波乱含みの試合前日1
とっぷりと日が暮れた南都の大通りは、少し前までの人出が嘘のように静まり返っていた。
農業都市である南都は住民のライフサイクルに合わせてか、未明から早朝にかけての朝市が最も賑わいを見せる。その反面、日が落ちるとすぐに寝床に入るという者も多く、皇国の他の大都市と比べると繁華街のような行楽施設の数が少ないと言われていた。
そんな人気の無い閑散とした大通りを、ぼんやりとした灯りがゆらゆらと進んでいる。
灯りの正体はリンカの提げたランタンだ。
夜目のきく方だという自覚のあるリンカではあるが、連れの方はそうもいかないために照明を点けているのである。
そして連れであるところのミリアとカノンは、ランタン程度の明るさではまだ足元が不安らしく、おっかなびっくりとリンカの後を歩いていた。
「のうリンカよ、本当にカイエン達は放っておいても構わぬのか?」
しんとした静けさに耐えきれなくなったのか、不意にミリアがそんな事を尋ねてくる。
カイエンとヘイははぐれたものと断定した後、すぐに宿に向かって移動を開始したリンカの落ち着き具合に、よほどの違和感を覚えたらしい。
確かに同行者が姿を消したとなれば、普通ならばもう少し取り乱すなり身を案じるなりするのだろうから、この件に関してはミリアの感覚の方が正常である。
そんな分析を胸の内で展開しながら、リンカはくすりと苦笑を零した。
この分析では、まるでリンカ自身が正常ではないかのように感じられたからだ。
「大丈夫よ。カイエン君はてんで常識が無くて突拍子もない事を仕出かすけど腕っぷしだけは折り紙付きだし、ヘイ君の可愛さはとどまるところを知らないから」
「……まったく大丈夫な要素が無いのは気のせいか?」
思わずといった風に紡がれたミリアの質問に、足を止めて考えること暫し、リンカは素っ気ない口調で同意する。
「まあ、そうね。ヘイ君の愛らしさに目が眩んだ人が、良からぬ事を企まないとも限らないわ。カイエン君に至っては、歩いているだけでトラブルを引き寄せる騒動吸着体質だし」
「前者はともかく、後者はかなり問題ですよね……」
おずおずと口を挟んでくるカノン。交渉はミリアの役目と割り切っているらしい彼女にツッコミを入れさせるほど、リンカの言葉に不安を掻き立てられたらしい。
だが、その思いはリンカには欠片ほども届いていなかった。
「何を言っているのよ、カイエン君なんかよりヘイ君の方が大事に決まっているじゃない。もしもヘイ君に傷一つでもつける奴がいたら、私は持てる限りの伝手とありとあらゆる手段を持って、そいつに地獄を見せてやると心に決めているわ」
拳を握って力強く宣言する。
リンカに向けられる眼差しが残念な生き物を見るそれに変化しつつあったが、気にした様子もなく付け加える。
「それにカイエン君の場合は、騒ぎを起こしてくれた方が好都合というものよ。何しろ、わざわざこちらから探す手間が省けるんだから。まあ、あのカイエン君に大人しく周りの空気を読むなんて出来っこないし、二、三日も放置しておけば南都中で噂になっているわよ、きっと」
「自信満々過ぎて逆に嫌な信頼じゃのう」
正気を疑いたくなる発言だが、掛け値なしの本音であるからこそ性質が悪い。ミリアもつい呆れた声を出してしまうというものだ。
だが、どんなに言葉を尽くしたところで、カイエンと付き合いの薄い相手に彼の人間性を理解させるのは至難の業だろう。
リンカもそれ以上は無駄な問答になると判断したのか、ひょいと肩をすくめて見せると再び歩き出す。
やがて辿り着いたのは、大通りから一本奥に入った所にひっそりと佇む、大きめの民家のような落ち着いた雰囲気の建物だった。
「ここでいいのかしら? 一応、言われた通りの道順ではあったけど」
「ああ、間違いない、ここじゃ。この宿で待ち合わせておる」
ひっそりと提げられた看板を確認し、力強い口調で頷きを返すと、ミリアは宿の扉を緊張した面持ちでノックした。
ギィ、という音と共に僅かに扉が開かれ、中から不愛想な女中が顔を覗かせる。
ミリアが二言三言伝えると、話はすでに通っているらしく、女中は一行を中に招き入れた。
「こちらでお待ちください。すぐにお呼びして参ります」
