ハンモンカイ2
四方から大歓声が降り注ぐ中、試合はいよいよ大詰めを迎えようとしていた。
相対するは二人の武術家。
一人は片刃の蛮刀を構えている。切れ味を増すために湾曲させた刀身が陽光を浴びて反射する。
もう一人は素手の拳法家――カイエンだ。
こちらは両手を地面すれすれまでだらりと垂らし、限界まで脱力した構えである。しかし、その眼光は獲物を注視する獣さながらであり、相手の一挙手一投足に至るまで僅かな隙一つ見逃すことはあるまい。
「くそ、なんてすばしっこい野郎だ。予選じゃ隠しておいた連続技まで軽々と躱しやがって……」
歓声に掻き消されかけつつも悪態をついたのは、蛮刀使いの方だった。
荒い息をつき、つい直前の交錯の際に回し蹴りを叩き込まれた脇腹に手を当てている様子を見れば、追い込まれているのが彼の方だということがありありと伝わってくる。
対するカイエンはけろりとした表情だ。
むしろ拍子抜けしている気配すらある。
「ありゃ、もしかしてもう種切れか? 良い修行になりそうだったから、結構期待してたんだけどな」
「修行だとぅ……!」
カイエンの言い草に蛮刀使いは青筋を立てる。彼とて予選を潜り抜けた霊紋持ちの端くれだ。己の腕前にはひとかどの自信がある。
にもかかわらず全力の攻撃を軽々と回避され、あまつさえ訓練程度の相手だと見下されたのだ。武術家のプライドにかけて、一泡吹かさねば気が済まない。
蛮刀使いの怒りに引きずられるように、彼の全身の霊紋がいや増して発光する。
文字通り、乾坤一擲の大勝負をかけるつもりなのだ。
その輝きに、カイエンは驚くでも恐れるでもなく、ただ笑みを深くした。
「なんだよ、まだまだやれるんじゃないか。そうだよ、そうこなくっちゃな!」
両腕を地面に向かって垂らした若干の前傾姿勢でカイエンも吼える。
一見すればただの無防備としか映らない構えであったが、これこそ九鬼顕獄拳、透鬼の型であった。
脱力を限界まで押し進めたからこそ成すことのできる驚異の反射神経と瞬発力でもって、カイエンに向けられた攻撃は、まるで幻に向かって拳を振るっているかのように空を切る。九鬼顕獄拳の数多ある型の中でも避けに特化した構えである。
挑む蛮刀使いは己の限界まで振り絞った霊紋の輝きを刃に乗せ、間違いなくこの試合で一番と評せる鋭い踏み込みを披露する。
だが、それでも僅かに及ばなかった。
振り抜かれる剣速を迅雷と表現するならば、カイエンの体捌きは疾風のそれだ。ほんの少しだけ重心を傾けたカイエンから皮一枚の距離を、大振りの蛮刀が鋭い剣風を引き連れて通過していく。
僅か皮一枚。されど決定的な皮一枚。
渾身の一撃も見事に空振りさせられ、蛮刀使いの上半身がバランスを崩して流れる。
武術を習って半日の子供ですら見逃すことのないだろう決定的な隙。カイエン相手のそれは、声高に降参を叫ぶのと同義ですらあった。
「ありがとな、良い修行になったよ」
「……っ!?」
ずん、と蛮刀使いの土手っ腹に拳がめり込む。
呼気を絞り出すことすら出来ず、蛮刀使いの体が舞台に沈んだ。しかし全力を尽くすことができたためか、気を失った表情には笑みを浮かべているようにも見える。
果たして蛮刀使いは満足して倒れたのか。残念ながら、こればかりは他の誰にも分かるまい。
分かることは唯一つ。蛮刀使いの容態を確認した審判が、カイエンの勝利を宣言したことだけだ。
一拍遅れて、これまでの倍もありそうな歓声が、鼓膜を破らんばかりに舞台の上に木霊した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
勝ち名乗りを受けたカイエンが舞台から控室に向かう通路に戻ってくると、そこで待っていたのは意外な人物であった。
「やあ、まずは一回戦通過おめでとうと言っておこうか」
「あんたか。えーと、ソーメンだっけ?」
「ソウエイ、だよ。ひどいなあ、熱い拳を交わした仲じゃないか」
