南都脱出作戦1
どうも妙な予感がしやがる。と、眼帯男は声には出さずに独りごちた。
ホウチンの裏通りに居を構えるハンモンカイの事務所。
この場では最も目上である若頭という立場にある彼は、応接室と呼ぶにはいささか殺風景な部屋の中央で、向かいに座った女の様子を半眼で伺った。
「どうか致しましたか?」
「いや……」
視線に気付いた女――カノンが尋ねてくるが、眼帯男は何でもないと答える代わりに首を横に振ってみせる。
それで納得したのか、あるいは単に話を切り出すきっかけを探っていただけだったのか、カノンはにこりともせず頷くと、早速とばかりに口火を切った。
「照霊鏡を入手する算段が立ちました」
「なんだと!?」
完全に想定外の奇襲がクリーンヒットし、眼帯男は思わず声を荒げてしまう。
滅多に見られない狼狽振りに、舎弟達も釣られたように色めき立った。
「あの業突く張りなトンロウがあっさりと宝物を手放すってのは、俄かには信じられねえが……その話、確かなんだろうな?」
「わたくしには真実であるように思えました。具体的にどのような交渉がまとまったのかは知らされておりませんが……今晩遅くに照霊鏡を受け取って、その足で即座にこの街を出ていくと、お嬢様は確かにそう仰られたのです。あまりに話が急だったため、わたくしに出来たのは旅支度の準備と偽って抜け出し、こうしてあなた方に情報を渡す事程度でした」
カノンの説明を聞いて眼帯男は考え込む。
受け取ったその足でホウチンを脱出するとは、随分と思い切ったものだ。おそらく、最初に照霊鏡を入手した際に強奪されたことを教訓とし、再度の襲撃の可能性を念頭に置いているのだろう。
確かに南都から遠く離れてしまえば、そこは最早ハンモンカイの支配領域ではない。一度行方を眩ませられることができれば、追手がかかるまでの時間稼ぎにもなるはずだ。総合してみれば決して悪手ではない。
「ふん、随分と手を焼かせてくれるじゃねえか、あんたのご主人様は」
「当然です。お嬢様の偉大さときたら、あなた方程度では推し量ることすら烏滸がましいというもの」
「はっ、心酔しきってぐでんぐでんに酔っぱらっちまってるみたいだな。まあいい、それよか、もうちっと詳しい話を聞かせてもらおうじゃねえか」
狂信者にも似たカノンの澄んだ瞳に何を見たのか、眼帯男はあっさりと問答を打ち切り、実務的な話へとシフトする。
トンロウの商会へ赴く時刻や人数について説明を受けると、彼は苦い表情で悪態をついた。
「ちっ、やっぱりカイエンの野郎は護衛に付いて来やがるのか……」
「ええ、今夜で全てが決まると言っても過言ではありませんので。お嬢様も、投入できる戦力は余すことなく投入する所存です」
「あの野郎の腕っぷしは武術祭のせいで折り紙付きだからな、当然の判断だろう。……うん? ということは、奴は明日の決勝には出ないってことか……?」
ふと気付いたように眼帯男は考え込む。
ミリア達を護衛してこの街を離れるのであれば、当然そういう結末になる。
わざわざ決勝まで勝ち残っておきながらあっさり勝負を放り出すという決断にはいささか驚かされるが、優勝賞品である照霊鏡が狙いだったのであれば、手に入る目途が立った以上は決勝戦など余計な手間にしかならないと判断してもおかしくはない。
そこまで考えが至ったところで、決勝でカイエンと戦う予定となっていたもう一人の武術家の存在が、芋づる式に記憶から掘り起こされる。
直接の面識こそないが、彼の人物の性格、特に常々公言している出場動機とやらについては、眼帯男も聞き及んでいる。
上手く誘導してやれば、こちらに都合よく踊ってくれるかもしれない。
とはいえ楽観は禁物だと、眼帯男は己を戒める。
用心深い性格であればそもそも誘いに乗って来ない可能性あるし、たとえ首尾よく動かせたとしても、とてもではないが全幅の信頼を置ける相手ではない。
