導女様と一緒2
カイエンとヘイの姿が門の中に消えて行ったのを見届け、リンカはくるりと踵を返した。
「こんな所で立ち話をしていると往来の邪魔になるし、二人とも歩き詰めで疲れているでしょうから、腰を落ち着けられる場所に行きましょう」
そう言われて先導されたのは、古ぼけた椅子と机が並べられた一画だった。
入場門に並んでいる人の列からは若干の距離があり、よほど大声を出さなければ聞き咎められることはあるまい。
「して、レクチャーとはいかなるものなのじゃ?」
「ああ、あれは嘘よ。ただの方便、口から出まかせね」
口火を切って尋ねたミリアの問いを、リンカは一瞬の溜めもなく切って捨てた。
は? という声を漏らすミリアに向かい、おもむろにその名を告げる。
「導きの書、第十三節、巡りの月」
その瞬間、ガタンと派手な音と共に椅子を蹴倒し立ち上がっていたのは、リンカでもミリアでもなくカノンであった。
疲労とは異なる理由で顔色が真っ青になっている。
その様子を子細に観察していたリンカは、何かを確信した表情で頷く。
そこでようやくカマをかけられたのだと悟ったカノンが、まんまと引っ掛かって情報を渡してしまったことに気付き、放心したように椅子の上に崩れ落ちる。
一方、リンカのカマかけにも眉一つ動かすことのなかったミリアは、優しい手つきでその背中をゆっくりと撫でさすった。
「カノンよ。嘘がつけぬというのは決して恥ではない。むしろそなたの美徳の一つであると、妾は思うておるぞ」
「……お嬢様……申し訳ございません……」
年下の幼女に慰められてポロポロと涙を零す。
お供の嗚咽がようやく鎮まってきた頃合いで、ミリアは明らかに敵意の込められた視線でリンカを睨み付けた。
「リンカよ、どういう了見であろうか。返答如何によっては、恩のあるそなたといえども覚悟してもらうぞ」
「えーと、いきなりで驚かせたことについては謝罪するわ。まさか泣き出すだなんて思ってもみなくて」
ばつの悪そうな表情で頭を下げる。
一見すれば殊勝な態度とも映るが、幸か不幸かこういった手合いの経験が少なからぬあるミリアの目には、いかにも上っ面だけで心の籠っていない謝罪であることなどお見通しであった。
案の定、十秒ほどして再び向けられたリンカの表情には、罪悪感の一欠けらさえ見出すことは出来ない。
そもそもリンカが謝ったのはカノンを泣かせた点についてのみであり、もっと根本的な部分については一切触れていないのだから。
「妾がそなたに求めたのは謝罪ではない、事情の説明じゃ。話を誤魔化すでない」
「もちろん、それはこれからじっくりと説明させてもらうわ。あなた達が誤魔化していた点についても、ね」
「……妾は誤魔化してなどおらぬ」
「そうね、あなたは何も誤魔化してはいない。ただ、真実を告げなかっただけ。違うかしら?」
確実に逃げ道を塞ぎにかかるその問答は、巣に掛かった蝶を前にした蜘蛛を連想させる。
着実に迫る来るリンカの毒牙――質問に対し、ミリアは肯定も否定もせずにただ沈黙した。それだけが唯一、嘘でも誤魔化しでもない答えだったからである。
予想通りの無回答という回答に、リンカは楽しそうに唇をほころばせると、瞳の奥に獰猛な光をたたえて言葉を紡ぎ始めた。
「どうやら誤魔化すのがお嫌いなようだから、まず前提からはっきりさせておきましょう。ミリア、あなたはセイナ教国の導女――正確にはその候補ね?」
「……そなたの言う通りじゃ」
「お嬢様っ、それはっ!」
「良いのじゃカノン。どうせリンカには既に見抜かれておる。今更隠す意味など無い。それにこれは、互いに胸襟を開いて話し合うために必要不可欠な手順、なのじゃろう?」
慌てふためくカノンを抑えて訊けば、満面の笑みでリンカが頷く。
どこからバレたのかはさっぱり分からないが、この話を持ち出した時点ですでに確信はあったに違いない。
そう考えれば、現状は必ずしも最悪とは言えまい。
なにせこのリンカという女、何を考えているかさっぱり読めないということは、必ず敵に回るとも言い切れないのだから。
「確かに妾は、セイナ教国の第十七代導女候補が一人、ミリアリア・ケイ・アスタートじゃ。まずはどうして妾の正体を見抜くに至ったか、納得のできる説明を求めたい。その理由によっては、これからの妾達の行動にも支障が出る可能性があるでな」
