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三者三様3

 敵の正体を探るというリンカと別れ、ミリアがカノンのみを伴としてそこを訪れたのは、穏やかな昼下がりの事だった。

 南都中心にほど近い商業地区、その中でも一際巨大な建物だ。

 一区画を丸ごと占拠しているその建物は、ホウチンで最大を誇る商会でもある。

 ひっきりなしに客が出入りを繰り返す、大通りに面した表口。それとは正反対に、屈強な門番二人が見張りに立っているだけの裏口。

 二人が叩いたのは、そのうちの裏口の戸であった。


 門番の片方に用件を告げ、取次を頼む。その場で待たされること暫し、裏口の戸を開けて現れたのは、かっちりとした身なりに身を包み、もうすぐ老境に差し掛かろうかという外見の男性だった。


「ミリア様とお供の方でございますね? どうぞこちらへ、主がお待ちです」


 丁寧な物腰の老人に案内され、敷地の中に招かれる。

 喧噪を放つ表口とは世界が異なるかのように、値の張りそうな調度品だけが静謐に並び、まるで人気の無い商館の奥へと誘っている。

 いくら裏口から入ったとはいえ、この静けさは流石に異常に過ぎる。

 どうやら、目的の人物はこれから面会するにあたり、相当厳重に人払いをしたらしい。


 周囲を観察したミリアがそんな推論を胸中で弄んでいると、先導する老人が一際豪華な扉の前で立ち止まった。

 軽くノックをすると、渋いながらもよく通る美声でもって室内に向けて告げる。


「ご主人様、お客人方をお連れ致しました」

「ご苦労。入って頂きなさい」


 妙にかすれた高い声で入室許可が下りると、老人は扉を優雅に開き、室内へ進むように促す。

 ミリアが決意の炎を胸に秘めて踏み込むと、そこで待っていたのはでっぷりとした肉の塊としか表現のしようがない人物であった。


「ようこそ、我が商会へ。商会長を務めているトンロウです」


 肉塊改めトンロウはそう言うと、いかにも親しげにぷよぷよとした片手を差し出した。どうやら握手を求めているようだ。

 それにしても圧巻である。

 胴体だけにとどまらず、顔や手足といった各部を構成する要素もその一つ一つが丸い。

 身長はさほど高くない筈なのだが、全身を覆い尽くした脂肪の層によって一回りも二回りも大きく見えてしまう。

 十歳という年齢相応の体格であるミリアからすれば、初めて目にした時に人間に見えなかったのも止む無しといえる。


「あ、ああ、こちらこそ急な来訪にも関わらず会って頂き、感謝しておるぞ。妾のことをミリアと呼んで欲しいのじゃ」


 一瞬固まってしまったのを隠すように、殊更笑顔を浮かべて差し出された手を握り返す。

 幸いにもトンロウはそんな反応を見慣れているらしく、気を悪くした様子もなく握手を終えると、商会長室の中央に用意された椅子の片方に身を預け、ミリアに向かいのソファへ腰を下ろすよう促した。


 いよいよ正念場だ。ミリアは一つ息を吸いこむと、改めて気合を入れ直す。カノンが従者の定位置であるソファの斜め後ろに立ったことを気配で感じ取ると、目の前で窮屈そうに身を縮めているトンロウへと向き直った。


 ちなみに椅子が小さいわけではない。ミリアならば二人並んで座っても余裕がありそうなほどゆったりとして頑丈そうに見えるのだが、単純にトンロウの横幅がそれ以上にあるというだけだ。加えて、時折椅子の各所から軋む音も漏れ聞こえてくるのだが、それは聞こえないふりをして意識から締め出しておく。


 閑話休題。

 トンロウは最初こそ物珍し気な視線でミリアを観察していたが、ミリアが一切気圧される様子も見せずに堂々と相対してみせたせいか、ほんの僅かに背筋を伸ばすと粘つく声音で切り出した。


「お手数ですが、もう一度用件を伺ってもよろしいですかな。取次の者からは聞いておりますが、このような大事な商談では互いの認識に齟齬があっては問題ですので」

「その通りじゃな。では改めて口上を述べさせてもらうとしよう。妾達の目的はただ一つ、そなたが先日さる筋より入手した霊器を返却してもらいたい」

「返却、でございますか」


 顔面の脂肪に皺一つ寄せぬまま、トンロウがその言葉を繰り返す。

 ミリアはこくりと頷くと、膝の上に置いた拳をぎゅっと握り締め、若干前のめりになって告げた。


「左様。あの鏡は本来、妾の部下が正当に入手したものじゃ。不届き者に奪われてしまったが、行方を追った結果そなたが持っていると知れた。よって妾は、そなたに照霊鏡の返却を要請するのじゃ」