保険の意味も兼ねて、自前の戦力は必須だろう。
「仕方ねえな。親父の力を借りる必要がありそうだ」
眼帯男の口からその決定が零れた瞬間、カノンを威圧するように居並んでいたハンモンカイの構成員達が、揃って背筋を震わせた。
若頭である彼が親父と呼ぶ人物もなれば、ハンモンカイ全員の上に立つ頭目に他なるまい。言い換えれば、ハンモンカイ全員の庇護者でもある。
にも関わらず、名前を聞いただけで荒くれ者達がここまで怯えるとは尋常ではない。
一方、眼帯男の胸中など知る由も無いカノンは、強い口調で詰め寄った。
「これでわたくしの知る情報は全てお渡ししました。くれぐれもお嬢様を傷つけぬよう、留意してください」
「ああ、一々言われなくたって承知してるぜ。それが、あんたが大事な大事なご主人様を裏切る時に出した、唯一の条件だって話じゃねえか。泣かせるねえ」
「わたくしの事などどうでも良いでしょう。それより、お嬢様に危害を加えないという確約を――」
「分かった分かった。俺達はあんたのご主人様には傷一つ付けるつもりは無えよ。これで良いんだろ?」
迫るカノンを、面倒そうに手で追い払う眼帯男。
とてもではないが誠意のある態度とは言い難かったが、それでも一応、約束は約束である。一応の安心を得て満足したのか、カノンは小さく頷くとそそくさと退出していった。
カノンが退出するのを見送った後、構成員の一人が怪訝な面持ちで確認する。
「兄貴。本当にそのガキには手を出さないんで?」
「あん? 何を生温いことを言ってやがんだ。ガキには興味は無えが、奴等はハンモンカイを虚仮にしたんだ。報いってもんを受けてもらわにゃならねえだろ」
確かに、最初にこの話が持ち込まれた時点では、ミリアとかいうガキを不用意に傷つけることのないように、依頼主である教国のとある派閥から指示されていた。
それがため、先回りで照霊鏡を強奪しておくという回りくどい手段を取ったのである。
だが、事ここに至っては、仕事の成否以上に面子を潰された怒りが先に立つ。
どうせ教国からは遠く離れた南都での出来事だ。全員始末し、死体も残らないように処理してしまえばどうとでも取り繕えるだろう。
「それにまあ、つもりは無くても万が一ってやつが起こるのが、鉄火場ってやつだからな」
眼帯男はわざとらしい口調でそう嘯いた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
昼なお暗い密林の中を、リンカはヘイの案内に従って歩いていた。
当然ながら舗装された道などあるわけもなく、凸凹とした地面に行く手を遮るように繁茂する植物、密林の外よりも更に湿度を増した空気と相まって、リンカの額には大粒の汗が浮かんでいる。
それでも、ぴょこぴょこと尻尾を揺らすヘイの後ろ姿を見つめるリンカの頬は上気して微かに赤く染まっており、道の悪さを苦にしている様子は見受けられない。むしろ幸せいっぱいといった風ですらあった。
そんな道のりもすぐに終わる。
一抱えでは到底済まない、見上げるような巨岩が鎮座する岩場に出たかと思うと、ヘイが元気よく鳴き声を上げたからである。
「あおん!」
「ん? 誰かと思ったらヘイとリンカじゃんか。どうしたんだ、こんな所まで?」
自らの上背の倍は軽く超しそうな巨岩に向かって、文字通り一心不乱に拳を繰り出していたカイエンだったが、ヘイの呼び声にふと振り返ると気楽に声を掛けてくる。
能天気なその呼びかけに、リンカは反射的にツッコミを入れたい気持ちをぐっと抑え込み、微笑を浮かべてみせた。
「お疲れ、カイエン君。どうやら順調みたいね」
「ああ、一種類だけだけどようやく形になってきたぞ。前々から少しずつ修練はしていたから、後は組み合わせるだけだったしな」
