ハンモンカイ1
その朝、栄誉ある南都追捕使の末席に位置する平隊員A(仮名)は、隊舎に足を踏み入れた瞬間、彼のこれまでの常識ではありえないはずの光景に遭遇し、思わず二度見を越えて三度見してしまった。
「珍しいですね、隊長が真面目に調べ物をしているなんて」
隊舎の玄関ロビーに設置してある来客用の長机。その隅っこに陣取って報告書の紙束と格闘しているのは誰あろう、彼の上司にして南都追捕使の最大戦力でもある霊紋持ち、サンチュウだったのである。
ただしこのサンチュウ、困ったことにひどい怠け癖で有名でもあった。
目を離せばすぐにふらふらと姿を消し、どうやって見つけたのか人目に付かない場所で昼寝をかます。書類仕事は溜まったものにかろうじてサインをする程度で、実務は副隊長がこなしているというのは追捕使達にとっては公然の秘密。
無精髭に常に眠気を孕んだ眼、よれよれの制服はリストラ一歩手前のお荷物隊員としか映らないだろう。
そんなサンチュウ隊長がまさか真面目に仕事を!?
衝撃のあまり、つい空模様を確認し、雨どころか槍が降って来るのではないかと疑ってしまったのは、ひとえにサンチュウの日頃の行いのなせる業といえる。
一方、日頃の行いに定評のあるサンチュウは、億劫そうに視線を持ち上げると、報告書を机の上に放り出して愚痴を吐き出した。
「ひどいなあ、おじさんだって真面目に仕事をしようという心構えくらいはあるんだよ?」
「それ、心構えだけじゃないですか。行動が伴ってないから、いつも副隊長にお小言を言われるんですよ」
「皆が皆、ちょっと注意されたくらいで性根を入れ替えられるようなら、追捕使なんて仕事はいらないと常々思ってるんだけどねえ」
「その台詞、隊長が言ったってバレるとまた物議を醸すんで、人前ではNGでお願いします」
「大丈夫大丈夫。おじさん、極力人前には出ないことに決めてるから」
全然大丈夫でないことをのたまうサンチュウ。
秘書役を務める副隊長であれば、このようなだらけた態度を見ればすぐさま二の矢、三の矢が飛んでくるところだろうが、隊員Aは苦笑と共に肩をすくめるにとどめた。
素行不良な隊長のお守りは、彼の職務に含まれていないためである。
その代わり、サンチュウが目を通していた報告書に視線を落とした。
「ホウチン市街地におけるトウガン武術祭出場者による抗争の顛末について……ああ、つい先日のあれですか」
この事件については彼の記憶にも新しい。何しろまだ一日かそこらしか経っていない上、彼自身も捕物の現場に駆り出されていたからだ。
騒ぎの直接的な原因となっていた霊紋持ち二人はサンチュウが取り押さえていたが、追捕使の役割はそれだけではない。避難誘導や証拠物件の捜索、現場の後片付けなど、本当の意味で事件が収束したといえる状態に持って行くためには、縁の下で汗を流す多くの人員が必要不可欠なのだ。
加えて、この事件は追捕使達の中で今一番ホットな話題でもあった。その理由は単純明快で、捕縛した霊紋持ちの片方がわずか一晩で釈放になってしまったためだ。
あまりにも異例なスピード釈放に、南都中の追捕使達は己の耳を疑ったものである。
彼自身の好奇心の後押しもあり、一言断りを入れると報告書に目を通す。
関係者以外閲覧厳禁とあるが、彼も現場には出動していたので、強弁すれば関係者と言い張れないこともない。普通だったら咎めるべき上役は、目の前で四肢を投げ出した姿で弛緩しきっているため、遠慮無く文字を追うことに注力できる。
さっそく容疑者の処遇についての頁をめくり、彼は我が目を疑った。
「ええっ! ……東都追捕使隊長の身元保証により釈放って、マジですかこれ?」
裏返った驚声に玄関ロビーにいる者達が何事かと視線を向けてくる。
手振りでなんでもないと示し、声量を抑えてサンチュウへと確認を取るが、その言葉遣いは動揺のためか素の口調が覗いてしまう。
サンチュウは彼の口調を気に咎める様子もなく、普段通りの眠そうな態度で頷いてみせた。
「これがマジなんだよねー。文字の癖も印章も本物だったよ」
「一体、何をどうしたら、一介の拳法家に東都追捕使隊長から身元保証なんて出るんですか?」
つい口をついて出た疑問に、サンチュウは遠い場所を眺める眼差しをしてぽつりぽつりと答えた。
「んー、東都といえばついこの間、所司代が罷免されるって事件があったじゃない。紅巾党と関わっていたとか何とかで」
「ああ、ありましたね」
「素直に考えると、それ絡みだとは思うんだよねえ。あと未確認なんだけど、東都から来た行商人の噂じゃ霊獣が出たって話もあるから、そっちで活躍したのかも。まあ、そこらへんは今回の件とは無関係だろうから置いておくとして、気になるのはこの間の事件についての証言なんだよねえ」
一体何がそれほど気になるというのだろうか。
彼の認識では、酔っぱらった武術祭出場者が偶然通りがかった相手に私怨混じりで喧嘩を売ったというだけの、簡単極まりない構図である。
そう思いながら報告書をめくっていた手がふと止まる。
カイエンの証言の中に、見逃せない一文があったためだ。
「隊長、この部分ですか?」
念のため指し示せば、サンチュウはあっさりと頷いた。
「そう、そこ。幸いにもカイエンは事情聴取に協力的だったから……うん、協力的だったと思うよ……協力的だったはずだよね、あれは……?」
「隊長?」
「おっと、ごめんごめん。事情聴取にはおじさんも立ち会ったんだけど、話があっちこっちに飛んでまとめるのに一苦労だったなあ、とね。ちょっと思い出して、しみじみしちゃったよ」
思い出すだけでしみじみできる事情聴取とは?
