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東都イタミと世間知らず3

4連投その4です。

ひとまずバトル展開まで行けたので、今日はここまで。

 カイエンが闖入者の方へ目を向けると、そこにいたのは革鎧を着て剣を提げた戦士風の身なりの男だった。人込みに紛れ込めばすぐ忘れてしまうほどありふれた装いだが、額に巻かれた深紅のバンダナだけが妙に個性を主張している。


 こちらを指差しているため、カイエンに用があると見て間違いないだろうが、あいにくとカイエンの方はその戦士に見覚えは無い。

 どこかですれ違ったことでもあっただろうかと記憶をひっくり返していると、戦士は慌ただしい動きで懐から笛を取り出し、高らかに吹き鳴らした。


 ピイィィという甲高い音が五番通りを切り裂き、通行人達が立ち止まって何事かと好奇の視線を向けてくる。そうこうするうちに、立ち止まった人々を押しのけるようにして、あちこちから同様の格好をした男達が集まって来た。

 剣や鎧だけならばともかく、全員が全員、紅色の鉢巻きやバンダナを身に着けていることから、彼等が何らかの集団であることは一目瞭然であった。


「あんた達、何者だ?」


 赤いバンダナという個人識別の要素があっさりと使えなくなったことに舌打ちし、苛ついた雰囲気でカイエンが問い掛けると、一団の先頭に立つ髭面の男が声を張り上げる。


「我らは紅巾党。真にこの国の在り方を憂う者達である!」

「知らん、どこのどいつだ」


 無論、カイエンがそんな名前を聞いたことがあるわけもなく、一刀両断に切って捨てる。

 一方で、周囲の反応は異なっていた。


「あいつらが紅巾党。このロザン皇国の転覆を謀っているとかいう!」

「俺はテロリストだって聞いたぜ!」

「風の噂では、どこかの国に送り込まれた工作員らしいですわよ。ああ、怖や怖や」


 その名を聞いたことのある者が大半らしく、五番通りにさざ波のような動揺の波紋が広がっていく。

 浮足立つ周囲を背景に、髭面は一歩踏み出すと、カイエンに向かって傲慢な口調で要求してきた。


「貴様が連れているその動物。それは本来、我々の所有物だ。おとなしく引き渡してもらおう」

「うるせえ、そんなでかい声を出さなくても聞こえてるよ」


 怒鳴り返してから足元を見る。仔犬はカイエンの足に身を擦りつけつつ、紅巾党に向かって敵意丸出しの唸り声を上げていた。


「おい、一応聞くけど、あいつらがお前の保護者なのか?」

「わぅん!」

「だよな、やっぱり。おいお前ら、こいつはお前らのことなんか大嫌いだって言ってるぞ」


 カイエンが代弁して回答すると、髭面は顔を真っ赤にして頭から湯気を噴き出した。


「言うわけあるか! いかにその毛玉が霊――」

「同志閣下、その名をみだりに出しては!」

「はっ、危ういところだった。感謝するぞ、同志よ。おい貴様、適当なことを言って我々を煙に巻こうとしても無駄だ。これ以上抵抗するようであれば、理想国家樹立を阻む障害と認定し、排除対象とする!」


 何やら理解不能な単語を羅列する髭面。半分以上は聞き流していたカイエンだったが、髭面及びその手下一党が、こちらに明確な敵意を向けた事だけは嫌でも感じ取れる。

 不毛な問答の間にもあちこちに散っていた人員が集まって来たらしく、赤布を纏った戦士達は目算で三十人を軽く超えている。彼等はカイエンと仔犬を逃がすまいと、半円形に包囲の陣を敷き、じわじわと距離を詰めてきていた。


 辺りに満ちる空気が緊張の色を帯び、野次馬達も固唾を飲んで事態の推移を見守っている。

 そんな状況を真っ先にぶち壊したのは、当然のようにカイエンであった。


「なあ、おっさん」

「げげっ、俺を面倒ごとに巻き込むんじゃない。俺は切った張ったなんかご免だからな!」


 ゆっくりと間合いを詰めてくる紅巾党員達を無視し、屋台の男に呼びかける。こっそりと撤収準備を進めていた男は、意表を突かれ慌てふためく。そんな慌てぶりにも無頓着に、カイエンは無邪気な笑みを浮かべて確認した。