 一息に言い切ってトンロウの様子を窺う。トンロウは何事かを思案している様子であったが、すぐに残念そうな口調で首を横に振った。


「心中はお察し致しますが、当方としてはその要請に応じるわけには参りませんな」

「……理由を教えてもらってもかまわんかの?」


 見当は付いているものの、あえて尋ねる。見落としを防ぐためでもあり、ミリアの掴んでいない新たな情報が出る可能性もあるからだ。

 無論、そんな思惑はトンロウも承知の上らしく、彼は立て板に水の如くすらすらと言い立てる。


「まず何より、あの霊器の入手にあたって当方は、正当な金銭での取引の上で入手しております。何恥じることなく手に入れた物を返却せよと仰られても、困惑せざるをえないというのが正直なところでございます」

「それが他者を傷つけ奪い取られたものであったとしても、正当な取引と申すのか?」


 踏み込むミリア。だが、トンロウは言葉の棘すら全身の脂肪で受け止めたかのように、少しも慌てることなく反論してみせた。


「お言葉を返すようですが、奪われたと仰ってもそれはあなたがそう言っているだけの事、真実かどうか当方には判断しかねます。よしんばそうであったとしても、当方はあなたから奪ったわけではなく、あくまで真っ当な取引を経てあれを所有するに至っております。そこで盗まれた物だから返せと詰め寄られるのは、言葉は悪うございますがあなたが当方から奪おうとしているように思えてなりません。それにああいった貴重品や美術品の類は、良き品であればこそ不逞の輩に狙われるのが道理。むしろ狙われてこそ品の格が上がり、それを防いでこそ、その品を所有するに値する資格があると愚行致します」


 トンロウの反論にミリアは押し黙る。

 格が云々はともかく、世間一般で正当と認められる方法でトンロウが照霊鏡を入手している以上、しつこく食い下がれば最悪、トンロウの指摘している通りミリアの方こそ盗人側と認定されかねないからだ。

 なかなかどうして、ホウチン最大の商会を仕切っているだけはある。


 そんなホウチン一番の豪商は、一度ははっきりと拒絶してみせたくせに、今度は一転して意味ありげな微笑みを浮かべてみせた。


「どうしても欲しいと仰るのであれば、当方は商人でございますゆえ、お譲りすることもやぶさかではございません。当然、相応の対価は頂きますが」

「……良かろう。値を聞かせてくれ」

「ざっと――これほどでは?」


 告げられた数字を聞いてミリアは声も出せずに目を剥いた。背後でもカノンが絶句している気配がある。

 それも無理はない。クロードが入手に掛けた金額の、軽く五倍に迫ろうかという大金だったためである。

 それはつまり、すでに資金の大半を使ってしまっているミリアにとって、逆立ちしても出しようのない額面という意味でもある。


「それは少々……暴利に過ぎるのではないかの?」


 業突く張りと叫び出したい衝動を抑え込み、震える声音で辛うじて指摘する。が、トンロウは意に介した様子もなく、にこにことのたまった。


「そんなことはございません。こういった品物の価格は、お求めになる方次第で十倍、百倍となっておかしくないのですよ。それに今回の場合は、少々事情がございまして」

「事情じゃと? どんな事情があるというのじゃ」


 訊かれたトンロウは、待ってましたとばかりに甲高い声を響かせる。


「実は当方、現在ここホウチンで開催されているトウガン武術祭のメインスポンサーを務めさせて頂いておりまして。その都合で、優勝者に贈呈する副賞の目玉として、その霊器を、と考えているのですよ」

「な、何じゃと!?」


 思ってもみなかった展開に、さすがのミリアも驚きを隠すことが出来ず目を白黒とさせてしまう。

 悪戯が成功した子供のように、トンロウは脂肪まみれの表情筋を愉快そうに震わせる。


「いやあ、毎回毎回、副賞が賞金だけというのはいささか寂しいと常々思っておりまして。そんな時、あの鏡を見つけたのですよ。これしかないと閃き、半ば衝動買いをしてしまいました。衝動買いなど、商人としてはお恥ずかしい限りですが、おかげで武術祭も盛り上げられると確信しております」


 そこでピタリと体の揺れを止め、トンロウは真っ直ぐにミリアへ向かって問い掛ける。


「さて、納得いただけましたかな? 納得いただけたのであれば、先程申し上げた金額をお支払いいただくか、さもなくば代わりに武術祭優勝の副賞になりうる逸品をご提供いただきたい。そのどちらかが、あの鏡をお引渡しする条件となります」


