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燻る火種3

新たに感想頂きました。

ありがたやありがたや。

 今日も今日とてトンロウ商会へ照霊鏡の引き渡し交渉に向かい、門前払いに等しい形でけんもほろろに追い払われたミリア達が宿に帰ってくると、そこでは腕を組んで大胆不敵な笑みを浮かべたリンカが、仁王立ちで待ち構えていた。


「タイムアップよ、ミリア。作戦を変更するわ」


 開口一番、藪から棒に宣言する。

 何の前置きも無くいきなり告げられたミリアは目を白黒させていたが、すぐに気を取り直すとリンカに尋ねた。


「すまんがさっぱり訳が分からん。何か事情でも変わったのかの?」

「事情が変わったというより、隠れていた情報が出揃ったといったところかしらね。それを活かす計画を立ててみたのだけど、この計画を成功させるには全ての準備を迅速にこなす必要があるのよ」

「良かろう。じゃが、ここでは込み入った話はできん。その計画とやらは、妾の部屋で聞かせてもらうとするのじゃ」


 これにはリンカも異論は無く、三人は連れだってミリアの部屋へと向かう。

 最後に入室したリンカは念のために扉の外の気配を探り、盗聴されている心配が無いことを確認すると、己を見つめる二対四眼の視線に向けて切り出した。


「帰ってきた時の様子からすると、今日も交渉は不調だったんでしょ? これ以上同じ交渉を続けても、照霊鏡が手に入るとはとてもじゃないけど思えないわ」


 事実、まるで相手にされずに追い返されてきたため、業腹ではあるがミリアもこの言い分には頷かざるを得ない。

 だが、言われっ放しは癪に障る、というわけではないが、そう簡単に諦めるわけにはいかないミリアが食い下がった。


「では、どうすると言うのじゃ? まさか、カイエンが武術祭で優勝する可能性に賭けて待っていろとでも言うつもりか?」

「それこそまさかよ。カイエン君が勝つ勝たないという話は武術に疎い私にはさっぱり分からないけど、もっと明確な問題点が残ったままじゃない」

「問題点……なるほどのう、クロードを襲った輩共のことじゃな?」


 察しの良いミリアの確認に、リンカは嬉しそうにパチリと指を鳴らしてみせる。


「ご名答。たとえカイエン君が優勝して照霊鏡を無事に入手できたとしても、それを教国に持ち帰る途中に再度奪われたら元の木阿弥よ。まさか、私達に教国まで同行して欲しい、だなんて頼むつもりは無いわよね?」

「……さすがにそこまで恥知らずではないつもりじゃ。お主達にはお主達の旅の目的があることは承知しておる。その途中でこうして手を貸してもらえているだけでも、ありがたいと思うておるのじゃ」


 若干憮然とした口調ながらも、感謝しているという点は本心なのか、柔らかい雰囲気でミリアは答える。

 とはいえ、刺すべき釘は刺しておかねばならない。語調を一段強めると、導女候補の少女はその肩書に相応しい、威厳に満ちた口振りでリンカに尋ねた。


「リンカよ、そう言うからには敵を出し抜く算段が立っておるのじゃろうな?」

「もちろんよ。計画の概要はこう。トンロウの屋敷に忍び込んで照霊鏡を奪取し、その足で南都を脱出する。どう、簡単でしょ?」


 三分で作れるおかずのレシピでも告げるような気楽さであった。あまりにも杜撰というか大雑把な計画案に、ミリアとカノンは揃って絶句してしまう。

 ほんの少し早く立ち直ったカノンが、金切り声でリンカの計画を糾弾する。


「あ、あなたは何を考えているのですか!? そのような無謀な計画――!!」

「何を考えているかと問われれば、あなた達が無事に照霊鏡を入手できる方法と答えるしかないわね。それから、ひとまず落ち着いた方が良いわ。あんまり大きな声を出し過ぎると、誰かに聞きつけられないとも限らないから」


 言葉とは裏腹に、興奮するカノンにはまるで興味無さげな素振りのリンカである。それが更に火に油を注ぎかけるが、眼前に差し出された十歳児の手が、荒れ狂うカノンにストップをかけた。


「落ち着くのじゃ、カノン。リンカもカノンの反応で遊ぶのは止めてもらいたいのじゃ。趣味が良いとは言えんぞ」

「うーん、さすがに見抜かれてたか。ま、注意されたからには仕方ないわね。次からは改めるわ。えっと、それで本題は計画の話よね。大丈夫、勝算ならあるわ」


 無駄に自信に満ち溢れた口調で太鼓判を押す。うっかり信じたくなってしまいそうになるが、さすがにミリアは詐欺師の常套手段では誤魔化すことは出来ず、じとりと湿りついた眼差しが返答代わりに向けられる。