「喧嘩は売り物じゃないって言われたんだけどさ、これってあいつ等が喧嘩を吹っ掛けてきたって事であってるんだよな。あいつ等を痛めつけても、文句をつけられたりしないよな?」

「何言っているんだ、あんた。まさか一人で紅巾党とやり合うつもりなのか!?」

「こいつが、連中とは一緒に行きたくないって言ってるからな。乗り掛かった舟ってやつだ」


 まるで散歩に行くかのような気楽さで仔犬の前に立ちはだかり、カイエンは半身になって構えると、紅巾党の連中に向かってちょいちょいと手招いてみせた。

 猿でも分かる「かかってこい」の合図である。


「かかれっ!!」


 これだけの人数差を相手にこの余裕振り。舐めているとも受け取ることのできるカイエンの態度に、髭面の忍耐はあっさりと消し飛んだ。

 絶叫するように命じると同時、紅巾党の総員が押し包むようにカイエンへと襲い掛かる。


 にもかかわらず、先手を取ったのはカイエンの方であった。

 目にも止まらぬ速度で踏み込むと、まずは一番手近にいた紅巾党員を殴りつける。拳の形に胸板を陥没させ、重力に歯向かうかのように真横に吹っ飛ぶと、後続の二人を巻き添えにして派手に大通りの地面に転がった。


 容易く片付くと見ていた相手の拳力の凄まじさに、押し迫っていた紅巾党員達の足並みが僅かに乱れる。

 そこに生じたほんの少しの隙をつき、カイエンは次の目標へと肉薄する。滑るような足さばきで、横合いから襲い掛かろうとしていた紅巾党員の懐に飛び込むと、瞬時に腰を落とし、回し蹴りでその足を刈り取った。


「うぎゃっ!?」


 相手からすれば、敵が消えた瞬間に自分が蹴り転がされていたと感じることだろう。思わず悲鳴を上げて倒れかけるが、何者かが寸前で彼の手を引き、辛うじて顔面を強かに打ち付ける羽目は免れる。


 礼を言おうと顔を上げれば、そこには獰猛な笑みを浮かべたカイエンが待っていた。思わず硬直してしまった紅巾党員の手を掴むと、人間のものとは思えない膂力を発揮し、ハンマー投げのハンマーのように振り回し始める。


 接近が憚られるほどの高速回転で十分に勢いをつけた後、カイエンは満を持して振り回していた相手をリリースした。たっぷりと遠心力の乗せられた紅巾党員は、さながら人間砲弾と化して仲間に突っ込むと、投げられた勢いのまま一人二人と薙ぎ倒し、累計五人がボーリングのピンのごとく宙に舞う。


「くそ、何を手間取っているのだ。相手は一人だぞ、怯むな、押し潰せ!」


 鬼神の如きカイエンの立ち回りに腰が引けている同志達を、顔を真っ赤にした髭面が叱咤する。だが、次の瞬間、その顔色は瞬時に青褪めることとなった。


 カイエンが地を這うような前傾姿勢を取ったかと思うと、その体勢のまま駆け出したのである。前方へ倒れ込みそうになるギリギリで姿勢を保ち、傾いていく重心を逆に推進力と変える。常識外れの速度でもって足元を縫うように走り回られ、紅巾党員はあっという間に敵の姿を見失い、揃いも揃って右往左往する有様だ。


 そんな紅巾党員達が次にカイエンを見つけたのは、大勢の同志に囲まれ安全地帯にいると錯覚してしまっていた髭面の目の前だった。


「よう、随分と元気みたいだから、わざわざ来てやったぜ」

「きさガヴァ――」


 髭面の驚愕の叫びは、顔面を鷲掴みにされたことで強引に中断させられる。目的の獲物を捕獲すると、カイエンは即座に跳躍して囲みから脱出した。人間一人を掴みあげているとはとてもではないが信じられない跳躍を見せ、紅巾党員達の頭上を軽やかに跳び越すと、絶妙なバランスでもって水路への転落防止用の欄干の上に着地する。


