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三者三様2

「うーん……どうにも引っ掛かるわね……」

「何が引っ掛かるのじゃ、リンカよ」


 翌朝、入り組んだ路地裏を通り抜けながらリンカが漏らした呟きはごく小さなものだったが、神経を張り巡らせていたミリアは耳聡くそれを聞きつけた。

 少しでも不審な点があるならば把握しておきたいと尋ねるミリアに対し、リンカは歯切れの悪い調子で、


「クロードさんを襲った武装組織の目的が、どうにも腑に落ちなくてね」

「腑に落ちない、とな?」


 クロードの説明に至らぬ点があっただろうかとミリアが首をかしげると、リンカは首を横に振って「そうじゃないわ」と補足を入れた。

 ミリア達を先導しつつ、リンカは己の思考を組み立てていく。


「私が気にしているのは、どうしてその武装組織がクロードさんを襲ったのか、という点よ」

「それは勿論、霊器――照霊鏡を奪うためではないのですか?」


 何を当然の事をとでも言いたげな雰囲気で、ミリアの後ろに付き従っていたカノンがおずおずと意見を述べた。

 だがしかし、リンカは即座に否定する。


「照霊鏡を奪ったのは目的ではなく手段よ。私が気にしているのは目的の方。照霊鏡を奪うことでその連中は何を得るのか、という点がどうしても収束しないのよ」

「ただの物盗りではないというのか?」


 単純に考えれば、盗賊辺りが大金の動く取引の話を聞きつけ、横から掻っ攫おうと企んだという構図が真っ先に思い浮かぶ。

 当然、ミリアもそうだと思い込んでいた。だが、リンカはそこに疑問という名のメスを入れたのである。


「確証は無いわ。でも、クロードさんはミリアの目から見て、そんな初歩的なミスを犯す人なのかしら。大事な物を入手した後、その保管方法に気が回らないような迂闊な人だと?」


 そう問われると返答に詰まる。

 言葉尻だけを捉えるのであればクロードを派遣したミリアを責めているようにも聞こえるが、その声には責任追及だけを求めるような低俗な響きは無い。ただ純粋に、己の思考に没頭しているだけなのだ。


 暫しの沈黙の後、ミリアが選んだ回答は否定であった。


「いや、クロードがその程度の差配もできぬとは、とてもではないが想像できん。交渉も含め、あやつはあらかじめ入念な準備をする傾向がある。照霊鏡の保管に不手際があったとは考えにくいのじゃ」

「そうでしょうね、私も同意見よ。でも、クロードさんのそういった行動すら相手の計画通りだったと仮定すれば、どうかしら」


 リンカが何を言わんとしているのか。即座に理解できなかったカノンは首をかしげ、理解できた――理解できてしまったミリアは血相を変え、思わず上げてしまいそうになった叫び声を抑えるのに並々ならぬ精神力を必要とした。


 リンカの仮定が正しければ、クロードが照霊鏡を入手したことやその保管方法も、全て筒抜けだったということになる。押し込み強盗風情がそこまで入念な事前調査をしているとは考えにくく、それはつまり照霊鏡の強奪は偶発的な事件ではなく、綿密に練られた計画だったということを意味していた。


 そこまで考えが至れば、最初にリンカが気にしていた相手の目的にも疑念が及ぶ。

 敵の狙いが単に照霊鏡を手に入れることではなく、クロード、つまりはミリアの手の者が入手した照霊鏡を強奪することにあったとすれば――その本当の目的は、ミリアが成そうとしている巡りの月の儀式の妨害にあると考えるのは、ごく自然な結論である。


 そして、この想像が成立する最も単純で可能性の高いパターン。それこそが他の導女候補による妨害工作に他ならない。盤面を一気にひっくり返そうとするミリアの狙いを察知し、強引な手段で潰しに掛かって来たのだ。