修行の成果に手応えがあるらしく、いつになく頼もしい口振りで告げるカイエンに対し、リンカは肯定も否定もせず、おもむろに懐から封書を取り出した。
「一区切りついているみたいなら丁度いいわ。一つ、頼まれ事をしてくれるかしら」
「頼まれ事? 俺に何をしろってんだ?」
「南都に戻って、この手紙を渡してきて欲しい人がいるのよ」
「手紙ねえ。ホウチンにいる相手なら、俺が届けなくても直接渡してきた方が手っ取り早いんじゃないのか?」
実にもっともな疑問だったが、リンカは小馬鹿にした風にちっちっと指を振ってみせる。
「甘いわね、カイエン君。何のコネも無い私が正面から尋ねて行っても、門前払いされるのがオチになる相手だっているのよ」
「あんたが騙して利用した挙句にポイ捨てした奴とかか?」
「いきなり失礼な事を言わないで頂戴」
しかめっ面を作って抗議すると、カイエンは真顔できょとんとする。それどころか、その可能性をまるで疑っていないと言わんばかりの純度百パーセントの眼差しで、一切躊躇することなくリンカの顔を覗き込んだ。
「ホウチンくらいでかい街だったら、あんたに利用されて道を踏み外した奴の一人や二人は絶対にいると思ってたんだが、なんだ違うのか。決めつけて悪かったな」
リンカの言をあっさりと信じ、カイエンが謝罪する。隣から見上げてくるパチクリとしたヘイの視線に触発され、ぞわぞわ蠢き出そうとする罪悪感――実際の話、リンカの甘言に乗せられて身の破滅に至った者は両手の指では足りない――から目を背けるかのように、リンカは咳払いをして誤魔化した。
「こほん。カイエン君に手紙を届けて欲しいのは、追捕使の隊長さんよ。見ず知らずの私が尋ねて行っても相手にしてくれるとは考えにくいし、仮に話を聞いてもらえても絶対にたらい回しにされて時間がかかるわ。その点、カイエン君は向こうに信用されているから、その辺りの手順をまるっと省略できるというわけよ」
「ふーん、そういうもんか」
「そういうものよ、人間社会って結局はコネで成り立っているんだから」
知ったような口振りで言い切ってみせる。
感心したようなカイエンの視線を軽く受け流すと、リンカは厳重な封のされた手紙を手渡した。
「必ず隊長さんにこれを届けて頂戴。急ぎだから、すぐに読んで欲しいと付け加えてね」
「そんなに急ぎの話なのか」
「ええ、それにカイエン君も他人事じゃないわよ」
「はえ?」
お使いだけして我関せずのつもりだったカイエンが、思わず首をかしげる。
こちらは予想された反応だったらしく、リンカは待ってましたとばかりに滑らかな舌回りを披露した。
「手紙の内容は、今晩ハンモンカイが動くというタレこみよ。隊長になるくらい鼻が利く人なら、この情報があれば間違いなく動いてくれるわ」
「ほうほう。ところでハンモンカイって何だ?」
「…………南都の街中で正体不明の相手に襲撃されたって言ってたじゃない。あの時襲ってきた連中の組織名よ。付け加えるなら、ミリア達と出会った時に彼女達を襲っていた盗賊も、変装したハンモンカイの構成員だったわ。あの時の盗賊達の特徴から、裏が取れたの」
「要するに、悪い奴等って事だな。ってことは、そいつらを叩き潰せばいいんだな!」
一足飛びに突っ走るカイエンの結論に、リンカは隠し切れぬ疲労感と共に待ったをかける。
「待ちなさい。物事には順序ってものがあるわ。それにカイエン君に頼みたい仕事は他にあるのよ」
「他の仕事? なんだよ、そいつは」
「後で説明するわ。とりあえずはミリア達の護衛よ。ハンモンカイを釣る囮として今晩動くから、カイエン君にはあの子達を守って欲しいの」
珍しく真摯な口振りで頼むリンカに、カイエンは普段通りのあっけらかんとした調子で頷いた。