 その体勢のまま、これ見よがしに髭面の身体を水路の上へと突き出した。


「ああ、同志閣下がっ!」

「くそ、卑怯だぞ!同志閣下を放せ!」

「お言葉に甘えて」


 ぽい

 売り言葉に買い言葉とでも言うべきか、何の感慨も駆け引きも無く、カイエンは髭面の顔面をがっちり掴んでいた掌を開いてみせた。

 そして支えるものが無くなれば、人でも物でも落下するのが自然の摂理である。

 この時点ですでに、想像を絶する握力により泡を吹いて気絶していた髭面は、悲鳴一つ上げることなく水路へと落水し、豪快な水柱を演出することとなった。


 慌てたのは紅巾党員達である。

 まさか自分達の指導者が水路に投げ込まれる羽目になるとは思ってもおらず、全員に動揺が走る。


「同志閣下になんて卑劣な仕打ちを!」

「まさか本当に放すなんて、貴様には血も涙も無いというのか!」

「放せと言ったり放すなと言ったり、首尾一貫しない連中だなあ。どうでも良いけど、このままだと溺れ死ぬぞ、あいつ。そんなに大事なら助けに行ってやれよ」


 囂々と降り注ぐ紅巾党員達からの非難の声を、どこ吹く風とばかりに聞き流す。

 欠伸をかみ殺しながら忠告すると、指摘されてようやく気付いたのか、紅巾党員達は剣を放り出しては次々に水路へと飛び込んでいった。

 あれよあれよという間に、二十人以上は残っていた紅巾党員達は、あっという間に水路に飛び込み五番通りから姿を消していた。


「……何というか、レミングの自殺みたいな光景だったな」

「お、おい、あんた、終わったのか? というか、本当に一人だけで勝っちまった……」

「頭を排除するだけで瓦解してくれるから、猛獣の群れを相手にするよりよほど楽だぞ。っと、そういやあの毛玉は?」


 ふと気付いて辺りを見回すが、仔犬の姿は影も形も無い。おそらくは突然の戦闘に驚いて逃げ出してしまったのだろう。

 人間ならば薄情の誹りを免れないところだが、カイエンの感性からすれば、己が対処できない事態に逃げるというのは野生として当然である。仔犬がそうしたところで、なるべくしてなったという以外の感想があるわけもない。


「まあいいや、そろそろ日も暮れてきたし、俺はそろそろ退散する――」


 言いかけた瞬間、カイエンの背筋がぞくりと震えた。

 悪寒や虫の知らせとは似て非なる事象。己以外の霊紋が発する攻撃的な気配に、カイエンの霊紋が反応したのである。


「おっさんっ、さっさと逃げろっ!」

「んお!? なんだ、いきなり、藪から棒に……」

「ちっ」


 霊紋持ちでなければ、この皮膚が粟立つ感覚は分かるまい。案の定、困惑するおっさんの様子に舌打ちを一つ零すと、カイエンはおっさんを蹴り飛ばした。無論、怪我をしないように手加減をしながらではあるが、それでも突然の蹴撃に抵抗できるわけもなく、おっさんは蹴られるままに地面を転がり強制的に移動させられた。


 その直後である。

 滝と見間違うような、あるいはそれすら比喩として生ぬるく感じられほどの勢いを伴った水の塊が、頭上から問答無用に降り注ぐと、辺り一面を暴力的に押し流したのだ。


「ぺっぺっ。ああ、吃驚した」


 おっさんを蹴り飛ばした反動で距離を取り、直撃こそ回避していたカイエンであったが、逃げ場なく迫って来る水の壁はかわしようがなく、真正面から受け止める羽目になっていた。辛うじて踏ん張って耐えたものの、全身水浸しの濡れ鼠状態である。


「そんなぁ、わたくしの水流で押し流されないということは、あなたもしかして霊紋持ちなんですかぁ」


 そんなカイエンの眼前に、見慣れない格好の女が姿を現した。

 身長はカイエンよりも若干低いが、女性にしては長身に分類されるだろう。艶のある黒髪は、後頭部で団子状に纏められている。


 身に着けているのは丈の長い着物で、動きやすくするためか両サイドに深くスリットが刻まれている。その掌中では、絶対に日用品ではないサイズの鉄扇が、無言のままに剣呑な気配を醸し出していた。


 カイエンを観察する顔立ちは美人と評して問題あるまいが、おどおどきょろきょろと視線が定まらず、怯えるような仕草でこちらの様子を窺っているため、何となく自分が悪いことをした気になってしまう。