「まあ、これはあくまで仮説に仮説を重ねた推測の話よ。確定させるにはまだ情報が足りなさ過ぎるわ」

「……かもしれぬが、心構えはしておいて損は無いじゃろうて」

「心構えだけならね。迂闊に想像に囚われて相手の姿を見誤ると、足元を掬われるわよ」

「忠告、しかと心に刻むとしよう。ところで、目的の情報屋とやらにはまだ着かぬのか?」


 この話は一旦ここまでと、ミリアが言外に告げる。

 その意を正しく汲み取り、リンカは朗らかに、


「いいえ、ちょうど着いたところよ。二名様、南都の闇へご案内、といったところかしら」


 楽しそうに言い放つと、路地の突き当りに佇む年季の入った扉を押し開けた。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 扉の奥は、想像とは違って快適な空間だった。

 ここに来るまでに通り抜けてきた路地裏の様子からして、てっきりすえた臭いや廃墟同然のボロボロの内装が出迎えるものと身構えていたミリアとしては、いささか拍子抜けですらある。


 チリ一つ残さず掃き清められた室内にうっすらと浮かぶ行灯の明かり。壁にはセンスの良い美術品が控えめに飾られ、主張こそしないものの落ち着いた雰囲気を醸し出すのに一役買っている。

 導線に沿って敷かれた絨毯など、気を抜けば足首まで埋もれてしまいそうなほどフカフカだ。


 そんな内心が顔に出てしまっていたのか、案内されるままに奥まった個室に入った途端、そこで待ち構えた狐目の男は出合い頭にこう言った。


「てっきり汚いごみ溜めを想像されていたのでしょうが、ご期待に沿えず申し訳ありませんね」

「あっ、いや、そのような事は……」


 開口一番の先制パンチに珍しく狼狽えていると、隣から押し殺した忍び笑いが聞こえる。

 ちらりと横目で見やれば、口元を抑えたリンカが懸命に笑い声を噛み殺していた。いや、リンカだけではない。ふと気付けば狐目の男もしてやったりといった笑みを浮かべているではないか。

