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天は鳴動し、闘争の始まりを告げる3

 リンカが到着した時、サバク盗賊団のキャンプ地には人の気配はほとんど残っていなかった。

 それもこれも、ロウハが動ける盗賊達を総動員して連れて行ったからだろう。


 カイエンとの合流場所から直接引き返すと盗賊団と鉢合わせしてしまうおそれがあるため、用心して少し迂回したのだが、遠くからでも大勢の人間が移動している気配は察知することができた。

 おそらく残っているのは、怪我などの事情で付いて行くことのできなかった者達だけだろう。

 リンカからすれば、カモがネギどころか鍋と出汁と調味料一式まで背負っている状態といえる。


 更に好都合なことに、山中を移動する間に天候が崩れ、猛烈な雨が降り始めていた。その勢いは時間が経つにつれて増すばかりで、あのシンコツですら足音でリンカを探知することは難しくなるはずだ。

 陽光が遮られて視界が悪くなっていることと合わせ、隠密行動を得意とするリンカをこれでもかと後押ししてくれている。

 無神論者であっても神のご加護とやらを信じたくなるような大盤振る舞いである。


 だが、懸念要素が無いわけではない。

 特に問題なのは、カイエンと会話しているところを何者かに目撃されたらしい点だ。ヘイの話題で少し長話をし過ぎたとはいえ、霊紋を持たない一般人が険しい山中を突破してきたにしては、予想よりもはるかに早かった。

 これが意味するところはつまり、霊紋持ちであるロウハかノコツのどちらかに目撃されたということだ。

 裏切っていることを勘付かれるか、最低でも不信感は抱かれたはず。追手がかかる可能性も想定しておく必要がある。


 なればこそ、急いで目的の物を回収し、盗賊などとはさっさと縁を切るのが望ましい。

 分かりきっている方針を再確認すると、リンカは素早く目的の天幕へと移動した。


 それはキャンプ地の中央に鎮座する一際大きい天幕、つまりは首領であるロウハの天幕だ。普段ならば垂れ流しの殺気が周囲に満ちているのだろうが、殺気の主であるロウハが留守にしているため、大きさによる威圧感こそあるものの、それ以外は他の天幕と何ら差はない。


 中の様子を伺う時間さえ惜しみ、ずかずかと天幕の中へと踏み込んでいく。

 初めてこの中へ入った際に目星はつけてあったため、この土壇場で迷うような無様を晒すことはない。

 天幕の片隅に無造作に置かれている、特別頑丈そうな金属製の金庫。それがターゲットだ。リンカの勘が、この金庫こそ貴重品の類を収めた文字通りの宝箱に違いないと告げていた。


 可能ならば丸ごと抱えていきたいところではあるが、人間一人が入れそうなサイズともなれば、さすがに持ち運びするには巨大過ぎ、いざという時の逃走の邪魔となる。

 また、地中深く打ち込まれた天幕の主柱と極太の鎖で繋がれているため、そもそも持ち出すことすら一苦労である。


 ここは当初の予定通り、鍵をこじ開けて中身だけ頂戴するというのがスマートなやり方というものだろう。換金性の高い宝石や細工物の類を失敬できれば言う事なしだ。


 頬を叩いて気合を入れると、リンカは愛用の針金を両手に構えて金庫へと挑みかかった。

 ちなみに愛用の針金などという代物がある時点で日頃の行いがお察しなのだが、残念ながらツッコミを入れてくれる者はこの場には存在しないためスルーされてしまう。


 ともあれ、鍵穴に針金を一本ずつ差し込んでは手応えを探り、徐々に攻略を進めていく。

 その熟練した手付きは、本職から見ても文句のつけようない鮮やかさだ。

 そうこうするうち、五本目の針金が投入され――


 カチリ


 小さく鳴った金属音に、リンカは固く閉じていた唇を綻ばせた。

 早速開けようと半開きになった扉に手を掛け――その手がふと止まる。

 昨日の内にキャンプの周囲一帯に張り巡らせておいた影の糸に、生物の反応があったためである。


 百名近い人間が出入りしているため、これまでであれば気にも留めなかっただろう。だが、今この瞬間、キャンプ地はもぬけの空に近く、残っている者も雨に濡れるのを嫌って天幕に引きこもっているはずだ。

 そこから導き出される可能性に思い至るのと、影の糸に二回目の反応があったのはほぼ同時。


 間違いない、追っ手だ!