「そんなこと簡単よ。あなたの被っているそのフードが全て語っているわ」
「フードじゃと?」
慌ててフードを脱ぐと矯めつ眇めつ観察する。
だが、とりたてて不審な点は見当たらない。深紅と濃緑の二色が鮮やかな刺繍も、国元を発った時のままだ。
「その刺繍こそ、あなたの正体を雄弁に示しているわ。教国において、赤は女性を意味し、その色が深いほど若く未熟であり、薄まるにつれて年を重ねて錬磨されていることを表す。そして濃緑は教国の最上層部、もっと言えば総司教と導女およびそれに準じる者だけに許された色よ。その二色を惜しげもなく使って、初代導女を讃える一節である巡りの月をモチーフにした刺繍なんて、名札を提げて歩いているようなものじゃない。それに確か、先代の導女が亡くなってから半年、そろそろ次期導女の選定が本格化している頃合いでしょ?」
すらすらと並べられる理由に唖然とさせられる。
僅かな訂正を挟む余地すらなく、リンカの指摘は全てもっともなものばかりだったからだ。
だが、特定の色が他国において持っている意味など、どうして知られていると想像できようか。加えて――
「巡りの月をどこで知ったのじゃ。あの一節は難解に過ぎるという理由で、教国中に頒布されている教書には記載されていないはずじゃぞ」
「たまたま私が読んだことのある教書には書いてあったというだけの話よ。巡りの月の記載が省かれたのは五十七年前の第十三版から。私が読んだものは確か、第二版の模写だったかしら」
「馬鹿な!? 模写も含めて、第五版以前の教書は教会に保存している物のみの筈……」
「探してみれば結構あるものよ。それに私にとって、教書とは神聖でありがたーい説話の書いてある宗教書ではなく、過去を記した史料たる歴史書よ。歴史が相手であれば、それはもうこちらの領分だからね」
なんてことはない口調で言い切られてしまえば、そこから先を追及する術は断たれる。
ともあれ、リンカがミリアの正体を知るに至った理由は詳らかにされた。
同時に、リンカ以外の者がこれだけの判断材料となる知識を備えているとは考えにくいため、ひとまず正体が駄々漏れになるという事態にはなるまい。
と、そこでミリアはふと気付く。
「カイエンも妾の正体を知っておるのか?」
「教国も知らないカイエン君に、導女様なんて言って通じるとでも?」
「……うむ、その通りじゃな」
疑問を疑問で返されるも、さすがにこれは愚問が過ぎた。要するに、ミリアが導女候補であるという秘密に勘付いているのはリンカのみということになる。
カイエン達を先に入都させたのも、おそらくはこの話を聞かせないためだったのだろう。秘密は知る者が増えれば増えるほど、秘匿が難しくなるものなのだから。
「一応、気遣ってもらっておったようじゃ。感謝しよう」
「いいのよ。予備知識のないカイエン君に説明していると色々話が長くなって面倒だし、余計なことを知っているとうっかり漏らしかねないからね、カイエン君の場合」
「……あー」
失礼極まりない言い草だが、これにはミリアも内心で頷かざるを得なかった。
たった半日ほどの間ではあるが、共に旅をしてみれば、カイエンという少年が非常に単純……ではなく、腹芸ができない……でもなく、裏表が無い無垢な心の持ち主であることは容易く知れる。
「別にいいわよ、常識知らずの野生児で」
「そなた、さりげなく酷いのう。というか、何故そなたがカイエンへの悪口雑言に許可を出しておるのじゃ……」
呆れた様子のミリアの呟きには、肩をすくめてみせることで返答に代える。
ともあれ、当初抱いていた懸念の半分はほぼ払拭されたと言っていいだろう。
残る半分について問い詰めるべく、ミリアは水袋をあおると乾きかけた口内を潤した。
「では本題じゃ。リンカよ、そなたは妾の正体を暴き、何を成さんとしておるのじゃ?」
満を持して尋ねると、リンカは少し考え込むように顎に手を当てていたが、ランチのメニューでも提案するような口振りでこう答える。
「そうねえ、ちょっと協力してあげようかと思って」
「はい?」
思わず目が点になる。
あれだけ仰々しく他人の秘密を暴いておいて、いきなり協力を申し出てくるとは何を企んでいるのか?