 無論、リンカもこれだけの説明で納得してもらえるとは露ほども考えておらず、自らに向けられた不信感が頂点となったタイミングを見計らい、おもむろにカードを切った。


「概要だけ聞くと無謀に聞こえるかもしれないけど、カノンが協力してくれれば成功間違いなしよ。保証したっていいわ」

「元々は妾達の問題じゃ。必要な協力なら惜しまぬが……なぜカノンの名がここで出るのじゃ?」


 さっぱり分からないという風のミリアの疑問に、リンカはにこりと微笑むと特大の爆弾という形で回答する。


「カノンがこちらの情報を横流ししていた裏切り者だからよ」

「なっ!?」


 想像もしていなかった暴露に、ミリアは言葉を失ってしまう。

 反射的に隣を見やってみれば、カノンも同様に絶句していた。顔からは血の気が引いて真っ青となっており、わなわなと震える両手が心中の混乱を如実に物語っている。

 混乱の原因が憤怒にあるのか悔恨にあるのかは、カノン自身にしか分かるまいが。


 ショックを受けている主従のことなどまるで気にも留めず、リンカは自分が見聞きしてきた事実をつぶさに並べ立てた。

 昨晩、こっそりと宿を抜け出したカノンが単身でハンモンカイの事務所を訪れていたこと。そこでハンモンカイの幹部と目される人物と、現状と今後について話し合っていたこと。

 その様子を隠れて見ていたリンカが、繰り広げられていたやり取りを一言一句過たずに諳んじてみせると、とどめとばかりにこう告げた。


「疑うなら、最後にあなたが見せられたケジメの品も確保してあるわよ。見せましょうか?」

「止めてください!!」


 無造作に突きつけられた人間の首。その生々しさが記憶の底から蘇り、こみ上げてきた嘔吐をこらえることができず、カノンは悲痛な叫びと共に床に突っ伏した。

 小さく震えるその背中が、リンカの告発が事実であることを議論の余地無く示している。

 それでもまだ信じられないといった表情で、ミリアは己の従者に問い掛けた。


「何故じゃ……そなたは教国の上層部に搾取されている家族の暮らしを少しでも楽にするため、妾と共に戦ってくれると誓ったではないか。あの誓いは偽りじゃったのか……?」

「そうではありません、お嬢様。そうではないのです!」


 声を震わせてカノンは訴える。ミリアに捧げた忠誠には一点の曇りも無い。教国上層部の腐敗を一掃せんとするミリアの想いを支えるという誓いは、嘘偽りなくカノンの本心である、と。


「ですが、連中はわたくし達の想像よりも遥かに下劣で狡猾でした。わたくしがお嬢様付きとなってしばらく経った頃、見覚えのない手紙がわたくしの部屋に届けられていたのです」


 その手紙に目を通した瞬間、カノンは全身の血液が凍り付いたよう感覚に襲われたという。それというのも、その手紙がカノンの家族を拉致したという通告だったからだ。

 証拠として同封された髪飾りは、妹の生誕記念日にカノン自身が手作りで贈った物に間違いなく、周囲に告げれば家族の命は無いというありきたりな脅迫に、カノンは沈黙を選ばざるを得なかった。


 それからというもの、カノンは時折届けられる手紙の指示に従い、ミリアの派閥の内部情報を少しずつ横流しするという役目を負わされた。

 敵のやり口も巧妙で、いきなり全ての重要情報を求めるような真似はせず、最初は朝食のメニューのようなバレても大して影響があるとは思えない情報から始め、カノンが抱く情報漏洩への罪悪感が薄れた頃合いを見計らい、少しずつ機密情報を流すように要求してきたのである。


 その結果、カノンは幾つもの重要な情報を横流ししてしまい、そのせいで他の派閥に出し抜かれたミリアは、ただでさえ有利とは言い難かった導女の座を巡る争いで、決定的ともいえる差をつけられる事態に追い込まれたのだった。


 大粒の涙を零しながら、謝罪混じりの嗚咽と共に語り終えたカノンを、ミリアは叱責するでも罵倒するでもなく、何よりも先に優しく抱き締めていた。


「辛かったじゃろう。さぞ辛かったのじゃろう。すまん、気付いてやれんで本当にすまなかったのじゃ。許してくれ」

「お嬢様、申し訳ございません、申し訳……」


 それ以上言葉が続かないらしく、部屋の中にはすすり泣くカノンの声だけが響き渡る。

 どれほどそうしていただろうか。ようやく収まってきた頃を見計らい、更にカノンを鞭打つ一言を投げ込んだのはリンカであった。


「折角すっきりしたところで申し訳ないけど、カノン、あなたの行為はまったくの無駄よ」

「リンカ!!」


 叱責の声を上げるミリアに、リンカは逆に問い掛ける。


「ミリアだって気付いているんじゃないの? 教国上層部がどれだけ腐りきっているか身をもって実感しているあなたなら、とっくの昔に推測できているはずよ。拉致の証人になりうるような人間を、骨の髄まで権力への渇望で塗り潰された下衆がわざわざ生かしておくはずがないわ。カノンの家族はほぼ間違いなく殺されているって」