 一本目に触れてから二本目に接触するまでの時間が短すぎる。明らかにキャンプ地を目指して移動しており、移動速度から逆算してみれば霊紋持ちなのは間違いない。可能性としてはロウハとノコツの二択だが、盗賊達を全員引き連れて行った以上はロウハ自身がとんぼ返りしてくる可能性は低い。おそらくはノコツだろう。

 何にせよ、想定していた中でも最悪に近いケースである。


 しかし、最悪に近いとはいえ、可能性は考慮してあった。無論、対処方法もシミュレート済みだ。

 リンカは素早く天幕の中を見回すと、用意してあった作戦の準備に取り掛かった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 霊紋持ちの身体能力を如何なく発揮して山中を踏破してきたのは、リンカの予想通りノコツであった。

 雨水を含んだ薄手の布地を肌に纏わりつかせたまま、驚異的な速度で山中を突き進んで行く。


 やがてキャンプ地に辿り着くと、ノコツは足を止めることなく一目散に首領の天幕へと駆けつけた。

 物資という観点ならば、武器や食料を蓄えた天幕が別にあるのだが、敵の狙いが盗賊団の集めた宝物にあるというのならば、真っ先に守るべきものはここにあるからだ。


 気合の声を迸らせ、抜剣して天幕へと飛び込むノコツ。その視界に想定外の光景が飛び込んでくる。

 欲に目が眩んで判断を誤る者であれば、どうにかして金庫を開けようとかじりついていることだろう。損得を天秤に掛けて冷静な判断ができる者であれば、逃げ出そうとしているかとっくに逃げ出しているに違いない。それがノコツの読みだった。

 前者であればその場で斬って捨てる。後者は少し厄介だが、地の果てまでも追いかけて殺すという意味では同じだ。


 だが、正解はそのどちらでもない。

 黒尽くめの姿で正体を覆い隠したリンカは、ノコツが飛び込んできたその瞬間、右手を大きく振りかぶり、霊紋の力を限界まで振り絞って殴りつけたのである。

 少しでも武術をかじった者ならば一目で分かるほど、素人丸出しのテレフォンパンチ。

 たとえ待ち伏せて不意を打ったのだとしても、三本刀クラスの使い手ともなれば躱すのは容易い。


 但しそれは、パンチがノコツに向けられていれば、の話だ。

 リンカが殴りつけたのは、天幕を支える太い主柱であった。

 相手が動かぬ建造物であれば、どんなに不格好でも攻撃を当てることはできる。そしてつい忘れがちな事実ではあるが、仮にも霊紋持ちであるリンカの身体能力は、天幕の主柱を破壊するのに十分なパワーを秘めていた。


 ぼぎっ


 不吉な音と共に、主柱が半ばから折れ砕ける。

 支えを失えば、当然のように天幕は崩壊し、押し潰すように二人の頭上へと降り注ぐ。

 咄嗟にノコツは防御の姿勢を取り、衝撃に備えた。


 ずずずん……


 天幕の崩れる破滅的な音が、降り続く雨音を凌駕し伝播する。

 いきなりの轟音に驚いたのか、大怪我を負って寝込んでいた一人の盗賊が、杖にすがりながら己の天幕から這い出して来た。するとそこには、つい先程まで悠然と聳えていたはずの首領の天幕が、ものの見事に崩れ落ちて瓦礫の山になっているではないか。


 あんぐりと口を開けて呆然と眺めていると、彼は不可思議な光景を目にすることとなる。

 目の前で、水が布を透過するようにして黒い液体状の何かが天幕から染み出してくると、それがゆっくりと集まり、遂には人型となって立ち上がったのである。

 狐につままれたような顔をした盗賊など気にも留めず、その人影は森の中へと飛び込んでいく。


 理解を超えた事態の連続に唖然としてしまう盗賊だったが、彼の受難はまだ終わらない。

 二条の銀光が閃いたかと思うと、崩れた天幕を切り裂いて新たな人影が飛び出してきたのだ。

 こちらは見覚えのある相手だったことに、彼はこっそりと胸を撫で下ろした。


 飛び出して来たのは勿論、両手に双剣を構えたノコツである。己に向かって降ってきた天幕の残骸を突き破り、外へと脱出したのだ。

 ノコツは周囲を素早く視線を走らせると、処理容量を超えてフリーズしている彼に目を止めた。


 肩をいからせて詰め寄り、黒尽くめの人影がどちらへ逃げたかと問う。

 その剣幕に圧倒された彼は、震える指先で人影が飛び込んでいった森を指し示す。

 両目を怒りで吊り上げたノコツは、雨でぬかるんだ地面から泥を巻き上げつつ、リンカの追跡を開始した。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 怒りに燃えるノコツが薄暗い森の中を逃げる人影を捉えたのは、彼女が森の中へと飛び込んだ直後の事だった。

