論は無く、「わんっ!」と賛成の鳴き声を上げれば、あっという間に目的地が定められる。


「よっしゃ、それじゃあ目的地は西域だ。いい事教えてくれありがとな、ソウエイ」

「気にしないでくれよ。この礼は次回会った時、勝利という形で君から奪い取る予定なんだから」


 物言いこそ物騒だが、粘着質だったり脅迫じみた響きは無い。そのおかげかカイエンはひらひらと手を振って了解を示すと、意気揚々と西に向かって歩き出す。

 もちろん、元気よく尻尾を振っているヘイと、頑丈そうな葛籠を背負ったリンカもそれに続く。


 目指すは西域。皇国の庇護を離れたその地に、如何なる出会いが待っているのか。

 未知を予感させる旅路にカイエンの足取りも軽くなる。


 かと思いきや、ふと立ち止まると思い出したように言い放った。


「腹減った。朝飯食ってからにしようぜ」


 出鼻を挫かれて膝から崩れ落ちかけるリンカと、呆れたように鼻を鳴らすヘイ。見送る気満々だったソウエイも、苦笑を添えつつ生暖かい眼差しでその様子を眺めている。


 今日も南都は暑くなりそうだった。

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