苦笑を添えて文句を垂れてくるのは、武術祭の優勝候補筆頭と謳われるソウエイであった。
苦情こそ言ってくるものの、その口調は柔らかい。本気で怒っているというわけではないようだ。
カイエンも悪い悪いと気軽に応じながら、何か用かと尋ねてみた。
「最初に言っただろう。初戦突破のお祝いさ。まあ、君ほどの使い手が一回戦程度でドジを踏むとも思えないけれど、一応礼儀としてね」
「ふーん、なんだか面倒くさいな。こいつはただの試合なんだから強い方が勝つ、それだけの話だろ?」
まるで気負った様子もなくカイエンが呟けば、ソウエイは同意するように大きく頷いた。
「まさしくその通りさ。やっぱり君とは気が合いそうだよ、カイエン」
「気が合うとか合わないとかはよく分からん。でもまあ、合おうが合うまいが、試合になったら手加減はしないからな」
「望むところさ。僕としても、折角の戦いで手を抜かれるなんて耐えられないからね。こちらだって本気で行かせてもらうとも」
細面には似合わぬ肉食獣を彷彿とさせる笑みを浮かべるソウエイ。
その全身から放たれる精霊の気配が痛いほどに突き刺さる。
大人しそうな外見とは裏腹に、隠しようのない――あるいは隠すつもりすら無い好戦的な雰囲気である。
事情を知らない一般人が通りかかれば泡を噴き出しかねないほどの緊張感が二人きりの通路に充満する。
が、それも一瞬だけだ。
一触即発の空気にもカイエンがまるで反応を示さずにいると、ソウエイも気を張ることに飽きたのか、軽く息を吐き出すと精霊の気配を引っ込めた。
その代わりにか、「それにしても」と愉快そうに目を細める。
「随分な自信じゃないか。僕と戦うまで、負けるつもりは無いという宣言かい?」
「どういう意味だ? すぐにあんたと戦えるわけじゃないのか?」
事情を聞いてみれば、そもそもトーナメントという仕組みを理解していなかったという事実が発覚する。
どうにもペースが狂わされ拍子抜けしてしまうソウエイだったが、呆れる素振りもなく、
「試合に勝った者だけが、次の試合に挑めるのさ。僕は君とは正反対のブロックになったからね。当たるとすれば決勝戦、お互いに四戦を勝ち残った後でないと戦えないってことになる」
「四戦……俺はさっき勝ったから、あと三回勝てば良いってわけか。よっしゃ、それならお前と戦うまでにまだ時間はあるってわけだな」
なにやら思いついたらしく、両手を叩き合わせて気合を入れている。
「この前の感触からして、お前と戦うのは骨が折れそうだからな。折角余裕が出来たんだ。その決勝戦ってやつまでに、みっちり修行して鍛えておいてやるよ。覚悟しとけ」
「それは僕としても望むところさ。敵は強ければ強い程倒し甲斐があるからね…………欲を言えば、君ほどの相手ならばこんな試合などではなく、命を懸けた実戦で相対したいところなのだけど……まあ、我儘は言うまいよ。では、決勝戦で待たせてもらうさ」
さりげない全勝宣言を置き土産に、ソウエイは颯爽と去って行った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ソウエイが角を曲がって姿を消すと、カイエンも控室に向かおうと踵を返した。
が、その歩みがふと止まる。
注意深く鼻をヒクつかせると、確信を持った声音で呼び掛ける。
「いるんだろ、リンカ?」
カイエンが声を上げた途端、誰もいないかに思われた通路端の影がむくりと盛り上がった。
影は人型に膨れ上がったかと思うと、中から銀髪の女性を吐き出す。
こんな奇抜な登場をする人間など、カイエンの知り合いには一人しかいない。
それは数日振りに再会したリンカであった。
このエリアは出場選手以外立ち入り禁止のはずなのだが、影の精霊を宿したリンカにとってこの程度の警備網を欺くなど児戯に等しい。
影に隠れての移動・潜伏を駆使すれば、視覚以外の感覚が特段優れたものでもない限り、リンカを捕捉することは甚だ困難なのだ。
「相変わらず人間離れした嗅覚をしてるわね、カイエン君」