「何者だ、おまえ。いきなり水ぶっかけやがって」


 ぶるぶると全身を震わせて水滴を飛ばすと、カイエンは威嚇するかのように歯を剥き出しにする。


 こうして正面に立って向かい合えば、その女が精霊の気配を撒き散らしていることは手に取るように分かる。まず間違いなく、大量の水を浴びせてきたのはこの女の仕業で相違あるまい。

 十中八九、霊紋持ち。それも第二階梯を開眼している使い手だ。


 そんな相手に臆することなく噛み付いたカイエンに対し、女はひぃと声を漏らすと、息を落ち着けるためか深呼吸を二、三回挟み、おずおずと鉄扇を開いてそれで顔を隠す。


「それはこちらの台詞ですぅ。まさか紅巾党の人達が、あなたみたいな霊紋持ちさんを手駒に引き入れていたなんて、思ってもみませんでしたぁ」

「は?」


 いきなり何を言い出したのか理解できず、思わず聞き返してしまう。対して女は、おどおどとした態度ながら、きっぱりはっきりと言い切った。


「隠しても無駄ですぅ。遠目だったけれど、あなたが水路を使って紅巾党の人達を逃がしているところは、わたくしがばっちり目撃しましたぁ。今更言い逃れしようとしても通用しませんからねぇ」

「逃がしたというか、統率してた奴を投げ落したら、後は勝手に飛び込んでいったんだが……」

「いっ、言い逃れは通用しないといった筈ですぅ。こうなったらあなたを捕まえて、仲間の居所を洗いざらい吐いてもらう必要がありそうですねぇ」


 カイエンの言い分など聞く耳持たず、女は鉄扇を構える。

 どうやら勘違いをしているようだが、正攻法での説得は通用しそうにない。仕方なくカイエンは拳を胸の高さに持ち上げ、軽く背筋を曲げた体勢で相手の隙を伺った。


「構えた!? ど、どうやら腕に覚えがあるみたいですけど、この街でわたくしと戦おうとするのは愚策ですよぉ。御庭番衆、流水のセイゲツの名は飾りではありませんからねぇ!!」


 そう言うなり鉄扇を振りかぶる。カイエンとセイゲツの間には十メテル近い間合いがある。あの鉄扇で殴るつもりならば、どこをどう見ても射程外のはずだ。


 だがそれでも、セイゲツが鉄扇を振り下ろした瞬間、カイエンは迷わず横に跳んだ。

 それが正解だったことは、一瞬前までカイエンがいた空間を薄く延ばされた水が薙ぎ、背後にあった街路樹が斜めに断ち切られて崩れ落ちた様を見れば一目瞭然であった。


 水の刃を放ったみせたセイゲツは、能力の行使に伴ってゆらゆらと不定形に揺らめく霊像を背後に浮かべ、初撃を回避してみせた相手を、両目を細めて見やる。


「ふうん、やっぱり反射神経は良いみたいですねぇ。迂闊な人なら、所詮水だと舐めてかかって、今ので真っ二つになっているところなんですけどぉ」

「俺から情報を吐かせるんじゃなかったのか? 殺したら何も喋れないぞ」

「あ、しまった……じゃない、ごほん。不意打ちに対してあそこまで的確に対応してみせたあなたが、こんな一撃くらいしのげない筈もありませんからねぇ。挨拶代わりですぅ」

「挨拶代わり、か。だったらこっちも挨拶返しをさせてもらうぜ!」


 今度はこちらの番とばかりに、カイエンは一気に間合いを詰める。


 鉄扇はというものは基本的に武器ではないため、お世辞にも防御に向いているとは言い難い。いくら相手が強敵であっても、怒涛のラッシュで一気に押し切ってしまえば勝機は十分にあるはずだ。


 そんな目論見は、しかしカイエンが繰り出した拳の雨が、これ以上ない程完璧に受け止められたことで瓦解することとなった。

 セイゲツが回避したわけではない。彼女は悠然とした面持ちで、その場から一歩も動いていない。


 カイエンの攻撃を受け止めたのは水球だ。

 人間の頭ほどの大きさの水球が、カイエンの拳の軌道を先読みするかの如く出現し、拳撃の嵐を一発残らず防いでみせたのである。水球は殴られるたびにその威力を吸収しては破裂していくが、破裂したそばから次の水球が生み出され、新たな盾となっていく。


