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エピローグ

本話で第二章は完結です。

第三章も同じペースでお届けできる予定です。

 たしたし


 「んん……」


 柔らかいものが額を叩く感触に、シュウケイはゆっくりと意識を覚醒させた。

 見上げた先にあるのは、見慣れた小屋の天井だった。どうやら敷布の上に寝かせられているらしい。

 視界に上半分に入り込んでいるのは、漆黒の毛並みを持つ霊獣の仔、ヘイだ。

 シュウケイを目覚めさせたのは、ヘイの前脚の感触だったのである。


「何がどうなって……ぐあっ……」


 身を起こそうとしたところで神経を貫く激痛が走り、手足から力が抜ける。それでも身じろぎをしたことで、傍らで背を向けていた者もシュウケイが目を覚ましたことに気付き、気楽な口調で声を掛けてきた。


「よう、シュウケイ。よく眠れたみたいだな。今は動けないかもしれないけど、半日もすれば痛みは治まると思うぜ」

「そなたは……カイエン、か」


 逆光になっていて顔の造作は見えないが、輪郭からそう判断する。というより、そもそも他に知人などいないため、シュウケイの名を知る人間といえば消去法でカイエンしか残っていないのではあるが。


「一体、何があった……なぜ自分はこうして寝ているのだ……?」

「なんだ、憶えてないのか?」


 疑問形でこそあるが、さもありなんと言わんばかりの雰囲気でカイエンが呟く。

 シュウケイは一度目を閉じると記憶の整理を試みた。

 墓地、嵐、そして――ロウハ。


「そうだっ! ロウハ、あやつはどうなった……!?」


 きっかけさえ掴めば、どうして忘れていたのかと首をかしげたくなるほどの大量の光景が連鎖的にフラッシュバックしてきた。

 十年振りに姿を見せたかつての弟弟子。シュウケイ自身の手で殺したはずのあの男が再び現れ、心を折るという目的のためだけにシュウケイが長年守護してきた墓を手当たり次第に破壊して回り……そこから先の記憶がぷっつりと途切れていた。


 あの後、一体何が起きたのか。途轍もなく巨大で恐ろしい力に呑み込まれ、それでも押し流されまいと懸命に抗っていたような気がする。

 それがこうして気を失っていたということは、おそらく自分は敗れたということなのだろう。


 では、なぜ今こうして生きているのだろうか。あれだけシュウケイに対する憎悪を燃やしていたロウハが、わざわざ見逃すとは考えにくい。


「ロウハって、ああ、あの鎖使いの霊紋持ちか。あいつなら死んだよ」

「死んだ、だと……!? カイエン、そなたがやったのか?」

「いーや、俺じゃない。あんたが殺ったんだぜ、シュウケイ」


 衝撃的な内容をこともなげに告げてくる。

 驚愕と困惑で押し黙るシュウケイに、カイエンは嵐の中での出来事を順番に語って聞かせた。

 これは要約するという発想がそもそもカイエンに無かったからなのだが、記憶が混乱しているシュウケイにとっては下手にまとめられるよりもかえって飲み込みやすく、すべてを聞き終えたシュウケイは放心したように息を吐き出した。


 聞かされた話はカイエンが見聞きしたもののみのため、実際に何が起きていたのか全貌を掴めるものではない。

 それでも、カイエンの語る話を聞いてシュウケイの胸中に浮かび上がったのは、疑問ではなく納得であった。

 記憶には残っていなくとも体は憶えている。おそらくはそういうことなのだろう。


「そうか……そなたには随分と世話になってしまったようだな。あらためて感謝する」


 神妙な顔で礼を言うと、カイエンはぱたぱたと手を振った。


「別にいいって。あんたにゃ俺もヘイも世話になったからな。その恩を返しただけだとでも思っておいてくれ」

「明らかに釣り合っていない気もするが……そなたが良いというのならば、その言葉に甘えさせてもらおう」

「それでいいよ…………っと、忘れるところだった。シュウケイ、腕を上げてみてくれ」


 唐突な要求に首をかしげながらも、シュウケイは言われた通りに両腕を目の高さに持ち上げた。

 そこで初めて、己の腕に一対の腕輪がはめられていることに気付いた。

 白と黒。同じ造作で色のみが異なる腕輪を、左右の腕に片方ずつ身に着けていたのである。


 まるで体の一部であるかのようにフィットし、僅かな違和感すら出てこないその装飾品をしげしげと見つめていると、カイエンはあっけらかんとした口調でのたまった。


「そいつをやるよ。その腕輪には、宿している鬼霊を抑え込む効果があるんだ。身に着けていれば、自我の侵食を防げるはずだぜ」

「そんな代物が――」


 あるはずが無い、と言いかけてシュウケイは気付いた。

 十年前のあの惨劇以降、常に頭の片隅に居座って蠢いていた鬼の残滓の囁きが一切聞こえなくなっている。

 試しに腕輪を少しだけ外してみると、己の内で黒々とした塊が鎌首をもたげる感触が走り、慌てて腕輪をはめ直した。


「あんたは一度、鬼になる寸前まで侵食されかかってたんだ。これまでよりも侵食速度はずっと上がっているから、このまま霊紋の力を使わなかったとしても、近いうちにまた鬼に体を乗っ取られていたと思う。だけど、その腕輪をはめておけば大丈夫だ」