「そういうことなら任せとけ。とは言っても、追捕使を呼ぶつもりなら俺の出番なんて無さそうだけどな。あのサンチュウって隊長は相当な使い手だぜ」
「念のためよ。それに私の読みが正しければ、ハンモンカイも外部の戦力を引き込んでくるはず。カイエン君にはそっちの対処をお願いしたいのよ」
そう言って予想される相手の名前を告げると、カイエンは納得した表情を浮かべる。
「なるほどな。それだったら俺が相手をするのが一番手っ取り早いってわけだ」
「そういうこと。お願いできるかしら?」
「ああ、任せとけ。そのために修行してきたわけだしな!」
両手を打ち合わせ、力強く言い切る。
カイエンの両の瞳には、決戦を予感した戦意の火種が、メラメラと音を立てて燃え盛り始めていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
南都の喧騒に身を浸していたソウエイは、ふと足を止めると誰に向かってでもなく問い掛けた。
「僕に何か用事かい? 言いたい事があるなら、はっきりと言ってくれると助かるんだけどな」
唐突な呼びかけに通行人達が怪訝な視線を向けてくる。その中にあって、一瞬だけソウエイの方を振り返った人物がわずかに表情を強張らせ、身を隠すように路地裏へ駆け込んだのを彼は見逃さなかった。
瞬間的に霊紋の力を発揮し、常人の動体視力では捉えきれない速度で路地裏へと身を躍らせる。
果たして曲がり角の先では、凡庸な顔をした男が呆気にとられていた。
「僕に用事があったんだろう? それならこんな風にこそこそせず、正面から来るといい。取って食うような真似はしないであげるよ」
「やれやれ、常に実戦を標榜する天元武心流だけあって、尾行の類には敏感らしい。こいつはあっしの負けですな」
男はさして悔しがる素振りも見せず、両手を挙げて降参の意を示す。
そのまま数秒待ち、ソウエイが黙って見つめてくるのを確認すると、にやにやとした笑みを浮かべながら両手を下ろした。
「しかも、あっさりと見逃してくれると来た。懐が広すぎて、あっしは感動の涙で溺れそうですぜ」
「お世辞の類は好きじゃないし、くだらない冗談もそこまで好みじゃないんだ」
突き放すような言い方だが、ソウエイからは怒っている様子は見受けられない。そこは男も理解しているらしく、口元を歪めながら平身低頭謝ってみせる。
「そいつはご勘弁を。無駄口が多いのはあっしの性分なもんでね。おっと、そんな怖い顔をしないでくだせえ。今日はあんたに、いい話を持って来たんでさあ」
「いい話ねぇ。他人をこそこそ尾行するような君が持ってきた話が、そこまでいい話とは思えないけど?」
「いや、絶対にあんたはこの話を気に入るはずですぜ」
自信満々で言い切ると、男はすらすらと語り始める。
最初は半眼で、疑い九割好奇心一割といった風のソウエイであったが、男が話を進めるうちに徐々に目を見開き、最後には哄笑を上げるに至った。
「ははははははっ!! いいね、実に僕好みだよ。わかった、今回はお前達の話に乗せられてやろう。ただし、少しでも僕を謀っていたりしたら、その時は覚悟してもらうよ」
「そんな恐ろしい事、思いついたってしやしませんよ。では、あっしはここらで失礼させて頂きやす。うちのボスに、あんたの返事を伝えにゃなりませんので」
「ああ、楽しみにしていると伝えてくれ。教えてくれて感謝しているともね」
社交辞令の類ではなく、本音から楽しそうに凄絶な笑みを浮かべるソウエイから距離を取ると、男は路地裏の奥へと身を翻す。
去って行く背中を見送ると、ソウエイはライバルと見做した少年に向けて、届かぬ言葉を発するのだった。
「悪いね、カイエン君。やはり僕は試合よりもこっちの方が性に合うようだ」
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