「まあな、鼻には自信があるんだ。それにしても久しぶりだな。今までどこに行ってたんだ?」
軽い調子で尋ねると、リンカはこれ見よがしに溜息を吐いた後、ずんずんとカイエンに詰め寄ったかと思いきや、唐突にその顔面へと容赦ないチョップを叩き込んできた。
ずびし
「痛えなぁ、いきなり何すんだよ?」
「それはこっちの台詞よ。カイエン君こそ、いつの間に姿を消したと思っていたら、勝手に武術祭なんかに出場しちゃって。まあ、カイエン君が武術祭を荒らし回ったからこそ噂が立って、そのお陰でこうして合流できたわけだから、そこには目を瞑ってあげるけどね」
ミリア達と別れた後、照霊鏡を強奪していった敵の姿を追って情報収集に精を出していたリンカは、無名の少年拳士が武術祭の台風の目になりつつあるという噂を聞きつけ、その正体がカイエンであると確信してこうして顔を見に来たのであった。
図らずも、数日放っておけば勝手に噂が立つので探しやすくなるというリンカの言が証明された形だ。
一方、カイエンはきょとんとした表情で首をかしげた。
「何言ってるんだよ。武術祭に出て待っていれば、そっちから宿舎に来るって話じゃなかったか?」
「初耳な話題をさも当然のように語らないで頂戴。大体、私は露店市場で見物していてと言ったのよ。武術祭にエントリーしておいてなんて一言も言ってないでしょ」
きっぱりと言い切られ、カイエンは記憶を辿った。
一部知人から発酵疑惑もかけられている青紫色の脳細胞が全力で上滑りし、遥か遠い昔のようにも思える過去(二日前)のやり取りを再現する。その結果――
「うーん、そう言われればそうだったかもしれなくもない」
「なくもない、じゃないわよ。カイエン君はともかくヘイ君も連れて行っちゃうなんて、危うく禁断症状が出るところだったじゃない」
「へー、そいつは悪かったな」
特に悪いと思っていないことが丸わかりな、適当極まる返事である。
これ以上言い募っても暖簾に腕押しと判断し、リンカは溜息を吐くと話題を切り替えた。
「とりあえず、ホウチンに入ってから今までに何があったのか、簡潔に教えてもらえるかしら。何がどうして武術祭出場するに至ったのか、事の経緯が教えてもらわないと納得できないわ」
「おお、いいぞ」
かくかくしかじか
露店市場での大立ち回りからつい今しがたのソウエイとのやり取りまで、種々雑多な情報を垂れ流す。
最初は興味深げに相槌を打ちながら聞いていたリンカであったが、カイエンが語り終わるころには、困惑と困憊を掛け合わせて原液のまま飲み干したような表情を浮かべていた。
「カイエン君、ちょっと生き急ぎ過ぎじゃない?」
「どういう意味だ?」
皮肉ではなく心の底からの感想であったが、残念ながらカイエンには諧謔が通じなかったらしく、丸い瞳に純真な疑問を浮かべている。
本人に自覚が無いのが何より驚きだが、目を離して僅か二日の間にどれだけの厄介事に首を突っ込んだと思っているのだろうか。
教国の次期指導者争いに一枚噛んで奔走していたはずのリンカですら、思わず呆れるほどのトラブルメイカーぶりである。
この少年は事件の渦中にいないと呼吸できなくなるのではと、内心疑いたくなるほどだ。
「それにしたって、あの天元武心流がカイエン君に興味を示すとはね。納得すべきか驚くべきか、判断に迷うところだわ」
「天元武心流ってたしか、ソウエイの奴の流派だよな。リンカ、知ってるのか?」
「むしろどうしてカイエン君が知らないのか、正気を疑われるくらいには有名よ。五大流派って聞いた事あるかしら?」
予備知識を確認してみたところ、案の定というべきか、首を横に振ってみせるカイエン。
想定通りとばかりに、リンカは指を折りつつ説明を始めた。
「ロザン皇国の武術流派は、現代に於いては五つの流派とその傍系が大半を占めているの。それが五大流派であり、天元武心流はその一つよ」
「ほうほう。でも、なんでソウエイがその五大流派の一つを修めていると、リンカが驚くことに繋がるんだ?」
