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三者三様1

 朝、カイエンは固い地面の感触で目を覚ました。草や土の上ではなく、岩の上で寝てしまった時の寝心地を思い返しながらむくりと起き上がる。

 そこは殺風景と表現するのが適切な小部屋だった。


 床や壁、天井に至るまで全面が剥き出しの石を積み重ねて作られている。潤いの気配がまるで感じられない光景は、窮屈さを感じさせる部屋の大きさとも相まって、中の者に締め付けるような心理的負担を与えるはずだ。

 換気と採光を兼ねた小窓こそあるが、人間の頭ですら通り抜けられないくらいの、小さい上に頑丈そうな鉄の棒で覆われており、部屋の内装としてはいささかセンスに欠ける。


 極め付けは小窓と反対側に位置した壁が壁ではなく、一面が鉄棒で編まれた網目状になっていることだろう。

 風通しを重視しているのは理解できるが、さすがにこれでは隙間風の心配をしたくなるというものだ。


 そんな風に小部屋を観察していると、カツンカツンという足音が反響して耳に届いてくる。

 他に興味深いものも見当たらないため消去法的にそちらへ向き直れば、お盆を抱えた一般追捕使の制服を着た男が姿を見せたところであった。


「目を覚ましていたのか。起こす手間が省けたな。朝食を持って来てやったぞ」


 そう言うと、追捕使は鉄棒の壁の一部を器用に開け、抱えていたお盆を部屋の中へと押し込んでくる。

 お盆の上にはカチカチに焼き固められたパンと、切れ端のような食材を十把一絡げにぶち込んだらしきスープが乗っていた。スープはとっくに冷えてしまっているらしく、湯気一筋たりとて昇っていない。


「おー、朝飯か。あんがとな」


 舌の肥えた者ならばこんなもの食えるかとお盆をひっくり返しているであろうメニューだが、粗食に強い……というよりも頓着しないカイエンからすれば、食べ物が用意されているだけで十分にありがたい。


 さっそく礼を言うと食事に手を伸ばす。

 ムシャムシャ、ズルズル、ゴクン

 所要時間十秒足らずで朝食を片付けたカイエンは、空の食器とお盆を追捕使の方へ押し戻すと、早速とばかりに要求した。


「おかわり」

「あるか馬鹿」


 脊髄反射の速度で返される一言。きっぱりと却下された途端、これまでの泰然自若とした様子から一変しての絶望したような雰囲気に、追捕使は半眼でカイエンに問い掛けた。


「はあ……おまえ、ここを宿屋か何かと勘違いしているだろ?」

「え、違うのか?」


 きょとんとした眼差しである。自分の置かれた立場をこれっぽっちも理解していない少年に、追捕使は溜息を吐くと噛んで含めるように言い聞かせた。


「いいか、お前は昨晩、市中での乱闘騒ぎに関わった咎でサンチュウ隊長に捕縛されたんだ。ここは隊舎の地下にある牢屋でお前は囚人。どうだ、理解できたか?」

「いや、全然。そもそもサンチュウって誰だ?」

「うちの隊長だよ。南都追捕使のサンチュウ隊長。昨日、お前を捕まえた蔓があっただろ。あれがサンチュウ隊長の技だ」


 そこまで言われればさすがに思い出す。

 巨漢との戦いの最中、突如として割り込んで来た植物を操る霊紋持ちの攻撃により、カイエンは捕まってしまったのだった。

 軽々とそれを成してみせた一見凡庸な男の姿が脳裏に浮かび、カイエンはぶるりと身を震わせた。


「あの眠そうにしてた霊紋持ちか。多分、樹霊を宿してるんだよな」

「さあな。霊紋持ちじゃない自分にはてんで見当が付かないし、仮に知っていてもお前に教えてやる必要もない」


 愛想の欠片も無い追捕使の返事であったが、それもそうかとカイエンは納得した。霊紋持ちにとって、どんな精霊を宿しているかは時に生死にも関わる情報である。秘匿しようとしていても不思議ではない。


「まあ、大体理解できたよ。ところで、そろそろ武術祭の予選に行きたいんだ。この部屋、どこから出ればいいんだ?」

「絶対に理解してないだろ、お前。皇国中探したって、そんなにあっさり囚人を出してやる牢屋があってたまるか」

「じゃあ、どうしたら出れるんだ?」


 無邪気なカイエンの問いに、追捕使はざっと規定を思い返す。

 カイエンに掛けられている容疑は、市中での私闘およびそれに伴う器物の損壊だ。私闘の方は一晩豚箱にぶち込んだので大目に見るとして、もう一件は被害額から換算してざっと――


「まあ、今この場で五万カン支払えるなら、保釈金としては妥当ってところじゃないかね」

「金か? 金なら無いぞ」


 カイエンは胸を張って堂々と言い切る。いっそ清々しい程の言い切りっぷりであったが、追捕使の男は職務に忠実であった。


「払えないんじゃ釈放するわけにはいかないな。少なくとも丸一日、場合によって一週間はそこから出られないものと思っておけ。聴取もあるし、あれだけの大事となると実地での見分も必要だ」

