嵐の前にこそ静けさは潜む3
朝は涼しくて筆が進んだー。
以上、エアコンの無い部屋で執筆している冷房弱者の戯言でした。
全身に影の衣を纏わりつかせて正体を隠したリンカは、周囲から浴びせられる無遠慮な視線を黙殺しながら、天幕の立ち並んだキャンプを歩き回っていた。
こっそりと潜入した際には人目が多すぎて回れなかった場所も、歪な形とは言え首領のロウハに雇われたという体裁になっている今であれば、誰憚ることなく堂々と立ち入ることが出来るためだ。
ここぞとばかりに、リンカはサバク盗賊団という組織を丸裸にするつもりである。
そんなリンカの足取りが、とある天幕の前でふと止まる。
天幕の中から、包帯で腕を吊った男が出てきたからだ。ちらりと見えた天幕の中では、同じような痛々しい姿の盗賊達が床に転がっていた。
「そこのあなた、少しよろしいだろうか?」
「へあ!?」
疑問形ながらも有無を言わせぬ口振りで包帯男の前に立つ。
リンカの気配にまるで気付いていなかった包帯男は、突如行く手を遮られて素っ頓狂な声を上げるが、相手が正体不明の傭兵だと気付くと、遠慮なく胡乱気な眼差しを向けてきた。
「驚かすんじゃねえよ。傭兵野郎が何の用だ」
「そう身構える必要は無い。一つ尋ねたいのだが、この天幕は怪我人の治療用で間違いないのかな?」
「ああ、そうだ」と肯定すると、包帯男は足早に立ち去って行く。
露骨過ぎるその態度に、嫌われているわねと内心で苦笑するも、気を取り直して天幕へ向き直る。
天幕自体はさほど大きくはない。強引に詰めれば十人が寝泊まりできる程度だろう。
天幕の構造から万が一の脱出口になりうる箇所に見当をつけると、リンカは正面の布を捲り上げ、おもむろに中へと足を踏み入れた。
天幕の中は薄暗かった。とはいえ、視界が利かなくなるという程でもない。
外から少しだけ確認できた通り、すぐには動けない怪我を負った盗賊達が地べたに寝かされ、痛みのためか時折呻き声を発している。
その中に目的の人物達を見つけると、リンカはすたすたと近づいていった。
「くっそ、ノコツてめえ、俺達を笑いに来やがったのか! アイテテ……」
自分の怪我の容態も考えず、威嚇の声を上げて痛みに苦しむモヒカン男、チョウコツ。
「やれやれ、喧しいですぞ、チョウコツ。怪我人なのですから、大人しくしていないと傷に障るというもの」
チョウコツと同じく横になったまま、すぐ隣からチョウコツを諫める初老の男、シンコツ。
「シンコツの言う通りだよ。ま、負け犬は負け犬らしくしてろってことだね」
仁王立ちでチョウコツとシンコツを見下ろしながら、嘲るような言葉を投げる薄衣の女、ノコツ。
サバク盗賊団が誇る霊紋持ち、三本刀達である。
ノコツがチョウコツとシンコツの見舞いに来たのか、あるいは単に敗者をからかっているのか。
ともあれ、三人の霊紋持ちに向かって、リンカは死角から声を掛けた。
「御三方に話を伺いたいのだが、構いませんか?」
唐突な呼びかけに三者三様の対応を見せる。
チョウコツは驚愕に目を丸くし、シンコツは気付いていたのか眉一つ動かさず、ノコツは弾かれたように振り返ると同時、腰に下げていた双剣を抜き放つと、左手のそれをリンカの喉元へと突きつける。
想定通りの反応に、リンカは慌てず騒がず、両手を挙げて降参のポーズをしてみせた。
「これは失礼、どうやら驚かせてしまったようだ。強者に近づく際は、気配を殺すのが癖でしてね。癇に障ったのでしたら謝罪致しましょう」
「てめえ……」
殺意の一歩手前といった空気を振り撒きながら、睨み付けてくるノコツ。しかし、リンカが毛筋一本ほども怯えた様子を見せずにいると、その矛先を唐突に移した。