「ふふっ、手数だけの攻撃がわたくしに通るとは思わないでくださいねぇ。そちらの挨拶が終わりなら、そろそろ捕縛させてもらいますよぉ!」

「当たるかよっ、うおっ!?」


 裂帛の気合と共に鉄扇を振るうセイゲツ。反撃を警戒したカイエンは鉄扇の軌道から身を逸らしたものの、攻撃はまったく別の角度から襲ってきた。


 カイエンの拳を受け止めては破裂してを繰り返してきた水球。それが突如として機敏な動きを見せると、水の球は防御用だと思い込んでいたカイエンの死角から、その顔に張り付いたのである。

 あっという間に水球はカイエンの顔を丸ごと覆ってしまう。それはつまり、呼吸を封じた事を意味していた。


「がぼぼっ? げぼ!」

「うーん、何を言っているのか分からないですねぇ。そうだ、一応教えておいてあげますぅ。その水縛はわたくしが解除するまで張り付いたままですぅ。殴ろうが掴もうが、液体である水を引き剥がすなんて出来はしません。あなたが酸欠で気を失ったら、水縛は解除してあげるので、観念して大人しくしてくださいねぇ」


 必勝を確信し、セイゲツが余裕の笑みを見せる。

 霊紋持ちの肉体がどんなに強靭であろうと、人間である以上は呼吸が必要となる。それを封じるこの技は、決まれば相手に確実な制限時間を課すことのできる、地味ながら効果の高い必殺技だった。


 この技から逃れるには、窒息するより先にセイゲツを倒して技を解除するか、何らかの手段で水を除去するしかない。

 だが、仮にも霊紋持ちであるセイゲツはそう容易く倒せるものではなく、そのセイゲツによって制御されている水を除去するには、水に干渉することのできる霊紋持ち、それもセイゲツと同等の第二階梯である必要がある。


 セイゲツの見るところ、カイエンはそのどちらでもなかった。確かにその身体能力には目を見張るものがあるが、霊像が伴っていないため、霊紋の力を身体強化にしか使えない第一階梯とみて間違いないだろう。

 セイゲツは直接の殴り合いは得意ではないが、それでも第一階梯の霊紋持ちが相手であれば、水縛で酸欠に陥るまで防御に徹して攻撃を捌き切ることはできる。


 そんなセイゲツの思惑は、しかしカイエンの次の行動でひっくり返されることとなった。


「――ずぞぞっ」

「えっ、あなた、何を……はあ!? まさか水を――」


 飲んでいた。

液体である水は掴むことはできない。だがしかし、啜ることはできるのだ。

 想像もしていなかった対処法にセイゲツが驚いている間に、カイエンは怒涛の勢いで水縛の水を吸引し、あっという間に飲み切ってしまう。


「げっぷ。なかなか美味かったぜ、あんたの水」

「そっ、そんな! まさかわたくしの水を飲み干すだなんてぇ……そんな方法でわたくしの水縛を逃れた方は初めてですぅ」

「ちょうど運動して喉が渇いてたところだったんでな。それにそろそろ飯の時間だ。こいつで決めさせてもらうぜ」

「くぅっ」


 カイエンは重心を極端に落とし、両手を軽く握った状態で地面につけ、右足は緩く曲げた状態で爪先立ち、左足は膝を立てて胸元に近づけた。

 見慣れない構えに警戒心を刺激され、セイゲツは反射的に後ろへ下がると迎撃の体勢を整える。

 カイエンは軽く息を吸い、そしてゆっくりと吐き出すと、おもむろに構えの名を告げた。


「九鬼顕獄拳、迅鬼の型」


 次の瞬間、カイエンの姿がぶれて消えた。

 否、そう錯覚するほどの初速でカイエンが突進したのだ。


 霊紋持ちの動体視力ですら、うっかりすれば見失いかねない加速だったが、構えから突進が来ることを想定していたセイゲツは、カイエンが動くと見た瞬間に迎撃を開始していた。