「このような物が存在しているとは……だが、良いのだろうか。このような貴重な物を譲ってもらって……?」

「当たり前だろ。あんたには組手の相手もしてもらったし、防御のコツも教えてもらった、言わば修行仲間だぜ。修行仲間のためだったら、そんな腕輪の一つや二つ、惜しくないってもんよ」


 真顔で力強く言い切るカイエンからは、恩着せがましい物言いや打算といったものは欠片ほども感じられない。隠すことなくぶつけられる本心からの言葉に、シュウケイは感じ入ったように目を閉じた。


「……………………自分の先祖はその昔、外の者との争いに敗れ、この山に逃げ込んだという。それ以来、山の外の者に気を許してはならないと教えられてきた。だが、その考えは改めなければならないらしい。カイエン、そなたは真に信じるに足る人間だ」


 並々ならぬ覚悟を込めて紡がれたシュウケイの言葉に、しかしカイエンは不思議そうな表情で首をかしげた。


「そんな難しそうな事を言われてもさっぱり分かんないよ。まあ、あんたもこの山だけじゃなくて、外の世界に出てみれば色々と見えてくると思うけどな」

「外の世界、だと?」

「ああ、そうさ。俺だって爺に世界を見てこいって言われたから旅に出たけど、いざ旅に出てみたら、見たことも聞いたこともないものばっかりですげえ楽しいってことを知ったんだ。あんたも一度この山から出てみれば、この世界の広さって奴に圧倒されるに決まってる」


 実感の籠ったその言葉にシュウケイはしばし押し黙っていたが、溜め込んでいたものをそっと解放するように肩の力を抜くと、晴れ晴れとした表情を見せた。


「そなたの……言う通りかもしれぬ。命の恩人の忠告を無下に扱うわけにもいくまい。幸いというべきか、思索にふける時間ならば十分にある。前向きに考えてみるとしよう」

「おう。とは言っても、あんたの生き方はあんたのものだ。好きにすればいいさ」


 そう言うとカイエンは立ち上がる。

 すでに繕い終わった元の道着に着替え終わっており、水と食料を補充済みの肩掛け袋を担いでいる立ち姿は旅の支度が完了していることを伺わせる。その足元にはヘイが行儀よく座り、旅立ちの時を待っていた。


「じゃあな、シュウケイ。縁があったらまた会おうぜ」

「わふ」


 一人と一匹は普段通りの気楽さで別れの言葉を告げると、振り返ることなく小屋を後にする。

 シュウケイは床に身を横たえたまま、感謝と憧憬の入り混じった眼差しで、いつまでもその後ろ姿を見送っていた。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 隠れ里の外で待っていたリンカの先導で山道を下ること暫し、一行の前に街道らしき整備された道が見えてきたのは、すでに夕刻に差し掛かろうという頃合いだった。

 サバク盗賊団に潜入していた間、下山後のルートもあらかじめ確認しておいたリンカのガイドは的確で、あまりにあっさりと下山できてしまったため逆に拍子抜けしてしまうほどだ。

 手回しの良さにカイエンが内心で感心していると、当のリンカがふと振り返って尋ねてきた。


「カイエン君、今更だけど、霊器を手放しちゃって良かったの?」

「霊器?」


 耳慣れないその響きをおうむ返しに口にする。

 その反応から基礎知識の持ち合わせがないと察し、リンカはやれやれと肩をすくめると解説を始めた。


「精霊器物、略して霊器。精霊の力を宿した、あるいは精霊に何らかの影響を与えることのできる道具のことよ。大半は国や権力者が保有していて、その能力も慎重に伏せられている物が多いわね」

「ふーん、なるほどな。そんな凄い物が世の中にはあるのか。一度くらいは見てみたいもんだ」

「……ちなみにカイエン君、シュウケイさんにあげた腕輪には、どんな効果があるのかしら?」

「ああ、あの腕輪をはめていると、幻想霊を宿していても自我の侵食を抑えられるんだ。元々は俺に宿っている鬼霊用なんだけど、シュウケイにも効果があったみたいで良かったよ。多分、鬼ってことで同種扱いなんじゃないかな」