「おい、シンコツ。あんたならこいつの足音にだって気付いていただろ。どうして黙っていたんだい!?」
「おやおや、そんな怒っては皺が増えますぞ、ノコツ。気付いていたとて、それをあなたに報告する義務もありませんからな。勿論、そちらの方――ギョクレン殿がワタクシ達を嘲笑いに来たあなたの度肝を抜いてくださるのならば、ワタクシとしても溜飲が下がる、などとは露とも考えていませんとも、ええ」
慇懃無礼な態度でくつくつと、底意地の悪い笑いを噛み殺しながらシンコツが答える。
その声にはリンカも聞き覚えがあった。キャンプに潜入した際、いち早くリンカの存在を察知してみせた弓使いだ。足音に気付いていたということは、目だけではなく耳でも相手の位置を探る術があるとみていいだろう。影を操って姿を隠していたリンカの存在を捉えることができたのも納得である。
それはともかく、シンコツとノコツの間に険悪な空気が張り詰める。
三本刀とひとくくりにされてはいても、仲良しこよしというわけではないらしい。
そんな火花を散らす二人の間に割って入ったのは、一人だけ事態から取り残されていたチョウコツであった。
「お前らだけで話を進めてるんじゃねえよ。見た目からして怪しさ満点なそいつは何者だ?」
外見に関してだけはモヒカン男に言われたくないというリンカの念が通じたのか、ノコツが不機嫌な顔で答える。
「あんたも噂くらいなら聞いているんじゃないかい。カイエンとかいう拳法家の相手をすると言って、自分から売り込んできた物好きな奴さ」
その説明に、何とも言い難い表情を浮かべて黙り込むチョウコツ。
察するに、リンカへの不信感とカイエンへの復讐心、自分の手でそれが成し遂げられない不甲斐無さがミックスされているといったところか。
歓迎すればいいのか突っぱねた方がいいのか、決めかねているらしい。
隣で横になっているシンコツも、わざわざ自分から対カイエン用の人員として売り込んできたリンカがいるにも関わらず、不要な襲撃をかけて返り討ちにあった負い目を感じているのか、リンカと目を合わせようとしない。
男二人が黙りこくってしまったため、残ったノコツが仕方なく尋ねてきた。
「で、正体不明の傭兵さんが、こんなところに何の用だい?」
「先程も言った通り、お話を伺いたいのですよ」
三本刀同士のやり取りを黙って見守っていたリンカは、ようやく自分の番が回ってきたことを察し、改めて同じ言葉を繰り返した。
「ノコツ殿から紹介があった通り、私はカイエンの相手をするためにここにいます。彼に関する最新の情報を入手するため、実際に交戦したあなた方から話を伺いたい」
黒尽くめの中から唯一見える両の瞳をチョウコツとシンコツに向け、性別が分からぬよう偽装した声ながらも、本気であることが伝わるように抑揚に気をつけて語り掛ける。
対カイエンとして売り込んだ以上はそれらしく振る舞う必要があるため、二人から話を聞きたいという演技は必須だ。加えて、カイエンが今どこにいるのかを特定するためにも、二人からの聞き取りが有効なのは間違いがない。
果たして、リンカの本気度が伝わったかどうかは不明ながら、チョウコツとシンコツはぽつりぽつりと当時の状況を語り出した。
チョウコツとの戦いはリンカも現場で見ていたため記憶の確認程度になるが、シンコツの話からは最新のカイエンの状況が把握できた。何より、ヘイが合流できたらしいことが確認でき、リンカはほっと胸を撫で下ろす。無論、そんな内心はおくびにも出さないが。
一通りの聞き取りを終えると、リンカは沈思黙考する。
現在の状況からカイエンの取りうる選択肢を想定し、そこから常識的なものを排除していくのだ。
どうせあの野生児は、リンカでは想像もつかないことをやらかしているに違いない。