 どうやら相手の思惑に見事嵌められたらしい。


「失礼致しました。初対面の方に和んでいただくための鉄板ジョークというやつでして、気を悪くされたのでしたら謝罪させて頂きます」

「いや、こちらこそ不作法だったようじゃ。妾はミリアという者じゃ。今日はこちらのリンカに紹介してもらい、情報屋としての貴殿の力を借りたく罷り越した次第じゃ」


 一瞬でいつもの調子を取り戻し、堂々たる態度で名乗る。

 その立て直しの早さに狐目の男は僅かに目を細めるが、すぐにその反応も柔和な笑顔の下にしまい込み、人懐っこい声音で挨拶に応じる。


「これはどうもご丁寧に。わたくしはキツネと名乗らせて頂いております。しがない情報屋風情ですが、ご贔屓頂ければ幸いですよ」

「そちらは相変わらずのようね、キツネ」

「お陰様で。今はリンカ様とお呼びすればよろしいので?」

「ええ、しばらくはこの名前を使うつもりよ」


 旧知の間柄らしく簡単なやり取りを済ませると、リンカは早速切り出した。


「時間が惜しいから単刀直入に行かせてもらうわ。キツネ、あなたなら照霊鏡が奪われた件について何か掴んでいるんじゃない?」

「これは随分と高く買われたもので……そうですね、前で三、後ろで五といったところで如何でしょう?」

「相手の足元を見る目の確かさは健在みたいね。前二、後ろ四」

「こちらもこれで命を繋いでいますからね。必死で身に着けた技術はそうそう錆びませんとも。前二、後ろ五、アフターサービスもお付けしますよ」

「それで手を打つわ。ひとまず前分よ、確認して頂戴」


 そう言うなりどこから取り出したのか、琥珀を三粒キツネの前に並べる。

 キツネは手持ちの拡大鏡で一通り確認すると、満足げに頷いた。


「結構です。さすがにリンカ様の用意する品は質が良い」

「お世辞は結構よ。代金を払ったのだから、次は商品の番でしょ」


 眉一つ動かさずにリンカが要求すれば、それなりに付き合いの長いキツネにはそれを察せられたらしく、僅かに居住まいを正した。


「ふむふむ、本当にお忙しい様だ。ではこちらも合わせましょう。まず照霊鏡を奪った犯人ですが、とある組織の手の者です。主に脅迫や殺しを生業とする、このホウチンで最も大きい無法の輩共ですよ。組織の大きさに比例して手の数も多いのですが、照霊鏡の奪取に動いた者達はそれ以来ホウチンの街中では目撃されておりません」

「それは高跳びをしたという意味じゃろうか!?」


 慌ててミリアが確認すると、キツネはゆっくりと首を振った。


「姿を見かけなくなったという意味では同様ですが、街の外に出たという情報は入っておりません。ただ、消えたのです」


 あまりに不穏なキツネの言に、ミリアは思わず息を呑む。

 一方、リンカは冷徹な視線で先を促した。


「それで、照霊鏡の所在は掴めているのかしら。強奪した組織が確保して、その後は?」

「さすがリンカ様、目の付け所が良い。ええ、仰る通り彼等が既に手放している可能性もございます。ここから先は確たる情報ではございませんが、彼等と取引の多い故買屋には伝手がありますので、紹介状を書かせて頂きましょう」

「助かるのじゃ、礼を言う」


 ミリアの感謝の言葉を受け、しかしキツネは変わらぬ笑顔でそれに応じる。


「なに、こちらは仕事として知り集めた情報を売り買いしているに過ぎませんよ。それを生かすも殺すもあなた様方次第。折角お買い上げいただいた情報を活用されることを、お祈り申し上げます」


 最後まで丁寧な所作と張り付けたような笑顔を崩すことなく、キツネは慇懃に頭を下げた。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 キツネの情報屋を辞去してから半刻余り後、リンカ達の姿は雑然とした故買屋の店内にあった。

 紹介状を見せた途端、胡散臭い物を見るようだった視線を百八十度転換させ、故買屋の親父はリンカ達を店舗奥のスペースへと招き入れたのである。


 ツルツルに剃り上げたスキンヘッドを惜しげもなくさらし、筋肉でパツパツな四十絡みの男が真新しいエプロンを着けるという、圧倒的な視覚的暴力への耐性を要求してきた親父は、腕組みをしながら口火を切った。


「キツネさんの紹介とあっちゃあ無下にはできねえ。本来は取引に関する話はご法度なんだが、今回だけ特別だ。何が聞きたいんだ?」

「ここ最近、珍しい鏡を扱った事があるんじゃない? その鏡について、ね」


 こちらでは照霊鏡とは言わず、持って回ったような言い方をするリンカ。その要求に、親父は申し訳なさそうに眉を下げた。


「嬢ちゃん、よく調べてきたみたいだが、あの鏡の出所については教えられねえ。いくらキツネさんに紹介されたあんた達でも……いや、キツネさんに紹介されたあんた達だからこそ、関わらせるわけにはいかねえんだ」

「気にする必要は無いわ。もうこれ以上ないほどどっぷりと関わっているのだから。それに出所の情報はすでに掴んでいるから不要よ。私達が知りたいのは、あの鏡がまだこの店にあるかどうかだけ」


 澄ました顔で告げるリンカを、親父は目を丸くして覗き込む。次いで、霊紋に負けず劣らずの輝きを放つ頭部をピシャリと叩くと、野太い声で笑い飛ばした。


「ガハハハッ、こいつは一本取られたぜ。まさかあんたみたいな別嬪さんが、俺よか向こう側に染まってるとはな。いやあ、世の中ってやつはこれだから恐ろしいし面白いってもんだ」