「一週間!! 一週間もずっとこの部屋に閉じ込められてろってのか!?」


 想像だにしていなかった拘束期間の長さにカイエンが声を裏返らせた、その時である。


「賑やかで楽しそうじゃないか、結構結構。ふわぁぁ」


 どこかとぼけた雰囲気を伴った男が、欠伸を噛み殺しながら物陰からガサゴソと這い出してきた。

 白髪の混ざり始めた四十前と思われる相貌にだらしなく着崩した制服。一見すればただのダサいおっさんであるが、その見た目で侮る者はこの場にはいない。


 南都追捕使隊長サンチュウ。

 ホウチンにおける追捕使の最高戦力は、言い争うカイエンと追捕使を眺めると、おまけにもう一つ欠伸をしてみせた。


「あー、元気なのは結構なんだけどね。もうちょっと静かにしてもらえないかなー。ほら、ここって声が反響するから、寝ていると耳にキンキン響いちゃって」

「サンチュウ隊長、またサボリですか?」

「サボリじゃないよ、休憩だよ。ここってヒンヤリしていて涼しいから、休むのにもってこいなんだよね。おかげでついウトウトと……」


 口を滑らせかけたところで己に注がれるジト目に気付き、こほんと咳払いをする。

 明らかに誤魔化せた雰囲気ではないため、サンチュウは少し慌てた口調で会話に混ざって来た。


「それでどういった事情なのかな? 保釈金がどうのと言っていたみたいだけど」

「なあ、あんた偉い奴なんだろ? だったらここから出してくれ」


 被せるようにカイエンが頼むと、サンチュウはうーんと唸って顎の下をコリコリと掻いた。


「君は確か、昨日屋台通りで暴れていた子だよね。さすがに現行犯逮捕した人間を、昨日の今日で何の保証も無しに解放してあげるわけにはいかないかなあ。お金が無いっていうなら、誰か身元を保証してくれる人でも良いけど……いる?」

「それって誰でも良いのか?」

「さすがに見ず知らずの人は駄目かな。それから、ある程度以上の社会的な信用がある人じゃないとね」


 社会的な信用。正確な意味までは理解できないが、胡散臭さでは並ぶ者が無いリンカにその資格が無い事だけは直感的に推測がつく。

 それどころか居所も分からない以上、今この場で当てにすることはできないだろう。

 他に心当たりが思いつかず、カイエンが黙り込んでしまうと、サンチュウは欠伸を噛み殺して話を打ち切りにかかった。


「まあ、そんなわけだからもう少し我慢してくれないかな。ちょっと寒いかもだけどここだって慣れれば結構居心地がいいし、しばらく休暇だと思ってみるとか」

「……分かった」


 随分と雑なサンチュウの説得に、カイエンは覚悟を決めた様子で頷いた。

 まさか受け入れてもらえるとは思ってもおらず、ぱちくりと目を瞬かせるサンチュウに向かってカイエンは告げる。


「分かったよ。あんた達が出してくれないってんなら、力尽くでも出ていくことにする」

「……あー、やっぱり分かってなかったね、これ」


 どこか他人事のような調子で呟くサンチュウに背を向け、カイエンは小窓の付いた壁に向き直った。他の壁の先はどうなっているか分からないが、陽光が差し込んできているこの壁だけは間違いなく外に通じているはずだからだ。


 僅かに重心を落とすと右手を腰に引き付け、霊紋の力を解放する。

 その途端、カイエンの全身から放たれる淡い輝きが牢屋中に満ち溢れ、辺りを柔らかく包み込んだ。

 もはや疑うまでもない。カイエンはこの壁をぶち壊し、外へと脱出するつもりなのだ。


「お、お前っ、何をする気だ! おいっ、聞いているのか!?」

「こりゃあ破られるなあ。こんなに力強い霊紋の輝きは久しぶりに見るよ。多分、第二階梯に片足突っ込んでいるんじゃないかな」

「隊長、何を呑気に論評しているんですか。止めさせてくださいよ!?」


 悲鳴のような部下の訴えに、サンチュウはそこはかとなく面倒くさそうに口先を尖らせかけたが、


「隊長がサボって囚人の脱走を見逃したって、副隊長にチクりますよ」

「あ、待った待った。うん、真面目にやるからさ、それだけは勘弁して欲しいかな」


 あっさりと折れる。

 南都追捕使の副隊長は上司であるサンチュウの秘書的な役割も兼ねており、サンチュウの頭が上がらない人間の一人だ。

 慌てて態度を豹変させたサンチュウは、懐から小指の爪先ほどの大きさの植物の種を取り出すと、カイエンの背中に狙いを定めた。


 一方のカイエンは、背後のやり取りなどまるで気にも留めず、大きく一歩踏み込むと、足、腰、肩と連動させた一撃を叩き付け――るその直前、不意に降ってきた鳴き声に動きを止めた。