と、詰め寄りたいのに驚きのあまり身動きが取れないミリアの内心を察したのか、リンカは指を折りつつ語り出す。
「次期導女の選定が大詰めに近づいているこのタイミングで、導女候補のミリアがわざわざ皇国まで出向くということは、私の勝手な推測だけど初代導女の巡りの儀になぞらえているんじゃないかと思うのよ。つまり、成功すれば次期導女に確定するようなアテがある。違うかしら?」
「ノーコメントじゃ」
「だったらその話に一枚噛んで、次の導女様に恩を売っておくのも悪くないかなー、なんて考えているんだけど」
要は先行投資の一種ということだ。見知らぬ地で右も左も分からないミリア達に貸しを作っておき、将来何らかの形で利用しようというのだろう。下手にボランティアなどと言い出されるより、目的がはっきりしている分納得しやすい話ではある。
「まあ、今のは建前で、本音では好奇心なのだけど」
おまけのように付け足された一言のせいで、一度は終息に向かいかけたミリアの混乱が再び加速する。
隣で同じ話を聞いているはずのカノンなど、先程までは顔面蒼白から真っ赤になって憤慨するところまで目まぐるしく表情を変えていたが、もはや理解を諦めた様子で穏やかな眼差しのまま、机の端に留まっている蜻蛉を数えている。
カノンの立場ならばそれも許されようが、ミリアには揃って思考放棄など出来るはずもなく、ショックな展開が続いたせいで頭痛すらしてきた額を抑えつけて呻く。
「色々と言いたいことはあるのじゃが……ひとまず、そなたはこちらの事情を理解した上で味方になる、という認識で良いのじゃな?」
「ええ、もちろん。それだけの能力があることは、証明してみせたつもりよ」
心底楽しそうにリンカは謳う。一連の唐突な展開は、実力を認めさせる意味合いもあったらしい。
「……良かろう。そなたの手を借りるとしよう」
「お嬢様、よろしいのですか?」
おずおずと伺いを立ててくるカノンに対し、ミリアは無言で首を振ってみせた。
良いも悪いも無い。現状では、ミリアの正体という切り札を握っているリンカの立場が圧倒的に強いのだ。下手に協力を断って、報復としてミリアが導女候補であると吹聴される危険性を考えれば、獅子身中の虫を飼う方がまだ被害が少ない。
それに少なくとも、知識という点においてリンカが有能であることは証明されている。旅慣れているという本人の申告を信じるのであれば、皇国について満足な知識を持たないミリア達が余計な騒動の種になるリスクを低減するという役割は、確かに理にかなっていた。
「そんなに身構える必要は無いわよ。まあ、ちょっとした現地協力者くらいに考えておいてくれればいいわ」
リンカがウィンクと共に話を締める。
見事に型通りのその仕草は、ミリア達にとって胡散臭い以外の感想を喚起することは無かった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
細々した手続きを全てリンカが肩代わりし、ミリア達が南都の市街に足を踏み入れたのは、そろそろ日も暮れようかという頃合いだった。
傾きかけた夕日の形作る長い影を足元に伴い、カイエンが向かった筈の露店市場を目指す。
露店市場とは読んで字のごとく、多くの露店が集っている場所だ。
商業よりも農業が盛んな南都では、一部の大店以外は常設の店舗を持っておらず、人通りの多い場所に勝手に露店を開くという習慣があった。
いつしかそれらの露店が日時や場所を申し合わせて出店するようになったのが、露店市場というわけである。
もっと早い時間ならば賑わい過ぎていて人捜しするのも一苦労なのだが、朝の早い農民による出店が多いためか、日が暮れる直前ともなると大半の露店が店じまいをしており、どこか閑散とした雰囲気が漂っている。
そんな露店市場に踏み込んだリンカは、先に入都したはずのカイエンとヘイの姿を求めてぐるりと市場全体を見て回った。
一周し、続けて更にもう一周。駄目押しとばかりにもう一周市場中を探し回った後、リンカはどこか遠い目で、奇妙な信頼感と確信を込めた声音でもって可愛らしく宣言する。
「てへ、はぐれちゃったみたいね」
入都早々のトラブル勃発に、ミリアとカノンは声も出せずに顎を落とした。
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