若干興味を惹かれないでもないが、そちらへ踏み込むと明らかに脱線する予感がひしひしとするため、彼は鋼の意志でその欲求を振り切ってのける。
「ともかく、確かにこの証言は不可解ですね。戦闘中、第三者による攻撃を受けたとは……」
「普通に考えれば、話を盛っているか勘違いだと思うよね」
「その言い方ですと、この証言は信憑性があるということでしょうか?」
彼が尋ねると、サンチュウはさあ? とばかりに小首をかしげてみせた。
年若い美少女か妙齢の美女辺りがやれば絵になる仕草なのだろうが、制服を着崩した無精髭の中年男がやっても嫌悪感しか湧かない。
そんな自覚があるのかどうかは定かではないが、サンチュウはすぐに似合わないポーズをやめると、定位置である椅子の背もたれにぐったりと寄りかかった。
「百パーセント真実だと言い切るに足る証拠はまだ出てないかな。でも、証言通り地面に突き立った串や包丁は確認されてるよ。もちろん、それだけじゃあカイエンの証言の裏付けとするには弱いけどね」
「しかし、隊長の言い方から察するに、この証言にはかなりの信憑性があると考えているように感じられました。他にも裏付けになる証拠が出ているのではないですか?」
周囲に聞こえぬよう、声のトーンを落として訊く。
サンチュウは苦笑すると、良く見てるねえ、と首肯した。
「証言では、投擲された箸を投げ返して攻撃者に手傷を負わせたとあるだろう。あの夜の被害報告の中に、同様の怪我を負った者がいないか確認してみたんだ」
事件の被害状況をまとめる事は、追捕使の業務としては基本のキといえる。
経済的な被害、精神的な被害、そして死傷を含む人的な被害。これらを素早く正確に把握することで事件の規模を適切に把握し、解決に投入するリソースを割り振ることができるのだ。
そのため、怪我を負った者がいないかは現場において最優先で確認され、記録されている。
それらと照合すれば、カイエンの証言の十分な裏付けになりうるというわけだ。
「そしたらいたんだよ。負傷者リストの中に一人だけ、カイエンの証言とぴたり一致する部位に怪我を負った者が。事件当時は、騒ぎから逃げようとして転んだ際に負傷した、と説明していたみたいだけど」
「では、その者に再度当たってみれば――」
勢い込んで提案する隊員Aであったが、サンチュウは両腕で×印に交差させた。
「そいつは無理な相談なんだよね、これが」
「何故ですか? 負傷者については、後日の聴取や見舞いの必要性が想定されるため、氏名や住所も併せて記録してあるはずでは」
「だって偽名だったし」
さらりと重大な事を言ってのけるサンチュウ。
隊員Aは言葉の意味を咀嚼するのに一瞬の時間を要したが、理解と同時に表情を険しくした。
「その負傷者が正体を偽っていたということですか」
「そうそう。氏名も住所も、多分だけど肩書もね。本当に騒ぎに巻き込まれて怪我をしただけなら、わざわざそんな嘘を吐く動機が無い。そこまでして正体を隠したいのは、バレるとまずい事情を抱えているからと考えるのが、一番簡単で筋が通ってるでしょ」
相も変らぬ眠そうな表情を崩さぬまま、サンチュウはそう締めくくる。
なるほど、カイエンの証言を鵜呑みにできるほどではないが、第三者の刺客の存在を白よりから濃いグレーに格上げするには十分な情報といえるだろう。
そうなると悩むのは次のアプローチだ。
現状、刺客と思われる人物への糸は途切れている。武器もその場にあった物を適当に使っただけであるため、調達経路を追うような捜査ではホシまで辿り着くまい。
唯一の手掛かりがカイエンに負わされた手傷だけでは、虱潰しに探すには南都という街は巨大に過ぎる。
悩む彼の傍らで、サンチュウは机の上から紙束を持ち上げると、どさどさっと彼に手渡してきた。
反射的に受け取ってしまった後で、これは何かと首をかしげる。
その疑問に答えを示したのは、紙束を渡してきた本人であった。
「それはここ数年の間にホウチンで発生した、霊紋持ちが死傷した事件や事故の報告書だよ。ざっと目を通してみたんだけど、偶然巻き込まれたと見做された被害者も結構な数がいるっぽいんだよねえ」
「もしかして、これ全てに目を通されていたのですか?」
たかが紙束。されど紙束。
山積みの報告書は大の男である彼であっても、両手で何とか持ち運べるかどうかといった重量だ。霊紋持ちでない身では、抱えているだけでも一仕事といえるだろう。それだけの量の報告書に、サンチュウは全て目を通したというのだ。