「面白いって点には賛同するわ。でも、私は恐ろしくはないからね?」


 茶目っ気を含んだ声音で念押しするように言うと、親父は笑いを収め、真面目な面持ちで頷く。

 そして、店の中にいるというのに盗聴を恐れているかのように声を潜めた。


「あの鏡だが、悪いがもう店には無いんだ。ついこの間、目ん玉が飛び出るような値で買い上げていった人がいてな」


 親父の言葉にミリアとカノンは落胆を隠せず肩を落とす。あと一歩のところで掌から零れ落ちていく感覚は、この類の捜索に慣れていない者にとっては精神的な疲労を喚起して仕方が無い。

 しかし、粘り強い追跡こそが肝要だと身に染みて知っているリンカは、獲物の匂いを捉えた猟犬のような心持ちで更に喰らい付いた。


「そのお大尽の名前を教えてもらえるかしら。直接交渉してみるわ」

「……教えてもいいんだが」

「あなたから聞いたとは決してバラさないから安心して頂戴。この手の仕事は信用が第一だってことくらい、嫌という程承知しているもの」


 打てば響くような小気味よい押しの一言に、親父は僅かに瞑目し、覚悟を決めた表情で頷いた。


「分かった。キツネさんが信じたあんた達を信じようじゃないか。あの鏡を買って行ったのは――」


 告げられた名を聞いてミリアとカノンが沸き立つ中、リンカは決意を新たにしていた。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「リンカよ、礼を言うのじゃ。そなたのお陰で希望が見えてきたのじゃ」


 故買屋を後にした一行が南都の雑踏に紛れて移動している途中、唐突にミリアが感謝の言葉を零した。

 着実に照霊鏡に近づいているという実感がそうさせるのだろう。暗く重苦しかった足取りも弾むようなそれに変わっている。


 無論、まだ照霊鏡そのものに辿り着いたわけではない。

 それでも、昨晩クロードの報告を聞いた時点では絶望的とすら感じられた探索行が、わずか一日で目標の尻尾が掴めそうなところまで行きついたのである。多少浮かれてしまっても無理はないだろう。


 しかし、そんな浮かれっぷりに冷水を浴びせるように、リンカは足を止めると芯の通った口調でぴしゃりと告げた。


「ミリア、ここから先はあなた達だけで追って頂戴」


 一瞬、何を言われたのか理解ができず、一拍置いてようやく意味を飲み込んだミリアは、驚愕で目を見開いた。


「な、何故じゃ!? あと一歩というところまで来て、なぜそのような事を……!」

「あと一歩だからよ」


 リンカの回答は簡潔過ぎるほどに短い。そして短すぎるがゆえに、その続きに耳を済ませようと、ミリアは混乱する思考を押し殺すことが出来た。


「クロードさんを襲った連中の目的が想像通りならば、この一件、単に照霊鏡を見つけて丸く収まるとは思えないわ。目標の在処を掴んだ今だからこそ、先を見据えて動くべきだと思わない?」

「……確かに、言われてみればその通りじゃ。どうやら気が逸ってしまっておったようじゃな」


 冷静さを取り戻したミリアの同意に、リンカは楽しげに頷く。

 普段、カイエンと一緒では走ってから穴を塞ぐ対処が多く、今回は先を読んで手を打っていく感触を久方ぶりに堪能できているためだ。


「じゃが、先を見据えると言ってもどうするつもりじゃ? 具体的な策でもあるのか?」

「それはこれから考えるわ。ひとまず、照霊鏡を奪った連中について探ってみるつもりよ。黒幕に迫るなら、それが一番手っ取り早いはずだから」

「分かった。ならば役割分担というわけじゃな。妾達はこのまま照霊鏡を追いかける。リンカよ、そなたは見えざる敵の姿を炙り出し、逆襲の手筈を整えてもらいたい」


 雇い主である幼女の要請に、リンカは嗜虐的な笑みと共に首肯した。

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