 鉄扇が翻り、水の刃がカイエンを襲う。

 ただし、今回は袈裟切りではない。腿の高さで水平に、しかもそれを広範囲に打ち放っていた。

 正確な狙いはつけられないが、向こうから飛び込んで来てくれるのであれば、足を狙っての全周囲攻撃は確かに理に適っている。

 無論それはカイエンも承知の上。突進の勢いそのままに跳躍し、両足を畳んで水刃をやり過ごさんとする。


 そのタイミングこそ、セイゲツが真に狙っていた好機だった。


「もらいましたぁ!」


 空中で身動きが取れず、一直線に自分に向かって飛んでくる敵。速度こそ驚異的ではあるが、御庭番衆の一員であるセイゲツの実力からすれば、必中の的と言っても過言ではない。


 振り抜いた鉄扇を引き戻す余裕はない。代わりにセイゲツは、空いている方の手で突きを放ち、その勢いに乗せて水の槍を繰り出した。

 正面から迫る水の槍が、空中のカイエンに突き刺さる――かに思われた瞬間、カイエンは真横にあった欄干を殴りつけた。


 霊紋持ちの腕力で殴られた欄干は木っ端微塵に砕け、その反動で跳躍の軌道が折れ曲がる。結果として、水槍はカイエンの僅かに横を行き過ぎていた。

 軌道が逸れたため、カイエンは突進の勢いそのまま、驚愕するセイゲツの横も駆け抜けることとなる。


 慌てたのはセイゲツだ。完璧だと思っていた迎撃網を突破されたのもあるが、何よりも今、カイエンはセイゲツの背後に回り込んだ状態にある。つまり、いつ反撃が死角から襲ってきても不思議はないのだ。


「ううぅ、あれを躱すなんてぇ」


 零しながらも身体は自然と対処に動く。

 この状況では、強引に振り向いてもカイエンを視界に収めるまでの一瞬の遅れが命取りとなる。

 ゆえに最善手は、下手に見失った相手を探そうとせず、まずは全力で防御を固めることだ。

 そして、ここ東都は運河の街。街中に張り巡らされた水路は、水霊を宿したセイゲツにとってこれ以上ない程の地の利となる。


 セイゲツは一切背後を顧みることなく前方へ身を投げ出すと、全力で霊紋を行使した。その全身に刻まれた霊紋が光り輝き、背後に浮かぶ霊像が脈動する。

 その精霊に呼応し、水路から大量の水が吸い上げられると、瞬時にセイゲツの周りを囲った水の壁が構築された。上下左右、そして頭上。どこから襲い掛かってこようとも、この防御を抜くことなど不可能だ。


 さあどこからでも掛かってこいと身構え……振り返ったセイゲツは、すでに通りの彼方に豆粒ほどの大きさとなっている敵手の姿を見つけ、目を剥いた。

 カイエンはセイゲツの横を抜けた後、反撃など一切考えることなく、全力の逃走に移っていたのである。


「……はっ、あなた、逃げるなんて――」

「セイゲツ様、どこへ行かれるおつもりですか?」


 慌てて追いかけようとしたセイゲツだったが、突如響いた己を呼ぶ声に渋い顔をすると、嫌々ながらそちらに目をやる。


 そこにいたのは追捕使の制服に身を包んだ一個小隊だ。

 中央所属の御庭番衆が各地の所司代の治める地で活動する際、お目付け役として同行させられることとなった者達である。


「セイゲツ様、単独行動はお控えくださいと何度も申し上げたはずです」

「それは、あなた方が霊紋持ちの移動速度に付いて来られなかっただけですぅ。現場到着が遅れては、捕まえられる相手だって捕まえられなくなってしまいますぅ」

「そうおっしゃるからには、もちろん容疑者は捕まえたのでしょうね?」


 痛いところを突かれ、セイゲツは押し黙ってしまった。

 追捕使の隊員はやれやれと首を振ると、セイゲツとカイエンの戦いで荒れ果てた五番通りを指し示した。


「セイゲツ様、あなたはイタミの街にここまでの被害を及ぼしておきながら、容疑者一人捕まえられなかったと仰るわけですね」

「仕方が無かったんですぅ。相手がそれなりの使い手だったので……」

「それを制してこその御庭番衆でしょう。ひとまずここで起きた件について、詳しく伺わせて頂きます」

「そんな事してる暇はありません! 早く追いかけないと逃げられて――」

「もうすでに見失っているようですが?」


 一片の慈悲も無い隊員の言葉に、セイゲツはがっくりと肩を落とすのだった。

そして明日も連投します。


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