簡素な机と椅子が並べられた一画に三人を案内すると、女中はそそくさと引っ込んでしまった。一応、待ち合わせの相手を呼んで来てくれるらしい。
その言葉通り、さほど待つこともなく宿の奥から一人の男が足早にやって来た。
「お嬢様、よくぞいらっしゃいました。重大なご報告が――」
片腕を包帯で吊ったその男は焦燥感を顔に張り付けており、椅子に座るよりも早く勢い込んで話し始めようとしたが、そこで初めて同席しているリンカの存在に気付いて眉をひそめた。
「何者だ、貴様?」
「その質問をする時は、自分から名乗るのが礼儀というものじゃない? それとも教国では、そんな常識も教えてくれないのかしら」
リンカの返答で、男の表情に怒りと驚きが等量浮かび上がる。
怒りは挑発めいたその物言いから喚起されたもので、驚きは教国の関係者であると見破られたためのものだ。
即座に警戒の色を滲ませる男と、すまし顔でこれ見よがしに足など組み替えてみせるリンカの間にピリピリとした緊張が流れる。
だが、衝突に発展するよりも先に、その間に割り込む者があった。
「双方とも控えよ。余計な諍いなどしておる暇は無い筈じゃ」
割り込んで来たはミリアである。威厳のある口調で矛を収めるように促す。
男は納得できない様子ではあるが不満を飲み込んで一歩下がり、リンカも興味を失ったように視線を外した。
「話の前に紹介が必要そうじゃな。こちらはクロード、妾に先立って南都へ入り、交渉を進めておった者じゃ。クロード、この者はリンカという。色々と事情はあるが……現状は味方と思ってよい」
煮え切らない紹介のせいでクロードの視線にますます不審の比重が増すが、リンカはどこ吹く風とばかりにとびきりの――而して作り物と一目で分かる笑顔で会釈してみせる。
「主の顔を立てて引き下がったところは合格点かしら。でも、ちょっと揶揄われた程度で敵意を持って反応したり、第三者がいる事にも気付かずに報告を始めようとするなんて、潜入工作員失格とされても文句は言えないわよ」
「ぬ……」
冷静さを取り戻せばその自覚はあるらしく、今度は突っかかることなく短く唸るのみに留める。
リンカもその対応にはひとまず満足したのか、視線でミリアに先を促した。
ミリアはやれやれとでも言いたげな溜息を吐き出すと、皆に着席するように告げ、次いで鋭い気配をクロードに向ける。
齢十歳の少女のものとは思えないその圧力に、クロードは背骨に鉄の棒を通されたように背筋を伸ばした。
「クロードよ、重大な報告があると言っておったな。それは良いものか、悪いものか、いずれじゃ?」
「は……」
問われるも即答はしない、いや、できない。躊躇うような空気と僅かにリンカの様子を窺う視線が、その心中を百の言葉より雄弁に表していた。
「構わぬ。下手に隠そうとするより、全てを語って詳らかにした方が良いじゃろう。リンカは、誠意には誠意を返す者じゃと妾は見ておる」
「あら、正面からそう言われると照れるわね。さすがの人心掌握術といったところかしら」
リンカの軽口はさらりと聞き流し、目線で先を促せば、クロードは意を決したように語り始めた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
クロードが南都に到着したのは、今から三カ月ほど前の事だった。
旅の行商人を装って潜入した彼の目的は、あらかじめある物品を入手しておき、後から来る手筈のミリアにそれを引き渡すためである。
無論、それほどの手間を掛けて入手を目指すほどのアイテムがただの品物であるわけがない。クロードが入手を命じられたのは一枚の姿見、それも照霊鏡と呼ばれる特別な鏡、すなわち霊器であった。
精霊器物、略して霊器。それは精霊の力を宿した、あるいは精霊に何らかの影響を与えることのできる道具であり、貴重さゆえに国宝とされるものも少なくない。
そして霊器の入手こそ、ミリアが教国の導女の座を掴むために必要不可欠な儀式なのであった。
セイナ教国において導女とは、総司教と並んで最も高い権威を持つ位階である。当然その選定は様々な派閥の思惑が入り乱れる陰謀戦となり、地方出身で後ろ盾に乏しい立場であるミリアは、まず導女に選ばれる可能性のない数合わせ程度の候補と目されていた。