「そ、れは……」


 リンカの指摘通り、とっくに同じ結論に至っていたからだろう。咄嗟に否定することが出来ず、ミリアは唇を噛み締めた。

 思わず恨みがましい目をリンカに向けてしまうが、リンカは怯んだ素振りも見せず、淡々とした冷静な口調で、


「言っておくけど、これはさっきまでの揶揄いとは次元の違う話よ。この状況を打破するにはカノンの協力が必要不可欠なの。だからカノンには、何よりも覚悟を決めてもらわないといけないわ。そのために一番手っ取り早いのは、自分が何を喪ったのか理解してもらうことなのよ」


 突きつけられるリンカの言葉には、先程までの人を食ったような気配は一切なく、必要なことをただ羅列しているだけだった。

 押し殺したようなその口振りは、リンカ自身も本心では触れたくない事柄を、必要に迫られて口にしているように感じられる。


「カノン、あなたが取れる選択肢は二つよ」


 床に崩れ落ち、泣き腫らした目で見上げる先で、リンカは人差し指を一本立てた。


「一つはこのまま泣き続け、敵の思惑通りに踊ってこの事態を招いた自分自身を責め、悔い続ける道」


 続けて人差し指に加えて中指を立て、二番目の選択肢を示す。


「もう一つはここで泣くのを止めて、抵抗する道よ。あなたが協力さえしてくれれば、私がミリアを導女にしてみせる。それこそがあなたの家族を奪った連中に対する、一番の仇討ちになるんじゃない?」


 その言葉はまるで悪魔の囁きのように、カノンの胸の奥へと染み込んでいった。

 家族を奪われた喪失感でぽっかりと抉られた空隙が、復讐心という名のどす黒いもので満たされていく。

 だが、粘着質な感情がカノンの全てを支配されるより早く、暖かな感触がカノンを包み込んでいた。

 カノンの体を強く抱きしめ、額と額を突き合わせたミリアが訥々と語りかけてきたのである。


「カノンよ。怒りを捨てろとは言わん。悲しみに囚われるなとも、とてもではないが言えぬ。じゃが、決して自暴自棄にはならんでくれ。妾にはそなたが必要なのじゃ。そなたの家族等の無念に報いるためにも、妾は必ず導女となってみせる。そのために、そなたにはこれから先も妾を支え続けて欲しいのじゃ」

「お嬢様…………お顔をお上げください。本来であれば責められ捨てられて当然のわたくしに、勿体ないお言葉でございます。家族については、薄々ですがわたくしも察してはおりました。しかし、わたくしはそれを認めてしまうのが恐ろしかったのです。ですが最早、恐れる事など何一つございません。これより先は、いかなる障害が立ちはだかろうとも、わたくしの身命はお嬢様のためだけに使わせて頂きます」


 はっきりとした、上辺だけではなく一本通った芯を感じさせる決意を瞳に秘め、カノンは黙って主従のやり取りを見守っていたリンカに告げる。


「あなたの言う覚悟ができたのかどうか、わたくし自身には判断できかねます。ですが、お嬢様のためであれば、わたくしの事はいかようにもお使いください」

「その言葉がもらえれば十分よ。カノン、あなたには密告者になってもらうわ」


 密告者。穏やかならぬ言葉の響きに、カノンは眉をひそめる。これまでであれば不平の一つも漏らしていたのだろうが、今はただ黙って説明を待った。

 果たしてリンカは、稚気に溢れた表情でのたまう。


「私がこれから説明する偽の計画を、これまでと同じふりをしてハンモンカイの連中に横流しして頂戴。そうすれば連中は必ず食い付いて来る。そこで返り討ちにすれば、後顧の憂いなく照霊鏡の入手に注力できるわ」

「返り討ちと簡単に言うが、戦力のあてはあるのか? カイエンを呼ぶにしても、敵がハンモンカイほどの組織となると、一人で相手にするのは厳しかろう?」


 至極当然なミリアの疑問に、リンカはウィンクで答える。


「そっちなら心配ないわ。ハンモンカイを相手にするのに一番相応しいところを選定済みよ。色々な準備があるから、決行は明日の晩になるわ。ここから先は、如何に相手を騙しきるかが鍵になるから、そのつもりでいて頂戴」


 ミリアとカノンは、水を得た魚のように生き生きとしだしたリンカの念押しに、神妙な表情で頷いたのだった。

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