 南都一番の豪商が放つ頑とした気迫に気圧される。

 ミリアは即座に返答することができず、再度訪ねるとだけ伝え、とぼとぼと退散することしかできなかった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 商会からの帰路、主の後ろ姿が普段よりも小さく見えてしまい、主の決定には口を挟まないという己に課した禁を破り、カノンはつい口を開いてしまった。


「お嬢様、もう潮時なのではないでしょうか」

「なんじゃと」


 見るからに意気消沈していたミリアだったが、カノンの言葉にはっと顔を上げ、半ば反射的に睨み付けてくる。

 普段ならばミリアの機嫌を損ねたと見れば、そこでカノンが意見を下げて終わりになるのだが、今日ばかりはカノンも引き下がることなく、つっかえながらも説得の言葉を紡いでいく。


「あれだけの大金を用意することは到底かないません。かといって代わりになるものなど、お心当たりも無いはずです。加えてここは遠い異国の地、助けを期待することも無理でしょう。ここは旅路の途中で命を失わなかったことだけでも幸いと考え、早々に教国に帰るべきです」

「それだけはならん!」


 ミリアが即座に反発する。言い争う様に通行人が不審な眼差しを向けてくるが、ミリアはそちらには目もくれず、心中の激情を押し殺したように逆に静かな口調で繰り返した。


「それだけはならんぞ。今の教国の上層部の腐敗ぶりは目に余る。民の救済を掲げておきながら、自らが甘い汁を吸うことしか考えておらん連中じゃ。奴等が腐らせておるのは教国という国そのもの、それを看過することは座して死を待つも同じなのじゃ!」


 はっきりと嫌悪感を滲ませて言い捨てる。

 言葉の通り、ミリアの知る教国指導者達の大半は、私腹を肥やす事を第一に考えるような俗物で埋め尽くされていた。


 教国の由来を辿れば、貧困や圧政に苦しんでいた人々が心の拠り所としていた教会が、小さな村の自治独立を勝ち取った時代にまで遡る。

 そこから早幾星霜。大国の一角にまで成長した教国は上辺こそ清貧を旨とする当時の教えを守っているように見せかけていたが、その内情は宗教家の皮をかぶった魑魅魍魎共の相争う場と言っても過言ではない。

 いや、下手に権力争いを見せない分だけ、他国よりも一際ドロドロしているとさえ言えるだろう。


「生まれ故郷の村が疫病で滅び、すぐさま救済に動くべき治療師団がくだらん権力争いの道具にされて解体の憂き目にあっていたと知った時、妾は決めたのじゃ。絶対に導女となり、連中を一掃すると。だからこそ奴らに後ろ盾を頼まず、巡りの月の儀に全てを賭けることに決めたのじゃ。そんな事は、おぬしとて承知の筈じゃろう」

「仰る通りでございます。しかし、その賭けは負けたのです。霊器を買い取れる見込みは爪の先程も無いではありませんか。それでも諦めないお嬢様を見ていると、わたくしにはお嬢様が破滅の炎にみすみす身を投じようとしているように思えてなりません」


 カノンの反駁に、ミリアは目が覚めたように瞬きをした。

 そんな風に見えていたとは思いもよらなかったという表情である。

 それだけ周囲を顧みる余裕が無かったことに、今更ながら気付かされたのだ。


「そうか、そんな風に……済まぬな、心配をかけたようじゃ」

「お嬢様、それでは……?」

「いや、諦めはせぬ」


 言葉にならなかったカノンの問い掛けを、ミリアは毅然とした面持ちで却下する。

 くしゃりと顔を歪める従者の頬を、ミリアは優しく撫でさすった。


「心配するでない。まだ全ての可能性が潰えたわけではないのじゃ。金策は確かに難しかろうが、トンロウが納得する品が見つかる可能性は決して皆無ではない。それに武術祭優勝の副賞として照霊鏡が贈呈されるのであれば、優勝者と交渉するという手もある。そう悲観したものではないぞ」

「…………承知致しました。差し出がましい事を言って申し訳ございませんでした、お嬢様」


 完全に納得したわけではないのだろうが、少なくともミリアが破れかぶれになっているという疑念は晴らせたらしい。

 最後にもう一度ぽんぽんと撫でると、ミリアはカノンを従えて歩き出す。


 その姿は一見すれば自信に満ち溢れているが、胸中では際限なく膨らむ不安がミリアを押し潰そうとしていた。

 カノンを安心させるために成算があるような事を言ってみせたものの、このままでは照霊鏡を入手できる目途は立たない。

 従者には気付かれぬよう気を配りながらも、ミリアの額には隠しようのない焦燥が浮かび始めていた。

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