だが、そんな醜い権力闘争など全てまとめてひっくり返すことのできる、文字通りの最終手段が存在した。
それこそが巡りの月。争いの絶えなかった人々を仲裁するため、初代導女が艱難辛苦の旅路の果てに秘宝を持ち帰ったとされる伝説である。
つまり、導女候補であるミリアが教国のバックアップ無しに国外に赴き、秘宝と呼ぶに足る品物を持ち帰ることができれば、初代導女の偉業の再来としてミリアが次期導女に選出されるという寸法なのだ。
元来、初代導女に並び得る者こそが導女の座に値するとされていたのだが、長い年月を経るうちに形骸化し、今では導女選定は権力争いの一環にまで貶められている。それでも巡りの月に由来するこの伝統だけは、導女の精神を受け継ぐものとして教国の法にも明確に記されていた。
ゆえに巡りの月の儀さえ完遂できれば、表立ってミリアの導女就任の異を唱えることは不可能となる。
そのためにミリアは、持てる全てのリソースをそこに注ぎ込んだ。
周辺の国々へ密かに人手を派遣し、入手可能な霊器の情報を徹底的に追い求める。発見の報に備えて入手資金を用意するため、ミリア自身は連日あちこちへ頭を下げて回った。
他の導女候補が社交場に通っている間、ミリアはひたすらに儀式の準備に精を出していたのだ。
その甲斐あって、ロザン皇国は南都ホウチンで霊器が売却に出されるという極秘情報を入手したミリアは、信頼できる交渉役であるクロードを、どうにか掻き集めた資金の大半と共に送り込むこととなる。
送り込まれたクロードはその交渉手腕と豊富な軍資金を如何なく活用し、無事に照霊鏡の入手に成功した。
後は、遅れて南都へやって来る予定のミリアに照霊鏡を引き渡し、ミリア自身が照霊鏡を携えて教国へ帰還すれば彼等の悲願は叶うはずだった。
だが、一度は掴んだかに見えた夢は、するりと掌から零れ落ちていく。
正体不明の武装組織が潜伏していたクロードを襲撃し、抵抗もむなしく照霊鏡を奪われてしまったというのだ。
その際に負ったという手傷が疼くのか、包帯で吊った腕をもう片方の腕で握り締めながら、クロードは悔しさを滲ませた表情で事情を語り終えた。
「申し訳ございません。全ては自分の実力不足によるものでございます。この命を持って償う所存でおります」
「やめるのじゃ。妾にそなたほどの忠臣を失わせようというのか。それこそ取り返しのつかぬ損失じゃぞ」
「お嬢様……!!」
覚悟を決めた様子のクロードの言葉を、ミリアは険しい表情で却下する。
感極まって涙を流し始めたクロードに苦笑すると、改めて口を開いた。
「現状を整理するのじゃ。ここは他国、妾達に頼れる伝手は無く、資金もそのほとんどを霊器の購入に費やしてしまっておる。おまけにクロードは浅くない手傷を負っており、無理をさせることはできん」
「し、しかし、お嬢様。この事態は自分のミスによるもの。汚名を雪ぐためにも、お役目を頂きとうございますっ」
「ならばこの宿を拠点として待機せよ。傷の回復を図るとともに、妾達が今後集めてくる情報を精査するのじゃ」
「承知致しました! この命に代えましても!」
「だから、命を懸けられる方が迷惑だと言うておるじゃろうに」
勢い込むクロードを宥めつつ、ミリアは続けてリンカを見据えた。
その瞳には隠し切れない苦渋の色が見え隠れしていたが、それを覆い隠してしまう程の固い決意もまた読み取ることができる。
一度大きく深呼吸を挟むと、導女候補である幼女は一切迷いの感じられない凛とした口調で告げた。
「期せずしてこのような事態となってしまったが、リンカには存分に力を貸してもらうぞ。そなたの知恵はこの苦境を切り開くのに必要不可欠であると、妾は考えておる」
「任せて頂戴。この類の話ならばいくつか心当たりもあるしね。龍の背に乗ったつもりで……と言っても教国の人には伝わらないかもしれないけど、私が手を貸すからにはその霊器、必ず取り戻してみせるわ」
気負った様子など欠片ほども感じさせず、ウィンクを交えながら力強く宣言する。
入都前に見せたものとまったく同じ仕草であるにも関わらず、それは先程と正反対に、どうしようもなく心強さを感じさせたのだった。
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