「がうぅ、わうっ、わふっ!」

「およ? もしかしてヘイか?」

「わおんっ!!」


 喜びの色を滲ませた肯定の鳴き声が視界の通らぬ壁の向こうから返される。カイエンは目元を緩めると、小窓に向かって声を張り上げた。


「今からその壁を壊してそっちに出ていくぞ。危ないから下がってろ」

「わんっ、わわんっ!」

「ん、ちょっと待てって? へ、手を出せってこうすりゃいいのか?」


 ヘイからのテレパシーによる指示に従い、カイエンは両手を揃えると器のように上へと向けた。

 その掌中にぽとりと何かが落ちてくる。

 小窓の檻の向こう側から投げ込まれたそれは、丸みを帯びた金属製の板で、表面には文字らしきものが彫り込まれていた。


「これ、どこかで見たことがあるような……」

「わふ、わふっ!」

「ああ、分かった。こいつを見せれば良いんだな」


 果たして如何なるやり取りがあったのか、カイエンはたった今受け取った金属片を、今度はサンチュウに向かって投げて寄越した。

 カイエンが拳を収めた時点で種を懐に戻していたサンチュウは、檻の隙間から投げ渡されたそれを器用にキャッチする。

 そこに彫られた文字を読み解くと、呆れたように肺の底から息を吐き出した。


「ははあ、ここでこう来るのか。さすがに想像の埒外ってやつだな、これは……少年、君の名前は何というんだっけか」

「俺か? カイエンだ。九鬼顕獄拳のカイエン」

「そうかそうか、カイエンか。それじゃあカイエン、君は釈放だ」

「サンチュウ隊長!?」


 あまりにも唐突な決定に、今度は追捕使の男が声を裏返らせた。

 普段の勤務態度こそゆるゆるだが、締めるべきところは締める人物だと思っていた。それがまさか金属片一つであっさりと決定を覆すとは。一体、何が彼にそうさせたというのか。


 そんな疑問を込めた眼差しを受け、サンチュウは部下に金属片を手渡すと、これ見よがしに肩をすくめて見せた。


「これ以上ない身元保証人が名乗り出てきたんだ。さすがにこいつは無視できないでしょうよ」


 そう言われて金属片の文字に目を通し、追捕使の男は驚愕した。


「東都追捕使隊長ガクシンの名に於いて、九鬼顕獄拳カイエンの東都への貢献を認定する……って、本物ですか、これ!」

「あいつの字には見覚えがある。嘘や冗談でこの手の勲章を出す奴じゃないよ。東都の印章も間違いなく本物だしね」

「そういえば、隊長は東都のガクシン隊長とお知り合いなんでしたっけ」

「昔、ちょっとした縁があってなぁ。まさかこんな形で名前を聞くとは思ってなかったけど」


 そう嘯くサンチュウの口元に浮かぶのは紛れもない微笑である。

 一度決定が下れば後は早い。すぐに牢の鍵は開けられ、カイエンはあれよあれよという間に隊舎の外へと連れ出され、ヘイと合流を果たす。


「わん!」

「さんきゅー、ヘイ。助かったぜ。まさか俺も忘れてた勲章を引っ張り出してくるなんて、おまえ、凄い奴だな」

「わふん」


 自慢げに胸を張るヘイ。

 昨晩、宴会場から走り去ったカイエンを追っていたヘイは、ちょうどカイエンが追捕使に捕縛される場面に遭遇していた。


 どうしたものかと知恵を絞った結果、以前カイエンが荷物を整理していた際、東都で追捕使の偉い奴から貰ったという勲章を見せてもらったことを思い出したのである。

 何かの役に立つかと思い、宿に置いてあった荷物から勲章を抜き取って持ってきたのだが、どうやらその判断は大正解だったようだ。


 二人が再会を喜び合っていると、驚きのあまりすっかり眠気の飛んでしまった様子のサンチュウが朗らかに声を掛けてきた。


「釈放ではあるんだけど、昨晩の騒ぎの詳細について、当事者である君から事情を聞かせて欲しいんだ。そんなわけで、後で時間を取ってもらえるとありがたいんだけどなー」

「ああ、別に構わないぞ。武術祭の他には、特に用事も無いしな」

「なるほど。じゃあ、予選が終わった頃合いを見計らって伺うとさせてもらうかね。おっと、引き止めて悪かった。武術祭の予選に出るならば急いだ方がいいぞ。もうそろそろ開始の時刻のはずだ」


 隊舎の時計で時刻を確認しながらサンチュウは言う。

 カイエンは大きく頷くと、ヘイを連れて嵐のような勢いで駆け去って行った。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 その日、上位入賞確実と見られていた選手を含む六人の武術家を、遅刻寸前で滑り込んできた無名の拳法家が文字通り秒殺してのけ、九鬼顕獄拳カイエンの名はたちまち南都中を駆け巡ることとなったのだった。

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