普段の勤務態度からは想像もつかない勤勉さである。
「隊長、本当に隊長ですよね。隊長の皮をかぶった別人じゃないですよね?」
「どういう意味だ……なんて聞くまでもないか。おじさん、普段が普段だもんねえ。でも、おじさんは出来ないわけじゃないんだ、ただ本気を出していないだけなんだよ!」
「キリッとした顔でダメ人間みたいな事言わないでください。というか、本気出せるなら普段から出してくださいよ」
間髪入れぬ隊員Aのツッコミが冴える。サンチュウは乾いた音しか出ない口笛をヒューヒュー吹いて、わざとらしく聞こえないふりをした。まるで子供だ。
隊員Aは諦観の溜息を吐くと、話を元に戻す。
「それで確か、事件に巻き込まれた死傷者が多い、という話でしたっけ?」
「そう、その通り。カイエンの証言にあったような手口でこれまでも犯行を繰り返してきたとすれば、その数の多さにも説明がつくんじゃないかあと思ったりするわけだ」
サンチュウの仮説を吟味する隊員A。
確かに他の事件や事故に紛れて殺傷するという手口には大きなメリットがある。それは追捕使に追われる危険性を減らすことができるという点だ。
身内の自慢ではないが、追捕使の捜査技術は央都追捕使本部の研究チームを筆頭に、日進月歩で進化を続けている。
一度目を付けられれば、国家権力の名による捜査は苛烈を極めるだろう。口さがない者達に言わせれば公的ヤクザとも呼ばれる所以である。
であれば、事件の証拠をどうにかして隠蔽するより、事件そのものが発生していないと誤認させた方が結果的には安くつく可能性がある。
なにしろ最初の関門さえ潜り抜けてしまえば、後は余計な気を揉む必要は無いのだから。
「もしそんな手口が横行しているのだとすれば、敵は相当に周到な組織と考えられますね」
第一印象でそう指摘する。
事件や事故に巻き込まれたように見せかけて傷害あるいは殺人を企む。理に適っているように思えるが、実現には大きな壁がある。言うまでもなく、『どうやって事件や事故に巻き込むか』という難題だ。
偶然巻き込まれるのを待つだけという可能性は絶対にありえない。そんな偶然に期待するなど、もはやただの運任せだからだ。時間と労力の無駄でしかない事は馬鹿にだって分かる。
となれば、正解は『事件や事故に巻き込まれたと見せかけて手を下している』に違いない。
被害者の行動様式を調べ上げ、その中で事故が発生してもおかしくない時間と場所を見つけ出し、わざと事件が起きるように仕込み、巻き込んだ上で仕留める。
それだけ手の込んだ手口を一人二人の少人数でこなしているとは考えづらい。必然、大規模な組織がバックについていると考えるのが自然だ。
そしてそれだけの人員と規律を備えた相手となれば、候補はおのずと限られる。
ここ南都ホウチンにおいて、必要な条件を全て満たすような相手は一つしか名前は上がらなかった。
「ホウチン最大の犯罪組織、ハンモンカイですね」
「奇遇だねえ、実はおじさんもそう思ってたんだ」
「仰りたいことは理解しました。しかし、これだけでハンモンカイが黒幕と断定するには証拠が足りないのでは?」
「うんうん、おじさんも同意見だよ。というわけで証拠集めよろしくね」
「はい?」
最後の最後で投げ込まれた爆弾に、隊員Aは呆けた声で聞き返す。
爆弾魔ことサンチュウは、言いたいことを言って肩の荷が下りたとばかりにぐぐっと伸びをすると、すっきりとした口調でこう告げた。
「今から君を本件の特別捜査員に任命する。好きにやっていいから、ハンモンカイが関与している証拠を見つけちゃってよ」
「うえっ、ちょっ、サンチュウ隊長!?」
「いやあ、仕事熱心な部下を持っておじさんは幸せだなあ。あ、おじさんはそろそろお昼寝の時間なんで、後は任せたから」
一方的に言い切ると、反論の隙を与えることなく霊紋持ちの身体能力を発揮して逃走を図る。
かくして取り残された隊員Aは、しばし唖然としていたが、やがてふつふつと肩を震わせ、遂には玄関ロビー中に轟く罵声をぶちまけた。
「ちゃんと仕事しろっ、このごく潰し隊長がぁっ!!」
人目も憚らず肩をいからせる彼に注がれる視線は、憐憫と同情混じりのひどく生暖かいものだった。
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