カイエンが珍しく真っ当な指摘をしてみせると、リンカは端的に言い切る。
「それは簡単。天元武心流という流派が、何よりも実戦を重んじているからよ。試合形式の戦いをお遊びと言い切るような流派の人間、それも第二階梯の使い手が、わざわざ武術祭みたいな場に出てくるだなんて、普通だったら想像できないわ」
「そんなもんか。俺は何となくあいつの気持ちが分かったけどな」
初めて顔を合わせてからまだ日も浅い。交わした会話の回数とて片手の指で数えられるほどだ。
だが、互いに本気の拳を交わした同士である。
それは拙い言葉を幾千幾万重ねるよりも、遥かにはっきりとカイエンにあの男の心情を伝えてくれていた。
ソウエイは戦いを欲しているのだ。
名誉や金のためではない。破壊衝動によるものでもない。あえて言うならば純粋な戦闘欲とでも呼ぶべきものだ。
ただひたすら己の腕を磨き、強敵と仕合いたい。あまりに眩しく、人によっては眩しさのあまり目を背けたくなる程の真っ直ぐな想い。
同じく武の道を歩むカイエンにとっては、十分に理解できるものだった。
その想いがあればこそ、流派としては本来眼中に無かった武術祭にまで顔を出してきたのだろう。そこでカイエンという敵手に巡り合えたことは、ソウエイにとって望外の喜びだったに違いない。
「ふう、やっぱり武術家の考える事って理解できないわね」
「そいつはお互い様だと思うけどな。そういや、ミリアとカノンは無事に南都に入れたのか?」
自らの近況を語り終え、今度は自分が聞く番とばかりにカイエンが問う。
普通ならば、リンカがこうして姿を見せている時点でホウチンには無事入都できたと考えても良さそうなものなのだが、生憎とリンカ単身で訪れたとなると密かに潜入した可能性も十分にあるためだ。
果たして、リンカはいけしゃあしゃあと頷いた。
「ええ、お陰様でね」
「そっか。いきなりバラバラになっちまったわけだし、これから顔でも見せに行くかな」
一応、臨時であっても旅の連れという意識はあるらしく、すぐに会いに行こうかと言い出すカイエン。
しかしそれは、リンカにとって極めて都合が悪かった。
何しろ現状、ミリア達は照霊鏡を求めて交渉やら駆け引きの真っ最中なのだ。
そういった方面に滅法疎いことに加え、ミリアが教国の導女候補であるという基礎知識すらなく、息をするように厄介事を引き寄せてくるカイエンが合流したらどうなるか。
混ぜるな危険どころの騒ぎではない大惨事となるであろうことが、リンカにはありありと予見できた。いや、予見というよりも予知、確信に近い。
それゆえに、リンカの反応は拒否の一択となる。
「今はいろいろと忙しいみたいだから、手間を掛けない方が良いわ。それよりもカイエン君には頼みたいことがあるのよ」
「頼みたい事?」
少し強引ながらも話題を変えることに成功する。疑問を覚えた様子もなく食い付いてきて、どうにか一安心と胸を撫で下ろした。
「ええ、そうよ。カイエン君にはこのまま武術祭を勝ち抜いて、優勝して欲しいのよ」
「言われなくてもそのつもりだったけど……なんでだ?」
「優勝者に贈られる副賞が必要になるかもしれなくてね。まあ、カイエン君はこのまま戦って、勝ってくれさえすれば良いわ」
ここに潜り込むまでの道すがら、ミリア達が追い求めている霊器――照霊鏡が武術祭の優勝賞品となっていることは把握済みであった。
たとえミリア達の交渉が不調に終わっても、カイエンが優勝できれば正々堂々と目的の物が入手できる。保険の意味でも、この手を打っておかない理由は無い。
「ふーん、よく分からんが分かった。要は全部勝てば良いんだろ? そうと決まれば早速修行開始だな!」
頬を張って気合を入れるやいなや、リンカを置き去りにして、弾かれたように駆け出していくカイエンであった。
面白いと思って頂けたら、評価・ブクマをポチってもらえると励みになります。
また、勝手にランキングにも参加しています。
お邪魔でなければ投票してやってください。