ならば、普通に思いつく選択肢は排除し、ありえないと否定したくなる事をやらかす方に賭けた方が早く見つかる可能性が高い。
と、思考の海に没頭するリンカを挑発するかのように、ノコツが話し掛けてくる。
「どうだい、専門家さんなら今の話を聞いただけで、ばっちり予測が立てられるんだろ?」
揶揄するようなその口振りには、リンカに対する敵意が露骨に混入されていた。思い返してみれば、ロウハと交渉していた際も、ノコツという女はリンカの一挙手一投足に対して否定的な空気を放っていたと記憶している。
正体不明という怪しさもさることながら、ノコツを飛び越してロウハと直接交渉をまとめたことを根に持っているらしい。聞き集めた情報では、ノコツはロウハに対して心酔しているということだから、まあ理解できる話ではある。
しかし、当のリンカはぶつぶつと呟きながら考えを纏めており、ノコツの質問には一切の反応を返さなかった。
無視されたノコツは当然怒り、語気を荒げて詰め寄って来る。
「ちょっとあんた、無視してるんじゃないよ!」
「……申し訳ないが、今は考え事をしている。少し黙っていてくれないだろうか」
にべもないリンカの返答に、ノコツは更に怒りの度を増し――
「鬼だ、鬼が出たぞおー!」
リンカに掴みかかろうとした瞬間、突如天幕の外から聞こえてきたその声に、ピタリと動きを止めたのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
リンカが駆けつけると、すでに大勢の盗賊達が集まり、地面にへたり込んで荒い息をついている仲間を取り囲んでいた。
報告を持ち帰った盗賊は休憩無しで山中を踏破してきたらしく、ぼたぼたと滴る汗を拭おうともしない。
よほど恐ろしいものを見たのか、荒い呼吸の合間ごとに何かに憑りつかれたように口中でぶつぶつと呟くその姿は、荒くれ者の盗賊達にすら不気味に映るらしく、取り囲んでおきながらも積極的に話し掛けようとする者はいなかった。
リンカにぴったり併走してついてきたノコツは舌打ちをすると、不甲斐無い手下共を掻き分け、霊紋持ちの身体能力に任せて人の壁を二つに割り、へたり込んだ盗賊の襟を掴んでぐいと持ち上げた。
「情けない顔をしてるんじゃないよ。とっとと報告しな」
「す、すんません、姉御。もう大丈夫です」
至近距離で睨まれたことでショック療法的に気を持ち直したらしく、その盗賊はごくりと生唾を飲み込むと、掠れかけた声で口を開いた。
「昨日の晩、恐ろしい形相の化け物を見たんです。あれが人間であるわけがねえ。あいつがは、鬼哭山に住む鬼に間違いねえんだ!」
当時の記憶が蘇ったのか、悲鳴混じりに叫ぶ。半狂乱と言っても過言ではないその有様に、盗賊達は皆、気圧されたように黙りこくる。
「そいつを見た場所はどこだ?」
沈黙する盗賊達の中にあって、その声は一際よく通った。
同時にその場の全員が、冷えた氷を背中に差し込まれたような冷気に襲われる。
冷気の正体は殺気だ。
抑制することなく四方へ垂れ流された殺気を受け、文字通り背筋が震えたのである。
そして、そんな風に殺気をばらまく人物など、このキャンプには一人しかいない。
このサバク盗賊団の首領、ロウハである。
「ロウハ様!」
心酔する人物の登場にノコツが喜色に満ちた声を上げる。
ロウハが眼帯で隠されていない左目でぎろりと睨んで催促すれば、意を汲んだノコツが恐怖のあまり失神しかけた盗賊を揺すって目を覚まさせた。
「おい、ロウハ様が訊かれているんだ、さっさと鬼を目撃した場所を答えろ」
「へっ、へいぃ」
悲鳴すら漏らしながら、盗賊は昨晩野営した場所を告げる。