 視界の端を黒尽くめの人影がよぎったのである。


 暗がりではっきりとは見えなかったが、この嵐の中でわざわざ黒尽くめの格好をして動き回る者が他にいるとは考えづらい。

 何より、ここで見失ってはロウハの命令を完遂できない。

 それだけは断固として受け入れることなどできず、ノコツはほとんど脊髄反射の反応で人影が見えた方へと突進する。


 果たして、その選択は吉と出た。

 視界を遮っていた枝葉を切り裂いて突破した結果、ノコツは人影から十メテルほどの位置へと躍り出ることに成功したのである。

 鍛えた霊紋持ちであれば十分に射程圏と呼べる距離。

 ノコツにとってもそれは当てはまる。

 ノコツに気付き、慌てて逃げ出そうとする人影の背中に向かって、最小限の挙動で片手の剣を投擲した。


 剣は雨粒を弾きながら飛翔する――が、あと僅かといったところで狙いを逸れる。いや、人影がギリギリで身を躱したのだ。

 人影はそのまま背後を顧みることなく、一目散に逃げていく。

 ノコツは舌打ちを差し挟みつつも、投げた剣を拾い上げながらその後を追った。


 そこから先は持久戦の様相を呈し始めた。

 人影は一目散に逃げる一方で妨害や反撃を仕掛けてくる様子は無い。精々、偶に大木の陰に隠れて姿を眩まそうとする程度だ。

 無論、それを許すノコツではない。

 隠れようとするたびに周囲の木ごと斬って捨てる。お陰でいまだに見失わずに済んではいるが、逃走者と追跡者の速度がほぼ同じなため、互いの距離を離すことも縮めることもままならない。


 そうしてどれだけの間、逃走劇は続いたのだろうか。唐突に視界が開ける。

 逃げ続けた結果、人影は遂に森を抜けてしまったのだ。

 ごつごつとした感触の真っ黒い地肌が続くその場所には、身を隠せるような大きさの樹木や岩は見当たらない。

 これまで樹々を盾にすることで辛うじてノコツの追跡を振り切って来た人影にとっては、まさしく死地と呼べる場所である。


 もらった!

 千載一遇の好機と判じ、ノコツが勝負をかけた。

 霊紋の力を全て脚力の強化へと振り向け、一気に間合いを詰めんと跳躍する。

 人影は観念したのか、あるいは最後の足掻きか、足を止めて振り返ろうとした。

 ……だが、遅い!


 人影が振り向くよりも更に速く、渾身の力を込めた二振りの片手長剣が同時に振るわれる。

 左右から挟み込むような剣閃を描いた切っ先は、僅かな抵抗すらなく人影の首へと吸い込まれ――無抵抗のまま通り過ぎた。


 驚愕、困惑、混乱。

 必殺の一撃が完璧に空振りさせられ、ノコツの瞳が見開かれる。

 何が起きたのかまるで分からぬまま、跳躍していたノコツは着地する――ことはできなかった。


 踏みしめたはずの地面の感触が無い。

 あるはずのものが無いという事態は思考の硬直を招き、対処に必要な貴重な一瞬を奪い去る。結果として、ノコツは訳が分からないまま帰還不能点を越えた。


 影が解ける。

 ノコツが首を斬った筈の人影が溶けるように崩れ、跡形もなく消滅する。

 影が解ける。

 ノコツが踏みしめた筈の地面が幻のように消え去り、本来の姿――豪雨で勢いを増した急流を下に見る崖が姿を現す。


 事ここに至り、ようやくノコツは悟る。全てリンカの張った罠だったのだ。

 影で構成した人型をリンカと誤認させ、これ見よがしに逃げて目的の場所までノコツを誘導する。

 逃走途中に一切の反撃をせず、ひたすら逃げに徹する姿を印象付けて罠の可能性を思考から外させた。

 仕上げは影を使って崖という地形を覆い、渾身の一撃を空振りさせることで動揺を誘って崖から転落させる。


 敵ながら見事と言わざるを得ない鮮やかさであったが、素直に称賛できるような人格であれば盗賊に身をやつしてなどいるまい。

 ノコツは声を振り絞り、口にするのも憚られるような悪口雑言を叫ぼうとする。が、直後に水面へと突入し、怨嗟の声は急流に溶けて泡となる。

 急流はカイエンが落下した時同様、その身に受け入れたものを速やかに押し流していくのだった。



 一方その頃、うまいことノコツをやり過ごしたリンカは、崩れ落ちた天幕の下からこっそりと這い出ると、同じく引っ張り出した金庫から金目の物を根こそぎ物色し、ほくほく笑顔でサバク盗賊団のキャンプ地から抜け出していくのだった。

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