 推測混じりのカイエンの返答を聞き、リンカはこめかみを押さえる。

 非常に限定された用途ではあるようだが、その効果が折り紙つきであることをリンカはよく知っていたからである。

 東都での騒ぎの際、暴走寸前だったカイエンの鬼霊をあっさり封じ込めてみせたところをリンカは目撃していた。


「それをあっさりと譲っちゃって……カイエン君にとっても大事な物じゃないの?」


 そう尋ねると、カイエンはきょとんとした表情で頷いた。


「当たり前だろ。俺はまだ、精霊の制御が完璧じゃないからな。あれが無いと、最悪の場合は昨日のシュウケイみたいに、暴走して見境なしに暴れ回ることになるだろうな。はっはっは」

「いや、笑い事じゃないからね」

「なーに、安心しろって。俺だってこのままにしておくつもりは無いさ。修行を重ねて、いずれ完璧に制御できるようになってみせるぜ」


 拳を握って力強く宣言する。

 一方で、意気上がるカイエンの高揚を、リンカは極めて醒めた視線で冷徹に見据えた。


「修行も結構だけれど、制御できるようになるまでに暴走しないかが一番心配よ。もしもカイエン君が暴走したりしたら、真っ先に被害に遭うのは一緒にいる私とヘイ君なんだからね? 私はともかく、ヘイ君が大怪我でもしたら、責任はきっちり取ってもらうわよ」

「ああ、それだったら心配いらないぞ」


 自信満々といった口調で言い切ると、担いでいた肩掛け袋を下ろしてガサゴソと中身を探る。

 お目当ての物を見つけたらしく軽く頷くと、カイエンは珍しく勿体をつけて袋から取り出し、高々と掲げてみせた。

 ちなみにそれは、先程シュウケイに渡した物と瓜二つの、白黒一対の腕輪であった。


「なにせ予備があるからな」

「なっ、ちょっ、よ、予備ですって!?」


 まさか霊器がもう一つ出てくるとは思いもよらず、リンカは声を裏返らせる。

 慌てふためくリンカを尻目に、カイエンは慣れた手つきで腕輪を左右の腕にはめた。


「ああ、壊れた時用だって言って、爺がもう一つ作ってくれた」

「そんなあっさりと……いえ、今、作ったって言った!?」


 気を落ち着かせようと深呼吸をし、直後に特大の爆弾発言に気付いたリンカは、頬を引き攣らせてカイエンを睨む。

 一方のカイエンはといえば、どうしてリンカが己を睨んでくるのかまるで分からず、心当たりがないかを目くばせでヘイに尋ねるが、あえなく首を横に振られてしまう。

 仕方がないので、正直に尋ねてみることにした。


「なあ、何をそんなに驚いているんだ?」

「カイエン君、霊器というのはね、作ろうと思って作れるものじゃないのよ。精霊の気紛れの結晶とも呼ばれているくらいなんだからね!」

「ふーん、そうなのか。爺は結構気軽に作っていたけどな」


 何の気なしの一言にリンカの常識が完膚なきまでに破壊され尽くす。

 リンカは、外の者に敗れて逃げてきたというシュウケイの先祖について、皇国勃興期の権力争いに負けた武門の後継者だとあたりをつけていた。

 全財産を持って逃げたため、そういった者達が逃げ込んだ地に財宝伝説が誕生して後世に伝えられるのは、歴史研究家の視点からすればさほど珍しい話ではない。


 てっきりカイエンの師匠もその類の人物かと考えていたのだが、意図して霊器を作ることができるとなれば話が違って来る。

 もしも当時、そんな技術の持ち主がいたのであれば、皇国が保護に動かないわけがないからだ。


 カイエンの話を聞く限りでは皇国との接点が全く見当たらないことから、少なくとも当時はそんな技術は持っていなかった――少なくとも、知られていなかったと考えられる。

 そうかといって、人里離れた地に逃げ込んだ後で、我流で編み出したと想像するには、霊器を作る技術というのはいささか以上に突飛に過ぎた。


「カイエン君、その話、是非じっくりと聞かせて……いえ、いっそあなたの師匠に合わせて頂戴!」

「東都の時も言ったけど、爺に合わせるなら嫁か生涯の親友じゃなくちゃ駄目だぞ。あんたの事は信頼してるけど、信用はしてない。だから紹介はできないな」

「そこを、そこを何とか!」


 ぎゃーすか騒ぎ始めた二人を横目に、ヘイはやれやれとでも言いたげに鼻を鳴らした。


 こうして彼等は鬼哭山を後にする。

 捻じれて縺れた因果の糸を断ち切って、一行は足取りも軽く旅を続ける。

 その行く手には、嵐が目障りな雲を綺麗さっぱり片付けた、どこまで透き通るような青空が広がっていた。

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