それを聞き、ロウハは大きく頷くと、野太い声を張り上げた。
「てめえら、鬼狩りだ。とっとと支度しやがれ――」
「少し待ってもらっても構わないだろうか」
割り込んできた涼やかな声に、盗賊達が絶句する。
首領であるロウハの言葉を遮るなど、サバク盗賊団の一員であれば、命を懸けた蛮行であると承知しているからだ。
しかし、声を上げたのはこの場において唯一の盗賊団に属さない者。すなわちリンカであった。
影で全身を覆った黒尽くめの姿でロウハの前に歩み出る。
注がれる盗賊達の視線も、放たれるロウハからの殺気も、すべて影の衣でシャットアウトしたかのように一切委縮した様子を見せず、ノコツに胸倉を掴まれている盗賊の耳元に口を寄せた。
「その鬼がどのような出で立ちをしていたか、思い出して欲しい」
「い、出で立ち? た、確か、ボロボロに破れた道着みたいな物を着ていたと思う。それと……」
「それと、何だろうか?」
「いや、ちらっと見えた気がしただけで勘違いかもしれないんだが、腕輪をはめていた気がする。白と黒のやつを両腕に」
「なるほど。ありがとう、君の記憶力に感謝しよう」
目撃場所を聞いた時点では疑い程度だった可能性が確信に変わる。
背後で殺気を撒き散らし続ける男の方へと振り返ると、言葉を遮った時と同じ唐突さである提案を口にした。
「ロウハ殿、この一件、私が先行して動きたいと思うのだが、よろしいだろうか?」
「ほう、お前さんの獲物は拳法家じゃなかったのか。俺達の獲物を横取りするつもりならば、当然その覚悟はあるんだろうな?」
リンカのペースで会話が進んでいるというのに、どことなく楽しそうに口の端を吊り上げ、普段に倍する威圧感を込めてロウハが尋ねる。
一方、リンカはこれ見よがしに肩をすくめてみせた。
「なに、ノコツ殿を始めとして、まだまだ私を快く思っていない方が多いようなのでね。点数稼ぎというわけでもないが、少しばかり手を貸そうと思っただけのこと」
「ふん、ほざきやがる。どうだノコツ、おまえはこいつを嫌っているのか?」
「え、あ、いや、あたいは……」
突然話を振られ、しどろもどろとなるノコツ。本音を言えば、このギョクレンと名乗る人物はこれっぽちも信用ならない。が、公然とそれを認めれば受け入れたロウハの批判にもつながるため、簡単に頷くこともできない。
そんなノコツの胸中を知ってか知らずか、片目でリンカを眺めながらロウハが告げた。
「はっ、言っておくが俺だって別にお前さんを信用しているわけじゃない。使えそうだから利用する、それだけだ」
「承知しているし、それはこちらも同じこと。君達の頭数という力を利用させてもらいたいというのが、偽らざる本音だ。ただし、それだけでは気持ちよく動いてもらえない者もいるようなので、先に恩を売っておきたいと考えても不思議はあるまい?」
互いに信用していない者同士が率直に言葉を交わす。
盗賊達が我知らず息を押し殺してしまう中、先に動いたのはロウハであった。
「まあいい。霊紋持ちのお前さんがその気になれば、こいつ等の尻を叩くよりかはよっぽど早いだろうからな。好きにしな」
「ありがたい」
殺気のレベルを一段下げ、消極的ではあるがリンカの先行を許容する。
リンカは小さく礼を述べると、霊紋の力で全身を強化し、周囲を囲んでいた盗賊達の頭上を軽々と飛び越え、報告にあった鬼の目撃場所に向かって駆け出していく。
そのまま木立の奥へと消えた背中を見送ったロウハだったが、目の前で繰り広げられたやり取りに呆けた様子の手下達を怒鳴りつけると、早速行動を開始するのだった。
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